第024話 男子のやる気、女子の気持ち
「なぁ……」
未樹が楽器を片付け終えて楽譜をロッカーにしまっている最中、実香子が話し掛けてきたので未樹は少し驚きつつ、答えた。
「どないしたん? 園田さん」
「あの……な」
「うん」
実香子はモジモジした様子で口をゴニョゴニョ動かしている。未樹もどうしていいかわからず、困った表情を浮かべるばかり。そこへ、弓華と未央がやってきた。
「どないしたん?」
弓華が珍しい組み合わせに興味深そうな表情をしている。
「あ……えっと」
実香子が急にやって来た弓華に少し遠慮しているのが未樹にもわかった。
「あ! そうや! なぁ、もう残ってるんてあたしらとサトッペと森ちゃんとか男子だけやん。鍵閉め男子に任せて、あたしら一緒に先帰らへん?」
未央が弓華に同調する。
「えぇやん、それ! やっぱさ、もう夜遅いし大人数で帰ったほうが安心やろ?」
「え……でもえぇの?」
実香子が心配そうに聞き返す。弓華はバシバシと実香子の背中を叩きながら「えぇに決まってるやないの! な、未樹!」と笑顔で答えた。未樹は複雑そうな表情を浮かべつつ、小さくうなずく。
「ほな、決まり! あたしサトッペと森ちゃんに言うてくるわ」
弓華はバタバタと音楽室のほうへ走っていく。扉を開けると周平、洋平、悠馬、光晃の4人がいた。
「どないしたん? まつもっちゃん」
悠馬が弓華に気づいて聞く。
「あんな、あたしらボチボチ帰るんやけど、アンタらどないすんの?」
「あー、悪い。俺らもうちょい練習して帰りたいねん。先帰っててもろてえぇかな?」
答えたのは周平だった。弓華は「えぇよ! ほな、悪いけど鍵閉めよろしく!」と言って音楽室を後にする。
「どないやった?」
未央が戻ってきた弓華に聞く。
「大丈夫! 閉めてくれる言うてるから、あたしら先帰ろう!」
「よし! 決まり。行こ、ミキティ、園田さん」
「うん」
実香子と未樹はまだ少しよそよそしい感じを残しながら、一緒に部室を出た。出る直前、未樹は音楽室のほうを振り返る。するとアルトサックス、テナーサックス、ホルン、スネアの音が響いていた。どうやら『ウィークエンド・イン・ニューヨーク』のメロディ部分を練習しているようだった。
「ミキティ! 何やってんのー?」
「あ、うん、いま行く!」
未樹は急いでスリッパを履き替え、先に歩き出した弓華たちを追いかける。
「あたしら、全員梅田方面やんね?」
阪急電鉄芦尾川駅に着いてから、未央が確認する。
「うん。あたし、園部」
未樹が答える。
「あたしは宝宮北口で乗り換えて大林。園田さんは?」
「私は武庫荘。松本さんは?」
「っていうかさぁ、実香子ちゃん」
呼ばれなれないあだ名で呼ばれ、実香子がギョッとした様子になる。しかし、弓華は気にせず続けた。
「せっかく同じ部でさぁ、こうやって一緒に帰ってるんやから、苗字呼びとかやめへん?」
「え……でも、そんな急に」
「えぇやないの! 仲良くなった証拠やん! なっ!」
実香子はしばらく戸惑っていたが、「ほな……弓ちゃん」と恥ずかしそうに弓華のことを呼んだ。
「きゃー! 嬉しい! 実香子ちゃーん!」
弓華がギュッと実香子を抱き締める。
「ちょっとぉ! アンタらだけズルい! なぁ、実香子ちゃん! あたしも気軽に呼んでぇよ!」
「え……ほ、ほな、未央ちゃん」
「いやー! なんか嬉しいわぁ! ちょっと、ミキティのことも気軽になんか呼んだって!」
突然自分に話題の矛先が向いて、未樹は戸惑って変な笑い方をしてしまった。
「嫌やぁ! 未樹、なにその変顔!」
「ちょ! あたし別に意識してやったわけちゃうのに……あっ!」
実香子が笑っていることに気づいた未樹は、真っ赤になってしまう。
「アハハ! 見てぇ! ミキティ、めっちゃ赤い!」
「……もう! やめてぇよ!」
「ほらほら、実香子ちゃん! なんか親しみ込めて呼んだって!」
