第三十九話 男の聖典
帰宅して、今は部屋の中。机の上には面倒くさい問題集とノート。ノートの端っこには福本マンガみたいな顎が尖ってて汗水垂らしてる顔の落書きが描きこんである。こんなの誰が描いたんだ。私か。
学生と言う立場上、たとえ学校で不必要なプレッシャーに苛まれている私といえども最低限の勉強をしなければならない。だるいな、ゆとり教育って冗談だろ。
流石に例の視線を学校の外にまで感じる事はないから、ある程度気が楽な所はある。ああ、勿論の事、考えうる最悪の情況と比較しての話だぞ?
まあいずれにせよ四六時中という訳ではないのだから、嘉光のような迷惑な悪霊か何かに憑かれたりしているわけではないだろう。
非常に『疲れて』はいるが、そんな事は言うまでもない最早日常茶飯事だ。男女でキャッキャウフフと戯れているリア充どもとは住んでいる世界観の構築からして違っている。こちとら毎日が現在進行形でXファイルだ。アハハ。
それはそうと。
杭瀬に文芸部のことは頼んだし、幡野には新聞部のことを頼んだ。
ああ、そうだ。幡野との話のあの後の事を少しばかり説明させてもらおう。
「んで、本題は?」
「ああ、それなら……いや、さっき言ったよな?」
幡野は本当に知らないといった感じで首を傾げている。そうか、そんなに詭弁論に夢中だったか。……いい加減にしろよ。
「お前ら頭のいかれている新聞部の挙兵だ」
で、私はこんな感じで説明。周りに聞こえないように声量も抑えたし、人に物を頼む態度としては我ながら合格だと思う。花丸つけていいだろもう。
にもかかわらず。
「ああ? いかれてんのは新聞部じゃなくて新聞部員だぜ?」
思いもしない反論を食らった。反論になってるかは甚だ疑問だが。
「……いかれてるってのは否定しないのか」
ついでに、まだ鼻血が垂れてるぞ。ティッシュを使えティッシュを。持ってきてないならせめて指で抑えててくれ。分かってるとは思うが穴を塞ぐんじゃなくて上のほうを摘む感じで抑えるんだぞ。
「とりあえずそう言う事だ。是非ともいかれているお前らの協力を期待している」
「まだだ」
「……お前はいちいち従わないな」
「抗いたくなる年頃なんだ。文芸部だって社会の束縛と戦ってるんだろ?」
誰が社会の束縛なんかと、と反論しようと思ったが、あながち間違っていないかもしれない。……現状は非常に残念な事になってるがな。
「で、どうしろと?」
「はっ、そんなの決まってんだろ!」
面倒臭すぎるうざったいテンションの幡野が一拍置いて、そうして続ける。
「対価だ対価!」
……? 対価?
「人は対価を支払わないと何かを得られないんだよ!」
「……どこの錬金術師だよお前は。
それにだな、さっき私が同じような話をしただろ? ギブアンドテイクと。あれか? お前は英語が分からんのか?」
「秋津、お前は本当に浅はかだな」
幡野が意味もなく侮蔑の視線を向けてくる。その言葉、お前にだけは言われたくなかったよ。後その目も。
「これは新聞部への依頼でもあるが、同時に俺への依頼だったりもするんだぜ?」
「チップをやれと? 残念ながらここは日本だぞ」
「なに、金じゃなくてもいいんだぞ? さあどうする?」
本当、どうするんだよ。こいつ全く私の話を聞いてない。
……折れる、か。
「仕方ない、だったらあるぞ」
「おうなんだ、言ってみろ」
それは、確か私が中学を卒業した時に友人から貰ったものだった。絶対に出してくることがないだろうと思ったあれを、まさか今出してくることになるとは。
「エロ本だ」
言った瞬間、周りがざわついた。
……いや、私も捨てようか迷ってたんだよなあれ。よかったよかった。
ちなみに幡野はと言うと──。
「ヒャッホオオオオオオイ!」
非常にご満悦の様子だった。
「おう、それなら了解だぜ!」
「ああ、後払いだからな。欲しかったらさっさといかれてるお前の頭で最善を尽くして私に貢献してくれ」
「よっしゃ、早速今日から動くぜ!」
「ああ、頑張れよ」
と、こんな感じで幡野の協力を得た。モブキャラなんてチョロいもんだな。
というわけで、これで暫く私のすべき仕事はないわけだ。
言い換えれば、私は現状にて勉強以外ですべき事を全て終えてしまった事になる。……まあ、それでここまで達成感を感じられないのは珍しいが。
なんて私は思っていたのだが、ここで私の携帯電話が振動する。どうやらメールが来たようだ。
一体誰からなんだ。こっちが誰かも知らない、体を持て余しているらしい人妻さんからのメールならごくたまに来るのだが……。