第六十二話 Is She Alive?
廊下を歩き、新聞部の後に続く。
何もせずただ腰を据えてさえいればよかったはずの晴希先輩は、突然消失してしまった。これは今の私たちにとって、まさに死活問題だ。あの時私の感じた嫌な予感は、見事に的中してしまったらしい。
……そして久しぶりに見た内藤先輩は、頭を黒板に何度も叩きつけられていて、ひどく痛そうだった。最後に会った時の、川に落ちていった姿がフラッシュバックしてくる。
「あの様子ならもう思い出してるんじゃないでしょうかね」
と言って底の見えない笑みをたたえて割り込んでくるのは、やっぱり菅原君だった。どうもこの騒動が始まって以来、彼の出番が異常に多い気がする今日このごろ。
「思い出すって……晴希先輩の事?」
逆に記憶が飛んでしまってそうだけど。
「そうです。ちなみにあそこから記憶が飛ぶ事はありませんよ」
「どうして?」
記憶が不安定な状態からだからむしろ危なそうなんだけど……。
「ボリュームじゃなくてスイッチなんですよ。頭への衝撃でオンオフする、ね」
歩きながらそう言って菅原君は振り返る。
「これをハロー効果といいます」
「嘘だよね」
「ええ」
「…………」
冷めた。
「安心してください。スイッチについては本当のことですよ。そしてきっと今頃は邦崎さんとのジレンマに悩まされてるんじゃないんですかね?」
「……まさか。それも冗談だよね?」
「勿論ですとも」
菅原君は当然のように言うけど、私には本当のところどうなんだか分からない。だからこそそんな冗談はできればやめてほしかった。真に受けたらどうするんだろう。
「本当のところ、どうなの?」
「知りません」
そこだけなぜかやけに軽薄そうなにやけた顔で、菅原君は爽やかに言い切った。
「ええ!?」
「驚きすぎでしょう」
まあ確かに言ってる事はそうなんだけどさ……なんせ菅原君は単なる一人の文芸部員でしかなく、言っている事も単なる憶測でしかないんだから。
けどそれから表情を正し、
「ただ、たとえ内藤さんが邦崎さんの想いを知ったにせよ、結果的にあの人は秋津さんを選ぶでしょうがね」
と言って、その言葉は更に私を混乱させた。
「……どうして?」
「邦崎さんは、脇役なんですよ」
「…………」
ちょっと菅原君が信用できなくなった。
「安心してください。半分冗談ですよ」
「半分は本気なんだ……」
脇役って理由で弾かれるんだったら、私的には胸が痛い話なんだけど……
「秋津さんも脇役です」
「…………」
更に菅原君が信用できなくなった。
「わかりました。ちゃんと話をしましょう。本気と書いてガチで」
あくまで憶測ですがね、と釘をさしながら個人的な観測を述べる菅原君。本気と書いてガチって……。
「内藤さんは、それほど周りをどうでもよくは思ってないんじゃないですか? 秋津さんを溺愛していたのも周知の事実ですが、そこにはある種の開き直りを感じましたよ。まるで自らを軽薄にしているかのように、ね」
「ええと、それは、実際は色々悩んでいるんだけど、何にも悩んでない振りをしてるって事?」
「そうですね」
……ちょっと分からないや。
「よくある話だと思いますよ。僕だってこんなキャラ通してますけど葛藤ぐらいありますからね」
「例えば?」
「実はあなたの事が好きでした」
「っ……!」
「冗談ですよ」
「…………」
恨めしげに菅原君を睨み付けるが、彼はいつもの微笑のままだった。
まったく、菅原君は本当に……。
「ところで、秋津はどこにいるか分かるか?」
と聞いてきたのは新聞部の大柄な先輩だ。名前は分からないけど、この人たちはみんな眼鏡をつけているから、先輩の名前とかをほとんど覚えてない私でもわかりやすい。文芸部で眼鏡というと、大曽根先輩くらいしかいないし。
「それがわかったら、こんなのうのうと不真面目に過ごしてはいませんね」
と菅原君。どうやら彼は真面目に探してなかったらしい。やっぱりというか……。私なんて晴希先輩が心配でたまらないんだから、たとえ雲をつかむような話でも真面目にやってほしいんだけどな。
「おかしいよな。一体どうして消えたのやら……内藤が嫌になって途中で逃げたか」
「それはないでしょう。ああ見えて秋津さんは内藤さんに内心メロメロですよ。モノローグで三行に一回デレる程度には」
先輩と菅原君はなおも話を続ける。けどとりあえず、菅原君は適当な事を言わないでほしい。黙っててとは言わないから。
「じゃあ誰かに連れ去られたか?」
「そうじゃないですかね」
「誰がやる?……いや、誰が出来る?」
確かにそうだ。動機がある人が山ほどいても、それが可能な人は限られる。晴希先輩に近づいて、どこかに匿ってしまえる程度に親しい人なんて――
「……いた」
ふと、一人の先輩の姿が思い浮かぶ。ある意味私や内藤先輩以上に晴希先輩と親しくて、しかも一歩間違えればこんな事件を起こしてしまいそうだった先輩。
あの人がこんな背水の陣の引き金になったとしたら、それも仕方ないかもしれない。本当に残念な事だけど。
「いたよ! 確かにいた!」
