第八十四話 秋津晴希の死亡
「ところで晴希」
教室に戻る最中、杭瀬がそんな風に話を切り出した。
「何だ」
「さっきそうそうバッドエンドにならないみたいな事言ってたけど。あれはフラグにしかならないと思うの」
「おいやめろ」
割とそれは冗談にならない。まあ仮にも私は主人公だし、この作品も一応コメディーなのだから、それほど悲惨な事態にはならないと思うが。
「でも、万が一、もしかしたらあるんじゃない?」
「……何がだ? 簡潔に頼む」
絶対まともな返事は来ないだろうなと知りつつも、一応聞く事にした。すると杭瀬は「それは──」と前置きして深呼吸、その後、
「突然の死!」
と四文字で簡潔に答えてくれた。
「お、おう……」
なんでいきなり語調強くなるんだよ。そういう物なのかよ。
「いやまあ、無いだろ?」と念のために確認しておくが。
「晴希可哀相に……まさか喉に団子を詰まらせて逝っちゃうなんてね……」
「死んだ事にするな! それと死因が今までの展開と全く関係ないな!」
突然過ぎるだろ……何でこうなっちまったんだよ……。
「いや、晴希だって余裕の風をいつまでも吹かせている訳にもいかないんじゃない?」
「安心しろ。一度たりともそんな風を吹かせた覚えはない」
「人はいつ死ぬかわからないし、物語はいつ終わるかわからないのよ。主人公の不人気とか、作者の飽きとかで唐突に終わってしまうかもしれない……だから私達は、常に前を向いて、全力で生きていかなきゃいけないんだから」
また語調を強めて言う杭瀬。いや、あのさあ……。
「なんかすごい良い事言ってるみたいな感じで纏めてるが、その前に言ってる言葉は完全にアウトだろう。一歩譲ってキャラの不人気はいいにしても作者の飽きとか登場人物が言っていい言葉じゃないだろうが」
「まあ、そういう可能性もあるわね」
「いやその必ずしもそうじゃないみたいな言い方はどうなんだ」
「これから先、また新たに型破りな小説が生み出されていくかもしれないじゃない。可能性の種を自らで潰すのはあまり褒められた事でも無いんじゃない?」
「むう……」
それは確かに正論かもしれない。そういう可能性もあるな、うん。
しかしとりあえず私としては、私の死亡フラグを勝手に立てていくなって事を分かってほしかったんだが。勿論それも知っててわざとって部分もあるんだろう。こいつの場合。
「それはそうと、また遅刻か……」
はあ。溜息が出てしまいますな。いつもだけど。
すると、杭瀬も俯いて頭を抱えている事に気が付いた。
「どうした?」
「晴希……まさか教室のドアに指を挟んで逝ってしまうなんて……」
「またそれかよ! しかも指挟んで死ぬってどんだけ弱いんだよ私! ほんの十分ちょっと悶絶するだけで済むからな!?」
「それも重症だと思うけど……まあ遅刻なら、一緒に注意くらい受けるわよ」
そう言ってにやける杭瀬。全く……。
「惚れ直した?」
「あの無名みたいな事を言うな」
そもそも惚れた覚えもない。
「そういえばあの無名っていうと──」
「待て」
新たな話題に移ろうとする杭瀬に対し、私はそう言って静止をかける。
「もう教室の前についてるんだから、これ以上話を発展させるな。話は後で聞いてやる」
「チッ……了解」
そう言って、私達は教室に入った。舌打ちなんて知らん。知らんぞ。
あたしは今さっき自分が教室から逃げてきたことを恥じ、その思いから更に逃げるように走っていった。
やがて廊下の端へと辿り着き、あまりの自分らしくなさに嫌気がさす。
「何やってんだろ、あたし」
このままじゃ駄目だってわかってる。逃げることばっかり上手になって、肝心なことが何もできていないのは。
「……ちょっと、悔しいな」
「それなら、戦えばいいじゃない!」
「……誰!?」
どこからか聞こえてきた声に辺りを見回すも、声の主と思われる人物は見当たらない。
