第四十四話 大脱走、ヴァルハラ、邂逅
その窓から聞こえてきた爆音によって私の意識はかの目薬のコマーシャルのようにまどろみの世界から一気に引き戻された。……ごめんやっぱまだ若干眠い。
校内で私をずっと見張っていたであろうクラスメイト達も、今は皆戸惑いの表情を浮かべている。まあ当然だろう。普段授業中どころか、学校で聞こえる音じゃないもんな。結構遠くから聞こえてきたようだが、どうせ近くでも遠くでも同じようなものだ。いや寧ろ見えない方が怖い事もある。一種のホラーみないなもの。
しかしこんな反応をするなんて、ここのクラスメイトどもも案外普通の人間なんだな。やっぱり思い込みは良くない。
黒板に「BURNING!」だの「PASSION!」だのと偏った方面の英単語ばかりを僅かながら、しかし確実に右上がりに羅列させている英語教師が「お前ら迷うな! もっと自分の思いを俺にぶつけて来い!」だのと怒鳴るが、そんな事を言われると余計戸惑うだろう。現にそんな英語教師の話を聞いている奴は一人たりともいなかった。
杭瀬はといえば、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。また例の特殊能力でどこかへ抜け出したんだろう。最強だなある意味。たとえ電撃文庫的な世界観でも何の問題もなく闊歩していけそうな奴だ。
……あと約一名、鼻にティッシュを詰めたでかい馬鹿がブンブンと手を振り回していたようだが、私はあんな奴知らない。知らないったら知らない。
さてと、おかげで授業は滅茶苦茶だ。担当が担当なので元々滅茶苦茶なのだが、世の中には突っ込んだら負けと言うものがある。嘉光のクラスとかもまさにそんな感じらしい。
そう言えば嘉光はこれをどう思っているんだろうか。いや今そんな事考えても仕方ないよな。
さて、おそらくこれは大曽根さんの仕業だ。他にこんな事をやってのける人間なんて考えられない。一宮さんもやる可能性はあるが、まあ一緒だな。というか──
「早すぎるだろう、常識的に考えて……」
「何かやるぞ」的な流れを見せたのが昨日の夜だった。それから半日少ししか経ってないわけだ。……いや、どうせ仕掛け自体は昨日の内にとっくに用意していたんだろうけどな。
というか、本当に警察は何をやっているんだろうか? 爆弾って持ってるだけで犯罪じゃないのか? 非核三原則と同じで。それとも大曽根さんは軍の関係者か何かか? ひょっとして背後に秘密組織でもあるんじゃなかろうか? ファンタジーだな。
まあいい。あの人たちが何者かなんて今はいい。それこそ突っ込んだら負けと言う奴だ。とにかく状況が混沌としてきたので──
「……トイレに行ってきます」
逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ。お暇させていただきますと言ったように私は教室を抜け出した。文芸部に行けなくなってから余計に私の頭がアレな方面に行ってしまった気がするのは、あくまで気がするだけであってほしい。別に私の頭の中に妙な世界が出来上がっていたわけじゃない。
──と、私は信じたい。
さてどうするか。「新聞部に任せていろ」なんて一宮さんは言っていたが、肝心の新聞部員はあの様子である。とりあえず階段の方にでも行くか。多分あいつがいるかもしれない。あくまで「かもしれない」であって、根拠なんてものはないが。
そしてやはりというか、杭瀬はいた。階段の付近に来ると声が聞こえ、そちらに行ってみるといたのは案の定そいつだったという訳だ。幽霊なんかいない。どこからか声が聞こえてきたらそいつは多分似非無口キャラなんだ。
もしかすると私を待っていたのかもしれない……なんてな。きっと他の理由だろ。
ちなみに爆音はさっきの一発に留まらず、まるで隅田川花火大会の如く続けざまに鳴り響いていた。音がするのは体育館の方、こことは位置的に正反対の場所らしい。
例の視線はと言えば、これが実は何故かは知らないが今現在剥がれている。罠というのも考えられるが、悩むよりはさっさと前に進んだ方がいい。……何だか私のキャラに合わないよなこれ。なんだなんだ、新手の洗脳方法なのかこれ? そんなに私の人格は駄目なのか?
「待ってた」
「冗談だろ」
平然とした顔でまるで私の心を読んだかのような発言をする杭瀬に、私はとりあえずいつものように返しておいた。杭瀬はやれやれと溜息をつくが、溜息をつきたくなるのはこちらの方だ。まあいつもついてるんだが。
「お前から話し掛けてくるなんて珍しいな。何か用でもあったか?」
わざわざこんな時に。まあ同じように教室から飛び出した私が言える立場じゃないか。と、杭瀬は私から目を逸らし、
「晴希と話さないと、私は死ぬから」
「嘘つけ。お前がそんな内藤みたいな奴だったとは初耳だ」
私を弄るような事ばっかり言いやがって。朱鷺羽でもそんな事は言わないぞ。それにしても爆音が五月蝿いんだがどうにかならないのか。
「私と話さないと、晴希は死ぬから」
「そこで私に責任転嫁かよ!」寧ろこいつと話した方が寿命が削られそうだと思えてくるんだが。
「そう。この世界の森羅万象、実は全部晴希のせいなの」
「違う! 全部内藤のせいだ!」
「その返し方もどうなの」
杭瀬はまた溜息をついた。だから溜息つきたいのはこっちだっての。
「それで、その晴希と話さないと死ぬ嘉光はどうしてるの?」
そうだよ。だから嘉光はどうしたんだ? 新聞部騒動の時にあそこまで暴れてたから、考えられるのは──。
「──魂が抜けてるか、死んでるか、あるいは仙人になったかだろう」
そう言いながら私は、外の方に目をやった。空は広いが地は狭い。いっその事鳥になってしまいたい。……ごめん、やっぱり人間様の方がいいや。未練を持って何が悪い。
「どっちにしろ晴希は寂しいと」
杭瀬はそんな結論を下す。ちょっと待て。寂しいんじゃなくて寧ろ凄い窮屈なんだが──
「ま、お前には分からんか」
いつの間にか五月蝿い爆音もやんでいたので、そう言って私は話を切り上げた。本当、何も得たものがなかったな。だがもしかすると誰かが何かをやっていた可能性は十分ある、というか多分そうなので期待しておくか。
と、教室に戻ろうとした所で──
「やばい、トイレ行かなきゃな。トイレのトはトローチの……」
私は訳の分からない事を言いながらトイレに行く一人の生徒とぶつかった。身長の差があるせいで、そいつにとっては肩がぶつかっただけでも私にとっては顔面の位置だったりする。顔を抑え、そいつの顔を見て、やっと私は気付いた。
そいつには、ようやく会えた、というべき所だろうか。
しかしまさかこんな呆気ない出会い方をするとは思っても見ず、私はそいつへの反応に暫くの時間を要したが。
「……お前」
ようやく口から出た言葉は、そんなありきたりな台詞だった。
内藤嘉光は、まるで済まないといったような顔をこちらに向けてきていた。