第七十六話 砕ける眼鏡と因果律。
「どうかな、これ?」
と杭瀬が確認してきた。今となってはもう存在感を消す事もなく、いつもの調子で。
朱鷺羽は「い、今はこんなのが流行りなんですか……?」と周囲に訊き、守坂は無言で立っている。
菅原は私達の元から離れたが、この後あいつは大丈夫なのだろうか。朱鷺羽に勝手に関わった事で守坂に成敗されたりしないのだろうか。まあ知った事じゃないが。
「……いや、無いと思うぞ」
私がそう言うと杭瀬は項垂れ、朱鷺羽は「ですよね……」と胸を撫で下ろした。
さて私達は今、大層文学的な事をしていた。そう、執筆である。厳密に言うと執筆の前段階である、プロットという全体的なシナリオの流れを考えている所なんだな。ちなみに誰の小説かというと……杭瀬だ。というかそういう事をしている文芸部員が杭瀬しかいないのだ。何故か。
「そうかな? この名探偵が青酸カリを判別するためにうっかり一舐めして死亡、そこから地獄での試練(五〇ページ超)を越えて復活するって展開は今までにないものだと思うけど」
「…………」
という感じで、その本来頼りになるべきポジションの杭瀬の方が何だか物語を作るのに適していない気がするのだ。なんという似非っぷりか。
続けて「いい?」と杭瀬は説教を始める。よくねえよ何も。
「これは『主人公だから死なない』っていう因果律をひっくり返す、所謂ストーリー展開の革命児なの」
「その後生き返ってたら革命も糞も無いけどな」
そんな堂々と宣言されても困る──まあ私はもう対応に慣れてしまったが。それに主人公って思ったよりか死んでるもんだが。
「……けど、こんな事してていいんでしょうか?」
と朱鷺羽が不安そうに話しかけてくるが、
「まあいいだろ」
と私は答えておいた。
対星ヶ丘の状況だが現状で詰んだため、一時的に暇を持て余しこうしているだけの事だ。決して面倒になったとか、諦めが早すぎるなんて事はない。寧ろ焦燥感に駆られ自分のリズムを乱す奴は三流だ。
それゆえの一時待機である。一宮さんから何も言われない以上は自然にしておいて構わないのだ。
「じゃあこれはどうかな。青酸カリを舐めて死んだのは飽くまで名探偵の有機端末の一つに過ぎなくて――」
「なんだ、文芸部にしては随分と文芸部らしい事をしているな」
と杭瀬が語っていた時だ。いつものような鋭い眼光で、しかしながら呆れたようにそんな事を言いながら一宮さんが近づいてきた。
「それだけ聞くと物凄い矛盾がありますね……」
せめて「この文芸部にしては」くらいなら自然だったんじゃなかろうか。
そして、
「よ、捗ってるか色々と?」
と軽い調子で訊いてきたのは大曽根誠文さんだった。この人は中身はともかく見た目だけはやけに優等生なのだが、もうそれさえもが優等生っぽさではなく大曽根さんっぽさに思えてくる。普通の優等生見ても「ああ大曽根さんっぽいな」って言ってしまうような。極端に言えばまあそんな感じ。
で、眼鏡を光らせ学ランを着こなし、どうやら今日もらしさは健在の様子だ。
「色々とって何ですか色々とって。まあ分かりますけど……」
大方星ヶ丘の事と、それと今考えている杭瀬の小説の事だろう。
「まあ上手く行ってるんじゃないですか?……片方は」
「……晴希の方は上手く行ってないの?」
「上手く行ってないのはお前の方だよこの似非野郎」
どうしてそういう考えになるのか。それともお前ビジョンだと円滑に進んでるのか……いやまあ私だって人の事は言えんが。上手く行ってるかって言うと、ねえ。てかさっき詰んでるって言ったしな。
「ほお、となるとお前の方は上手く行ってねえと」
「いやまさかそんな馬鹿な。私はただ様子見をしている所ですよ。こここそが正念場ですね」
「……果たして本当にそうか?」
「…………!?」
俯き額を手で押さえながら呟く大曽根さんの様子に、私は気圧され一歩下がった。大曽根さんの雰囲気が……変わった……!?
「……気を付けて。あの人のオーラの色が、変わった」
杭瀬がそう伝えてくる。うんニュアンスは分かったが、オーラってお前は美輪明宏か何かか?