「ごめんね柊ちゃん! ちょっとこっちにも事情があって、正体は明かせないの!」
再びはっきりと声が聞こえてくるが、やはりどこから聞こえてくるかは掴めず、その理由もわからなかった。
しかし、この声の主を相手にすべきでないということだけはわかる――
「ちょっと言いたいことがわからないけど、あたしは教室に戻るから」
──絶句した。
今の台詞はあたしの言った言葉じゃなかった。けど、あたしの言いたかった言葉だった。
それを、この声の主は一字一句違わずあたしより先に言ったのだ。
一体どういうことなんだろうか……? まさか……。
「幻聴だと思うならそれでもいいけど? でも、話を聞いてくれないかな?」
先手先手を取るように話が展開されていく。これではもう流れに身を任せてしまった方がいいかもしれない。
「いいけど、あんたはあたしの何なの? 一体」
「正体は明かせないって言ったはずだけど?」
そういえばそうだった。最初にそんな自己紹介を受けていた。
「でも特別に大ヒント! なんと私は柊ちゃんの先輩なのです!」
「はあ……」
大したことのないヒントだった。
いや、普通に考えればそれなりのヒントになるのかもしれないが、今は何の鍵にもなりはしない。
「……もういいわ。結局何が言いたいの?」
「ねえ柊ちゃん、もしかしてこれで何もかも台無しとか考えてたりしてない?」
「……言ってることが――」
「侮ってたライバルからは逃げるしかなくて、一歩まえに進むことも叶わなくて、自分のどうしようもない本質を皆に見せちゃって、ああ全部無駄だったって諦めてない?」
「…………」
思わず押し黙った。あたしの先輩だと名乗るこの人は、一体どこまで知っているの?
やっぱり、聞いてはいけなかったことなのかもしれない。
ただ、毒を食らわば皿までという言葉もある。ここまで聞いたなら、いっそ最後まで聞いてしまった方がいいかもしれない。それに──やっぱり、悔しいし。
「じゃああたしは、どうすればいいの? こんなどうしようもない状況で」
「柊ちゃんはさ、自分の失敗を真っ向から受けとめたことってある?」
「…………」
考えてみる。今となっては失敗という失敗なんてほとんどなかった。あるといえばあるけど、逃げてばっかりだった気がする。
「案外なんとかなるんじゃない? 確かに柊ちゃんには足りない所も多いけど、それを超えるくらいいい所があるじゃない!」
「……違う。だって失望するのは簡単だけど、一度失った信頼を取り戻すのは難しいから」
真っ白な紙に色を入れるのは簡単でも、真っ黒に染めてしまったものをなかったことにはできない。だからあたしは、それを一度破り捨ててしまっていた。
「確かに、そうかもしれないわね!」
と、返事がきた。
「…………」
意外だった。
この人はてっきり、そういうものを全くわからなくて、第一に否定から入り、そして断定で終わらせるような傲慢なタイプだと勝手に思いこんでた。もちろん、顔も名前も知らない相手への、ちょっと話しただけの感想だけど。
「でも、もう少しだけ粘ってみるのもいいんじゃない?」
そんな風に、まるで全部お見通しであるかのように言う。
「柊ちゃんが何かやっちゃったとしても、もしかしたら誰も見てなかったかもしれないし、見てたとしてももう忘れちゃってるかもしれない!」
…………いやいや。
そんな希望的観測、あたしには夢見ることすらできない。
確かにあれはクラス中に知れ渡ったし、学年中に伝搬するまで長くはかからないだろう。忘れ去られるのなんて七十五日では短すぎる。ましてや転校生のあたしだ。
「もちろん冗談よ?」
と声の主。こんな状況で笑えないジョークを言われても困る。
しかし「だけどね」と言葉が続く。
「私個人としてはどうしても柊ちゃんに諦めてもらいたくないの! だってあなたは――」
その投げかけられた言葉は、迷うことなく一直線にあたしの胸に突き刺さった。