第六十六話 幕引きは飽くまで美しく
「いいか、晴希」
真摯な瞳をこちらに向け、嘉光は口を開いた。その様子はあまりにも真摯すぎて、私が「うえ気持ち悪……」などというリアクションが冗談でも取りようがなかったくらいだ。
なんだなんだ、いったい何のつもりだ。嘉光の分際で説教か。それともキスか抱擁か。それならあの寒い中で残った最後の力を振り絞ってでも抵抗してやる。もしくは訴訟も辞さない路線だ。どんな事があろうと私はこいつに全てを許す気など更々ないんだから。
などと不必要に思えるほど警戒していたが、次に嘉光の取った行動はその中のどれでもなかったわけで、
「ごめんな」
と、真っ先にこいつは謝ってきたのだ。あまりにも筋違いだと思い結局の所私は「何がだよ」と返した。
「言っとくがな、お前がいなくて寂しかったなんて事は全然なかったんだからな」
まあ、そりゃあ、こいつがいないせいで色々面倒で忙しくてってのはあったが、それはまた別の事だ。久しぶりだろうが何だろうが、悲しい事に私はこいつの思考回路には飽き飽きなのだ。それは以心伝心ってのともまた違うよな。だってこっちの考えが向こうにはてんで伝わってないんだもの。
がしかし。
「いや、そうじゃない」
嘉光はそれを否定した。
となれば何の話だ……あー……。
「屋上についてもお前に謝られる筋合いはないな」
だってこれは、私の選んだ道なんだから。
途中で朱鷺羽や幡野達も来たが、あえて私はそいつらを追い出してここに居座った。ふん、屋上も慣れてしまえば楽なもんだ。
がしかし。
「いや、その事でもないんだ。……でもそれもあるか……」
それも違ったらしい。おいおい、じゃあ何の事なんだよ。
と思ったら嘉光はまたしっかりとこちらを見据えて、
「とにかく、どうも俺はお前がいないと駄目みたいなんだ」
と、曝け出した。ついさっきまで私の事をすっかり忘れてたくせに。この糞野郎は。
そんな風に毒づく私に構わず、嘉光は言葉を紡いでいく。
「お前のいない生活は物足りなかった。俺らの事はどうにもならないと思ってた他の奴らは何とかフォローしようとしてくれてたけど、毎日文芸部に行くのが楽しかったあの頃とは何もかもが違ったさ。俺はそんな楽しかった日常に戻りたい――だから、これからもお前と一緒にいなきゃならない。ごめんな」
これは――告白か。あるいは一方的な宣言か。いずれにせよ感じるのはいかんともしがたい既視感なのだが。一年前のあれと同じだ。
やっぱりこれは以心伝心なんかじゃない。私がわざわざこんな言葉に応えてやる道理なんてない。「お前の考えなんて知らんからとりあえずどうにかしてくれ」とでも言っておけば満足するだろう。それで全てうまくいく。
――それでもだ。
「……ふざけんな」
私は文句を唱えずにはいられないんだ。
「お前言ったよな! 私がどこにいようが必ず助け出してみせるって! 必ず傍にいるって! 言ったよな!?
去年だって同じだろ!? そんな告白まがいの事で全て上手くいくと思ってやがる! その結果がこのループだ!」
あの時、嘉光は嫌だといってもずっと私の傍にいるんだろうと思っていた。それは、言うなれば奇妙な安心感だ。安易に受け入れられないとはいえ、決して不愉快なものではなかった。
「運命だの何だのをほざいておきながら、今になってこれだ。こんな奴にはどうしてくれようか。ああ、こうしてくれよう。
あと一度だ! あと一度、お前のその独善的な宣言を私は信じてやる! 分かったな!?」
これが私の答えだ。どうしようもないとか言われそうだが、これが私の選択なのだ。
その選択に嘉光は果たして、
「おう! 言われなくてもそのつもりだ!