「……ちなみに何色から何色になったんだ?」
「縦縞から横縞……かな」
「それ色じゃなくて模様じゃね!?」
「ハンカチの手品ですか……?」
朱鷺羽が横からそう疑問を口にするが、まさにそれだ。いつからあの人は手品師なんかになってしまったんだ……いや考えてみれば最初からか。あとマギー司郎は手品師と言うか芸人だが。
「秋津!」
と一喝する大曽根さん。いつもは私の事を「晴」なんて呼ぶわけだが、今回は様子が違う。突然のキャラ変更を強いられたのだろうか……いや、でもそれってなんか一宮さんとも被ってしまわないのだろうか――
――パァン! パリーン!
「お前は一々話が長い」
「……ゴメンナサイ」
銃声が鳴り、直後に後ろのガラスが割れた。それも銃弾一個分の穴が空いたんじゃなく、窓枠から抜け落ちてしまったかのようにその全部が割れてしまっている。一体どうすればこうなるんだろうか――
「秋津!」
というか話が長いとは何なんだ。私はただモノローグで長々と語っていただけだというのに。
などとは思ったが、そろそろまずい気がしてきたので話を聞く事にする。
「はっきり言おう! 消去法で選んだ道なんてもんは、所詮大したもんじゃねえんだ! どうせあれだろ? 漫画家になりたかったけど絵が描けないから小説家志望にジョブチェンジしたような奴なんだろ?」
「……いや、進研ゼミの勧誘なら間に合ってますので」
丁重にお断りさせて頂いた。生憎ながらこういう手合いはNGだ。後私に変な設定を付け加えるな。第一入りたくて文芸部入ったわけでもないし。
「何だよ! 何なんだよお前!」
そう叫ぶと大曽根さんは眼鏡を外し、床に叩きつけた。
「俺はお前をそんな冷めた風に洗脳した覚えはねえ!」
「まるでこれまで私を洗脳しようとしてきたような言い方はやめてください!」
怖いなくそ!……いや本当、洗脳されてたりしないよな?
「ああくそ! 分かってねえな!」
そして足踏みをする大曽根さんだったが、その際「バキッ」という音がしたのを私は聞き逃さなかった。
「……ったく、お前ってのはいつもそうだ。せっかくこの優等生中の優等生のこの俺がこんなにお前に対して親切に親切に背中を押してやってるってのに……」
と言って眼鏡を掛け直す大曽根さん。
「……え?」
と朱鷺羽。
だが私は確かにこの目で見た。あの人の足元で踏み荒らされ、破壊されてしまった眼鏡を。しかし今掛けている眼鏡はまごう事無く完全なものである。
そしてあの人の足元を見てみろ。そこにはやはり割れた眼鏡が……。
…………。
「……おい杭瀬、あの人やっぱ手品師だったぞ」
傍らにいた杭瀬にそう告げる。あれは間違いなく手品師──それもマギー一門だろう。いやマギー司郎があんな事やってたかは知らないが。
「うん。ちなみにあの眼鏡、度が入ってない」
「だろうな。伊達か」
「ううん」と頭を振る杭瀬。「正確には磨りガラスみたい」
「えっ」
飛散したガラスの破片を拾い上げた杭瀬が言い、その内容があまりに電波だったので私は曖昧な返答しかできなかった。
「たぶん見えすぎて困る、とか?」
「えっ」
何だそのやけに厨二病的な設定は。あとどうして守坂は全力で観察するような目つきで大曽根さんを睨んでいるんだ。大体そんな拘束具が必要になるような馬鹿げたステータスを持った奴が現実にいるわけ──いや、でもあの一宮さんと肩を並べる存在だ。ありえなくもないか。
「……これ完全に忘れてるよね……天森先輩の事」
「ん? 何か言ったか?」
「……いや、何でも」
そう言って杭瀬は黙り込んだ。何だよ……何で微妙に楽しそうなんだよ……。意味が分かんねえよ……。
まあとりあえず大曽根さんのスペックはどうなんだ。さっきの「話が長い」ってのも口に出してはなかったから、実は普段かの有名な読心術を使えない振りをしているだけなのかもしれない。
「秋津」
「はい?」
いつのまにか一人で不貞腐れてしまっていた大曽根さんを尻目に、今度は一宮さんが話しかけてきた。
「場が温まってきた所で一つ、試してもらいたい事がある」
「……はい?」