第四話 蝉逃亡記
序盤は淡々としてるなあと、自分でも思います。
早速、新入生が文芸部を訪れた。始業式の翌日とはなんとも積極的なものだと感心する。
事実、私がこの部に入ったのも仮入部期間を終えた後だったりする。見ての通り元々私は帰宅部で行こうと思っていたキャラなのだが、まあ色々あったのだ。
さて、普通文芸部といえば文字通りマイナーと言う言葉の似合う中々に埋没しがちな部活であり、決して学校を台頭する部活にはなりえないと思うかもしれないが、この学校において文芸部は実質最強たる立ち位置と称しても過言ではない。それにはちゃんと理由がある。今回はそんな話だ……そんな話だという事にしてくれ。
まず、元々この学校の部活状況は斬新を通り越して末期だったという事。
どう校長の気が違ったのかは知らないが、奇怪な部がたくさんある。ハンドボール投げ部やら紙飛行機部、あとロウ人形同好会とやらもあったな。あそこは現生徒会長が所属してるとか。もうこの時点で頭おかしいよね。
それで酷いことに、一般的にメジャーな運動部は全滅ときた。野球部も無いしサッカー部も無い。水泳部も無いという砂漠的な状況。ちなみに学校のパンフレットでは確かに「学生の本分である勉強を重視し、机と向かい合うことへの自然性を改めて身に染み込ませます」などと胡散臭い方針みたいなのが書いてあったが、それならハンドボール投げ部とか残すなよと言いたい。紙飛行機部とか何なんだ。テスト用紙とか紙飛行機にして飛ばしてるって聞いたぞ。学生の本分って何なんだろうな。
それはともかく、何もただこの学校が衰退した状況であったというだけで、文芸部がここまでのし上がってきたわけじゃない。要するに文芸部を突き動かすような大きな変化──言うなれば革命が起こったのだ。
確か二年前……うん、二年前だ。あの頃ピカピカの一年生だったであろう先輩方の中でも大曽根さん・一宮さんの両名の存在は大きかったらしく。いや、詳しい事は知らないし知りたくもないんだけどさ。その頃私は中学で色々四苦八苦してたしな。
で、今はもう卒業してしまった先輩方と当時の恐るべき新入生を加えた新生文芸部がこの学園を制する存在と化すのにさほど時間はかからなかったとか。
「クッ……」
それで、どうして私がわざわざこんな回想を今更しているか分かる奴はいるだろうか?
隠すまでもない。現実逃避だ、エスケープだ。
誇りを持って今一度言おう。現実逃避だ、エスケープだ。
だってお前ら、蝉の死体が浮かんでるまっ黒のスープとか飲めるか? 私は飲めやしない。進んで黒魔術の実験台になる気など更々ない。当然ながらもしこれが仮に漢方云々で免疫を強くするとかの作用があったとしても断固拒否したい。食事というのは単なる栄養分の摂取ではない。人間の三欲の一つである食欲を満たすというのがあるわけで、それを蔑ろにする事などあってはならない。
でもそれは、確かに私の目の前のさらに注がれていた。う……見ているだけでも嫌になるじゃないか……。
ついでに言っておくが、ここは紛れもなく文芸部室だ。いやはや、調理スペースがあったなんて知らなかったぞ。どんだけハイスペックなんだ。ここ文芸部の部屋だぞ? 料理部にお帰りください。
「晴希、うまかったぞ。俺が保証する」
これを飲んだであろう嘉光が横から満足げに言ってくる。だがこいつの保証は当てにならない。大方舌でも麻痺させてしまったのだろう。可哀相に。
「晴、お前は何『考える人』みたいに固まってんだ」
部室の奥にいる大曽根さんが文句を垂れる。そうは言ってもあんた飲んでないでしょう。あんただって飲みたくないんでしょう。
そして杭瀬、親指を突き立てるな。この分は後できっちり文句言わせて貰うからな。
ちらりと横に目をやる。そこにはこれを作った一年、菅原卜全が立っていた。嘉光が見つけ出し、早速文芸部室に連れてきた逸材(本人談)らしい。確かにこの人材は、色んな意味ですごい。本人談て。まあ逸脱した人材という意味では大正解だけどさ。
して今のこいつの顔には不安が垣間見える。一見平然としているように見えるが私にはわかる。あれは内心焦っているのだと。
そして私には分かる。その不安はおそらく「先輩の命大丈夫かな……」ではなく、「果たして先輩の好みの味かな……」なのだろう。……一体何がどうなってんの? どうしてわざわざ強制されて命張ってまで無駄なフラグ立てないといけないの? 君ら、そんなに私の人間関係が不安なの?
