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悪役令嬢であれ、と神は言った

作者: 入多麗夜

 金銀の燭台が整然と並ぶ王城の大広間は、まるで裁きの場を模すような空気に満たされていた。


 赤い絨毯が敷かれた床の先、玉座の横に並び立つのは第二王子、リュシアン・クロイツ。

 その隣には、純白のローブを纏い、何も知らぬ無垢を演じる一人の少女――セラフィーナ。


「……クラリス・エインズ。貴女との婚約を、ここに解消する」


 その言葉は、まるで予め用意された台詞のようだった。

 静まり返った空間に、ただリュシアンの声だけが響く。


 彼女に対する視線は冷たく、好奇の目を向けられていた。


 集まった貴族たちは口々に噂をささやく。だが、声を上げる者はいない。


 これは王家が定めた“儀式”であり、神託によって導かれた正しき決断だと、誰もが知っていたからだ。


 クラリスは、ゆっくりと一歩踏み出した。


「……であればお受けいたします。殿下」


 その声音には、涙も怒りもなかった。

 端整な顔立ちはわずかも崩れず、ただ真っ直ぐにリュシアンを見据えている。


 ――それが、余計に彼の癇に障ったのだろう。


「貴女の傲慢と冷酷は、長らく我が王家を悩ませてきた。だがセラフィーナは違う。彼女は神の声を受け、この国を癒やすために現れたのだ!」


 リュシアンの声には、自らの正義に酔うような熱が宿っていた。

 セラフィーナはその隣で、わざとらしい戸惑いの笑みを浮かべ、軽く頷く。


 神託により選ばれし聖女。

 それが、王宮における彼女の“役割”だった。


 クラリスは、一切の感情を見せずに一礼する。


「では、これにて婚約は解消されましたこと、口頭で確認いたしました。――ご機嫌よう、殿下。聖女様」


 背後に冷笑が起こる。

 誰かが「ようやく国が救われる」と呟いた。


 クラリスは、それらを振り返ることなく踵を返す。

 光を背に、その姿は静かに遠ざかっていく。


 それが、この国で“悪役令嬢”と神託が下った女の、最後の舞台挨拶だった。







 クラリス゠エインズワースが神の声を聞いたのは、まだ十歳の頃のことだった。


 貴族の子女として生まれ、何一つ不自由なく育てられた少女。学問に優れ、剣も舞もこなし、礼儀作法にも瑕疵はない。周囲は彼女を将来の王妃候補と目し、本人もまた、それを当然と受け入れていた。その日までは。


 ――汝、悪役令嬢であれ。


 最初は夢だと思った。けれど、同じ声は翌夜にも響いた。

 眠りの底から届くような、冷たい、けれど抗えぬ響き。

 声は、少女の心に直接届くようにして語りかけてきた。


 ――汝、名を汚されようとも恐れるな。汝こそが、ただ一人、我が言葉を受けるに値する者である。


 この国において、神託を受ける者は常に一人。

 それが、国法と信仰の礎であった。


 選ばれし者は“聖女”とされ、その声に従って国が治められる。


 だが、クラリスが授かった神の言葉は、誰もが期待する“聖女”ではなく、“悪役令嬢”だったのだ。


 つまり、善き令嬢ではなく、悪を演じる者となる。それが、彼女に課された使命だった。


 当時のクラリスは、戸惑っていた。

 なぜ自分がその役を担わねばならぬのか。

 なぜ人々に憎まれることが“正義”であるのか。

 理解できなかった。怖かった。

 それでも確かに、その声は真実だった。

 冷たく、絶対的で、逃れようのない神命だった。


 彼女は泣いた。夜毎、眠れずに震えた。

 しかし、ある夜、鏡の中の自分を見つめながら、静かに誓ったのだ。


 ならば私は、最後まで演じきってみせよう。

 誰にも気づかれずとも、たった一人でも、この国を守る盾になる――と。







 あれから数日後、王都は混乱の中にあった。


 始まりは、一通の密告書だった。

 差出人不明、だがその内容は精緻で、具体的な証拠と日時が記されていた。

 告発されたのは、“聖女”セラフィーナが関与する、王宮財務局の不正流用。


 さらに、軍備品の横流し、辺境への干渉工作、そして――神託の偽造。


 最初は誰も信じなかった。

 神に選ばれし“聖女”が、そのようなことをするはずがないと。

 だが、少しずつ積み重ねられていた矛盾と綻びが、確かな裏付けとなって浮かび上がってきた。


 そして、あの日。

 王城に招集された臨時評議会の場に、クラリスは現れた。


 その姿は飾り気もなく、ただ一人の貴族令嬢として静かに歩を進める。

 けれど、その足取りには揺るがぬ確信があった。

 彼女がこの日のために、いかに多くを捨て、いかに長く“役”を演じ続けてきたかを、その佇まいだけが雄弁に物語っていた。


「これまでに積み重ねてきたすべては、国のため。私が“悪”を背負ってまで守ろうとしたものは、ここにあります」


 席がざわめき、空気が揺れた。

 誰かが息を呑み、誰かが目を伏せた。

 あれほど“断罪されるべき者”と蔑まれていたクラリスが、今や、国の歪みを正す者として立っている。


「神託の受け手は、この国に一人のみ。偽りの言葉で国を導こうとした者に、相応の報いが下ること。それこそが、神が私に課した最後の務めです」


 その言葉に、セラフィーナの顔が凍りついた。

 リュシアンは何かを言いかけたが、声にならない。


 クラリスはひとつ、息を吐くと――

 静かに右手の手袋を外した。


「ないと思っていたでしょう。けれど、これがその証です」


 彼女が袖をまくったその手の甲には、淡く金色に揺れる光の印が浮かんでいた。

 それは神より選ばれし者にのみ刻まれる、“神印”と呼ばれるもの。


 炎でも魔でも焼けず、どの呪術でも模倣できぬ聖なる紋。


 会場に息を呑む音が響いた。

 誰かが膝をつき、誰かが口元を押さえ、誰かがただ震えていた。


 選ばれし者は、騒がずとも示される。

 偽りの正義が崩れたその瞬間、勝敗は既に決していた。


 評議会は、数時間に及ぶ審議の末、決定を下した。

 セラフィーナは偽聖女の罪により、神聖冒涜および国家欺瞞の咎で処刑が宣告された。

 また、リュシアン・クロイツは共謀の責を問われ、王位継承権を剥奪、王宮より追放となった。


 だが、クラリスには何の称賛も、褒賞も与えられなかった。

 彼女自身が、それを望まなかったからである。


「報いなど不要です。私はただ――神命を果たしただけです」


 その言葉に、誰も反論できなかった。


 それから数日後、クラリスは王宮を去った。


 祝福も歓声もなかった。ただ、彼女の背に、淡い朝の光が差していた。


 門を出る直前、彼女は一度だけ立ち止まり、振り返る。

 そこには、“悪役令嬢”と嘲られ、誰からも疎まれた者の姿はなかった。


『真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが』の連載版を毎日投稿しています。もし興味のある方いたら是非。

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