第029話 これ、マジ?
「……。」
4月28日。悠馬が楽譜を片手に部室で佇んでいる。
「……ユーマ? どないしたん?」
周平が気になって悠馬の顔を覗きこむ。
「いや……これ、マジやと思う?」
「どれ?」
周平が覗き込むと、悠馬の手にはドラムセットの楽譜が握られていた。
「へー。これ、何のドラムセットの楽譜? ポリリズム?」
悠馬が首を振る。
「あ、ほなあれか。崖の上のポニョか?」
また首を振る悠馬。
「え? ほな、もう涙そうそうしかないやん」
「それも違うねん」
「えー? ほな……何や? 他にポップスなんてあったか?」
「違うねん、周平。これな、自由曲の楽譜やねん」
「えぇ!? ウソやろ!?」
周平が慌てて楽譜に書かれているタイトルを確認すると、確かに今年の自由曲になった『ウィークエンド・イン・ニューヨーク』だった。
「うへぇ……! マジで? コンクールでドラムセット使うの?」
別に、ドラムセットを使用する曲が珍しいわけではない。そういう曲もあるだし、そもそも課題曲でもそう言ったものは存在する。もちろん、この課題曲も全編にわたってドラムセットを使用するが、普通、自由曲でそういったドラムセットを使用するような曲というのは、それほどメジャーではない。
しかし、この曲では本当にすべてにわたってドラムセットが使用されるのだ。
「……コンクールで、ドラムセット使うなっていう規定はないよな?」
悠馬が周平に確認する。
「確かなかったで……?」
「……。」
悠馬はその答えを聞くと、すぐにドラムセットの前に座った。
「ほな、練習するしかないわな! よっしゃー、腕鳴るでー!」
悠馬がニヤリと笑った。悠馬が一番得意な楽器、それは他でもないドラムセットだ。
周平は嬉しそうな悠馬の顔を見ながら、そっと部室を後にした。それからサックスのパート練習部屋に行くと、郁斗と和洋以外の部員は揃っていた。
「どない? やっぱ難しい?」
ソプラノサックスを吹いている優花に周平が尋ねる。優花は苦笑いしながら「なかなか思うように息が入らへんのよ」と答えた。
「アルサクと違って、直管に近い楽器やからな。抵抗もそないに多くないハズやねん。やから、比較的リラックスしてゆっくり息入れてみ?」
「こ、こう?」
優花が指示どおりに息を入れる。すると、比較的すんなりと音が鳴った。
「そうそう! やわらかく、優しくっていうイメージで吹けばバッチリ! それでえぇねん!」
「ありがとー! うん、なんかわかった気がする!」
「なんでも聞いてや。だいたいのことは答えられると思うから」
周平はニカッと笑うとすぐに自分の楽器をセッティングした。それから、すぐに自由曲の冒頭部分にあるソロの練習にかかる。さすがにニューヨークまでは大地が連れて行ってくれることはなさそうなので、自分なりにこのニューヨークという町のことを調べ、解釈してみた。
大人っぽい、色っぽいイメージがあった。夜のニューヨークはまさにそのようなイメージ。冒頭のゆったりとした部分は、真夜中から明け方へ、そして朝へと移行する部分の描写だと周平なりに解釈している。アルトサックス、ソプラノサックス、トロンボーン、クラリネット、バスクラリネットのソロなどが相次ぐあたり。このあたりは特に大人っぽい雰囲気をまず出してもよいだろうと周平な考えていた。
そして周平のソロのあたり。ここでは菜砂のバスクラと悠馬のドラムセットが周平のソロを引き立ててくれる。合うようになってこれば、二人と合わせたいと彼は考えていた。
同じ頃、ホルンではテンポが上がってからのメロディにかなり苦労していた。音が細かいので、管が極めて長いホルンにはかなり苦しいものがあった。さらに、音が高いことも起因し、プスパスと外す音がよく聞こえてくる。
