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夏に恋した君と僕  作者: 朝雨 さめ


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2/8

一日目




「ねえ、夏来くんってさ―――夏って好き?」


カーテンが引かれた病室の白い空間に、昨日のことなど忘れたかのように懲りもせず現れた美春先輩の声が、病室の静けさを破った。

先輩は僕のベッドの縁に腰かけ、まるで日常の一幕を切り取るように何気なくそう訊ねてきた。


「夏、ですか……。うーん、まぁ、僕はサッカー部だったので、割と好きかもですね」


僕が読みかけの本を閉じながら先輩に顔を向けると、先輩は唐突に目を輝かせながらこちらに身を寄せてきた。

その時にふと、先輩の指先に触れそうになった足元がくすぐったく感じたけれど、それを表に出すのは何となく敗けのようで、僕は平然を装う。


「あ~! そうだったね! でも夏来くんがサッカーしてただなんてちょっと想像つかないなあ~。ほら、こんなに細いのに!」


こんなに細くて、と言われれば、僕らの病を知る人ならば少し顔が強張ってしまうような、気を遣うデリケートな言葉かもしれないけれど、一年という歳月の中で先輩と接してきた僕だからこそ、こういった気兼ねのないブラックジョークができるもので。

だからこそ、美春先輩の言葉には悪意の一欠片もなく、むしろ軽やかな笑いが添えられていたことに僕も同じような笑みを浮かべて答えた。


「いやいや、これでも昔は筋肉すごかったんですよ? ボディビルダーばりに」

「ははっ、絶対ウソでしょ、それ!」


笑い合えることは救いになる。

これは僕がこの病院での生活を通して気が付いた事実で、病気について腫れ物のように扱われるより、冗談にしてしまえる関係の方がずっといいと思う。

あとはまぁ……同じ境遇の人だからこそ、寧ろ辛い話題は明るく変えたいのだ。


「……じゃあ、先輩は? 夏は好きですか?」


僕の問いに、先輩は一瞬だけ視線を宙に彷徨わせた。

言葉を選ぶように天井を見つめ―――。


「うーん……普通、かなあ?」


いつもと違うその声色の変化に気が付いた僕は、そういえばと思い出した。


「……あぁ、そうでしたね。……美春先輩のご両親がこの時期に……」


去年の夏。

僕がこの病院に来て、先輩と出会ってからすぐに聞いた話では、先輩の両親は、先輩の病が発症した夏頃に逃げるように姿を消し、後に海外で新しい生活を始めていたことがわかったという。


まるで先輩の存在を、過去の痛みや腫物のように封印して。


そんな先輩にとってはこの季節が嫌になってもおかしくはないだろうに……。


「でも、ほら。夏来くんだって、最近大変だったじゃん? ……大丈夫?」


と、自分のことは後回しに、気を遣うような顔で僕を覗き込んできた先輩に僕はちゃんと答えた。


「……正直、まだ整理できてないこともありますけど……今はちゃんと前を向いてますよ」


――実は僕も先輩と似たようなもので、かくいう僕もすでに両親はいない。

……というより、いなくなったという言葉のほうが適切だろう。


先輩同様、やはり自分の子供が不治の病に罹ってしまったというのは親にとっては人生の中で大きな要因の一つとなるのか、その中でも特に責任感の強かった僕の母親は、こんな体に産んでしまって申し訳ないという自責の念から、"ごめんね"の文字を何度も繰り返して書いていた遺書を遺して自ら命を絶った。

それから間もなく、妻を失ったショックと、母さん同様に僕に対しての贖罪のつもりか、父さんまで母さんの後を追って命を絶った。


病気に罹った当人としては、ただ、僕のことは気にせずに、たまにでも明るく顔を見せてくれるだけで幸せだったことでも、親から見ればやはり辛いものがあったんだろう。


それを示すように、親よりも先に死ぬ子供を見たくない、苦しませてごめん、という言葉が母さんの遺書にも書かれていたけれど……それでも僕は、死ぬときは母さんと父さんの顔を見ながら静かに息を引き取りたかったと思っていたことを理解していてほしかった。

僕が生きている間だけでも、幸せな家族を過ごしていたかった。


……僕から見れば両親は偉大な存在でも、世界から見ればただの一人の人間で。

ここに来るまでに様々な実験などの苦しい経験をさせてしまったことへの自責の念は、僕には想像できないほどだったのだろうけれど……僕がそんな苦しいことでもなんとか耐えられていたのは、母さんや父さんのお陰だったんだよって……しかし伝える手段はもう、断たれてしまった。


