第三十七話 詭弁論の衝突
「とにかく騙しすぎだろ! その腹黒とか、見た目と口調と性格で男かと思ったら実際は女とか、そこらへんの擬態する昆虫より騙してらあ!」
「おい糞新聞部員、お前はこの私をナナフシか何かだと思っているのか!」
「ナナフシに罪はねえ!」
「んなこと分かってる!」
言葉と言葉のぶつかり合う、非常にどうでもいい戦い。こいつを下せば、新聞部の協力を得られる。
……って、なぜ私はこんなに熱くなっているんだ? 熱血漢属性など皆無だったはずだが、何かに当てられたのかもしれない。現に幡野も登場間も無くこうやってキャラ崩壊した。
……まあ、いいんだけどさ。だって若いんだもの。
「大体何だ、容姿云々を責められるのに慣れてはいるがそれでも傷つかんわけじゃないんだぞ!? 私は女だ!」
「はっ、笑わせる! 言葉にしなきゃ伝わらねえ事もあるんだ!」
「言動をオブラートに包まん奴は大人になれんぞ!」
「うるせえ! 現実から目をそらすな!」
「それお前だろ!」
「……ああ言えばこう言う、これだから最近の若者は……!」
「だからそれはお前だ!」
ここで息切れ。幡野も同じく猫背に肩を上下に動かしている。
ああ、どうして新聞部への要請一つでこんな一つの戦いを生み出さなくちゃならないんだ。どれもこれもこいつの身勝手のせいだろう。
不毛だ。不毛すぎる。このまま続けていたら、それが終わる頃には日が暮れているだろう。そろそろこれを収めるか。
……そういえば視線云々をすっかり忘れてたな。私は身の危険とかじゃなく、それより若干の恥ずかしさを覚えた。よく分かるぞ。耳たぶが熱いと言う事ぐらい。
でもまあ、ここまで行ったらいくら恥ずかしくてももう後戻りできやしない。出来る限り他の人からは視線を外しながらも、話を続ける事にしよう。中途半端な状態で引いたら末代までの恥になる。
阿呆は──やはりまだ落ち着かんか。
「二つだ。二つ言わせろ」
さっきのような大声ではない。なぜなら今の私は必死である以上に、集中している以上に、羞恥心にアラートを鳴らされているからだ。
「どうした! 変な詭弁は許さんぞ! お前をそんな人間に育てた覚えは──」
「まず一つ。変な詭弁をほざいているのはお前一人しかいない」
「……ひょ?」
間の抜けた声を始めとして新聞部員の暴走に翳りが見え、大きな体躯も少しばかり小さく見えた。というかこの反応、本当に無自覚だったんだな。やっぱり新聞部は馬鹿だ。
私は容赦なく続ける事に。というより本来ただの頼み事で容赦しなければならないシーンなどこの十六年間まるで聞いた事が無い。だから幡野が泣こうが喚こうが頼み事を了承してもらわなければならないと言う事になる。
「哀しいね。人の欠点を指摘しておきながら実はそれが自分だったなんて」
「い、いや……これは、言う事とやる事の矛盾によるコントラストを──」
「はい詭弁一つ」
「うっ……」
辛そうだが、結局は自業自得だ。それに先ほども言ったが、本題は頼み事。頼み事をするのに容赦はいらない。言葉のキャッチボール? なにそれおいしいの?
「し……しかし、それはちょっとした冗談であって──」
「言葉にしなきゃ伝わらないこともある」
「……!」
幡野の顔色、青く変色(pH10)。
「現実から目をそらすな」
「…………!」
幡野の顔色、さらに青く変色(pH13)。
「人は駄目でも自分はいいのか。なんて卑怯卑屈なやつなんだろうな」
これが決定打になったのか、幡野は頭をストンと落として机に打ちつけた。
「くっ…………話は……終わりか……?」
暫く経つと幡野は、片腕で重い体を持ち上げ、そう訊いてきた。
「『二つ』あると言ったろうに。そんな鼻血を出しながら言われても話は終わらんぞ」
どうやら今の机打ちつけで出血したらしい。少し──2.33%ほど心配だ。
「今ので二つ目か……?」
当然だろ。今の机で右脳か左脳でも損傷したか。
「二つ目が重要なんだよ。残念ながら今の私には残り時間で有意義にお前をいたぶって過ごす事は出来ない」
「残念じゃない。というかこんな状況じゃなかったらもっと言ってたのか」
それはどうだろうね。あえて答えないでおこう。いらん事を言って他人を怯えさせるほど私はサディストじゃない。ちなみに何も言わずに怯えさせるくらいはする。
「なあ本当、勘弁してくれよ」
さっきからまだ幡野的な何かが喚いている。いちいちうるさいな。それが人に物を頼まれる態度か。
「酷いって。あんだけ言っておきながらまだ終わってないなんて」
「腹黒だからな」
「それを理由に出すか」
「腹黒だからな」
アンケートでも何も考えず全部「普通」で答えるくらいのものぐさだしな。返答は簡潔かつ的確が望ましい。そしてこれは、いかなる日常会話に関しても揺るがない。え? これって口論じゃなくて私が一方的に甚振ってるわけでもなくてごく普通の恥ずかしい日常会話ですよね?
「まあそんなことはいい。二つ目がそう──時間の無駄だと言う話だったんだ」
実を言うと先にこちらを言っておけばよかったという後悔もあるが、それは悔しいので言わない。
それにしてもやはり視線を忘れていた。うわ、皆こっち見てるな。どうせ杭瀬も……いないのか。どうせ図書室だろうな。きっと『プロジェクトMAX──うぐいすパンに青酸カリの中和性質を見出した男』とかの意味不明の過ぎる本を借りているんだろう。
「……ごめんなさい」
「いや、そんな土下座で謝られてもだな……」
さっきの勢いが嘘のように萎れている幡野。青菜に塩ってこういう事なんだな。お前は青すぎた。
「もうどうすればいいんだかさっぱり」
「開き直って普通にやれよ」
「ありがとう」
わざわざお礼する幡野。そして気付くと周りからなぜか巻き起こる拍手。あの重い空気はどこに行ってしまったのやら。妙な視線もなんだか和やかモードになっている。
ああ、馬鹿馬鹿しいが疲れた。この詭弁論、もう日本の国技に指定していいだろ。
「んで、本題は?」
「ああ、それなら──」
ちなみに、うぐいすパンのエピソードは、閣下の母が大学の頃の、教授のエピソードだったそうで。