第六十七話 Yes, she is helped.
ようやく、ようやく終わったあああああああ!
『おい、杭瀬ェ! ちゃんと生きてるか!』
私、杭瀬弥葉琉が精神的に参っていた時に、晴希はいきなりこう叫んだ。言い得て妙だ。確かにその時、私はある意味で死んでいたと言ってもよかったのだから。
しかしそれは考えるまでもなく変な話だ。その前に言っていた事は「私の事が嫌いなのか!」なんていう恨み節だったのに。
そしてそんな疑問の投げ掛けに対し、本人に聞こえなかったとはいえ、確かに「嫌いだ」と言ったはずなのに。
一体どういう事なのか。
そんなの、ちゃんと考えてみれば分かる話だ。
いつも私を苦手として遠ざけているふうの晴希が、私と解り合おうとしたから。
『お前には解らんだろうな』
『お前は楽でいいよな』
これまで晴希は、私と解り合おうとしてこなかった。無理もないよね。晴希も目に見えて大変な状況だったんだから。それで同じように私も、晴希と解り合おうとはしなかった。
それが気付けば私は、一人だった。いや、一人ですらいられなかった。一人の存在としていられない、文字通り半人前の、まるで幽霊のような存在。
決して解り合える事のないであろう晴希に従う事なしには自分が自分でいられなくなっていて、それがまた自分を腐らせるだろうと分かっていた。
そんな悪循環に気付いてしまったら、誰だって嫌になるに決まってる。全てを投げ出してしまうに決まってる。
だからだろう。
『あらら、遭っちゃったか』
あの何とも言い難い、ただ一つ言えるのは言うなら私の本当に大嫌いな女子生徒に、まさしく「遭って」しまったのは。
そう、元々私は誰にも見つからず、誰にも遭わないつもりでそこに来て、そこで仕事を進めようとした。それが確かに私の役割で、それが確かに私の存在だって。そんな風に無理矢理思って自分の在り方をあてはめたりしていた。
けどその存在は歪んでしまった。歪んで、それで結果的に彼女に遭ってしまったんだ。
『大丈夫、先輩?』
『ごめんね先輩』
『もしいいなら、晴希さんの代わりにあたしがいるからさ』
などと、彼女は手を差し伸べた。
それは眩しかった。強い力を持っていた。一見、私に力を与えてくれそうだった。
けど、違った。何かが心の奥に引っかかったんだ。
『あんたなんか、大っ嫌いっ!』
その手を私は、振り払った。差し出された手が私には不気味なほど眩しく、怪しく、受け入れがたく見えたから。けど──
『お前が単に希薄で独りがちな奴ならここまで私のために動く事なんてなかっただろうが!』
本当はこの時にも、私の中で晴希が生きていたからかもしれない。晴希っていう希みを捨てていなかったからかもしれない。
もしあの時あの手を取っていたらどうなったんだろう。果たして晴希とやり直すことは出来たんだろうか……やめよう。そんな仮定無意味だし、なにより私がやりたくないから。
ただ、これだけは言える。
『……私はな、全部解ってんだよ! お前がさっきあんな風に動いてしまったわけも、今こんな風に動けないわけもな!』
……そう。
「コイキングより弱い」「ちょっとした段差で死ぬ」ってのは本人の談だけど。
晴希は強かった。
そりゃ身体能力はあいかわらずどうしようもないけどそうじゃなくて、壊れかけのものを繋ぎ止めようとする強さを晴希は持っていた。誰よりも弱いのに、誰よりも強くあろうとしていた。そんな強さ。
『そんでお前は後で、全て終わってから私が存分に叱ってやるんだ! 絶対に逃げんなよ! 私が言いたい事は以上だ馬鹿野郎!』
その上で晴希は私を待ってくれていた。逃げるなよ、と。
そんな言葉の積み重ねがあったからこそ、私は「生き延びる」ことができた。
小さな塵の積み重ねで出来た私と晴希との間の壁は、大きな、一度の劇的な出来事で見事に蹴破られた。
そう、私って存在は、死んだりなんてしてなかった。
「ねえ晴希」
私はフェンスにもたれかかりうれしそうな、だけどそれを必死で隠そうと怒りを作っているような表情の晴希に向かって、できるだけ心を込めて言った。
場所は屋上。朱鷺羽みのりとかに言わせれば、晴希はどうも私への罪滅ぼしだとかで頭を冷やすために、ここから動こうとしなかったらしい。もっとも、本人は絶対にそんなことを言おうとはしないけれど。そして、きっと言っても肯定してくれないだろうけど。
「なんだよ」
今もこんな風に、素直な態度で話とかを聞いてくれはしないけれど。
私みたいに、まだありのままの自分をさらけ出せやしない、まだ殻を半端にしか破ることができない、まるで似非みたいな存在だけど。
それでも、わかってるよね。
私は、あなたに救われたんだよ。
「ありがとう。それとこれからもよろしく、晴希」
……などという終わり方を迎えた今回の騒動だったけれども。
私達はこの時、重要な事を見落としていたのだった。