第016話 思いのほか厳しい
「うぅ……」
未樹、航平、陽菜の3人が青ざめている。
「思ったより……難しくない?」
「はい……」
未樹の問いかけにうなずく二人。
「そっちは、どう?」
「全然合いませんなぁ」
悠馬がフーッとため息を漏らした。パーカッションとチューバ、弦バスがしているのは前打ちと後打ちによる伴奏練習であった。大地の強制的な変更に伴い、課題曲はマーチでなくなった。そのため、前打ち後打ち伴奏から解放されたと思っていた彼らであったが、実は自由曲となった『ウィークエンド・イン・ニューヨーク』にも前打ち後打ちの部分があったのだ。
チューバ、弦バスは前打ち。そして、後打ちはドラムセットのスネアとウッドブロックである。実は、既にチューバ3人で時々ズレることがあるのだ。それに加えて、スネアドラムとウッドブロックもズレる。そしてさらに、チューバとパーカッションでズレる。ズレ放題の5人なのだ。ちなみに、ドラムセットは悠馬、ウッドブロックは詩音が担当している。
「とりあえずさ、俺としーちゃんで先にしっかり合わせんとアカンわな」
「……はい」
詩音が小声で答える。
「しーちゃん、ここはどんな風に叩いてる?」
「え……と……。とりあえず、黙々と……」
それだけ言うと黙り込んでしまう詩音。
「黙々って……お経違うねんぞ、野田」
航平が苦笑いして言うが、詩音は真っ赤になったまま何も返さない。
「どないしてん」
たまたま表を通りかかった洋平が声をかけた。
「あ……ちょっとね。前打ちと後打ちで上手いこと合わへんから困ってて」
「ふーん……」
洋平はメトロノームを未樹たちの前に置いた。コチコチと規則的に鳴るメトロノーム。
「はい。ほんじゃ、ユーマとしーちゃんは前打ち」
「え。後打ちやなくて?」
「うん。前打ち。ほんで、チューバの3人と弦バスの2人は、後打ち」
「え! 俺、そんな急に無理やねんけど!」
拓久が顔をしかめる。しかし、洋平は気にせず「はい、グチャグチャ言うてんといきまーす! 1、2、3、はい!」と始めてしまった。
パチ、パチ、パチ、パチと規則的になる手拍子。しかし、未樹たちの後打ちはてんでバラバラである。それに釣られて悠馬たちまで乱れてしまう。
「はい、ストーップ!」
洋平の声に全員が手拍子を止める。
「はい! じゃあ下手くそ選手権!」
「は!?」
全員が唖然とした。
「この中で一番、後打ち下手くそな人決めます!」
「なんでやねん!」
悠馬が不服そうに声を上げた。
「後打ちができへん人は、前打ちもマトモにできるわけがありません!」
「なんでそないなるんよ?」
これにはさすがの未樹も不服そうであった。
「だって、前打ちはそりゃメトロノームで合わせるんやから誰でもできるわいな。大事なんは、後打ち。後打ちがしっかりできれば、きちんとリズムを体で感じ取れてるってこっちゃ。結局、後打ちもわからへん人に前打ちなんてできへんよ。できてるフリしてるだけ。真髄はわかってへんわ」
誰も上手く返せなかった。
「はい、ほんじゃ……皆見さんから」
「わ、私ですか!?」
「そ、私から。はい、行くで!」
「は、はい!」
規則的に鳴り響く手拍子。陽菜の手拍子は乱れることなく安定を保ったまま、2分近く続いた。
「オッケー! はい次! ワッキー!」
「はい!」
ワッキーというあだ名を急につけられたことも気にせず、美琴が手拍子を始める。彼女も安定を保ったまま、2分近く続いた。
「次、航ちゃん」
「はい!」
航平。彼も安定した様子で問題なく続けられた。
「オッケ! んじゃ、ユーマ」
「おうよ!」
自信満々という様子の悠馬。しかし、30秒ほどするとリズムが乱れ始めた。
「はい! ストーップ!」
「ぐあー! クソー! できへんかったあ!」
「はい! 残念でした! 次!」
拓久が自信ありげに笑う。そして始まった拓久の手拍子。しかし、ものの20秒ほどでリズムが乱れ、あっという間に前打ちになってしまった。
「はい下手!」
下手、とハッキリ言われて唇を噛み締める拓久。
「はい、最後はごとちゃん」
「う、うん!」
未樹も必死でリズムを刻もうとするが、すぐに乱れてしまい「ストップ!」と止められてしまった。
「はい。お疲れ様です」
洋平が笑う。
「オモロいことに……下手くそ勢は全員3年生でしたぁ!」
「……。」
あからさまに凹む3人。
「ちょお待てや! ほな、お前はどないやねん佐藤!」
「俺?」
拓久が必死で洋平に聞く。
「いいで。やったるわ」
洋平が自信満々の表情を浮かべる。そして、未樹たちよりも明らかに速いテンポで安定した後打ちの手拍子を2分近く続けた。
「……。」
明らかに動揺する未樹たち3人。
「どない? これで文句ないやろ~」
ニッと笑う洋平。
「ほな、まぁ。お三方は後輩に負けへんように頑張っておくれ~。頑張ってな!」
ガラガラと引き戸を閉めて、洋平が退散する。それと同時に、一気に未樹、拓久、悠馬の闘志に火がついた。
「しーちゃん!」
「脇川さん!」
「航ちゃん! 皆見さん!」
3人が一斉に同じ言葉を口にした。
「俺を指導してくれ!」
「オレを指導してくれ!」
「あたしを指導して!」
後輩全員がしばらくポカンとした後、小声で「はい……」とうなずくのだった。
「やーっちゃったぁ」
ご機嫌な様子で歩く洋平を見つけた周平が尋ねる。
「何したん?」
「んー? 低音の闘争心に放火してきたぁ」
「はぁ?」
「ま! 俺らもガンバロってこっちゃ」
「はぁ……」
洋平はご機嫌なまま、ホルンの部屋に入っていく。
周平は洋平の言葉がわかるような、わからないような微妙な気分のまま、サックスパートのパー練部屋に向かうのだった。