第四十八話 クロスワードを埋められれば
「内藤はきっと記憶喪失。それで内藤派のリーダーは……邦崎綾女だと思うの」
あの嘉光との接触後、依然として場所は階段。私が説明を丸投げした──否、自然の摂理によって説明をせざるを得なかった杭瀬曰く、状況を簡潔に説明するとそういった感じだそうだ。まあご存知というか我ながら性格がアレな私の反応といったらまあ当然の如く、
「はあ?」
こんな感じ。多分これまで私の言った「はあ?」の中でも屈指のものだったんじゃないかと思う。相当の呆れ力(反応に関わる数値。これが高いほどその反応が呆れている事になる)を持っていたんじゃなかろうか。今の杭瀬の話は少々、というか普通に奇抜すぎた。
大体まずだ。記憶喪失って都市伝説だろ? 加藤鳴海は左腕を失って瀕死になった際に記憶を失ったが、あの嘉光が五体不満足になるなんて図は考えられやしない。腕が落ちても接着剤でくっつくんじゃないか? たとえそれで駄目でも糸で波縫いでもすれば何とかなるさ。返し縫いは面倒だが波縫いならきっと早く終わるだろう。
当然、疑問点はそれだけじゃない。というかもう一つの方がおかしいのだ。記憶喪失の件は嘉光なら──いや逆に嘉光だからこそなるって展開も考えうる。いい音立てて川に落ちたもんなあれ。……や、そうじゃなくてだな──
「──どうしてそこで邦崎が出てくるんだ?」
邦崎は確かに親友かというと怪しい。中学の頃からの腐れ縁で私の事をよくよく知っているにも拘わらず、いつもいつも変な疑問を抱いてその度に呼び名は「晴希」から「秋津さん」に変わる。それに勝手に嘉光に惚れ、勝手に私をライバル視しはじめたりした。
──が、つまらない誤解をすることはあれど、あいつは絶対に私を欺くような事はしないし、そんなつまらないことを考え付く筈も無い。
「もしあいつがこんな事態を招くような奴だったら、それこそ異世界だろ」
異世界。召喚。転生。どこかの主人公ならきっと「私は変わったんだ」なんて言うかもしれない。あるいはダークサイドに堕ちた哀れな人間か。どっちにしろ厨二病って括りだな。
……ありえん。どれだけ足掻こうが逆立ちしようが、変えられないものはあるんだ。そんな楽に変われるなら今頃私はこんな生き方してるかよ。人の性格なんて育ってきた環境で大体は決まるんだ。
つまり、だ。私達は何だかんだ言って植物と同じなんだ。どこかに根を張ってしまっていてそこから足を踏み出せやしない。できるのはただ腕を伸ばす事だけで。
……なんてね。ついよく分からん相田みつをみたいな事を徒然と呟いてしまった。なんて気持ち悪いんだ。人生にも役割ってものがあるんだ、気持ち悪い役割は嘉光だけでいいのに。まあとりあえず、邦崎はそんな奴じゃないって事。あんなのが変われるわけが無いだろ。
「……ま、お前の戯言は冗談半分に受け止めとく。さっさと教室に戻るぞ」
そう言って教室の方へ歩き出した。杭瀬は何か言おうとしていたが正直こいつと会話するのは疲れる。だからさっさと背を向けて闇から抜け出し、教室の方へさようなら。私はホームに戻る。
だが杭瀬は、
「おいどうした杭瀬。行かないのか?」
「晴希は先に行ってて。放っててくれていいから」
なんて、動こうとはしなかった。流石、ジョークが通じなかったのがそんなに嫌だったか。まあこいつだったらサボったところで気付かれなさそうだもんな。私は多分欠席ついてるけど。あー、欠席か……。
「……お前はいいよな」
そんな下らない事に半ば羨望半ば呆然、そうした微妙な心境で私はその場を去った。
そうして私は拉致されていた。右には眼鏡左には眼鏡。眼鏡めがねメガネ。放課後ぶらりと歩いていたら突如鮮やかに連れて行かれましたでござるの巻。連れて行かれるときに嘉光のように簀巻きにされてしまったのはどういう因果だろう。
ところで私は、こんな状況に非常に見覚えがある。というか真面目に言うと、それは近頃私の方から歩み寄った方々であり、また文芸部とも因縁のある相手であり。
「では話をしましょうか、秋津さん」
そして当然の如く三年の仁科由宇──新聞部の部長さんが、テーブルの向かい側からそう声をかけてくるのだ。ちなみに左右の新聞部員達を見回してみると、やはりというか鼻にティッシュを詰めたでかい奴がいた。相手にしとくと面倒だからスルーしておくが。
というか本心から言わせてもらえば仁科さんとの話だってものすごく疲れる。それはもう杭瀬とかと同レベルに。……けど、やらなきゃいけないんだよなあ。とにかくここで新聞部としっかり呼吸を合わせて事態を解決に導いていく事が私のすべき事なのだから。
世の中ってのは決してクロスワードみたいにピタリと埋まるようには出来ていないわけで、そこには絶対に「やりたくなくてもやらなきゃならない事」ってのが生まれてくる。はて、そいつはどうしてだろうか? 私は受験生でもないんだがな。世の中理不尽すぎるだろ。
「──はい、仁科さん」
葛藤している余裕も無い。いいさ、要は早く終わらせればいいんだろ?
