第二十二話 悪意と悪夢の結晶
と言うわけで作者の大好きな杭瀬回です。
朝、教室までの長い廊下を歩く。
今日はやけに早く目を覚ました。しかし当然だが私こと秋津晴希は基本的に消極的自由を振りかざすつまらない若人であり、感想など「爽やかな朝だ……」の代わりに「わざわざ起きていなきゃならないのか。面倒臭い」などといったところだ。
いや、それでも爽やかといえば爽やかな朝なのかもしれない。今日は早く登校したおかげで内藤嘉光に絡まれなかったからだ。
そんな朝の爽快さを噛み締め、教室の扉を開く。さすがに某文芸部とは違い黒板消しは落下してこなかった。
しかしやはり、こんな朝に来ても暇だった。よく会話するのは邦崎綾女だったが、あいつは比較的朝が遅い。例に漏れず今日もいなかった。
さあどうする。私自身は有名らしいが私が知ってるやつなんてクラスに……。
「…………」
いた。文芸部で意味不明の本を読んでいるあれだ。ただあれは駄目だ。
「こんにちは」
「……おう、こんにちは」
向こうから来たよ、もう。しかしクラスメイトがこの似非無口キャラこと杭瀬弥葉琉を見て「こいつ誰なんだ」的な視線を向けてきているのはどう言うことだ。地味どころかクラスメイトに存在の認識すらされていないのかこいつは。
まあ大丈夫なはずだ。あの以外にも口数の多い杭瀬弥葉琉はあくまで部室での姿。教室でのこいつは──無口キャラだ。そいつが何故向こうから話し掛けてきたのかなんて知らんが。
「今日は早いね」
「そうだな。早く起きられた」
適当にそう返しておく。こいつは私の苦手な人物リストに入ってるから適当にスルーしておくことに。ちなみにその苦手リストには最近レズだと判明した朱鷺羽みのりが追加された。
「こんな朝だと口数も多くなる気がする」
なんて事だ。嫌な予感がする。
「すまない。お前と話す事なんてないんだ」
「そんな……家で全裸になってるときの感想とか欲しかったのに……」
「だからいちいち私に変なキャラを与えようとするな」
「仕方ないからあれでも……」
そう言って杭瀬は自分の机に戻っていった。あれって何だ? 一体何なんだ?
「これ。私の書いていた恋愛小説」
……それかよ。あの『爪が割れても死なない方法』とか『撲殺用マグカップ論』とかの本で得た知識を活用して書いたと言う幻の恋愛小説かよ。
「感想を貰いたいの」
感想も何も、現時点でカオスの予感しかしないんだが。
「読んで」
「…………」
仕方ないな。なんだかんだと訊かれたら答えてあげるが世の情け。これで杭瀬ルートに入ったら全力で後戻りしなければならないが、まあこいつはレズではないので過度な心配は必要ないだろう。さて、読むか。
こんにちは。私は文芸部の秋津春姫。顔立ちのせいでたまに男の子に間違えられたりするけど、心は恋する乙女のつもりなの。
「……すまん、一行目からあからさまな悪意が感じ取れるんだが」
「気のせいに決まってる。目の錯覚でそう見えるだけ」
「馬鹿言え」
「馬鹿じゃない。気のせいに決まってるから。確定的に絶対」
なんだその言い回しは。
出会いは一年生の頃。
「文芸部室に行きたいのかい?」
私が迷っていると、突然横からそんな声が聞こえた。だからそっちのほうを見ると、そこには私と同じ一年生の男の人がいた。
その人はものすごくカッコよくて、それでいて愛想がよかった。とりあえず、まあ、なんていうか、見た途端に全身に電流が走ったような、それでいて温かみもあるような感情に襲われた。
それが私、秋津晴希の初恋だった。
「……うん」
「おう、ちなみに俺は内藤義晃。俺も文芸部に入るつもりなんだ。よろしくな」
「うん!」
「……保健室に行ってきていいか?」
「何? タミフルが欲しいの?」
「違う。民馬鹿じゃない。寧ろ馬鹿はお前だ」
誰だよ内藤義晃って。悪意バリバリだよこの似非無口キャラ。
「違うの。これは言うなれば光の屈折」
「屈折してるのはお前の心だよなあ!」
「とりあえず読みなさい、晴希」
「おいいつの間に上から目線になった」
寧ろ最初からかもしれないがな。
「あっあの、義晃!」
「ん? どうした? 愛の告白かい?」
「そ、それが……」
何でこんなときだけ義晃は鋭いの?それになんで私は首を縦に振れないの? もう、馬鹿!
