第019話 感情を出せば?
「なぁ、未樹!」
弓華が未樹の顔を覗きこむ。実香子の一件が無事片付き、その日の部活も無事終えて、未樹と弓華は帰宅の路についていた。
「何?」
「アンタ、さっき屋上で森田くん見てたとき、顔赤くしとったやろー?」
それを言われた途端、未樹の顔が真っ赤になった。
「あっ! やっぱりなぁ! めーっちゃわかりやすいやん、アンタ!」
弓華があまりに大声で言うので、未樹は慌てて弓華の口を塞いだ。
「なんなんよぉ?」
「声が大きいんよ、アンタ!」
「別にいいやん! アンタが森田くん好きなコトに変わりはないんやから」
「せやから! あたしと森田くんの状況知ってたらそんなん普通大声で言わんでしょ!」
未樹がそう言うのも無理はない。なにせ、1年生の後半から未樹と周平はご承知のとおり、口すらまともに利かない状況である。そんな二人なのに、未樹が彼のことを好きだなんて話が広まったりすれば、とんでもない状況になりそうなことは、容易に想像できた。
「なんでよぉ。つまんないの~」
弓華が口を尖らせる。
「人の好きとかどうとかを、つまんないとかオモロいとかで判断せんといてぇよ」
未樹がそれ以上に口を尖らせて答えた。
「それよりさぁ、どないなんやろね。ウチの部」
弓華は話を切り替えた。
「どないなんやろねって?」
「ほらぁ。今日の調子やと、実香子はどっちかって言うと、なんていうか……島崎先生寄りになったよな? そうなると、実香子もウチらの考え寄りってことに」
「ちょっと待って」
未樹が遮った。
「ウチ『ら』って何よ、ウチ『ら』って」
「そんなん決まってるやん。ほら、あたしとか森田くんとか佐藤くんとか未樹とか」
「なんであたしが入ってるんよ!?」
「ほな、何? あんたは部長寄りなん?」
「ちょ!」
未樹が慌てる。
「何よ」
「声が大きいねん! 弓華、基本的に」
「あたし間違ったことは言うてへんけどな~」
弓華は飄々とした感じで未樹の先を歩く。未樹はため息を漏らしながら弓華の後を追った。
「……。」
未樹と弓華が今しがた走って行った交差点に、周平が気まずそうに姿を見せる。
「ホンマ声デカいっつーのな」
その顔は赤くなっていた。
「おやおやぁ? 顔が赤いですぜ、森田さん」
周平の横から洋平が顔を覗かせる。
「そんなことあれへんわ」
「でもぉ~、鼻の下若干伸びてますよぉ?」
八木沼久美が洋平の真似をして顔を出した。
「なんやねん、お前ら。いつの間に俺の後ろにおってん」
「後ろに気をつけないとアカンやないですかぁ、先輩!」
久美がププッと笑った。
「やかましわ! それより、明日ウィークエンド・イン・ニューヨークの合奏やで! 八木沼ちゃんもソロあんねんやろ? 園田と揃って先生に怒られへんようにせぇよ!」
「はぁーい。それじゃ、お先に失礼しまーす」
久美が笑いながらそそくさと走っていく。洋平が隣で不服そうな顔をしている。
「何?」
「……別に。ただ、後藤もお前も素直やないなぁ~と思って」
周平がムッとした表情を浮かべた。
「別に、アホ正直になる必要はあれへんやろ」
「アホ正直て……バカ正直やろが」
「似たようなモンや」
周平は相変わらずの態度で先へ歩いていった。
「あのさぁ?」
洋平があえて大声で言った。
「何?」
「そんなんで、後藤さんもお前も楽器できるわけ?」
「は?」
周平は洋平の言わんとしていることがわからず、顔をしかめた。
「ブサイク。その顔」
「やかましわ。それより、どういう意味やねん今の」
「言うたままやん。そんな素直にならんで、よぉ楽器吹いてるわお前ら」
「それが何やねん」
クッと洋平が周平の頬を突いた。
「痛いやんけ!」
「ほら! それ」
「は?」
洋平が笑う。
「お前さぁ、ほら。新しく決まったウィークエンド・イン・ニューヨークやっけな。あれのソロ吹くとき、めぇっちゃエロい音吹くやん」
「エッ……!」
はっきり言って下ネタが大の苦手な周平は、エロいという単語だけであっという間に真っ赤になってしまった。
「ほんで? 周平はあのソロ吹くときどんな感情込めて吹いてるん?」
周平は小声で恥ずかしそうに言い始めた。
「冒頭の……ゆっくりの部分のソロは……こう、えっと……スラッとした金髪のお姉さんが、なんていうか……バーを歩いてる……感じ……で……」
洋平はフンフン、とうなずきながら聞いている。
「んで……まだ、夜やけど段々夜明けで……ウィークエンドやから……金曜日の朝で……木曜日からまぁ、バーで飲んじゃったけど今日も一日仕事がんばろーってなって……」
「へぇ~! それ、自分で考えてるん?」
周平は赤くなったまま、小さくうなずいた。
「ほんで? 中間のソロは?」
「あれは……あれやな。まさに夜に入ったばっかのバーやん! ほんで、仕事帰りの男女がバーに集まってこうパーッとさぁ!」
周平のテンションが一気に高まる。そうなると周平はもう止まらない。
「ほんで、あの何やっけ? 名前忘れたけどキラキラしたボールがパーッと回って男女がテンションあげあげで踊りまくって~!」
「ミラーボールな」
洋平が地味にツッコむ。
「そうそれ! ほんで、中盤のサックスソロはそのバーの映像って感じやで~!」
周平が満足気に言い終えて座り込んだ。
「えらい感情を素直にぶつけたな」
「当たり前や! 音楽には素直な気持ちぶつけやんとアカンやろ~」
「ほな、今の後藤さんとお前はどないなん?」
周平の動きがピタリと止まった。
「なんでそこに来るねん」
「だって。お前ら二人、全然感情出してへんやん」
洋平がプーッとワザとらしく頬を膨らませた。
「別にむき出しする必要ないやん」
「アカーン! いまお前、音楽には素直な気持ちぶつけなアカン言うたトコやろが!」
「それとこれとは……」
周平は、それが別だとは言い切れなかった。
「別ではないやろ?」
洋平が聞くと、周平は小さくうなずいた。
「園田さんも今日、気持ちぶつけたよな?」
「うん……」
「周平もまぁ、ちょっとは考えてみればって、俺は思うよ」
「……。」
それから周平と洋平はひと言も言葉を交わさなかった。
「ほな」
洋平がスーパーの前で声をかけた。
「うん」
周平は小声で答え、すぐに洋平と別れた。
「素直……ねぇ」
周平はそれからすぐに新学期始まってすぐのことを思い出した。洋平と会い、新入生のことは期待していないと言い、寝転んだ拍子に見えたものを。
「あれはヒューッて感じやったな!」
思い出したのは、未樹のスカートの中。
「なるほど? 感情とか出すって、こういうこと!?」
少し路線がズレているものの、なんとなく洋平の言わんとすることがわかった周平は、妙に上機嫌で家へ向かって行った。