「文芸部の動きについて、何か知っていますかね?」
そう訊いたのは私の方。今この状況、文芸部に近いのは私より新聞部の方だろう。昨夜は朱鷺羽達と久しぶりに会ったが、所詮は所詮会っただけ。仲良くお互いの立場を伝え合うなんて事も残念ながらなかった。
「聞いていませんね」
だがあっさりと否定されてしまった。「そうですか」ととりあえず返しておく。大体予想は出来ていたのでそこまで辛い事でもなかった。寧ろ辛いといったら嘉光と出会ってしまった事自体が辛い。ああそうだ、嘉光と言えばだ。
「知ってますかね? 内藤の事」
「彼がどうかしましたか? 未だに彼の情報は掴めていませんが」
「それが今日、会いました」
私がその事を告げると、部室内が沈黙したと思うといきなり騒がしくなり──
「な、なんだってぇー!」「な、内藤が……!?」「どういう事だ!? 平行世界にいたんじゃなかったのか!?」「まさかとは思うが……あの羅生門を抜けてきたのか……!?」「畜生! この世に神はいねえってのかよ!」「……なあ、無事にこの戦いが終わったら付き合ってくれないか?」「うん……」「おい待てそいつは俺の嫁だ」「違う俺の嫁だ」
……そういえばこんな奴らだったな。やっぱり帰りたいかもしれない。
「それで、詳しく聞かせてもらえないでしょうか?」
こう普通に訊いてきてくれる仁科さんがまともに思えるのはどうしてだろう。
……と思ったら仁科さんは知らないうちに私の目の前にコップに水道水を入れて勧めてきていた。安定の前言撤回。
「別に何もありませんでしたよ。……いや、何も無かったというのが異常ですが」
「というと?」
仁科さん、コップから一瞬でもいいですから視線を外してください。そんな凝視されるとまるで水を飲まないこちらが悪いみたいじゃないですか。
仕方ないので水を飲んで一拍。
「内藤は、もう私の知っている内藤じゃありませんでした」
「ほらそうだ! やっぱりそうだ! 羅生門の闇の力に捕われたんだ!」「何やってんだ神様仕事しろ!」「やっぱり戦いは避けられないかも……」「そう……」「おいだからお前何俺の嫁口説いてんだ!」「よろしい、ならば戦争だ!」「嘉光さん×闇嘉光さん……意外といけそうですねこれ! むはー!」
うるさいお前らちょっと死ね。
とにかくだ。さっき人は変われないといったが、しかし内藤嘉光は変わってしまった。これだけは真実なのだ。あんな好青年みたいなキャラに成り果てて……嘉光のくせに生意気だ。さっさと死ねばいいのに。
「ふふっ」
そんな私の苛立ちを知ってか知らずしてか、突然仁科さんは笑い始めた。ワライダケというのは横隔膜の痙攣を引き起こすものらしいが、それと同じような病気に仁科さんも感染しているのかもしれない。大変だな。
「それでも内藤さんが嫌なんですね。秋津さんとの接点が消えても」
なるほど理解した。どうやら仁科さんは、私が実は嘉光の事を大好きなんじゃないかと、そう言いたいらしい。……は?
「いや誤解しないでください。私はただ単にあいつの幸福が腹立たしいだけで」
「はいはい。とりあえずこちらで善処しておきますからね」
笑顔のまま仁科さんは話を切った。くそ、これだから年上は困る。何でも見通した気になってるんだ。
結局、新聞部は出来るだけフォローするから私は最善だと思う動きを取る、という事になった。
実際に尻拭いをしてくれるかは知らないが、悔しくも新聞部が心の助けになるのは確かだった。