第四十三話 そして死んだ
正直言って、おかしいんじゃないかと私は思うんだ。
翌朝の教室にて、私はそんな風に考えた。
おかしいというのは嘉光の事じゃない。いや、確かにあいつのおかしさは屈指だが、もはやあいつにまともさ等というものは残されていないようにも見受けられるが、御自ら簀巻きになったまま川に飛びこむほどのマゾだが──今私がしているのは嘉光の話じゃない。しかしボロクソだな、嘉光。
嘉光の話でないとすればつまり私がおかしいと言っているものは自ずと絞られるわけで、文芸部諸君でもなく、新聞部諸君でもなく……すまん、人数的には全然絞れてなかったな。
とにかくおかしいのはこの騒動、その起因だ。
簡単に言ってしまえば今こんな状況になったのは、マゾの嘉光が阿呆みたいに体を拘束された状態で川に落ちていったのが第三者のあらぬ誤解により発展していった──こんな一連の流れが原因だそうだ。突っ込み所は色々あるだろうが、まあ私のいる環境はデフォルトでそんな感じなので承知してほしい。
だがそれらを差し引いても、普通それだけでこんな事態になるなんてのはありえない。たとえあんな文芸部であってもだ。
そういえば一年がどうこうと言っていたな。昨日の夜に朱鷺羽が言っていたが、一年がこの騒動を加速させているらしいとか。実際の中心は一年だとか同じような事を一宮さんも言っていた気がする。けど──それだけじゃないと私は思う。
さてここで突然話が変わるが、諸君は物質の燃焼において必要な三つをご存知だろうか? 酸素と燃料と、そして一定の熱だ。一度点火してしまえば後は燃焼熱で賄えるが、少なくとも火が点くまではそういった一定の熱が必要になる。確かにこの騒動という名の火を大きくしたのは一年が中心だろうが、火種は一体どこから来た? 嘉光か?
「……まあいいか。そんなのは後から考えれば」
一つ溜息をつき、自分を諭すようにそう言った。とにかく私はこのままが嫌だからどうにかしようと考える。そこには一分の葛藤も必要ない。頭で考えるより先に体を動かせ。
「……ってか私のやる事って──」
つまりは全てあの仁科さんのいる新聞部に任せるって事じゃないか。まあいいや、それで何とかなるんだったら。焦ったら駄目というなら私はそれに従うさ。
あとあれだな。邦崎。そういえばあいつの姿をここ数日見ていないんだ。まあきっと大丈夫だとは思うが。あいつは私と違ってそういうのには巻き込まれない人間だからな。文芸部とかと関係ないし。強いて言えば私のクラスメイトであり、好意を持っている相手が嘉光ってとこぐらいか。もしかしたら平行世界にでも行ってしまったのかもしれない。なんてね、そんなのに騙されるのは新聞部ぐらいで十分だ。
ん? 親友が心配じゃないのかって? いや、あいつは腐れ縁ではあるが別に親友じゃない。だってあいつの方が私の事信じてないもん。
ふと杭瀬と目が合った。ああ、なんか私は色々と疲れたから話さないようにしよう、と思って目をそらそうとした──所だったが向こうから目をそらしたようだ。……ん、いつもの似非無口キャラの杭瀬ならうざったいほど積極的に関わって来るんだが。ひょっとして先輩方の意思か?
