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夏に恋した君と僕  作者: 朝雨 さめ


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4/8

三日目




暗い世界に規則正しい機械音だけが鳴り響く。

身体に感じる痛みと、機械の冷たさだけが感じられるこの世界で僕は瞼を閉じ続ける。

何も見えないはずの瞼の裏に浮かぶのは昨日の景色。


―――美春先輩が倒れている姿。


色鮮やかな花火に照らされているにも拘らず、急速に色を失っていく世界だけが鮮明に思い浮かぶ。


あの後、僕は身体に響くほどの声で叫び続けたことから医師に絶対安静を言い渡され、あれからずっとベッドの上でただ横たわっている。

ただ……正直僕自身、自分の身体のことは今はどうだっていいと思っている。


――あの時、僕が美春先輩から目を離さなければ、倒れることもなかったかもしれない。

――あの時、僕が見て見ぬふりをしないで、先輩に今日はやめておこうと言える覚悟があれば、また違った未来があったかもしれない。


ただ、それだけが僕の脳裏に浮かんでは消え、何度も何度も後悔の念から涙が枕を濡らす。


……時折、嫌な予感は感じていた。


”白蝕症”という不治の病を患っているというのに、先輩といるときだけはその辛さを忘れることが多かったことは幸せで、しかし一方でそれは自分の身体の不調に気づけなくなっていくということで。

すぐそばにまで来ていた幸福の代償に、ついぞ気が付けなかった僕らは、死神の鎌がようやく首元に届いてからその事実を直視した。


担当医である宮本さんには、僕ももう少し叫び続けていれば命の危険すらあったと言われるほどに叫び続けていたそうで、今は声を出さずとも喉が灼かれているような熱さが感じられるけれど、それに反して体は急速に冷えていた。



―――美春先輩は、今もまだ目が覚めていないらしい。



通常、昏睡状態に陥るような重度の病に対して時間経過で回復の兆しを待つという選択肢が生まれるこの状況は、しかし白蝕症の僕たちにとっては許されない。


著しい速度で筋肉を失い続け、骨が浮かび上がるというこの病の性質上、このまま美春先輩が目を覚ますことがなければ衰弱していき、ついには死に至る。


医師でさえどうすることもできないこの状況で僕にできることもなく、唯一美春先輩が自力で目を覚ますしか生きられる可能性はない。



―――隣にいると、約束したのに。

昨日から何度もそう思う。

けれど現実はどうだ?

僕は自力では立つことはおろか、ベッドの上で横たわっていることしかできていない。


先輩はいつも元気に気丈に振舞っていたけれど、本当は不安で一杯だと一番理解できる僕が今そばにいてあげられなくてどうする?


――そんな自嘲に囚われていた時、すっと、病室のドアが静かに開いた。


「お~い、来てやったぞ~?」


反射的に顔を向けると、そこに立っていたのは――見覚えのない中年の男だった。


いや、見覚えがまったくないわけではない。

その顔立ちはどこかで見たことがあるような……そんな奇妙な既視感を感じさせる、が僕の疑問はすぐに彼の言葉によってすべて理解させられた。


「……ってあれ……美春じゃないのか……さっきの子に白蝕症の子の場所を聞いたけど間違えたのかな……」


――美春、

その名を彼が何の躊躇もなく呼んだことに僕の胸はざわついた。


先輩は自分のことも家族のこともあまり語りたがらなかった。

だから僕が知りえる情報も数少ないものだけど、先輩から男の知り合いの名前が出ることはなかった。


……いや、違う。


たった一人。


正確には、たった一人だけ先輩が話した男がいた。


「み、美春……先輩の……父、親……?」


人工呼吸器をつけた僕の口から絞りだした掠れた音は男の耳に届き、それを聞いた男はゆっくりと振り向きながら首を傾げた。


「……おや? 美春を知ってるのかい? じゃあどこにいるのか教えてくれないかい?」


低くも優しげな声で男―――美春先輩の父親はそう言いながら少しだけこちらに近寄ってきた。

よく見れば先輩の顔の面影があるその父親だったが、僕が最初に抱いた感情は、"不気味"だった。


まるで張り付けたような笑みを浮かべたその表情は柔らかいようでどこか無機質。

言動の一つ一つにあるはずの感情という情報が、どこか欠如したかのような言葉はまるで機械と話しているような錯覚すらあった。


故に、たった一つのやり取りで僕は理解させられた。


―――この男は、この父親は、美春先輩のことを毛ほども気にしていないということを。


以前先輩から聞いた話では両親はどちらともに蒸発したのちに別の家庭を築いているはずで、実の娘が大病に罹った途端に捨てるような酷い親だという認識はあった。


けれど、どこか自分の中では子供の幸せを願わない親はいないだろうと思い続けていた。

ただ……実際にこの男と会って、僕のその認識は間違っていたといわざるを得ないだろう。


酷いという言葉ではまるで表せないほどのこの感情に、僕は痛みをも忘れて問い掛けた。


「な……ぜ……今、更、あなたが……美、春先輩に……?」


たった一言で理解できるほどに娘のことを何とも思っていない父親が、なぜいまここにいるのか。

どうしてもそれを聞かずにはいられなかった。


―――けれど。


「えぇ、俺が先に質問したのに……ま、いいか。どうしてって、ほら、娘が死ぬかもしれないって病院からめちゃくちゃ連絡があってさ~。鬱陶しかったんだけど、あのクソ女……あ、美春の母親の事ね? あいつは来ないみたいだし……それなら俺だけでも顔を見せてやらないと美春が可哀そうだろう? で、どこにいるか教えてくれる?」


