第八十三話 急に異能力バトルになるアニメは
人は生命の危機に陥るとかえって強くなるらしい。火事場の馬鹿力とか背水の陣とか、そういう言葉だって昔からあるしな。
しくじってもいい、もしくはしくじるくらいなら何もしない方がいいといったような逃げ場を絶たれた事で、大凡全てのエネルギーを目の前の事だけに集中させられるからだ。
そう、人はどこまでも恐怖に背を向けてなどいられない。
──かくして、逃走を初めてざっと八ターン程度、何かの誇りが火を噴いた!……って何の誇りだよ。最弱の誇りか?
何が言いたいかと言うと、人間覚悟を決めれば何かしら強くなるということだ。それはこんな私ですら例外ではなく。
そんなわけで――。
「ごめんなさい秋津さん、ちょっと次の授業の準備で忙しいの」
「そんなものはどうでもいい。黙って私に付き合え」
――何かしら強くなった私は、まずこの上っ面野郎の真意を捉えなければならない。
「ねえ秋津さん、私はまだ転校してきたばっかりだし、ちょっと勉強に慣れるために暫くは忙しくなりそうなの」
と、机に座って次の授業の分であろう教科書とノートを広げながら、私に言い聞かせてくる星ヶ丘。
「だから急な用でなければ後にしてくれない? また余裕が出来たらちゃんと聞くから」
とも続けた。普通なら勤勉な態度だなと感心もするだろうが、今はそんな物は知ったことではないし、言い訳にしか聞こえない。実際言い訳なのだろうが。
「ああ、残念ながらかなり急な用だ。今でも遅いくらいのな」
「……それは仕方ないわね。それなら出来るだけ早めに終わらせてほしいのだけど」
「早く終わるかどうかはお前次第だよ」
思った通り、私との接触をできるだけ減らそうとしている節が見て取れる。思わず笑いそうになってくるが、無論ここは笑うべき所ではない。いや、笑ってやるのも有効かもしれないが、本人が早くと言っているのだから無駄な問答は止しておこう。
「随分と滑稽だな。お前が私相手に逃げるなんて」
「……ごめん秋津さん、ちょっと言っている意味が分からないのだけど」
という事でまずこいつを煽ってやる事にしてみたが、やはりというか初撃はかわされてしまった。当然だな。
「分かれ」
「そう言われても……」
「……そうか」
どうやらこの程度の安い挑発には乗ってこないらしい。
「……期待外れのチキン野郎が。私が待ってんのはそんなお前じゃない」
と言い放つと、周りがやかましくなる。
「ちょっと待て! いくらなんでも――」
「ああん?」
「い、いえ! 何でもございまセン!」
と、横から口を出してくるモブがいたが、私はそれを勢いで黙らせた。しかし私に出来る事なんて精々大曽根さんや一宮さんの手を借りるくらいなのだが、どうしてここまで怖れられるのだろうか? まあきっとこの一般生徒Aは体調が悪かったとかの理由があるのだろう。慢心は禁物だ、特に私のような弱者においては。
その点この星ヶ丘柊という転校生はすごい。最後まで警戒たっぷりなのだ、こんな強者のような風貌でありながら。こういう奴は戦場でも生きられるし、正直言って私もこうありたいと思っている。いや、別に戦場とか行く気はないけど。
「……ねえ秋津さん、皆にも迷惑がかかりそうだし、やっぱりここはもう教室に戻った方がいいんじゃないかな? 時間は出来る限り何とか検討してみるから」
と、相変わらず初対面の時が嘘のように思えるくらい他人行儀の星ヶ丘。無論答えはノーだ。この機会を逃すつもりなど一切合切ない。
それに、私が思うにあと一押しなんじゃなかろうか。穏やかなようで穏やかでないこの拒絶は余裕が無い事の裏返しであり、そこには決して小さくない隙がある。
さてどうしてくれようか……。
そんな時頭に浮かんだのは、どこぞの漫画で聞いた覚えのあるような定型句だった。
人を殴っていいのは、人に殴られる覚悟のある奴だけだ――と。
そうだ。こいつが鞄で私をスマッシュしてきた事を私は忘れてなんかいないし、忘れる気だってない。
更に私はこのまま何もしないで戻ると杭瀬に容赦なくやられてしまうわけで。いや、多少手を抜いてくれるかもしれないが絶対痛い事にはなるし。よって私は、殴られないためにも殴る。一切の矛盾も無い理論だ。
そんなわけで、覚悟を決めた私は拳を握り、振りかざした。
食ら──あっやべ、手が滑った。
「痛っ!?」
かくして、無慈悲にも私の拳が星ヶ丘の顔面にクラッシュしてしまい、星ヶ丘は小さく呻き声を上げた。
避けてくれれば問題なかったのだが、星ヶ丘からしてもさすがに予想外だったらしく、対応ができなかったようだ。
やっちまった。私の人睨みによって黙らせておいた教室内が、再び騒然となる。だがそれよりも、私の力が弱かったおかげで跡が残らなくてよかったと思う。あくまで私がやりたいのは挑発であり喚起なのだ。
何だか周囲から責め立てるような言葉も聞こえてくるが、そんなものに興味はない。万が一何か悪いことになったとしても、後でどうにでもなるだろう。
委縮するな。胸を張れ。こんなモブどもなど杭瀬に比べれば恐ろしくなどない。
「なあ、そうやって逃げるのか? お前はそれでいいと思ってんのか、なあ?」
俯いた星ヶ丘にそう伝える。さて、お前はこれでも鉄仮面を外さずにいられるか?