私は叫んだ。
「杭瀬先輩を、探しましょう!」
その言葉に、周りの新聞部員たちは首を捻った。どうやら誰も杭瀬先輩の事を知らなかったみたいだ。確かに文芸部で有名な人って限られるから、仕方ないんだろうけど。
「ああ、確かにそんな人がいましたね」
そして同じ文芸部の菅原君までもが、今の今まで忘れていたような反応だった。
「確か秋津さんと同じクラスでしたっけ」
「いや」と口を開いたのは眼鏡の先輩。「同じクラスだが知らねえなそんな奴。亡霊か?」
なんと失礼な。クラスメイトを亡霊扱いしますか。
「無理もないですけどね。あの人はある意味で亡霊以上に影が薄いですから」
と菅原君も失礼な事を言う。この人たちは一体なんなんだろう。
「よく気付きましたね。朱鷺羽さん、あなたはなぜ杭瀬さんの事を?」
だってはっきり言って、先輩の名前なんて全然知らないでしょう? なんていうごくごく当たり前の質問に、私はごくごく当たり前に回答した。
「だって好きな人の周りにいる人くらい、見てないわけないじゃないですか」
晴希先輩の周りにはたくさん人がいる。内藤先輩は前まで当然の事だったし私もそうだった。
けどさっきは内藤先輩は邦崎先輩と一緒だったし、私にも椎ちゃんって親友がいる。
それなのに、杭瀬先輩だけは晴希先輩としかいる事がなかった。そういう意味で、あの人は私や内藤先輩よりも晴希先輩に近い存在だったわけで――。
「私がそんな杭瀬先輩を見てないわけがないんですよ」
「なるほど、つまりあなたは隙あらば秋津さんと一緒に杭瀬さんも戴いてしまいたいと?」
「違うよ!」
「え?」
「なんでそんな意外そうな顔をしてるの!?」
菅原君はわざとに決まってるけど、眼鏡の先輩まで!
「いやだって、聞いたところお前レズみたいじゃん」
「それは好きになった人が女だっただけで、私は元々女好きだったってわけじゃないですから!」
「そういえば秋津さんって男でしたね」
「菅原君!」
「……すみません、これも半分冗談でしたね」
「半分じゃ駄目だよそれ!」
確かに晴希先輩の中性的な所にも私は惹かれたわけだけど、少なくともこんな時に水を差すような事は言わないでほしかった。
「分かりました。では一緒に杭瀬さんを探し出して、攻略しましょうか」
「……え? 攻略って?」
「ただ、僕も出来る限りの手伝いはしますが、あくまで杭瀬さんをデレさせるのはあなたの仕事ですからね」
「え? え?」
何だかよくわからない方向へと話が進んでしまったみたいで、私はただただ困惑した。
対して菅原君は真正面から私の両肩を掴み、「いいですか?」と目を見開いて諭してきた。
「誰かがやらなければいけない事なんです。そして秋津さんの動けない今、それが出来るのはあなた一人なんですから。いいですね! 覚悟してくださいよ!」
「う……うん……」
菅原君の突然の妙な熱意に気圧され、私は意味も分からないまま頷いた。キャラを作っているとは言ったが、彼のキャラクターはなんなのかまったくわからない。
まぁ要するに、杭瀬先輩を見つけて説得出来るのは私だけだって事なんだろうけど。
「……まずどこにいると思うかな?」
と訊ねた。
やらなきゃ駄目なら、やるしかない。バッドエンドになんてさせるものか。
いつもの私ならそんな考えなんてしないんだろうけど、皆頑張ってるからなのかな。そんな私がすぐに決心してしまえたのは。
杭瀬先輩はわりとすぐに見つかった。
四階の、屋上に続く階段の前。そこに杭瀬先輩はいた。はっきりといた。
ちなみに菅原君達には邪魔だからと廊下で待機してもらっている。その時に「わかりました。ではしっかり杭瀬さんを攻略してくださいね」と言われたけど、直後に「ああ、気にしないでください」とも言われた。余計なお世話だ。
「杭瀬先輩」
そう呼びかけても、杭瀬先輩は返事をしてくれない。
「杭瀬先輩!」
もう一度呼びかける。けど、それでも反応は変わらない。
きっと聞こえてはいるんだろう。それでも返事をしてくれないのは、あの人が晴希先輩以外を認めていないから――そうじゃない。
今のあの人は、晴希先輩さえも認められなくなってるから。だからこんな事をしてしまったし、私にも返事してやれないんだ。
とにかくわかったのは、晴希先輩が屋上にいる事と、杭瀬先輩をどうにかしなければいけない事。どうにかするっていうのは突破するって意味じゃなくて、ちゃんと説得して、出来れば杭瀬先輩の手で晴希先輩を解放してもらいたい――それこそ菅原君の言う「攻略」をしなければいけない。
だから、どれだけ無視されても諦めるわけにはいかない。だって、今の杭瀬先輩を動かせるのは私しか――
『おい、杭瀬! ちゃんと生きてるか!』
「……いた」
ふと、一人の先輩が思い浮かぶ。屋上に閉じ込められながらも杭瀬先輩の理解に努めようとするような、紛れもなく杭瀬先輩に最も近いであろう先輩。
どうやら今回も私の出番はなかったみたいだ。全部全部、何もできないはずの晴希先輩がやってくれた。
……でも、生きてるかって呼びかけはどうなんだろう……。