……しかしあれだ、こう見ると何もかもが信じられなくなってくる。出来れば人間不信に陥る前に終わって欲しい所である。
と、いつの間にか我らが担任が来ていた。考え事だけで時間が潰れてしまう私って主人公っぽくて案外かっこいいんじゃないかと思うんだ。冗談に決まってるけどな。
かっこいいと言えばどうやら私のファンとかほざく奴らが全校生徒の36%(うち男子31%、女子5%)いるそうで、その主な理由が「かっこいい。ゾクゾクする」「ツンデレっぽい。というかまさしくツンデレ」等らしい。それって単に物事を斜めから見てるとかそれだけの意味なんじゃないかと私は思うんだがどうなんだろう。自分で言うのもなんだが。
「秋津……おい秋津」
「……はい」
担任に名前を呼ばれ、慌てて返事をした。どうして出欠を取る時に男子から名前を呼ぶんだろう。私とかは出席番号が若いから女子からだと本当に真っ先に回ってくるのにな。男女差別だ。
しかしもうあれだな。視線は依然として私を取り巻きつづけているわけだが、この視線に対して私はある程度の耐性が出来てしまった。喜ぶべきか悲しむべきか。どっちにしろ今はそんなゆとりなんてないだろうな。
「……邦崎は今日も休みか」
「平行世界に行ってしまったそうです」
「そうか」
そんな担任とクラスメイトのやりとりが耳に入る。おいおい、初耳だ。というか何故そんな所で私と発想が被るんだよ。
やがて出欠を取った担任が出て行って、私の前に現れたのは、
「……なんだ、モブキャラか」
「俺だよ! 幡野!」
私称モブキャラこと幡野だった。誰だっけこいつ。
「何の用だ。私は今忙……」
立っている幡野の顔を見上げた。どんな時でも相手の顔を見て話すのが礼儀だからな。
「……どうして鼻にティッシュが詰まってるんだ。鼻炎)か?」
「鼻血だ。昨日秋津のせいでな!」
幡野は大層憤慨した。そういえば昨日……ああ、私があんな本をくれると聞いてこいつは……。
「……気持ち悪い奴だな。この妄想族め」
「どうして俺が責められるんだよ!」
「黙れ。私はさっきまで男女差別を憂いていた所なんだ。警察呼ぶぞ」
「呼んでも来るもんか。今これだぞ」
「……それもそうだな。これだから公務員は」
幡野の見解に、私は吐き捨てた。今実際はこんな混沌とした状況にもかかわらず教員の一人すら気付いてないんだ。こんな調子で警察なんて来る訳ないよな。
「それでどうした。詭弁論はお断りだが」
「いや、今は鼻血がやばいしそんな力はない」
ああなるほど、だからあのうざったい笑いもなかったわけか。それにしてもどうして一日経ってもたかが鼻血ごときが止まらないんだろうか。普通なら三分間あれば止まると思うんだが。
そんな私の疑問など意に介せず、幡野は続ける。
「そうじゃなくて、部長からの伝言だ」
「仁科さんからの? 私がどうすればいいとかか?」
「おう。『もういっその事新聞部へ来ませんか』だとさ」
「まだ諦めてなかったのかよ、あの人……」
本気かどうかは知らないが、いずれにせよ今の私に出来るのは呆れるしかなかった。本気でやったら文芸部に消されるぞ。
「断るのでよろしくな」
「即答だな。ま、あれをくれるってんなら別にいいけど」
幡野もまた呆れたようにそう言いながら自分の席に戻っていった。
「あ、後な!」
幡野の背中に声を掛ける。幡野は「なんだよ」と振り向いた。
「鼻血が止まったら、私に言えよ!」
「お前また俺に鼻血を出させる気だろ!?」
よく分かったな。くそ、鋭い奴め。
私は死んでいた。
当然比喩的な意味でだが。的確に言えば死んだように眠っていた。おお晴希よ、死んでしまうとは情けない。情けない? 全然情けなくなんかない。
自慢できる事ではないが、近頃私の背負っているリアルプレッシャーは尋常じゃない。たとえほんの少し慣れたと言ってもだ。
というわけで真面目な事に毎時間起きて授業を受けていた私も流石に寝る事にしたというわけだ。成績、下がるかもな。ここ最近起きてたといっても全然集中できてなかったし。
寝てたのは大体一時間目から三時間目まで。先生方は起こそうと思ったがクラスメイトたちの視線に気圧されスルーするしかなかったらしい。そんな気配りが出来るなら最初から私にこんなプレッシャーなどかけないで欲しかったが、まあ言っても無駄だろうな。
それで授業中、寝ぼけ眼で机から起き上がった。右手が痺れる。あと少し額が痛い。鏡で見たら真っ赤になってるだろうな、なんて考えていた所で──
遠くで爆音が響いた。
なんだなんだ、ついにテロでも始まったのか。