なんせ、決してやり直せない事なんてないからな!」
と、勢い良く返事した。
……全く、困ったもんだ。これだけ断言されると受け入れざるを得ないじゃないか。
言っておくが、私は決して嘉光に甘い人間になった覚えはない。その時はその時、こいつにもきちんとけじめくらい付けさせてやるさ。その時が本当に、『取り返しのつかない事態』になるだろうよ。
空が青い、風が寒い……まあ、そんな事はどうでもいいが。人が死のうが晴れる時は晴れるし、どんな幸福が訪れようが土砂降りの雨には見舞われる。私達の小さな闘争は私たちの中でしか完結しえないのだから。
「いい話だったな」
と、その傍で頭を微妙に傾け、腕を組みながら感想を述べたのは一宮さんだ。いつの間に現れたんだろうかと思うが、今の会話の合間にだろう。
「そうだ、最初からいた」
「なん……だと……!?」
私の頬を冷や汗が伝う。んでもってきっと額には縦線だ。まさか、あの恥ずかしいとまではいかないまでも口にするのを憚られるあの会話を最初から聞かれていたと?
だが更に、一宮さんは指を鳴らした。まるで何かの合図のようだ。そして校内放送として流れるザザザッという空気の擦れるような音。おい……まさか……!?
『いいか、晴希』
「やめろおおおおおおぉっ!」
獣のごとく、私は叫んでいた。当たり前だ。一宮さんに聞かれていただけならまだしも、まさか録音されて全校に流されるなどたまったものではない。
「秋津。これこそが戦略だ」
「嫌です! そんなの!」
「男なら諦めろ」
「無理ですし、まず私は女です!」
くそ、こんな残酷な戦略認められるか!私は、出来れば何一つ失わずに問題を解決していきたいんだ! 何も捨てない覚悟はあっても、何かを捨てる覚悟なんてあるわけがないだろう! こんちくしょう!
『いいや、違うんだ』
放送もそんな事を言ってくる。全然違わねえよ、この馬鹿!
「晴希」
「黙れ、内藤! お前に私を救えるのか!」
「ああ、救え――」
「黙れ内藤!」
嘉光はまあまともな事をまず言わないであろうから、こうして封殺しておいた。
『お前言ったよな! 私がどこにいようが必ず助け出してみせるって! 必ず傍にいるって! 言ったよな!?』
「そうか! そういう事なら大丈夫だ! 俺は地獄に行く覚悟すらも出来てる!」
「がああああああああっ!」
「晴希! 晴希!……くそ、一宮さん! 晴希が魔女化した!」
「落ち着け。秋津には頻繁にある事だ」
こうして、私は人として大事な何かを失いつつも、嘉光含む文芸部全般との関係を取り戻したのだった。
……まあ、いいか。
確かに嘉光はそこにいた。そんなところで、今日のお話は……
…………。
……ああ、そういえば。
杭瀬、嘉光と辿ってきて、あと一人この件に深く関わってきた奴がいたんだったな。
「邦崎」
良かった。そいつは存外早く見つかった。時間が経つと変に距離を取ってきそうだからなこいつの場合。こいつはそういう奴だ。
「晴……秋津さん……」
……ほらな。今でもこれだもんな。というか今回私は何やってたよ? いくら恥ずかしいとはいえお前にそんな反応される筋合いは無いから。
……まあいいや。そんな事より、こいつに言っておくべき事はあるんだ。
「お疲れ」
おそらく記憶喪失の嘉光のクラスに行っていた事から考えて、必然的にこいつにも何かあったんだろう。私は精神的に疲労しているであろう邦崎を労ってやった。
「いや、まだ終わってないよ」
ところが意外にも、邦崎の返答はそんなものだった。
おかしいな、いつもの邦崎じゃない……嘉光、お前は一体何を言ったんだ? 後で拷問して吐かせてやろうか……ま、いいか。私には関係ないや。
「それにしてもいつもの晴希じゃない……やっぱり別の秋津さんだ……」
「まあ、似非だからな」
そして何気なく失礼とかそういうのを通り越した事を言う似非親友を見て、必要もなく私はそう呟いた。
後は……またあの似非無口キャラ、杭瀬か。
さ、行こうかな。