『ざわ……ざわ……』たちまち福本漫画のような幻聴が私を襲った。考えろ……そう、考える人とは言いえて妙だ。
冷静に考えろ、蝉はどの季節だ? 夏だよな? でもって今は春だよな? と言うことは当然、そこらへんから拾ってきたやつじゃないことは分かる。コールドチェーンか? 南半球からコールドチェーンで送ってきたのか? いや、北半球が春なら南半球は秋だし、残暑ですらなさそうだし……いや違う、品種改良か。聊かバイテクだが。ハイテク……そうだバイテクに違いない。いやあ技術って進歩したんだなあ! はっはっは!
……いやそういう問題じゃないだろ! あー、残念ながら今は社会科の勉強をしてる時間じゃないんだ。さてどうするか。
・普通に批判して飲まない。
・先輩たる意地を見せて飲む。
・隙を見て手が滑ったと言いながらひっくり返す(ただ後始末がクソ)
・飲むと見せかけて嘉光か杭瀬の口に放り込む(大曽根先輩も腹立つが、正直無理)
・今すぐ逃げ──ぐはっ……
「男なら黙って飲みやがれ」
大曽根さんが私の鼻をつまんで口を無理矢理開けさせ、口腔に無理矢理暗黒スープを流し込んだようだ。随分と暴虐の限りを尽くされた。全くもって甘かった。この人ならこうもしかねないと予測して、早めに退避しておくべきだったのだ。
いや、男じゃないんですが……。
そりゃ「ああ、終わったな」って思えたさ。けど──。
「ゲホッゲホッ……普通に……美味い……!?」
そう、あの見た目でありながら味は普通に美味だった。むせても美味いと言えるくらいだ。どうしてこうなった。
「ほら、我らが部の新たな料理人は一味違うだろ?」
「確かに違うな、色んな意味で。というかここ何部でしたっけ?」
「文芸部に決まってんだろ」
「…………」
そして、この後輩は満足げな表情で言った。
「当然の結果です。愛という最高級の調味料を使っていますから」
「いや、見た目もある意味重要な調味料だとは思うが」
「見た目は非常に拘ってますけど?」
と言う事は、ひとえに芸術的センスが常人のそれと大きく違うって事な。頼むからもっと緩い(?)路線を目指してくれ。これじゃ緩いのなんてお前の頭の螺子くらいのものだ。
「ま、色々言いたいことはあるが……一応美味かったぞ。でもな……」
「光栄です。実は──」
菅原がやはり満足げに言う。すごく悪寒がするのはおそらく外れじゃない。つか人の話を最後まで聞けよ。そんなんだから頭の螺子が緩いんだぞ。
そして菅原後輩の次に放った一言とは──
「もう少し作ってあったんです」
「だと思ったよ!」
予感的中……いや、悪寒的中だ。私は素早く部室から逃げ出した。
結果が分かっていても、逃げ出したい事がある。安全の保障されたスリルを楽しむ人間は確かにいる。バンジージャンプってのはその心理を利用した物なんだろう。だが私は生憎バンジーとか苦手なんだ。
「男なら黙って飲みやがれ!」
「私は女です!」
後ろから聞こえる大曽根さんの言葉に、私はそう叫び返した。
「……くそ、たかが女子高生一人になんて仕打ちなんだ」
体力がコイキングにも劣る私は息も絶え絶えで、舌打ちしながらも女子トイレに逃げ込んだ。滑り込んだと言ってもいいかもしれない。必死で滑り込み、扉を閉め、その締めた扉に背中を寄りかかった。そのままやれやれと腰を下ろす。汚いかもしれないが、私の体力が体力だから仕方ないのである。恨むなら私の両親でも恨め。それか私の設定。
もう他に逃げ場がないんだが、手榴弾とか舞い込んでこないよな? 大丈夫だよな?
「あ、こんにちは……秋津先輩……ですよね?」
誰だ、疲労困憊の私にわざわざ声をかけてくる奴は? 私に気でもあるのか?……なんてな。馬鹿げた話だ。
声をかけてきたのは、一人の女生徒だった。
……いや、女子トイレだから当然だがな。
つーわけで、新キャラを二人。いや、二人目は最後の最後に出てきただけなんだけれど。
それにしても、大曽根さんがここまで扱いやすいキャラだとは思いませんでした、はい。