自由を失い、日常を失い、ついには残された家族という形ですら僕の世界から消えてしまった。


生きる理由も見つからず、自暴自棄になって、両親の願いを忘れて自殺を図ろうとした時もあったけれど……。

だけど、そのとき。


「私もいるじゃん? 偉大な先輩が君の生きる理由になってあげよう!」


と、屈託なく言った先輩の声が、確かに僕を現実に繋ぎとめてくれたのだ。

無責任な言葉だったかもしれない。

でも、同じ境遇の先輩の言葉だったからこそ、僕は確かにその言葉で救われたのだ。


だから……夏が好きか、と問われれば、しかしやっぱりあえてこう言おう。


「……やっぱり、僕、好きですよ。夏」

「おおっ? 改めてどうしたの? いや、まぁ私がいるからどの季節も素晴らしいか!」

「……まぁ、そういうことでいいです」

「ちょっ、ちょっと! 適当にまとめるなー!」


いつも通りの、くだらない掛け合い。

でも、それがたまらなく愛おしい。


僕は美春先輩が好きだ。

僕は病室での先輩のたった一年しか知らないけれど。

先輩の明るさも、笑うときの目も。

そして、僕の中の空っぽな場所に、そっと灯をともしてくれたその存在全てが好きだ。


だからこそ、僕は先輩のために生きようと、そう心から思ったんだ。


そして願わくば、僕が自分の足でしっかりと歩けるようになったその日に。


先輩に自信をもって伝えるために――――。







そんな空気が和らいだ頃、カーテン越しの窓からコツン、という音がした。


「……え? 今、なんか音しなかった?」


先輩の言葉に僕もまた杖をもって立ち上がり、二人で音のした窓際に近寄る。


まるで小さな石ころがぶつかったような固いガラスの音の原因を調べるために、僕らは陽射しが入らないようにカーテンを少しだけ持ち上げて―――。


「「うわぁああああ!?」」


ほぼ同時に叫んで、思わず僕のベッドに倒れこんだ。


―――この時、そのまま床に倒れていたら大惨事だっただろうけれど、しかしそんなことなどはどうでもいいとばかりに、僕らは顔を見合わせて口元を緩めた。


笑い声がひとしきり落ち着いたあと、先輩は再びカーテンに手をかけた。


「なんだよ、蝉じゃん!!! 驚かせやがって~~~!!!」


僕も先輩の声の先に目をやると、窓の外の細い庇の上には黒褐色の影が一つだけ震えていた。

翅を広げたまま仰向けに倒れているそれは、一瞬、人間にとって嫌悪感の塊である黒いアイツかと思ったが、どうやらガラスにぶつかってしまった蝉だったらしく、数秒ごとに微かに痙攣しながら、空気をかき混ぜるように翅を動かしている。