――僕は後悔した。


少しでも良心が残っているんじゃないかと、美晴先輩に対して親の責任がまだあるんじゃないかと期待した自分自身に。


―――この男は、人間の顔をした別の何かだ。


長々と語る言葉の一つひとつが、あまりに歪で、冷淡。

白い蛍光灯に照らされた男の表情はまるで能面のように無機質で無感情。


「……っ……っざけんな……」


気づけば、僕の口から声にならない呻きが漏れていた。

込み上げる怒りと嫌悪を隠さず、僕は痛む体を押し殺して起き上がる。

胸の奥で何かが焼けるように熱く、そして暗いものが膨れ上がっていくのを感じながら僕は男に向かって叫んだ。


「……美春先輩は……っ、可哀そうなんかじゃないっ……!」


可哀そう。

その言葉ほど、美春先輩を貶めるものはない。


難病だから? 死にかけているから?

だから“可哀そう”だと?


……違う。

先輩は確かに苦しんでいる。

痛みに顔を歪める夜も、呼吸すらままならない朝もあっただろう。

けれど、その姿は決して憐れみを向けていいものなんかじゃない。


先輩は今を生きている。

窓の外の風の音に耳を澄まし、陽の光を恋しがりながらも楽しそうに笑う。

一日一日を必死に掴みとろうとしているその姿を、先輩を、可哀そうのひと言で括るなんて―――それは先輩のすべてを奪い去るのと同じだ。

先輩がどんな想いでここで治療し続けているののかも知らず、守れる立場を放棄した人間にそんな言葉を言っていい権利なんてあるはずもない。


……許せなかった。

美春先輩を一人の娘としてでなく、可哀そうな人間としてしか見ないことが何よりも。


父親だろうがなんだろうが、誰がなんと言おうと、先輩を可哀そうなんて言わせない。

先輩は――美春先輩は、誰よりも強く、美しい人間だから。


だから―――ッ。


ただの子どもでしかない僕の拳が、どう足掻いたところでこの男に何かを与えることなどできないとは分かっている。

けれど、それでも僕は体に繋がれた幾つもの管を引きちぎり、骨ばった拳を思いっきり振りかぶり――――男の顔面に打ち込んだ。


「~~~ッ!? っ、オイ、なにしやがんだこのクソガキがッ―――!!」


当然、病弱な身体が放つ拳は男に響くことはなく、多少よろめいた程度の激高した男は僕に向かって拳を振り上げた、その瞬間――。


「何してるんですかっ!!?」


鋭い声と共に、男の拳が僕に届くよりも早く、担当医の宮本さんを含む三人に取り押さえられる。

同時に無理が祟った僕の視界はグラつき、世界が歪んで男の表情は見えなくなる。

けれども僕は続けて大きく叫んだ。


「ッ、今すぐこの病院から出ていけ……! 今後一切先輩に、近づくな……っ!!」


何も見えなくても、この男の顔だけは鮮明に焼きついていた。

あまりにも冷たい目と、歪んだ笑み。


そんな父親の姿を美春先輩に見せたくないという、ただ一つの想いだけが、濁流のように渦巻く。

先輩はもう、かつての痛みを抱えたまま、それでも真っ直ぐに前を向いていた。

過去を赦しきれずとも、それに囚われることなく、かすかな未来に手を伸ばしているのに。


そんな彼女に、こんな醜悪な影を、今さら重ねさせるわけにはいかなかった。


ただ、ようやく暴れることをあきらめた男は、僕の叫びも涙も意に介することなく、ただ肩をすくめ、口元に冷笑を浮かべていた。


「っ……はぁ、やれやれ……! やっぱり病人ってのは面倒だなァ! 精神的に子供で仕方がない……! 美春もお前も!」


そう口にして、ふてぶてしい足取りで背を向けると、まるで取るに足らない雑事でも片づけるような調子で、こう続けた。


「まあ、別に無理に会う気なんてないからな。このまま狂ったゴミに恨まれて殺されでもしたら困るしな。……あぁ、そうだ、それならついでに頼んでおくよ。……娘が死んだら、その後始末、君に任せるってことでいいだろう? ほら、合理的だろ? ハハッ、こりゃいいルンバがいたもんだ!」


ただ空気を腐らせるような軽薄さを振り向く男の言葉に、もはや人間として感じられるものは一つもない。


「じゃ、よろしく頼んだよ――壊れたルンバくん」


そう汚れた言葉を男は残し、看護師に連れ去られるように不愉快な足音が廊下に吸い込まれていった。


それを見送った途端、僕の中で何かがぷつりと切れた。


恐らく緊張で強張っていてなんとか耐えていた身体がふいに重さを取り戻したのだろう。

握りしめた拳は床を掴むように震え、視界が、さざ波のように揺れ、ベッドから体が零れ落ちる。


……宮本さんが僕を呼ぶ声がする。

でも、その声は遠く、遠く、まるで水の底から響いてくるようだった。


感情も、思考も、感覚も――そのすべてが波のように静かに引いていく。


やがて僕は、抱き留めてくれていた宮本さんの腕の中で、意識の灯を手放した―――。




























―――先輩が亡くなるまで、あと、四日。

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