第032話 練習不足
いよいよJR芦尾駅前でのコンサートの幕開けの時間となった。浜唯高校はトリを任されている。演奏することには慣れている部員たちであるが、それでもこれほどに観客と接近した演奏というのは3年生にとっても久しぶりなようで、純粋な目で見つめる子供たちや、ワクワクした様子で座っているおじいさん、おばあさんを見ると視線が泳いでしまった。
部長の愛美でもそんな状態で、もちろんそれは周平や未樹にも言えることであった。しかし、やはり顧問で指揮者である大地は堂々としたものだ。
「皆様、こんにちは! 私たちは、浜唯高校吹奏楽部です。私は顧問の島崎 大地と申しますが、実は今年の4月から赴任してきたばかりで、右も左もわからない状態なんですよ」
「先生! しっかりしてくれ!」
緊張している部員たちが多い中、一人飄々としているのは悠馬だ。悠馬の声に笑い声が起きる。
「こら! 野次飛ばすな! 先生が話してるねん!」
「はーい」
イタズラっぽく笑う悠馬。大地はこれで少しだけ空気が変わったのではないかと思いながら、司会を進める。
「本日は、皆様に楽しんでいただけるような曲を3曲、用意してまいりました。拙い演奏ではありますが、最後までどうぞ楽しんでください。では、1曲目の曲紹介をさせていただきます。1曲目はPerfumeの『ポリリズム』です。原曲のとおり、複雑な動きが出てきますので、それぞれの楽器が入り乱れる様子を楽しんでください」
拍手が起きる。大地はマイクを置いて部員たちを一瞥した。ほとんどの部員がガチガチに固まっている。
(長いことホンマにこういう場で演奏してへんかったんやな……)
大地が指揮棒を降ろすと同時に、未紅のサスペンドシンバルが入る。その後、紗重とフルートの複雑な動きが奏でられる中、ホルンとアルトサックス、ユーフォニウムのメロディが始まろうとしていた。そのときだ。
プヒュッ――。
「!」
その音がすると同時に顔が強ばったのは、良輔だった。大地もそれに気づいたが、あえて見ないまま指揮を振り続ける。さらに、それが伝わったのかどうかはわからないが、普段はほとんど失敗などしない愛美の音も外れたのだ。
しかし、崩れかけた演奏を悠馬のドラムセットがなんとか軌道修正する。失敗した良輔もすぐに落ち着きを取り戻し、再び始まったメロディを安定した形で吹き始める。なんとか態勢を整え、安定した様子で演奏は進んで行く。けれども、部員たちは「何かが違う」と感じながら演奏を進めて行く。何が違うかと聞かれると即答できないのだが、確かに何かが違うのだ。
そして一番の難関、ポリリズムの歌詞が入り乱れる部分に差し掛かった。悠馬の音を聞けば崩れることはないのだが、やはり練習する時間が少なかったので、不安に感じた部員たちが何人か落ちていった。
途中で重要な部分を演奏するタンバリンの音が抜けた。それは杏子だった。緊張のあまり、入るタイミングを逸したのだ。
「貸して!」
小声で手が震えている杏子に声をかけ、タンバリンを手にしたのは詩音だった。それにはさすがの大地や悠馬も驚いていた。というのも、彼女は常日頃から理性を優先して行動するタイプの子で、こういった大胆な行動をするとは思いもよらなかったからだ。
それが終わると、フルートのソリが始まる。音程を合わせる暇は少なかった上に、外で演奏していたこの日は気温が高く、音程が変わってしまってまったく綺麗に和音にならなかったのだ。
元の動きに戻るが、その後のトロンボーンのメロディにも張りがない。チューバとドラムセットの打ち込みも揃わない。聴いている側からすれば、何も気にならない演奏だったが、それなりにプライドのある部員たちにとっては、自分たちの未熟さをヒシヒシと感じさせられた演奏であった。
練習不足。
これ以外の何物でもなかった。
続く涙そうそう。テンポはゆっくりだが、その分音程の乱れなどがどうしてもわかってしまう。それゆえに部員たちはますます緊張してしまい、音のミスが発生する。なのだけれども、芯の強い部員たちはソロなども動揺することなく吹きこなしていく。冒頭のユーフォニウムのソロを大輝は見事に吹ききった。
(う……!)
しかし、それが終わってすぐのチューバの音を思い切り航平がミスしてしまい、非常に汚い音になってしまった。何しろ、Eで吹くところをE♭で吹いてしまったのだから。それに気づいた未樹も思わず顔をしかめる。
フルートのソロもビヴラートではなく、ビビりながら吹いてしまったので大地の言う「ビビラート」になってしまっていた。
トロンボーンのソリもいまひとつ、音に張りがない。繰り返しの部分でまた、航平が同じ音をミスする。その直後、航平の音が消えた。未樹は心臓が飛び出さんばかりにドクドクと鼓動を始めるのを感じ取っていた。
何かザワついた状態で演奏は進んで行く。今回、大地はこういった場合に備えて、すべての曲のドラムセットを悠馬に任せていた。それは間違いなく正解であったのだ。
最後で洋平と将輝のソロは綺麗に響いたが、曲全体の仕上がりは昨日までの合奏に比べると非常に悪いものであった。
結局、最後の「崖の上のポニョ」もパッとしない演奏になってしまった。
「……。」
「……。」
部員たちは椅子に座ったまま、誰も何も言わない。今、愛美と大輝、洋平の3人が大地に指示を聞きに行っているのだ。
「練習不足……やんな」
照が呟いた。将輝が応える。
「それ以外に何があんねん」
「……ないわな」
自嘲気味に笑う照。それっきり、誰も何も言わなかった。
ガラガラと音楽室の扉を開ける音がしたので、部員たちがハッと顔を上げる。そして、入ってきたのは大地だった。
「今日は、お疲れ様でした」
「……。」
誰も何も応えない。大地は続けた。
「今日の演奏は、君らの練習量、それと本番に対する意識、そして本番をこなしてきた回数を考えれば、当然の結果やったと思います」
その言葉にショックを受ける様子の部員たちは多数であった。
「自分たちが思っていた以下の演奏しかできへんかったはずや。けれど、それは裏を返せばまだまだ君らに伸びしろがあるっていうこと。コンクールまでまだ3ヶ月程度ある。もちろん、『もう』3ヶ月しかないと考える子もおるやろう。やけど、先生は『まだ』3ヶ月もあると思ってる」
あまりにも前向きすぎる大地に辟易しそうになる部員もいた。しかし、次の言葉が部員たちの何かを変えた。
「君らはできる」
実香子や弓華が顔を上げた。
「先生はそう信じてる」
「……。」
「やから、頑張ってくれよ。今日は以上です。お疲れ様でした。片付け終わったら各自、解散!」
そう言うと大地は入口のほうへと向かう。不意に周平が立ち上がり、大声で言った。
「ありがとうございました!」
それにつられるように、全員が立ち上がり言う。
「ありがとうござました!」
大地は振り返って優しげに笑い、音楽室を後にしたのだった。