「あれ、生きてますけど……」


僕がそう呟くと、先輩はわずかに目を細めた。

きっと考えていることは一緒であろうが、あえて先輩はそれには触れずに言葉を返してきた。


「……ねぇ、夏来くん。蝉ってさ、地上に出てから一週間しか生きられないんだってね」

「あ~、はい。よく聞きますよね。地上に出て生きられるのは七日だけって」


蝉について少し調べればまず最初に出てくるであろう有名な雑学。

彼らは地中という狭い空間の中で七年の歳月を過ごした末にようやく羽化して外に羽ばたくことができるが、その寿命は僅か七日だと言われている。


そして僕のその言葉に対して、しかし先輩は窓の外にいる蝉から目を離さずに再び僕に問いかけた。


「……七日だけ、ってさ……長いと思う? それとも短いと思う?」

「……え、……っと……」


きっと、前までの僕ならば……というより、ほとんどの人が即答できるだろうその問いに、しかし僕はすぐには答えられなかった。

しかし先輩はそれを特段咎めるでも指摘することもなく、どこか遠くを見つめるような視線で蝉を見続けて言葉を紡いだ。


 「……七日間。人生の内の七年という長い間を狭くて暗い地中で過ごした彼らは、その七日間をどう感じているんだろうね……」


その言葉に、依然としてかける言葉が見つけられない僕は、ただ黙って先輩の横に行き、同じように、いまだに飛べずに羽ばたく蝉を、ただ見ていた。


「……この病院の中にいるとさ……一週間ってものすごく長いんだよね」

「……はい……僕もそう思います……」


普段の生活の中では、何気なく感じていた"あっという間"という感覚を、僕はこの一年間で一度も感じたことはない。


検査の結果を待つ七日間。

治療の効果が出るかどうか分からない七日間。

もしかしたらこのまま……と想像してしまう夜を越えてゆく七日間。


日々衰弱していく体の僕らにとって、七日どころか、一日ですら貴重で、まるで一つの季節のように長く感じられるのだ。


「……でもさ、そう考えるとすごいよね」

「……なにがですか?」


と、逆に僕が問いかけたとき、初めて美春先輩は蝉から目を離してこちらを向いて―――。


―――意味深な笑みを浮かべた。


「ほら、彼らはたったの七日間の中で一生を詰め込んでるんだよ? 空を飛び回ることも、大声で鳴くことも、そして当然恋をして、子孫を残すことも……へへ……」

「……そんなんでニヤニヤするなんて小学生ですか……でもまぁ確かにそうですね」


先輩のその言葉に僕は少しの苦笑いを浮かべながらも同意し、小さく頷いた。


「私らもそうだけどさ……人間って、自分の物差しですぐに“短い命”って言うけど……あの子たちにとってはあまりにも長い一日の中で、必死で生きてるんだよね……」


そういいながら、先輩はカーテンを閉めて再び僕のベッドに腰掛けた。


―――さっきの蝉は、きっとあのまま飛ぶことができずに死んでしまうだろう。

そしてきっと、先輩はその姿を自分に重ねているのだ。


五年間という長い間、この閉鎖された病室で過ごし、しかし蝉のように外に出ることを許されない自分を、死にゆく存在だと、そう思っているのだろうと、僕は先輩の顔を見てふと思った。


そして、僕は先輩にそんな顔はさせたくなくて―――。



「美春先輩!!!!」



僕は病室の外には響かないぐらいの声量で先輩の名前を呼んだ。

そのあまりにも突然の声に驚いたのか、先輩の顔は今まで見たこともないほどに目が見開かれていた。


「えっ、なに!? 急に……」

「先輩! 実はですね……この僕の杖、回すと身長に合わせて長さを変えられること知ってました?」


僕はそう言いながら自分の持つ杖をくるっと回して少し伸ばして見せた。


「え、いや、まぁ知ってるけど……それがどうかしたの?」


先輩の不思議そうな表情に、しかし僕は自信満々に先輩が閉じたカーテンの隙間を再び広げ、杖を窓の外に伸ばした。


「―——えっ、夏来くん!? どうしたの――――――っ!」


そのあまりの奇行にさすがの先輩も驚いたのか、再び先輩もまた窓の外を覗き込み―――。


その瞬間、僕の杖が倒れた蝉に当たったことで蝉は体勢を元に戻して、再び空へと羽ばたいていった。


「―——っ」


その光景を見て呆然としている先輩に向かって僕はしっかりと口にした。


「先輩! 例え自分一人ではどうしようもない時でも……誰かの力があれば、どうにかなることがあります……! だから……もし、先輩が一人で辛いと、苦しいと、耐えられないと思う時があれば、その時は僕が先輩の力になります! だから……僕が先輩に救ってもらったように、いつでも先輩を救わせてくださいね!」


―――と、その瞬間、先輩が何か口を開きかけ赤のように見えたが、同時に陽射しが差し込みそうになるのが見えて、僕は振り向いて慌ててカーテンを閉めなおして一息ついた。


――筋肉が衰え、骨まで見えてしまうようになってしまった僕らの身体は、皮膚が薄いことから、太陽が発する紫外線ですら毒になる。

だから日中はずっとカーテンを閉めているし、夜中ですら開けることは早々ない。


いやはや、ましてや僕の自室で先輩に日光なんて浴びせてしまっては立つ瀬がなくなってしまうところだった……。


と、そんな風に僕が一息つくと同時に、美春先輩はふと囁くように言った。


「……私も改めて言おうかな……」

「……?」


僕が先輩の言葉を疑問に思って振り返ると、先輩の顔は、陽射しにあてられていないのにも関わらず、少しだけ赤くなっているように見えた。


「私も、夏が好き。……ちゃんと私がここにいるって、ちゃんと見ていてくれる人がいるから……」

「―——!」


先輩のその言葉に、僕は胸の奥がひりつくのを感じた。


蝉の七日間と、病院の中で過ごす僕らの一週間。


先輩と過ごす、かけがえのないたった一度きりの、この夏のこと。


僕らの先がたとえ短くても、僕たちも蝉のように必死に一日を生きていれば、きっと何かを残していける。


ふと、そんな予感がした―――――。




















―――先輩が亡くなるまで、あと、六日。



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