第二話 恋と鯉と二キロの衝撃
かくして文芸部室への廊下を、嘉光と並んで歩く。振り切ろうとか後ろ行こうとか考えてもどうせ歩幅を合わせてくるので、横並びについてはもう指摘しない。寧ろそこを指摘すると私の親とはまた違い、なんとフハフハ喜んでくるのだ。それは全くもって耐え切れない。他人を虐げるのは恥ずかしながら嫌いじゃないんだが、そこまで行くと勘弁だ。
ちなみに目を覚ました邦崎は、嘉光の顔を見ると顔を赤くしてダッシュで帰っていった。おそらく嘉光に純潔を奪われそうになった事を直感で悟ったのだろう。ご愁傷様です。絶対に忘れないよ……お前のような似非親友がいた事を……。
「綾女、行っちまったな……」
「惜しかったな、色男」
名残惜しそうに呟く嘉光に、私は心底呆れながらも言ってやった。
「へ?」
「へじゃないだろ。綾女にキスなんてしようとしたくせに」
「……ああ、嫉妬か」
「近寄るな変態そして消え失せろお前の事は忘れないぞきっと」
さっき邦崎に対して思った事もご丁寧に最後に付け足しておく。私の人間関係ってなんなんだ。早急に消えてほしかった。いやホントに。お前との一年間は長い付き合いだったよ。きっと覚えてるって。二ヶ月くらいはな。そっから先は知らん。でも努力はすると思うな。忘れる方にだけど。
「いや、許せ。半分冗談だ、晴希」
「たとえ半分でもそこに本音があるとすればただちにさようなら願いたいが? なあどうすんだよ性犯罪者?」
「勘弁してください」
「…………」
急に嘉光は立ち止まり、膝からつま先まで、肘から手の指先まで、そして額を接地した。
土下座、平身低頭、アポロジー──それは本気の、本気と書いてガチの土下座だった。なあ、ここで許さないという選択肢が選べるのかな? まあ一瞬選びそうになったのは秘密だけどね?
「……分かったから。立て馬鹿」
結局私は選べなかった……クソッ。
「ああ……ごめんな」
ああもういいよ……いつもの事だったわけだし。始業式に意表突かれただけだしな。
考えてみれば、この春休みの間に嘉光耐性が薄まっていたのかもしれない。
「いや、勘違いすんなよ?」
立ち上がるなり、嘉光はそう言った。
「俺は綾女にキスなんてするつもりは一切なかった」
「おい王子様どこ行った」
「晴希と一緒に探そうと思ってたんだよ」
「意味わかんねえよクソが」
思わず汚い言葉遣いになったぞ。どうして始業式終わって部活行く前の小イベントでそんなクエストを達成させなきゃならないんだ。最初のスライムと戦うのに一時間かかるあのドラクエじゃあるまいし。まあ私はあの作品結構好きだけどさ。
「晴希の好感度が上がる。あわよくばきっと晴希ともキスできる」
「できるわけないだろ」
第一にそういう事は口に出すなよ。信用無くすような事ペラペラ喋って、そんなの別にカッコ良くないからな?
