第八十話 綺麗は汚い、汚いは綺麗
「あんたが秋津晴希ね?」
部室のドアを開けて中に入るなり、横からそんな風に声が掛けられた。
……こういう入るなりってパターンが私の周りでは必要以上に多い気がするんだが、こいつらはわざわざ待ち伏せたりしているんだろうか。そうしなければいけない宿命なのだろうか。どっちにしろ暇人なのは確かだろう。まあ、いつも来てる私が言えた事じゃないが。
ではそいつをひとまず観察してみる。普段聞かない声に見かけない顔だが、どうやら入口で待っていたと見てとれた。という事はやはりこいつも暇人に違いない。この暇人どもめ。
「おう晴、話は聞いてんだろ? そいつが転校生だぜ。仲良くしろよ」
そんな言葉を投げかけてくるのは、部屋の奥で黒光りする何かの手入れをしている大曽根さんだった。その手に掲げているブツは気にしない事にして、どうやら今日の暇人は転校生だったらしい。
しかし初めて会ったにも拘わらず私をわざわざ名指しで呼ぶってどういう事だ。お前私のファンか?……いや、ないだろうが。この学校において私の隠れファンとやらが何故か多いらしいが、流石ににそれはオチとして弱すぎる。
いや待て、そういえば聞いたことがある。邦崎が何か言っていたからな。転校生は強敵だから共闘しようとか何とか。大曽根さんは仲良くしろとか言ってるけど。
まあ確かに私だって何かが起こる事は覚悟していたが、まさかこんなダイレクトに向こうから問題がやってくるとは思わなかった。さてどうしてくれようか。
「……そうだけど、何?」
下手に悩まず、とりあえずは間合いを確かめつつそう訊き返してみる。
すると、転校生は何も答えず、私の全身を舐め回すように見た後、ただこれだけ言った。
「ふーん、話に聞いた通りの女装好きなのね」
…………あれ? 何か思ってたのと違う……。
疑問でどう言ってやったらいいのか悩む私をよそに、そいつはいきなり笑い始めた。
「いやあもう傑作! 一体どんな奴かと思ったらこんな変態野郎だなんて! アハハハハ!」
「……おい」
なおも笑うそいつに呼びかけてみるが、やはり気にせず笑い続けている。
……こいつ。
「もうあんた死ねばいいんじゃない?」
「うるせえよ! っていうか杭瀬! お前何やってんだ!」
私がそう指摘するとそいつは「チッ」と露骨に舌打ちしながら髪を結んでいたリボンを外し、服装を整えた。
かくしていつもの似非無口キャラ、杭瀬弥葉琉の完成である。
「……よく分かったじゃない」
「お前が勝手に自滅したんだろうが」
無表情の杭瀬に呆れながら私は言った。
さっきまでの杭瀬はリボンで後ろ髪を結び左肩の前に出し、制服のボタンを涼しそうに開けて今時の女子高生といった感じに着崩していて、それに何より態度があんな感じだったせいでとても杭瀬とは思えなかった。あと少し顔の感じも変わっている。いつ化粧を変えたんだろうか。
全くもって危ない。もしこいつが好き勝手言ったりしていなければ騙されていた所だ。そして私の中での無口キャラの定義は更にゲシュタルト崩壊を迎えていくのであった。
「ところでお前、さっき私の事を変態だのなんだのって言ってたよな?」
その質問に杭瀬は動じることなく、こう答えた。
「……プピナッチョ」
「つくづくおめでたい奴だ」
溜息をつきつつ呟く。あんなことがあって、それで今になってもまだ私はこう思うよ。お前の生き方が羨ましいってな。
「ところでお前らは気付いてたんだろ?」
後ろにいる朱鷺羽と守坂に訊いてみる。そもそもこいつらは転校生の姿を見た筈だ。だからこいつらが何も言わなかったのも気付くのが遅れた原因の一つなのだが。
すると後輩達は、
「ええと、私は皆何も言わなかったから私の方がおかしいのかなって……」
「秋津先輩はもう気付いていると思っていましたから」
とそれぞれ主張した。まあ朱鷺羽は基本的に人を疑うことのない性格だし、守坂は最初から気付いても何も言わないだろうとは思っていたが。
いや、まあいいけどさ。
向き直り、再び杭瀬の方を向く。
「それより杭瀬、お前死ねとか言ったよな?」
「覚えてないけど、もし言ってたらそれはきっと多分私なりのスキンシップなんじゃないの? いわゆるツンデレっていう」
