第031話 周平の実力
「……。」
周平の父が事故で亡くなっているという事実を聞かされた翌日は、JR芦尾駅での依頼演奏本番だった。
未樹はあまり集中できず、何度もチラチラと周平のほうを見てしまう。そんなことを知る由もない周平はしっかりと合奏に集中している。
「……。」
「後藤センパイ」
「……。」
「後藤センパイ」
航平が呼ぶ声も聞こえず、ボーッと周平のほうを見続ける未樹。
「後藤!」
「はっ、はい!」
大地の大声に未樹は驚いて大声で返事をした。大地も不思議そうにしている。
「どうしてん。今日は珍しく集中力ないな」
「……すみません」
愛美が心配そうに未樹のほうを見る。
「地域の行事かもしれへんけど、気ぃ抜いて演奏したらアカンで。それは失礼やからな」
「はい。気をつけます」
「それじゃ、ポリリズム」
「はい!」
たった数日とはいえ、元々実力を備えている部員たちは少々複雑なパッセージがあるこの曲もすんなりと吹きこなしてしまう。しかし、これには周平の実力が如何なく発揮されたことによるものであった。
フルートとピッコロ、オーボエ、シロフォンの伴奏が非常に複雑で、4拍子をいわば掻き乱すようなリズムを取っているのだ。そのため、途中で内部崩壊してしまうことが頻発した。さすがの照もこれにはお手上げ状態で、自分で吹くのに必死な状態。明莉や雛のことにまで手が回らないのが現状であった。
それは良平も同じで、むしろ彼の場合はオーボエが一人かもしれないという何とも言えないプレッシャーまであるものだから、音が震えてしまうこともあった。
「この場合、あんまりフルートとかピッコロはメロディ聴かんほうがえぇと思うわ」
周平のアドバイスに照が驚いている。
「えぇ? あたし、結構頼りにしててんけど……」
「ううん。むしろ頼らんといて。思い切りマイペースで言って。ただし、しっかりと胸の内で4拍子はカウントすること。せやないと、だんだんとリズムが乱れてきよるから。これはあれやで? 中盤のほぼ全員がそれぞれ違うことを演奏する部分でも同じ。しっかりと我が我がって言う状態ではなくて、リズムを刻んで楽譜を見て演奏すること。この場合、指揮を見てるとかえって混乱するから、いまここ吹いてて、最後にバチッ!とズレずに演奏止めること。OK?」
「は、はい」
「ただし、万が一に備えて先生にはこの部分だけ大げさに指揮振ってもらうから。ね? 先生」
大地は大きくうなずく。
「ほいで……まぁ、演出は演出係さんの指示どおりやな。後は……ほら、おい!」
将輝が自分のこととは思わずボーッとしていたのだ。
「なんや?」
「顔が暗い! もっと笑え!」
「いや……だって、地域の演奏会とか久しぶりでなんかこう、変に緊張して……」
「よぉ言うわ! 全校生徒の前でじょいふる踊り狂ったヤツが」
そこで大笑いが起きた。将輝は顔を真っ赤にしている。
「それ今ここで言うかぁ!?」
「ナンボでも言うたるわ! とにかく、ホンマあんまり練習時間なくて、みんな不安やと思う。俺も不安やし、先生も不安や」
「おーい! ムチャクチャ言うな!」
大地が笑いながら言う。
「ほいでも、とにかく笑って楽しそうに演奏すればオールオッケー! みんな、ガンバロな!」
「はい!」
それだけ言い終えると、途端に部員たちの演奏が変わった。大地も驚くほどの変化だった。
浜唯高校があまり得意としないバラード系の曲に近い『涙そうそう』も珍しく、感情のこもった演奏がすんなりとできたのだ。一番驚かされたのは真咲の音色の変化だった。大輝も驚くほどに澄んだ音色が聞こえてくるのだ。
それだけではない。久しぶりにソロを吹くという進士の音色も変化していた。それまで緊張すると棒吹きに近かった音色に、綺麗なビヴラートが掛かっていたのだ。曲で有名な部分を吹くフルートの音色も、1回目の雛や2回目の明莉の音色も次々とそれまでとは違った、クオリティの高い音色が発されていた。
サックスの全員も何らかの刺激を受けているようで、特に周平の近くにいる優花の影響は半端でないようだ。さらに、右隣の実香子たちにまでその影響が波及していく。
(さすがに……これはすごかったな)
大地は改めて周平の影響力に驚かされていた。稀にこうした生徒――本人が意識しなくても自然と本人が持つ魅力などに影響されて周りの能力がアップする――そういった生徒がいると耳にはしたことがあったものの、まさか赴任直後にこうした生徒に遭遇するとは予想だにしていなかったのだ。
本番前最後の練習を終え、急いで大型楽器の積み込みをする部員たち。メドがついたところで男子部員数名が残り、後は会場のJR芦尾駅へ移動する。学校から自転車で20分少々かかるため、楽器降ろしのために移動するのだ。
「みんなが遅れたときのために積み終わったらお前ら、車乗っていけ」
「いいんですかー!?」
大地の言葉に残っていた周平、大輝、航平、良輔、良平が目を輝かせる。
「おうおう! ほら、早く積み込んで行くで」
「はい!」
楽器を積み終えて、周平が助手席に、残りがチューバやドラムセット(分解済み)とくっつきながら移動する。
「なぁなぁ、シューヘー!」
大輝が前のめりになって周平に声をかける。
「んー?」
周平は前を向いたままお茶を飲みながら答えた。
「あんさぁ。ビックリすんなよ?」
「んー?」
「後藤さん、絶対お前んコト好きやろ!」
ブーッ!と周平が口に含んでいたお茶を吐いた。
「アホ! お前フロントガラス思い切り濡らしよって!」
「す、すいません! 大輝のアホ! お前、いきなり何やねん!」
周平は顔を真っ赤にしながら濡れたフロントガラスを拭く。それから後ろを振り返ると、航平、良輔のふたりもニヤニヤと笑っていた。
「だぁってなぁ。今日の後藤さんとか見てたら、わかるわ。あんなん絶対シューヘーのこと好きやん」
「アホ言うな。それにとかって何やねん。他にそんな人おるんかい」
「あれですよね。部長、絶対そうでしょ」
良輔の言葉に周平があからさまに嫌悪感を剥き出しにする。
「あぁ~? 金木がぁ? 絶対ありえへん。っていうか、こっちからお断りやわ」
「ヒックシュン!」
周平が愛美に嫌悪感を剥き出しにしている頃、愛美が交差点で信号待ちをしているところであった。
「大丈夫? 風邪?」
実香子が心配そうに愛美に聞く。
「ううん。誰かが噂してんちゃうやろか」
愛美はそう言って笑う。そして、カバンの中をそっと確認した。
「……うん。忘れてない。大丈夫」
愛美はそう呟くと再び視線を前に戻した。
4月。まだまだ新学期始まって間もない頃。それぞれが少しずつ、動き始める。