第020話 厳しい基礎練習
「起立! 礼!」
「お願いします!」
4月24日(土)。今日の浜唯高校吹奏楽部は終日練習である。午前中からみっちり合奏をすると宣言した大地は予定どおり、9時に音楽室にやって来た。
「はい。じゃあ楽器を」
1年生も含めて全員が楽器を構える。しかし、大地の言葉は予想外のものだった。
「置いて」
「え?」
将輝は目を点にしている。
「ほら、何やっとん! 楽器置いて、置いて!」
「は、はい!」
不満そうな表情の部員の視線も感じないまま、大地は続ける。
「ほんで、足首掴んで。おなか圧迫されるん、わかるか?」
「はい」
訳のわからないまま、実香子や将輝が返事をする。こればかりは周平や洋平も意図を読めなかった。
「はい。では、オレが5、6、7、8と言います。その後4拍かけて息を吸ってください。で、最後の1拍で限界が来とっても、さらにそこで1拍思い切り吸う! その後、4拍息を止める! で、8拍かけてゆーっくり、おなかに貯めた息を吐ききってください。で、4拍息を止めて吸って止めて……をしばらく繰り返してください。いいですか?」
「はい!」
「はい……」
やる気のない部員と、やる気を見せる部員の温度差がハッキリ感じられる。しかし、大地はまったくそんなことなど気にしていない。
(何よ……楽器せっかく温めたのに、また冷めるやないの)
愛美は不満げに頬を膨らませる。
「金木!」
自分が急に呼ばれたので驚いて愛美は顔を上げた。
「ほっぺ! 膨らませたらアカンで。絶対な」
「……はい」
「それじゃ、行くぞ。5、6、7、8」
スウウッ……と息を吸う音が音楽室中に響き渡る。
「止めて~」
愛美と智香子が息を同時に止める。しかし、予想以上に苦しかったのか智香子が「ぶへっ!」と息を吐き出してしまった。その声を聞いて愛美が耐え切れず「ぶへっ!」と吹き出し、それがどんどん波及していく。トランペットが全滅してしまった。
「ストーップ! やり直し!」
「えぇ~?」
部員からブーイングが飛び交う。大地が「文句あるんならトランペットに言え。真剣な雰囲気壊しよったん、アイツらやからな」と言うと、部員全員から冷たい視線がトランペットパートに注がれた。
「ご、ごめん……なさい」
愛美が小声で謝る。
「はーい! もう1回! 行くで! 5、6、7、8!」
スウウッと再び息を吸う音が響き渡る。中学時代、これと同じ基礎練習をしていた周平にとってはなんでもない練習であった。しかし、こうした練習をする機会が少ない学校と多い学校ではその差が歴然だった。
大地には、半分以上の部員が真っ赤になっているのが明らかにわかった。特に金管パートでそれが顕著である。愛美や智香子、利緒、大樹、航平など大丈夫そうに見える部員でも顔を赤くしていた。
「吐いて~」
その声に応じて苦しかったとばかりに息を思い切り吐き出す部員たち。しかし、やがて息が足りなくなってプルプルと体を振るわせ始める始末。結局、この練習だけで部員たちは疲れを見せ始めたのだ。
大地はそんなことなど気にせず、すぐにロングトーンを始めた。
「はい。ベーの音階16拍吹いて4拍休んでの形で上がって、上2回吹いて下がってください」
「はい」
「声小さい! 特に1年!」
「はい!」
「行くで! 5、6、7、8!」
入った途端に高音楽器、特にフルートとピッコロの音が乱れた。
「フルート! アホ! 音汚い!」
それに怯んだ菜々香が一瞬、吹くのをやめた。それからすぐに復帰しようとするが、それを大地がさらに嗜める。
「アホ! 途中から入ってくんな! 次の音から確実に入ってこい!」
「は、はい!」
「えぇかー! 落ちたらキリのいい場所で綺麗に入ってこい! 焦って中途半端に入られたら、作ってるハーモニーが潰れる! 返事はえぇから、気をつけてくれ!」
音が変わる。ツェーの音に移った。
「汚―い! 周りの音聞かんか! 先輩の音基準や! えぇか? 大平、竹中、園田、森田、佐藤、金木、福崎、三沢、後藤を基準に各パート必死で合わせ!」
「はい!」
音階が上がるに連れて、次第に音がまとまっていった。それにつれて、大地の檄も減っていく。それに安心したのか、上のベーの音を吹いた途端、最後の部分でクラリネットの音程が乱れた。
「アホクラリネット! 最後まで神経注げ! 何やそのヘニョンって音は! アホ!」
将輝自身、これほどアホアホと言われるのは初めてであった。しかし、それが逆に悔しいと言う気持ちを生み、負けてたまるかという意識へと繋がっていった。
ロングトーンが終わる頃には大地も予想しなかったことだったが、全員の目がしっかりと彼を捉えていた。次は何や? 何でも言うて来い。そんなことを言いたげな視線であった。
「よし! ほなロングトーンはこれくらいにしとこか」
これくらい、と言いつつ大地は1時間半もロングトーンをしたのだ。時刻は既に10時半を回っている。
「ほなな」
ガサガサと部員たちは譜面入れを開け、課題曲と自由曲を取り出した。しかし、大地はまったく別の話をし出した。
「5月2日の日曜日に、この高校で地域のお祭あるやろ? あれに出ることなったから」
「え!?」
「あの祭に!?」
部員たちがざわめく。愛美が言った。
「ホンマですか? 外なんですよ?」
「ホンマやで。ほんでなぁ~」
明らかに嫌そうな顔をして北堀 朋矢が言った。
「木管は日ぃに弱いんです。外の本番なんてやめてください」
「ほな、タオルぐるぐる巻きにして出たらえぇやろ」
「はぁ!?」
続いて立ち上がったのは桃だ。
「金管、チューニング管抜いたら砂が付きます! よぉないやないですか!」
「洗えば終わりやろが」
「洗ったら調子変わります!」
「そんな偉そうなこと言えるレベルになってからそういうことは言え」
桃が「ムカつく!」と言い捨てて座った。
「ほな、こうしよか。その行事には有志が出る。それで文句ないやろ? ほな、いま採決取るで。2日の日曜日、本番出てくれる人」
真っ先に手を上げたのは周平。それから優花、未樹、航平と続いていく。最終的に各パート半分ずつ程度が揃った。明らかに足りないのはクラリネット(将輝と未央、雅貴)、オーボエ(ゼロ)、トランペット(木下美里のみ)、フルート(粟田 雛のみ)だった。それでも大地は気にせず、出ないと言った部員たちは午前中、個人練習にして合奏を始めるのだった。
不安顔の参加者をよそに、大地は楽譜を配布した。
♪明日の記憶
♪蘇州夜曲
♪コパカバーナ
♪A列車で行こう
♪ディズニー・メドレー
♪鹿男あをによし
♪ジャパニーズ・グラフィティー~時代劇絵巻~
「どないや? 時間は少ないけど、全部やったことある曲やろうから、大丈夫やろ!?」
確かに時間はあと1週間と迫っているものの、すべて1年生を除いて全員が経験済みの曲であった。
「1年生も! やったことある曲、揃ってるやろ!」
「はい!」
「よーし。ほなな、今からサッと合わせてみよ。ほんで、明日個人練習の日にするから練習しっかりして、ほんで金曜日と土曜日の午前中でバチッと合奏や。えぇな?」
「はい!」
「ほな、明日の記憶から!」
「はい!」
部員たちは参加しない者たちのことを考える余裕もないまま、合奏へと移っていった。