それツンデレって言わねえよ。まあ言いたいことは分かるが。……ああ、ちなみにいつも私が嘉光に死ね死ね言ってるのは間違っても好意の表れなんかじゃないぞ。
「晴希先輩! それを言ったら私だっていつも晴希先輩の事を──」
「いいからな!? 朱鷺羽も張り合わなくていいからな!?」
なんだか気張ってくれているようだが、朱鷺羽はもう今の朱鷺羽でいいのだ。間違っても杭瀬の真似事なんてしてほしくはない。
「ときに杭瀬」
「何?」
首を傾げる杭瀬に、私はこう言ってやる事にした。
「お前、まさか自分が美少女だとでも思っていたのか?」
転校生は物凄い美少女だとは聞いた。それを杭瀬は私をからかうためだけとはいえ演じていたわけだ。
……いや、事実杭瀬も美少女のカテゴリには入りうるかもしれないが、私は自分の事を美少女だの何だのって言ってる奴が嫌いなのだ。その八つ当たりとさっきのお礼を込めて、私は杭瀬を問い詰める事にした──わけだが、杭瀬は首を傾げながらこう答えた。
「今更何? 近頃のキャラクターなんて大体美男美女だと思うけど」
「何かまたメタな事ほざきやがったぞこいつ!」
お前調子乗りすぎだろ。いくら作者のお気に入りと言っても少しは自重して欲しい。
私の反応を見て満足したと思いきや、「あ」とまた何かに気付いたように言った。
「晴希も美男の部類に入るしね」
「ああもう私の負けでいいよ」
こいつの底意地の悪さに私は負けを認めた。くそ、素が無表情だと思ったらいきなり満足そうな顔しやがって。
「あんたが秋津晴希ね?」
「おい今度は何――」
横から掛けられた言葉に振り向き、そして私は言葉を止めた。
そこにいたのは、見慣れない生徒だった。
そいつは「ふうん……」だの「へえ……」だの「なるほど……」と呟きながら私の体を眺め回した。何がなるほどなのか説明くれ。というかまずジロジロ見んな。
……まあいいや、代わりに私だって見させてもらうさ。
転校生はまず美少女だった。眉から顎に至るまでのラインがすっと整っていて、つり上がった目には意志の強さを感じさせながらも顔全体のバランスは崩れていない。
それにスタイルもいい。背は女子にしては高く、守坂のように手首などはきゅっと締まっている体つきながら、しかし出ている所はしっかりと、しかし飽くまでバランスを保っている程度に出ている。
極めつけはその長い髪――銀髪だ。勿論私は今までリアルで見た事などなかったが、しかし悔しいが似合っている。お前本当に日本人なんだよな?
なるほど完璧だ。完璧なまでに、異論も挟めないほどに美少女だ。クソめ。
「……やっぱり、納得いかないわ」
一通り私を眺め回した転校生がそう溢した。私も納得できないが、その意味深な言葉は少し気になる。
「……名前は?」
が、それはひとまずスルーして名前を訊く事にする。いつまでも転校生などと呼んではいられない。
「あたしは星ヶ丘柊。今日から通う事になった転校生よ」
なるほど、大した奴だ。
今日初めてこの董城高校に来て、更になんと今日初めてこの文芸部に来たというのにこいつには萎縮した感じが全くしない。
「うーむ……」
改めて、もう一度こいつの姿を眺める。
……今度は誰かの変装ってわけじゃないみたいだな。さっきの杭瀬ぐらい図太かったからもしかしたらこの空気に慣れてる奴かもしれないと踏んだんだが。銀髪も鬘とかじゃないみたいだ。わざわざ染めてるのか。
「ちょっと、何ジロジロ見てんの? あたしは見世物じゃないんだけど」
と声が掛かる。見ると、星ヶ丘は何だか嫌そうな顔をしていた。こいつほど露骨じゃないかもしれないが、多分私も同じような表情をしているだろう。
その台詞、さっきの自分に言ってやれよ。こう見えて私だって見世物じゃないんだぞ。
だがまあなるほどな、って感じだ。どうやらこいつは中々に傲岸不遜な奴らしい。その目立つ銀髪も星ヶ丘の自信の表れであり、逆に星ヶ丘に自信を与えてもいるのだろう。
「それで、私に何の用だ?」
「……やっぱりあんた、話に聞いた通りのレズなのね」
……あれあれ?
「ちょっと待ってくれ、一体どこの噂を聞いて来たんだ」
「……まあ、それはともかく」私の質問をスルーして星ヶ丘が言う。「これなら別に気にする必要はないわね」
「あ?」
「何でもないわ」
手を振り払うような仕草で誤魔化す星ヶ丘。一体何が言いたいのかわからない。