実香子は笑いつつ、こう未樹を呼んだ。
「ほな、ミキティで」
未樹は未央以外の人にそう呼ばれるのは初めてで、なんだかむずがゆくなるのだった。
「それにしてもさぁ」
阪急電鉄の各駅電車に乗り込んだ後、弓華が尋ねた。
「どないしたん? 急に」
実香子のことだろうと未央と未樹はすぐに察しがついた。実香子も気づいたようで「うん……」と恥ずかしそうに俯く。
「あっ。その表情。あたしは気づいたで」
弓華がニコッと笑う。そしてそっと実香子に耳打ちして何かを言うと、実香子はあっという間に真っ赤になった。
「え? 何、何? めーっちゃ気になるやん!」
未央がジタバタとしているうちに、宝宮北口に到着する電車。
「あーん! 残念。あたし、乗り換え。高津方面やねん」
弓華が口を尖らせる。
「あたし大林。残念やわぁ」
未央も口を尖らせた。
「未樹!」
「え?」
弓華がビシッと未樹を指差す。そして、そっと耳打ちした。
「実香子ちゃんの恋愛相談、乗ったって」
「え?」
「ほな! ミキティ! 実香子ちゃん、また明日ね!」
「うん。バイバイ」
「バイバーイ」
弓華と未央はそう言うと電車を降り、乗り換えのために改札方面へ階段を上がっていく。そして、ポツリと残された未樹と実香子。車内には偶然にも、二人しかいない。
アナウンスと共に、特急・梅田行きが滑り込んでくる。特急から武庫荘、塚橋、園部の各駅方面に乗り換えるサラリーマンや学生が多く各駅電車に乗り込んできた。それまで静かだった車内がにわかに賑やかになる。
「あんね」
実香子がその賑わいに紛れて、喋り始めた。
「ん?」
未樹がぎこちなく反応する。
「変なこと、聞いていい?」
「変なこと?」
未樹は首を傾げる。
「違うかったら、すぐ否定してくれたらえぇんやけど」
「うん……」
「ごと……ううん、ミキティ……さ」
「うん」
そして、未樹は実香子の言葉に一気に顔が赤くなってしまった。
「ミキティ、森田くんのこと、好きやんね?」
ドクン、と心臓が鳴り響く。
「わかるよ。ミキティの森田くんを見る目、弓ちゃんや未央ちゃんと違うやん」
「……。」
未樹は緊張と戸惑いでうまく口が開かない。そうこうしているうちに、電車が発車する。実香子が下車するのは次の武庫荘駅だ。
「あたし……」
驚くほど素直に出た。
「好き」
実香子が一瞬驚いた表情になったが、すぐに笑顔になった。
「良かった! あんね……あたし、仲間が欲しかってんよ」
「仲間?」
「うん。だって、あの妙な雰囲気の部でさぁ、誰かが誰かを好きとか、そんなん言える状況ちゃうやん?」
それは確かにそうであった。未樹もこうした話をしたことは、部活ではなかった。奇妙とも思えるほど、3年間で一度も。
「せやから、今日こうして言えるようになって嬉しいわ」
実香子が笑う。そして、電車が武庫荘に向かって減速する。やがて、ゆっくりと停車した。
「ほな」
実香子が立ち上がる。未樹は実香子が誰を好きなのか、聞こう聞こうと考えるのだが口が開かなかった。すると、降りる直前に実香子が未樹にそっと耳打ちした。
「あたし、立花くん好きやねん」
「えっ」
「じゃあね!」
プシューッ!と音がしてドアが閉まる。本当?ともそうなの?とも言えない 微妙な表情をしたまま、自分が実香子を見送っているのを未樹は感じ取っていた。
――あたし、立花くん好きやねん。
「好き……か」
未樹はいろんなことを思い出す。今も昔も、吹奏楽が好きなことに変わりはない。小学校から吹き続けているチューバ。それを人に話すととても驚かれるが、未樹には当然のことだったので、驚くことではない気がしていた。
初めて出会ったときの周平の顔が一瞬、蘇った。最初で最後の彼の笑顔が、胸に突き刺さる。
未樹は顔を左右に振りながら気を紛らわせて、もうすぐ降りる駅なので荷物の準備をするのだった。