第8話「パジャマパーティー」
王城まで戻ってきた。明日開かれる家族団欒…のようなもの、一体国王は何を考えているのだろうか。
「はー…今日は疲れましたわね」
「そうですね。ゆっくり、お休みになってください」
「メル、今日は久しぶりに…わたくしと一緒に寝ない?」
「…よろしいのですか?」
「わたくしたちの仲じゃない!ふふ、みんなには秘密ですわよ?」
メル、というのはメルキュールの愛称だ。エスプリはこの愛称を、メルキュールと2人きりであり誰にも見られないであろう場合にしか使おうとしない。
「それでは、寝支度を済ませてからもう一度ここに参りますので、今しばらくお待ちください」
「はーい」
メルキュールと同じベッドで寝る…いつぶりだろうか。本来は、主と従者が一緒に寝る、というのはよろしくない。しかしエスプリが初めてメルキュールと出会ってから、もう10年が経つ。2人の間には、下手な姉妹よりも強固な絆が形成されている。
いつも就寝時に着ているネグリジェに着替え、両手を広げてベッドに倒れ込む。
思い出すのは、メルキュールと初めて会った日。あれはたしか…母が体調を崩して床に臥せることが多くなった頃のことだ。
王族の側仕えは、貴族の子から選出される。貴族側からの推薦だったり、王族からのスカウトだったりとケースは幾つかあるが、メルキュールの場合はメルキュール本人からの申し出だったらしい。
当時のメルキュールは14歳。なぜ自ら申し出てれたのかは分からないが、初めて会ってからず〜っと一緒にいる…エスプリの半身と言っても過言ではないだろう。
エスプリの自室の扉がノックされる。入ってきたのは寝間着に身を包んだメルキュール。
「メル、あなた…いつ見ても可愛らしいパジャマね」
「だってコレ寝やすいんですもん」
メルキュールが着ているのは上下がつながった、いわばつなぎ型のパジャマ。そして先端にボンボンが付いたナイトキャップである。ふわふわしている。エスプリがメルキュールと一緒に寝たい理由の2割はコレが見たいからなのだ。カワイイ。
メルキュールがエスプリの隣、ベッドの上に腰掛ける。
「寝る前に、ちょっとだけお話しない?」
「明日も忙しいと思いますが…」
「…だめ?」
「…だめじゃないですよ。お話しましょう」
「やった!」
さて、何を話そうか。こういう時に小難しい話をするのは良くない。話すとしたら…ガールズトークらしき主題がいいだろう。
「あ、そうだ。何か食べる?ただ喋るだけってのもあれだし」
「そうですね。何かもって来させますか?」
「あ、メルキュールが昼に作ってくれたクッキー、まだ全部食べてなかったわよね?」
「ああ、あれなら今厨房に置いてありますね」
「それにしましょう!」
「分かりました」
メルキュールが立ち上がり、部屋の扉を開けて外に出る。部屋の周辺を警護している者に要件を伝えたのか、少ししたら戻ってきた。
「オレンジを使ったお菓子って色々あるけど、全部美味しいわよね…」
「エスプリ様、本当にお好きですよね」
「オレンジの皮の風味が最高ですのよ…メルはたしか、カルメ焼きが好きでしたわよね?」
「そうですね。簡単な手順で作れますし、砂糖の優しい甘味が昔懐かしい気分にさせてくれます」
扉がノックされる。クッキーがやってきたようだ。
「ありがとうございます。手間をかけましたね」
メルキュールがクッキーを持ってきてくれた近衛に礼を言う。近衛は一礼した後退室し、再び2人きりに。
「さあ、お食べください」
皿からクッキーを1枚取り、一齧り。
「う〜ん!やっぱりメルの作るクッキーが1番美味えですわ!」
「…美味しいですね。さすがは私です」
オレンジの皮の少し硬くも柔らかな食感、柑橘の風味が鼻腔をくすぐる。
「ねえメル…」
「なんでしょう」
「好きな人っている?」
「唐突ですね」
「だってメルももう24でしょ?適齢期なのにそういう話聞いたことないから…」
「う゛っ、耳が痛いですね…」
「で、誰か好きな人はいないの?わたくし、こーゆー恋バナとかずっとしてみたかったんですのよ!」
メルキュールは口元に手を当て、少しの間目を泳がせて思案する。
「そうですね…いますよ」
「え!誰、誰なの!?」
「エスプリ様です」
「もー!そうじゃありませんわ!」
両手でベッドをぱふぱふ叩きながら、エスプリが叫ぶ。
「そうだ、2番目!次に好きなのは誰?」
「そうですね…」
再び口に手を当て、少し口角を上げてから口を開く。
「読書中のエスプリ様です」
「もー!!」
⬛︎⬛︎⬛︎
エスプリの部屋、既に燭台の火も消え、エスプリは眠りについている。
メルキュールはエスプリが眠っているのを確認し、上体を起こす。
ベッドから出てエスプリに布団をかけ直し、テーブルの上に出されたままのクッキーの皿に目をやる。
エスプリからの添い寝の誘いを受けはしたが、メルキュールは朝まで一緒に寝るつもりはなかった。
理由はいくつかある。
1つはやはり身分の違い。エスプリはそんなもの気にしないだろうが、メルキュールとしてはそのあたりの線引きはしっかりとしておきたかった。いかに長い付き合いだろうと、主従関係にある以上はいついかなる時も主人を立てるべきだろう。
そして2つ目…水銀。あれが本当に水銀かどうかは分からないが、毒物を生み出せる者が王族すぐ近くに居ていい訳がない。ましてや食に関わるなど言語道断。
メルキュールが自ら厨房にあるクッキーを取りに行かなかったのもこれが原因だ。厨房では王城に住まう全ての人の食事を作る。そんな場所には、今後入ることはない。いや、入れない。
「メルキュールの作るクッキーが1番好き」と言ってくれたエスプリに申し訳なさを抱くメルキュールであったが、今後エスプリの為に料理をすることはない…できないだろう。配膳も他の者に任せる。これも線引きだ。
「エスプリ様…おやすみなさい」
エスプリの頭を優しく撫で、額にキスをする。名残惜しそうにエスプリの柔らかな頬に手を添える。
「メルぅ…」
「…どうなさいました?」
寝言。メルキュールが登場する夢でも見ているのだろうか?
「…だいすきですわ…」
メルキュールは目を少し見開き、その顔に溢れんばかりの喜びを滲ませる。自然と口角が上がり、涙すら出てきてしまいそうなほどに…
「…私も、大好きですよ」
…愛おしい。
皿を持ってベッドから離れ、音を立てないようにゆっくりと扉を開ける。
部屋を、月光が照らしていた。