我慢できなくなった洋平が腹立たしそうに手を叩いて止めた。
「ちょっと待って、待って! 音めちゃくちゃやん! ちゃんと楽譜見て吹いて! テキトウな音、吹いたらアカン! 誰なん?」
「……。」
「……。」
しかし、誰も応答しない。
「しゃあないな。一人ずつ行こう。まずはリョウ」
「はい」
良輔が楽器を構えてスッと息を吸い、該当部分を演奏する。
「オッケ。ありがとう。次……やすもっちゃん」
「はい」
桃は緊張しつつもその部分を吹ききる。
「オッケ。ちょっとあれやな、音が不安定。もうちょっとしっかり息入れて? あんまり緊張しすぎんでえぇから」
「はい!」
桃はすぐにシャーペンで楽譜にメモをする。
「よし。じゃあ次、岡本さん」
「……。」
「返事」
「はい」
少し指がもつれたものの、なんとか吹ききった充香。
「ちょっと指、まだもつれてる。しっかり指使い練習して?」
「はい」
「じゃー……次、たっちゃんと古舞さん、いこか?」
「は、はい!」
このはの表情が強ばる。
「いくで? 1、2、3、4!」
達樹がスッと息を吸う。このはがそれに合わせて息を吸い、演奏を始めた。まだまだ初心者であるこのははやはり、プスッ! パスッ! と音のミスが目立つ。しかし、初心者だというのは洋平も承知なので、特に指摘はしない。
「オッケ。ほな、ちょっともう1回ゆっくりやってみよか」
「佐藤先輩」
洋平の声を掻き消すように、充香が割り込んできた。
「何?」
「お願いなんですけど……古舞さん、個人練習にしていただけませんか?」
洋平がムッとした表情を浮かべる。
「なんで?」
「初心者の子に構ってると、あたしらの時間がなくなるやないですか。ロングトーンとかの時間上げてたほうが、その子のためにもなると思います」
「いちおう、パーリー俺やからさ。そういうのも全部考慮して練習時間組んでるんで……あ、ちょ!」
突然充香が立ち上がり、楽譜や譜面台、楽器を片付け始めたのだ。
「何しとん!?」
「初心者や吹けない人に付き合ってられるほど、私はヒマじゃないんです。悪いですけど、個人練習させてもらいます」
「なっ……」
パッとこのはを見ると、今にも泣きだしそうになっている。まだ1ヶ月も経たない彼女には酷過ぎる言葉が飛んできていた。洋平は溜めていた怒りを一気に爆発させ、珍しく怒鳴り上げた。
「いい加減にせぇや!」
「!?」
右隣のトロンボーンと左隣のトランペットの部員たちが目を丸くする。
「放してください! 私は一人で練習します!」
「なんでそない輪を乱すようなことばっかするんや! えぇ加減にせぇ!」
あまりの大声に驚いて愛美や利緒が部屋を飛び出すと、今にも取っ組み合いになりそうな洋平と充香の姿があった。
「待って! 何やってんの、二人とも!」
愛美が真っ先に二人の間に入り、ケンカを止めようとした。
「やめぇや! 二人とも! 新入生もおるんやで!?」
利緒も入って完全にモミクチャになる4人。様子を見かねた良輔が慌てて大地を呼びに行った。そして、しばらくすると大声が響き渡った。
「やめんかー! お前ら、どんだけ子供やねん!」
「……!」
驚いて手を止める洋平と充香。そして、大地が今度は静かに言った。
「佐藤、岡本。すぐに音楽室来なさい。それと金木。三沢も呼んでお前らも来なさい」
「は、はい!」
愛美が慌てて小走りで大輝を呼びに行く。
「ほら、先行くで」
「はい……」
大地の後にそっと洋平と充香がついていく。明らかにうな垂れている背中を見送ってから、良輔が言った。
「ほな、先輩戻ってくるまでちょっとロングトーンしよか。ほら、古舞さんも一緒に」
「……。」
しかし、ショックで涙を流して立ちすくんでいる彼女はしばらく動きそうになかった。