第021話 心底震えた
「はい、じゃあ『鹿男あをによし』開けて」
「はい!」
『明日の記憶』を通してから、大地は次に『鹿男あをによし』を開けるように指示した。鹿男あをによしは、玉木宏と綾瀬はるか、多部未華子などが出演したドラマで2008年に放送された。漫画が原作となっている。
冒頭はホルンのソリから始まる。ホルンは今回洋平、良輔、樹、このはの4人が出る。各パート1人ずついるので、ひとまずは問題なく演奏ができる。しかし、樹は病気で1年間入院していた影響もあり、ブランクがあるので音量が少し弱くなっている。
「相内、そこしっかり小林をカバーしてあげてくれるか?」
「はい!」
「そんで、佐藤は古舞をカバーしてあげて」
「はい!」
「小林と古舞は先輩二人の音しーっかり聴いて、真似してや」
「はい!」
ホルンのソリが終わり、すぐにほぼ全員がメロディや伴奏で演奏をする。雰囲気が一変し、テンポが上がって調も短調に変わる。バスドラムには友、ティンパニは詩音、スネアドラムは悠馬、ウインドチャイムは未紅、鈴は紗重、サスペンドシンバルは達矢。とにかく打楽器の忙しさもハンパではないため、空気を読んだのか単純に全員が積極的なのかはわからないが、打楽器だけは全員が揃っていた。
「トロンボーン! チューバに負けとる! しっかりー!」
その声に応じて利緒の音が大きくなった。
トランペットのメロディがクラリネットのトリルの後に入ってくる。そのメロディはクラリネットが呼応する形で合いの手を入れ、トランペットが吹き、木管が応えるという形を取っていた。
「スネア! もっと目立て! お前ある意味ソロや!」
「うぃっす!」
「今中―! ウッドブロック勢いよくー!」
「はい!」
「鈴! 稲葉! 聞こえへん!」
「はい!」
単に演奏をいちいち止めて指示をするのではなく、曲中で指示をするのが大地のスタイルだ。そのほうが印象的だという考えの元であった。
そして、いよいよ周平のソプラノサックスのソロが入る。
「いいかぁ? 思い切り来い!」
周平の眼差しが大地にしっかりと注がれる。そして、指揮の要求以上に周平が鋭いソプラノサックスの音色を響かせた。これにはさすがの大地も鳥肌を立ててしまった。
(ここまでとは……)
驚いたのは大地だけではない。洋平と良輔も吹くのを忘れ、呆然とそれを見ていた。洋平も初めて見るような周平の眼差しと音色。しかも、これが初見の楽譜というところがさらに彼らを驚かせていた。
しかし、それだけではなかった。その後に続くフルートのソロ。ハナからフルートは参加者が一人であったため、元からソロなのだがそのフルートを吹く粟田 雛の音色にも部員たちは思わず感嘆の息を漏らした。
周平の華美なソロの後に将輝、雅貴、未央がメロディを吹いてそれを引き継ぐように雛が4小節だけソロがあるのだが、そのソロが実に響きが良く秀逸なものであった。これにも大地は驚いていた。
「よっしゃ! テンションもっと上げてえぇぞー打楽器!」
その言葉を聞いた途端、悠馬の表情がイキイキしたものに変わった。もはやノリノリで、そのテンションに合わせるようにトロンボーンの伴奏がテンションを上げる。そしていよいよフィナーレだ。
「ホルン! 吠えろやー!」
ベーの音が爽快に響く。スネアドラムとティンパニの打ち込みもテンションを上げ、最後の最後でスネアを基準としたトゥッティでの打ち込みが入った。
「……はぁ~」
演奏を終えるなり、ため息を漏らして大地が座り込むので部員たちは意味がわからず、目を丸くしていた。
大地はものすごい高揚感に包まれていた。正直言って、この吹奏楽部のレベルでここまでの演奏ができるとは思っても見なかったのだ。
「どないしてん、お前ら」
「……?」
大地の言葉が理解できず、キョトンとしている部員たちを見て大地がようやく笑った。
