表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白世界  作者: 白龍閣下
白世界
6/87

第五話 秋津晴希の熱弁

 

 こんにちは、と。

 私が蝉スープから逃げおおせてきて、辿り着いたのは狭い女子トイレ。そこに、私を名指しで言うその女生徒はいた。

 身長は私と比べてももう二回りほど低く、髪はショートのストレート。目がぱっちりとしていて高校生にしては若干幼く見える。私を先輩と呼ぶからには後輩なのだろう。

 私が「誰だ?」的な顔をしているのに気付いたのか、この後輩はご丁寧にも自分から名乗ってきてくれた。「人に名を訊く時はまずお兄ちゃんと呼べ」等と言っていた嘉光とは大違いである。例えば私が知らない男性に向かいお兄ちゃん誰?と訊くとしよう……うえっ気持ち悪っ。やっぱあいつは駄目だわ。何だか八つ当たりっぽいが、元々悪いのはあいつなんだから仕方ない。さっきも説明した通り、全ての災厄が須くあいつのせいなのだから。

「私、朱鷺羽ときわみのりって言います。文芸部に入る事を決めていて」

「ここでも文芸部の話か」

 やれやれ、と肩を竦めた。ついさっきその文芸部の新入部員に酷い目に遭わされ、それでここに逃げてきたばかりなのだ。

「……本当、疲れそうな部ですね」

「……分かってくれるか」

 理解力のある後輩で何よりだ。現に疲れてるしな。只今脾臓の血液が大変な事になって破裂してしまいそうなところだ。横っ腹ってのは脾臓の事なんだとさ。豆知識だな。

「私なんかさっき蝉スープ飲まされたんだぞ。どこの漢方か知らんが、現代人に合うとは到底思えない。かといって古代人に合うかも微妙だが。誰が得するんだあんなの」

「ですね」

 思わず毒づく事しか出来ないでいる私に、目の前の比較的まともそうな後輩は頷いた。いやしかし無関係な後輩に愚痴を垂れるとは酷い先輩である。まあ前向きに検討するよ。

「ところで……あー」

「朱鷺羽みのりです。下の名前で呼んでくれても構いませんから」

「いや、朱鷺羽でいい」

 後半の部分はやんわりと断った。人のことを苗字で呼ぶのは、堅実な私の立ち位置がぶれる恐れがある。別にキャラ作りとかに拘るつもりもないのだが、簡単に言うと気恥ずかしいのである。嘉光は別。心の中ではあいつは私の宿敵である。きっと前世では血で血を洗う仲だったに違いない。

「それで朱鷺羽、お前はそれだけ知っときながらどうしてあんな部に?」

 これが疑問だったのだ。これだけ文芸部の現状を知り、私と同じような認識を持っているにも拘らずこいつは文芸部に入ろうとするのか。その答えがさっぱりわからない。

「どうしても……言わなきゃありませんか」

 んー、何だこの空気? なんか辛い過去でもあったのか? あのキチガイな文芸部に関する人に言えないドラマなんて──あるけどさ。それも私が当事者で。あー突っ込みづらい。どうして否定する事自体が矛盾になるなんて微妙な立ち位置にいるんだ私は?

「いや、言いにくいような事ならいいんだ。私が悪かった」

 結局引き下がった。まあ論理の矛盾ゆえ仕方ない事はある。それは四大文化発祥の時から続いている至極当然の事実であると自分に言い聞かせ──

「わかりました。言います」

「結局言うか」

「先輩がどうしてもって言うから」

 いつ言ったんだよ、そう言いたかったが言わない事にした。悟ったわけだ。ああ、結局こいつは言いたいんだな、と。これまで結構人間関係で苦労してきたからな。他人の建前と本音くらいはある程度掴めるようになってきているのだ。

 いいだろう、言ってみろよ。お前のその理由とやらを。

「好きな人がいたんです」

「そうだ、いずれにせよ部室に戻らなきゃいけなかったんだな。鞄あるし」

「聞いてください聞いてください!」

 トイレから出ようとした私だったが、惜しくも朱鷺羽に袖を掴まれてしまった。それも両手でだ。お前どんだけ私にその話聞かせたいんだよと思いながら渋々向き直り、話半分にでも聞いてやる事にする。だって何かと思ったらコイバナだぞ? いまどきそんな今時の女子高生同士の会話みたいな……ごめん、よく考えれば今時の女子高生同士だったな。大丈夫か今日の私。いいから落ち着くんだ。

「それで、好きな人がどうした?」

 何だか長いエピソードになりそうな予感がする。詳しく語ると大体一話出来上がってしまいそうなくらい。お茶の用意が必要か? ここトイレだが。大体女子トイレって言うと女子が下ネタトークで盛り上がる場所じゃなかったか?……いや、それは流石に違うか。中学の頃そんな事を言っていたクラスメイトがいたんだが。

「私の好きな人が文芸部にいるんです」

 なるほどなるほど。なるほどなるほどなるほど……ん?

