第四十話 第二期の事
『どうも、秋津晴希さん。
あなたの境遇はすでにこちらで聞き及んでおります。
さて、早速ですが、今から学校に来て下さい。
来て頂けない場合は、かつてあなたの孕ませた女性の事を公表するなどの強行的措置を取らせて頂きます』
メールの内容はこうだった。ちなみに送り主は不明。でありながら私の本名が記されている。
いやまさか、これは……。
「……なんだ一宮さんか」文面から一瞬で理解した。
一見ただの脅迫状のようにしか思えないような内容にもかかわらず私がこういう反応で済ませてしまうのは、その強き信頼ゆえだろうか? それとも単に私の感覚が致命的に麻痺しているからだろうか? ……どちらかと言うと後者かもな。
そもそも私は生物学上XXの女性であって女を孕ませるなどありえないのだが、それでもきっとあの一宮さんの事だ。根も葉もない噂を立てるなど赤子の手をひねるようなものだろう。
……現に自分で教えたこともない私のメールアドレスを握っていたくらいだしな。先輩ながら才能の無駄遣いも甚だしい。
「……これは酷い。行くしかないのか」
しかし脅迫されては敵わない。私は制服に着替え、外へ出る準備を整えた。
いや、結果的に早く終わりそうならいいんだけどさ。今からの用事じゃなくてこの騒動が。それならちょっとした犠牲も仕方ない。
ちなみに私が女を云々と言うのはちょっとしていないので無視は出来ない。世の中には何よりも大切なものと言うのが存在するんだ。
「こんにちは、秋津さん」
ところで、私が夜道を歩いていた時、そうやって微笑を浮かべて話し掛けてきた奴がいた。纏っている雰囲気はなんというか……微妙。一体誰だ? 変質者か? このいたいけな少女に何をすると?
まあ不思議と悪い奴には見えないのだが。ちなみにやばい奴には若干見える。その辺りの勘において私は絶対的な自信があり、そして避けた方がいいと読めていながら避けられなかったりする。
私がその悪役的なオーラの感じられない笑顔を見ながら頭に疑問符を浮かべていると、「僕ですよ、僕」と相変わらず笑いかけながら言う。ああ、嘉光や幡野のおかげで気付かなかったが、本来笑顔って向けられてもむかつかないもんなのな。
あー……ところでこいつ、確かに見た事ある気がするぞ。確かこいつは……。
「……二期の第五話に出てきたアニメオリジナルの……」
「誰の事ですか。それに第二期ってなんのアニメですか」
ああ、勘で言ってみたら間違ってたし。それに怒られたし。いい加減にしろよおい。誰がそんな事を吹き込んだんだ。私か。
「菅原ですよ。菅原卜全」
「……………………………………………………ああ、菅原な。覚えてる覚えてる」
どうやらそいつは微妙さにおいて他の追随を許さない文芸部の後輩、菅原卜全だったようだ。
なぜか文芸部室内で調理実習でもないのに蝉の羽とかそう言ったものが入ったゲテモノ料理の作成に勤しみ、当然の如くそれは私たちに振舞われる(本来凄く気持ち悪いはずなのに、味に別状はない。逆に怖いな)。にもかかわらず仕方なく試食してやっているのはその強き信頼ゆえだろうか? それとも……もうどうでもいいよな。
まあ蝉云々については杞憂としておこう。仮に問題があったら一宮さんが既に気付いてくれてるはずだし。……さて。
こいつとあまり話をしたりはしないのだが、その微妙さのせいで確かに記憶に残ってはいた。最も本人からしてみれば実に嫌な記憶の残り方だろうが、人と人との馴れ合いなんて須らくそんなものだ。
「……秋津さん、絶対忘れてましたよね」
「何を言う。そんなわけがないだろう」
秋津先輩は後輩には優しく、嘉光には厳しいんだよ。その辺り重要な?
「まあいいですがね」
「そうだ、お前が誰だったかなんて過去の話、思い出しても哀しいだけだ……荻原」
「菅原です。前にも他の人にそんな間違いを受けましたが」
哀しいですね、と菅原。それは失礼した。私は適当に言ってみただけだが、まさかそんな間違いをする奴が他にいるとは思わなかった。一体どういう流れで間違えたんだろうか。もしかしてそいつは相当なアホの子だったのか?
「それで菅原、お前はどうしてこんな所にいる? 夜のお仕事か?」
「そんなわけ……ああ、その通りでした。すいません」
その通りだったのかよ。自分の勘の鋭さに私もびっくりだ。
「まあ、あまり大きな声では言えない仕事ですけどね。だから内緒にしておいてください。頼みますよ、秋津さん」
菅原は声量を抑えながら言った。どうやら真っ赤な嘘という訳ではないらしい。
「分かったよ。けど気をつけろよ? 女を孕ませたとかそういう噂が立つ可能性がなきしにも非ずだ」
「……どうしてそういう誤解に至るんですか」
菅原が小声でよく分からない事を言っていたが、まあいい。秋津先輩は後輩には優しいんだ。
「しかし大丈夫なのか? 法律的に」
「いえ、それはもういいですから」
「いや、よくない。作者の手が後ろに回ったらどうするつもりだ」
「言っている事がまるで杭瀬さんですね。ここ数日で何かありましたか」
杭瀬みたいとかは余計だが、何もかもありまくりだ。こっちはようやく嘉光から解放されたはずなのに全然そう思えない。寧ろ下手に心配誘ってるようで自由なんてありゃしない。くそったれめ。
「嘉光がいなくても、私は文芸部なんだよな……」
「当然です」
私の呟きに、菅原は変わらない笑顔できっぱりと言った。分かってるよ。大体私が嘉光のことしか考えてないなんてわけがない。あんなの私に被害がなければどうでもいいんだよ。一応信頼といったものはあるのかもしれないが。
学校が見えてきた。夜であろうといつも通っている道なので、もはや私達が迷うはずもなかったな。
ん? 私……達……?
「……菅原、お前夜の仕事に行くんじゃなかったか?」
「ですから学校に行くんです」
「さっぱり分からん」
「お互い様です」
どうでもいい話をしながら、私達は何故か……おそらくは一宮さんによって夜にもかかわらず開かれている校門を潜った。
分からないのはお互い様……そうだよな。お互い分からない事ばかりだ。嘉光の事も、杭瀬の事も、他の文芸部員の事も……そいつらの境遇も考えも、私には分からない。逆もまた然りだ。
それでも──そんな曖昧な人間関係でも、今みたいな閉塞的な状況よりは幾分かマシだ。
だからこそ、こんな馬鹿げた騒動はさっさと終わってほしいと願う。強く願うよ、私は。