第四十九話 ささやかな作戦会議
そして翌日に移る。
はっきり言って、ただでさえ自販機に売っている飲み物の缶程度しか容量の無い私のスタミナは、最早底をつきかけていた。今の私はなんと言うかあれだ、まるでチューブから残り少なくなった歯磨き粉を搾り出しているようなものだな。まあ私は歯磨き粉なんて滅多に使わないが。
自己再生能力が欲しいと思う今日この頃。なければE缶(エアーマンとの戦いに最後まで取っておくといいらしいアレ)でもいいな。しかしまあ私がそんな現実逃避をしてしまうレベルまで疲労しているというのに嘉光はといえばおめでたい事に毎日をエンジョイしているわけだ。あいつ死ねばいいのに、もう一回くらいな。
全くこれだから。恋なんてしなくて正解だったな。私は何も間違っちゃいなかった。いくらどこかの詩人のように愛を歌おうが、質量も無いそれは気付かないうちになくなってしまうものなんだ。最初から期待しなければ失望も糞も無い、まるで理想の形だ。無欲、仙人、賢者モードって所か。
いずれにせよ人は分かりあえやしないものなんだよ、本質的に。そんな事無いなんて反論したくなる事など……無いわけでもないが。女の子だし。──けどやっぱり、それは所詮綺麗事だろ。夢物語は実際に起こりえないから夢物語なんだ。
要するに、私の苦労なんて私しか分からないって事。他の奴に分かってたまるか。同情するなら金をくれ。上限はない。
「おい杭瀬」
「…………」
……少なくとも、こんな風に『宇宙人に拉致されないコツ』なる本を読んでいる自称無口キャラには分かるはずがないわけで。もし分かったら世界の終焉だ。ちなみにだが私にもこいつが何を考えてるかなんて知った事じゃないね。
「そんな本はいい。五世紀後くらいに必要になりそうな知識を今身に付けて何になる」
私がそう諭してやるも、こいつは、
「近未来小説の参考として」
なんて答える。ふてぶてしい奴だ。そんな弁解で安定した位置を築く気でいやがる。
「少なくとも『近』未来にはなりそうも無いからな。ほい行くぞ」
奴の腕をパンと叩き、立ち上がりを催促。
かくして私は杭瀬を例の場所──つまり階段の所に連れて行った。
「……そんなに私と逢引がしたいの?」
「……いきなり何出鱈目を言い出すんだお前は」
当然ながら逢引などではない。話をするのに場所を移した方が気が楽だからだ。教室は治安維持法的な空気を感じるんだよ。というかぶっちゃけて言えば人の多い場所でこんな話したくないからな。あー、話というのは…………なんだったか忘れたよ馬鹿野郎。これも精神力を擦り減らされたおかげなんだろうな、全く。
「人の多い場所では出来ない話……」
「何故そこで顔を赤らめる!?」
杭瀬は一人で変な妄想をしていた……という振りをしていた。この頃こいつの私を弄るスキルが上昇している気がしなくもない。実際にするのはおそらく邦崎くらいだ。……ああ。
「そうだそうだ邦崎だ」私はやっとここに呼んだ目的を思い出した。「言っておくが私はお前と妙ちくりんなコントを繰り広げるためにここに来たんじゃない」
「それはそうとこのやりとりにもそろそろ専用BGMが出てきていい頃だと思うの」
「知るかそんなメタな話」
まあ確かにアニメとかなら確実にありそうだがな。前に変な事言ってたっけ。自分は作者のお気に入りだからメインヒロインなんだみたいな事。いや本当に。どうでもいいけど。
「──じゃなくてだな、私は」
「見て晴希。階段がある」
「だから知・る・か!」
しかもそれどういう話の逸らし方だよ。階段なんて最初からあっただろ、ルイージマンションじゃあるまいし。
それに何だか杭瀬が「最近の晴希はつまらない話ばっかり……」だのとまるで最近の若者がどうこうと嘆いている酔っ払いの如くほざいてらっしゃるので、ご要望どおりさっさとつまらない話を進めてやる事にする。
「結局邦崎は何なんだ? 何か分かった事は?」
あの時杭瀬の言った『邦崎黒幕説』はあくまで私がその場で適当に杭瀬に考えさせたものだった。つまりそれは、根拠の裏づけもない単なる憶測だったという事だ。
だがあれから丸一日経った。それだけあればバラバラだった考えも纏まるだろうし、私と違い放課後は部活で先輩方の見解──おそらくは一宮さんの一方的な説明だったのだろう──でも聞いているはずだ。私? 私は自慢じゃないが何も考えてないね。そんな事より飯を食う方がよっぽど大切だ。
であるからして、杭瀬は須らく──
「わかんない」
──うんうん、わろすわろす……え?
「杭瀬……お前、正気か?」
「……酷い言い方」杭瀬は肩をすくめた。まあ気持ちは分からないでもない。
「ならお前……偽者か?」
「……すごく酷い言い方」……まあ分からないでもない。とは言っても元々お前が言ってた事だがな。
少し失言をしてしまった気がする。杭瀬には同情しよう。スプーン一杯分くらい。ちなみに金なんかやらんぞ。
「にしても分からんって何だ? 一宮さんとかには言ったのか?」
杭瀬は表情を変えないまま、首を縦に振った。
「けど、参謀先輩もよく掴めてないって」
一宮さんにもこの混沌とした現状は把握しづらいのか。新聞部とかの特定の団体の仕業じゃないからなんだろうが、意外と難しいんだな。あと杭瀬、お前も参謀先輩言うか。
「けどそれでも、邦崎の潔白は証明できないと?」
その問いにも杭瀬は肯定した。対して私は内心呆れてしまっている。
「……あのな、潔白の証拠なんて『私が信用しているから』で十分だろ。仮にもあいつとは五年目の付き合いだぞ?」
「じゃあ晴希は、私を信じてる?」
どうしてそうなるんだよ。さっぱり意味が分からん。とりあえずその思わせ振りっぽいお前の言動がなんか腹立んだよ。何が欲しい。
「ああ信じてる信じてる」他に適当な答えも見つからないまま、私はそう答えておいた。「もういいだろ、戻るか」
そうしてささやかな作戦会議は終了。さっさと教室に戻る事にする。
疑問に思う。判断材料に勘が含まれてて何が悪いんだ、と。頭が固いと言われれば、そうなのかもしれないが。
私が杭瀬を信じてるかだって? あいつほど信じられない奴がいるかよ。……ああ、一人いたか。大嘘ついて私の前から消えた男が。全くどいつもこいつも。
「チッ……」
今更こんな事を嘆くものでもないなと思いながら、授業に遅れないよう私は歩き出した。杭瀬の舌打ちなんて聞こえない。