「……ええと、それだけですよ?」

「短いなおい!」

 なんて話だ。折角自分が前振りをしてやった(モノローグなので気付かないだろうが)のに二十文字以内とか、国語のテストでもこんなお粗末な答えはないぞ。このゆとりめ。

「ええと……詳しく言うと、あの人がいきなり『それなら文芸部に入ればいい』って。あ、あの人っていうのはその、好きな人じゃありませんよ?」

「はあ、話は大体分かった。……それで、それだけの理由で文芸部に引きずり込んだ『あの人』とやらは誰よ?」

「あの人です、あの人。向こうにいる」

「代名詞の文法的な用法の質問なんぞしていない。こそあどくらい小学校で習ったぞ」

「そうじゃなくて、あそこにいる人です」

 朱鷺羽が指を差した方向を向いてみると──

「……お前かよ」

 見た目は寡黙、中身は野次馬の何とも厄介な少女文芸部員がそこにいて、まあ当然のように私は溜息をついた。

「いつからいたんだ?」

「いつからって……晴希が、架空の男性キャラと男性キャラをくっ付けるやおいという趣味の素晴らしさについてそこの後輩に熱弁していた辺りからだけど」

 なんだそりゃ。

「生憎だがそんなシーンは今までも、そしてこれからも存在しない。期待に副えなくて本当に残念だったな、杭瀬」

「ノン、それはきっと人違い。私は杭瀬弥葉琉なんかじゃない。言うなればそう……似非弥葉琉とでも言えばいいかな」

「まあ確かにお前はいつも似非だけどさ。そんな冗談を言ってのける奴が杭瀬弥葉琉という人間以外にいるのか疑問だよ」

「それは分からないけど、ともかく冗談は楽しいね」

「は?」

 いきなりなんて脈絡のない事を言い出すんだこいつは。

「お前、頭は大丈夫か? ごめんな、医者には詳しくないんだ」

「私は正常よ。でもこうやって冗談を言ってしまえば、一人くらいは真に受ける人間もいたりするの」

 ……さっぱり意味が分からん。

「すまん、私は哲学にも詳しくは──」

「やおい……いいと思いますよ。好みは人それぞれですから」

 気付くとそう言いながら朱鷺羽が私の手を握り、上目づかいでこっちを見てきていた……クソッ、お前かよ。すぐさま私は目を逸らした。この後輩がどんな顔をしているのかは知らないし、知りたくもない。

「なあ朱鷺羽、お前私がそれを語っていたのを聞いたことがあるのか?」

 とりあえず朱鷺羽には手を離してもらい、額に手を当てる。「大丈夫ですか?」なんて訊いてくるが大丈夫ではない。脈絡のない話と思いきやこういう事か。やれやれだ。

 こんな認識のすれ違いが起こるのはこいつが誤解しやすい人間なのか、はたまた私が誤解されやすい人間なのか……どっちもあるかもしれない。どうもこの後輩は人を疑うことを知らないタイプだと私は感じた。

「なんだ、冗談ですか。紛らわしいです秋津先輩。男同士よりもより女同士が好きなんて」

「そんな事も私は言ったつもりはない!」

「嘘ですよ。全くの冗談です」

 体の後ろで両腕を組みながらそう言った朱鷺羽の顔は、微笑みながらも何故だか寂しそうに見えた。深い理由は分からないが、好きな人云々とも関係はあるのだろうか。残念ながら恋愛云々に関して私は助言出来ないからな。私に出来ることなんてせいぜいフラグを断ち切る方法論くらいのもんだ。嘉光? あいつは特別しつこいしな。

「ま、いいさ。そろそろ部室に戻るか」

 なんだか何かを忘れていそうな気もするが、ただクラスメート一人に後輩一人と一緒に女子トイレで語らっていても仕方ない。このままガールズトークが成り立つとも思えないし、こんなシュールな状況はまぁいいや。

「……晴希、死なないでね」

「無意味に死亡フラグを立てようとすんなお前は」

 いったい何が言いたいんだ。意味もなく不安になるじゃないか。

 そんなこんなで例の部室へと戻り、開き戸を開けるとそこには──

「お帰りなさいませえ!」

 皆の大声と共に目に入ってきたのは、大きい机の上に展開されていた──蝉。

 本当、強烈な記憶なはずなのにどうしてだかこの一連の流れですっぽりと記憶から抜け落ちてしまっていたな……。

「さらばだっ!」

「あっ、待ってください、先輩!」

 かくして私は、ダッシュで素早く退散する事となった。ああくそ、脾臓が壊れそうだ。杭瀬の忠告を無碍にした事は本当に後悔している。ちゃんとあいつの言う事を聞いてやればよかったんだ……! あいつの言う事はごくたまに深い意味を持っていたりするのに、私はそれに気付けなかった。本当に、ごくたまにだけど。

「楽しかったですね」

「……そうか?」

「あ、これ鞄です。文芸部の人たちから受け取りました」

「おう、悪い」

 朱鷺羽の差し出した鞄を受け取り、帰り道を並んで歩く。何故かこの後輩は随分と楽しそうにしていた。

「楽しそうだな」

「ええ、私が求めてたのは本当はこういう空気感だったのかもしれません」

 ……さいですか。まあ私も人の事は言えないけどさ。現にこうやって部の一員として存在して、初日から部室に出入りしたりしているんだから。

「ところで、好きな人ってのは? 入部希望期間って事は多分二、三年なんだろ? いや、三年は手が届きにくそうだから二年か。少なくとも二年間は一緒にいられるわけだしな」

 朱鷺羽は「何故それをっ!」といった顔だった。分かるんだよ、私には。

 二年でこの純粋そうな後輩キャラにに好かれそうなの……なんだ、明らかなのが一人いるじゃないか。あの主人公補正をふんだんに抱えた変態野郎が。全く嘉光め。

「……先輩は狡いです。今更になってそんな話掘り出して……」

 とは言ったものの、朱鷺羽の表情はまんざらでもなさそうだった。

 今の話の何が嬉しかったのやら。私にはさっぱりわからないが、この後輩が結構な惚気野郎でありながらかなりいい奴だって事ぐらいはまあ理解できた。

 まさかこのキャラ一人で一話潰すとは。作者自身びっくりです。

 まぁ今が彼女の見せ場って事ですかね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