「めちゃいい演奏できるやないか……!」
その言葉を聞いてようやく部員たちが笑った。それまでハッキリ言って、大地のことが苦手だったパーカッションの部員数名も笑顔を浮かべる。
「相内」
「はい!」
特に笑顔が印象的な良輔に大地が聞いた。
「どないやった? 今の合奏」
「最高っていうか……最高です!」
答えになっていない答えに航平が「わけわからんコト言うてんちゃうぞー!」とツッコミを入れた。ドッと笑い声が起きる。
「よっしゃ! ほな、みんなやればできるんや。いいか? 今の演奏はどこが良かったと思う?」
「うーん……」
部員たちが真剣な表情になっていく。しばらくの沈黙の後、未樹が呟いた。
「ホルン……」
「え?」
洋平、良輔、樹、このはの4人が未樹のほうを見る。
「ホルン。いつもより、なんていうか……カッコ良かったです」
それを聞いた大地がニカッと笑う。
「せやな! いつもより音が太くて、響きのある音してた。それはやっぱり、お互いがお互いをカバーしてたからやろうな」
見つめあう4人。洋平と良輔はこのはと樹をカバーし、樹とこのはは二人の音をしっかり聴いて、できる限り寄り沿うようにしようとした。結果として音が融合し、綺麗なひとつの音となって飛んだのだ。
そして、そのホルンに刺激を受けたトロンボーンとチューバが、テンポが上がってすぐに勢いを上げて行く。トランペットやクラリネットの呼応するメロディがこだまのように響き、やがて周平のソプラノサックスに伝播する。
「全員が関係し、影響する。それが吹奏楽とか、管弦楽とか、軽音楽、合唱、とにかく音楽全般に言えることやと思うで。それにこれは、スポーツでもそうやろう? 野球で応援する側が盛り上がれば選手側も刺激されて良い結果出せるやろうし。チームが沈滞すれば応援席にもそれが波及する。お前らもテレビでそういうの、見たことあるやろ?」
「はい!」
「やったら、自分勝手に吹くんやなくて、ここは目立っていいのか、それとも控えめにすべきか。そういうのをしっかりと考えて吹くようにしぃや。少なくとも、この場におる君らは、それができるはずや」
未樹がそこで気づいた。大地が「お前ら」ではなく未樹たちのことを「君ら」と呼んだことに。
未樹がニコニコしながら大地を見ていると「どないしてん、後藤。ご機嫌やんけ」と笑った。
「いえ! ただちょっと嬉しかったんです」
「なんやそれ! 何が嬉しいねん!」
悠馬のツッコミに今度は爆笑が起きる。
その爆笑を、たまたまお手洗いに来た良平が聞いていた。思わず楽しそうな雰囲気に誘われ、良平はそっと音楽室に近寄った。
「……。」
笑顔を浮かべる達矢、良輔、美里の姿が見えた。
「えぇなぁ……。楽しそう」
「何が?」
驚いて振り返ると、下条 由里が後ろに立っていた。由里は怪しげな笑みを浮かべて良平に言う。
「別にえぇんよ? 未樹たちの所に行っても」
良平の顔が強ばる。
「その代わり、わかるやんね? 中途半端なことやってるっていうのは。別にえぇんよ、あたしたちは全然困らへんからね。別にアンタ一人おれへんなったところで、こっちには北堀くんがおるから。ただ、わかってるとは思うけど。さっきの粟田さんの音、聴いた? 明日の記憶のオーボエソロ、彼女ひとりで十分やったやんね。今さら戻ったところで……意味あんのかなぁ」
良平の顔色が悪くなる。由里はそれに気づかないフリをして「まぁ、最後に決めるのは葛和くんやしね」と言い残してその場を去っていった。
「よし! 次はディズニーメドレーしよか!」
大地の快活な声が響いた後に「はい!」と参加する部員たちの声が良平の耳にうるさいほどに聞こえてきた。
「……帰ろ」
良平は重い足取りで音楽室の傍の階段を降り、昇降口へと向かって歩いて行くのだった。