「よし決めた。今ここでするか」
「…………」
さて、反応に困るので視線は明後日の方へ。そうしておいて改めてこいつの紹介をしておこう。内藤嘉光。文芸部の二年。特徴としては──気持ち悪い。
変態のくせにやけにイケメンフェイスで、そのおかげでこいつの事を良く知らない女子には人気がある。逆に言えば接すれば接するほど評価を下げていく残念な属性の持ち主だが。気持ち悪い。あと若干フェミニスト。女をみんな下の名前で呼ぶ。気持ち悪い。
それでなぜか、私に大してはこの通りぞっこんときた。容姿性格にも長けていない、この私ごときにだ。頭でも打ったかもしくは変なものを飲んだのかもしれないが、おそらく二次元に萌えるという一般男子学生の通過儀礼をスルーしたであろう事が大きいのではなかろうか。もはやリア充とかのレベルじゃないな、うん。気持ち悪い。
「ん? どうした? 恥ずかしいか?」
嘉光が声をかけてくる。もちろん私が黙っているのは照れているわけではなく、単に無視しているだけなのだが。まあ恥ずかしいという点では正解か。勘のいい奴め。
「まあいい晴希、ちょっとばかり目を瞑ってくれればいいんだ」
「いや、その必要はない。寧ろお前が目を瞑って歯を食いしばれ」
まあ私が殴っても大して威力は出ないのは分かってるんだけどな。誰か奴を右ストレートでぶん殴ってよ。
「ふっ……素晴らしきかな、リアルツンデレ」
「誰がツンデレだきめえ。なんだそのドヤ顔は」
そんな会話をしているうちに、本館二階の部室へとたどり着いた。
久しぶりの日常の欠片が目に入ってくる。引き戸である他の部屋と違い、開き戸が特徴のいつもの広い部室。何台もあるいつものパソコン。一方で隅にあり様々なジャンルの本を蓄えたいつもの本棚。なんか所々にある関係ない、一言では名状しがたいものたち。名状しがたい部員達。そして目先五寸に落ちてくるいつもの黒板消し……いや、違うな。黒板消しはいつもじゃない。こんなのが日常茶飯事であってたまるか馬鹿野郎。
「……天森さん、何ですかこれは。角に当たったら結構痛いんですよ」
ドアを開けたすぐ横の壁で腕を組み、さっきの嘉光にも負けないドヤ顔でもたれかかっている、おそらくこのトラップを仕掛けたであろうその人物に声をかける。
「あれ? ハルちゃんに当たりそうだった? いやごめん!」
「まあいいですけど。少しは自重してくださいよ」
私ときたらそりゃもうひ弱な草食系女子って設定だから、黒板消し程度でも致命傷なんだよな。ま、あっちは速いからな。すぐ瀕死になるけど。
「了解! 合点承知よ!」
そんなテンションの高い返事で期待が出来た物ですか……まあ前向きには捉えてみますけども。
さて、このあからさまキチガ……少しばかり変わってらっしゃる先輩は、天森小枝さん。
改めて言うがこの通り気さくを通り越してキチガ……少しばかり変わってらっしゃる人で、実は強い。ウルトラ強い。パーフェクト強い。いうなれば『プロじゃあるまいしこんなこと普通の人間には出来……いや、あの人なら出来そうだ』現象が普通に成り立ってしまうような。。百メートルを五秒フラットで走れるとかいう噂も一時期あったくらいだし。噂は誇張されるものだというが、まあ逆に言ってしまえばこの人はそれくらい誇張されてもいい存在だって事だ。見た目は黒髪清楚な美少女みたいな感じなのに。
「でもハルちゃんってばすごいよ! 扉開けた瞬間に判断してノリツッコミって!」
「勝手に人の思考を覗かないでください!」
私はそう、目の前の長身の見た目清楚のドヤ顔の先輩に対し、必死に言い聞かせる。「うんうん!」と先輩はまるで他人事のように首を縦に振り、
「あ、ちなみにその黒板消し二・〇キロあるからね!」
「あなたは私を殺す気ですか!?」
身を翻しバーンと小学生のするような手で銃で撃つようなジェスチャーをしながらそんな説明をする先輩に思わず私はハイに叫んでしまった。鉄アレイの重さじゃないですか。地味にリアルな重さに、私は思わず鳥肌が立った。まだ「十三キロや!」とか冗談みたいに言われた方が安心できたよ。どっちにしろ嫌な事に変わりはないけどさ。本気なら軽く死ねるけどさ。
文芸部の紹介……と思いきや次話まで持ち越しになった用で。
次話には更にキチガ……少し変な仲間たちがいますとも。ではここで。