「……上等じゃない」
と、星ヶ丘が飾り気のない低い声でそう呟くのが聞こえた。勿論聞いていたのは私だけではなかったようで、周りにいた生徒が息を呑むのも視界の隅に映った。
そうして立ち上がる。思わずその気迫に圧倒されそうになるが、私には退けない理由があるし、もっと恐ろしい物も知っている。だから退かない。
「このっ──」
来た。
あの時と同じように、星ヶ丘は鞄を振るった。だがその状況の何もかもが、あの時とは違う。私はそうしてくる可能性があると予期していた。それにあの時にはいなかった頼もしい味方だっている。
そう──
「っておい! 柊も晴希も待っ──」
教室の生徒たちの脇から、一つの影がすり抜けてきた。
そこで、襲いかかってくるかのような鞄の軌道が大きく外れ、その一瞬後に私を狙ったはずの星ヶ丘の鞄は地に落ちた。
そして、まるで何かを蹴り飛ばした後のような、足を高く掲げた体勢の後輩がいつの間にか私と星ヶ丘の間に割り込んでいた。
「よくやった。守坂」
え? 嘉光? 誰だよそれ? 無名の名前出すなよ。
──まあそもそも、そんな無名を気にかけている場合ではなかったりもしたのだが。
『ガン!』
と、星ヶ丘は机を強く殴りつけ、無言で教室から走り去って行ってしまった。
もしかしてこれは、やってしまったというやつだろうか? つくづく面倒だなくそ。散々避け続けて数打ったら一撃とかお前はマリオか? 精神的マリオなのか?
「さて、授業を始めるが……うん? 一体どうしたんだ?」
そしてどうやらもう授業の始まる時間だったようで、教室の出入り口付近で教師がこの状況を見て戸惑っていた。
まあ、仕方ない。
「後は任せたぞ、内藤」
全てのケアを無名に任せ、私は急ぎ足で教室を出た。
まあこの無名だけじゃない。今現在こうして戸惑っているモブ一同も、何だかんだで上手くやってくれることだろう。他のクラスの邦崎ですらあいつらは受け入れてくれてたんだからきっと大丈夫だ。
「四十点ね」
教室を出るや否や、待ち伏せていたらしい杭瀬にそう声を掛けられた。
「……厳しいな」
まあ仕方ないとは思うが。とりあえず私はそう言っておいた。
「なあお前、この展開が何かしらの活路に繋がると思うか?」
と訊いてみる。確かに状況に変化は訪れたが、それが正しい変化なのかと考えると、正直どうなんだろうって感じだ。客観的に見ればこんなもの、間違った進み方だと言う他無い。こんな展開ではだ。
「正直、何が正解だったのかは分からないけどね。でも結果的に晴希が狙った通りの結果だったら、私はそれでいいって、そう思うの」
「ま、それはそうだが……」
確かに、どっちにしろこうなる宿命だったのかもしれないとは思う。
ここでバッドエンドとなるか、まだ終わらないかなんてのはもう私が何をするとかいう話じゃないのだ。
それに杭瀬の言う通り、星ヶ丘の鉄仮面を剥がすという事に限れば成功したのだ。あまりマイナスに捉えるのも良い事ではない。
「……ま、バッドエンドなんてそうそう見られたもんじゃないが」
「うん。それに無名だっているし、平気よ」
「……当然のように内藤を無名呼ばわりしたよなお前」
「うん? それはもしかして『嘉光の事を無名呼ばわりしていいのは私だけだ』っていう独占欲?」
全然違えよ。大体お前無名って呼び方知らんはずだろ。今さっき思いついたんだぞ。