「なんてな。冗談だよ」
そう……って、こっちは冗談じゃないのに! 私は本当にあなたのことが……
「…………」
「…………」
反吐が出そうだが、まだ大丈夫だ。堪えられる。
「義晃!」
「ん? まだ話があったか?」
私は覚悟を決めた。もう大丈夫、言ってやる!
「私は本気で、あなたのことが──」
「ああ先輩! ここで何やってんですか! 早く行きましょうよ、部室に」
「う、うん……」
ここで残念な事に後輩が来て、わたしの手を引いていった。ああもう、どうしてこんなにタイミングが悪いの!?
「……後輩、よくやった」
非常にグッジョブだ。寝覚めの悪い展開でなくてよかった。
「そう? 私はこの後輩大嫌い」
「だと思ったよ」
どうせこいつはネタに特化している義晃×春姫が本命なんて言うに決まってるからな。
「さて続き」
「読みたくない!」
「読んで。それが晴希の存在する理由」
「私の価値はやけに低いんだな」
とまあこんな風に話は続いていったが、途中から変なシーンばっかり出てきたりした。何がどう変かと問えば全てが変で、例えばリモコンのネジを買いに行く時に寄ったメイドカフェにテロリストが乱入してきたと思ったら頭にパンストを被った『トランス脂肪酸仮面』に助けられたりする。あとは邪悪な魔王とか言う明らかに高校生の領分じゃない敵が現れた時に偶然予備校で習っていた必殺技『洗濯バサミライオンアタック』によって一瞬の内に封印したり。名(『迷』と言った方がいいかもしれない)台詞と思われるものには「女子高生の絶対領域はアニメの作画より大切なんだ」などなど。
そして、ようやく……だ。
「ここまでか」
「その通り。まだ未完だから……ところで晴希、非常に疲れているように見えるのは私だけ?」
「ああ、非常に疲れたよ。お前のせいでな」
「失礼な。人を何だと思ってるの?」
「知り合いと同姓同名のキャラで妄想小説書く奴が言えた事かよ」
あれで凄いプレッシャーが掛かったんだぞ。だが安心しろ杭瀬、私はお前を非常に厄介な奴だと高く評価してるぞ。
「とりあえず第一にキャラの名前を変えてくれ」
「嫌。やめて」
やめてはこっちだ。こんなの部誌なんかに載せられたら、即座に終了のお知らせだろう。
「私にはネーミングセンスが無いから」
「五月蝿い、自分を卑下するな。私達には無限の可能性がある」
おまえの持つその無限の可能性のおかげで今私は苦悩しているんだから。
「何なら戦場ヶ原とかでもいい」
「それは大きくアウト」
「それもそうだな」
となると……それでもまあ適当につけていけばいいんじゃないかと思うんだが。私は。
「やっぱり開き直って春姫と義晃しかない」
「開き直りすぎだ。やめなさい」
「やめない」
「やめろって。警察呼ぶぞ」
と、こんなやり取りを私達はまた暫く続けていたんだが、それも酷い形で終焉を迎えるに至った。
さて、それがどういう終わり方かというと。
「おはよう晴希……ところでこれは?」
邦崎綾女の登場である。あまりに杭瀬の相手に夢中になっていて気付かなかった。
そしてその隙が災いし、杭瀬の小説を隠す事も叶わなかった。
「晴希……いや、秋津さん……これは本当に……?」
「待て邦崎、全力で避けようとするな。これは私が書いたんじゃない」
「そう? じゃあ他に誰が?」
「杭瀬が……待て杭瀬、頼むからそのステルスを発動させないでくれな!」
こんな時だけ影を潜める似非無口キャラなんて大嫌いだ。
「秋津さん……妄想の友達まで……!?」
「妄想じゃないだろ! てか同じクラスにいたよなおい!?」
「私って親友もいたのに……もういやっ!」
そう言葉を吐いて邦崎は教室から出て行った。全く事情を知らないやつらの視線が痛い。
「女の子泣かしちゃった」
「私は何もやっちゃいないけどな、杭瀬」
またあいつの誤解を解かなきゃいけないわけか。友情云々じゃなくて私のイメージが非常に心配だ。
しかし、本当に親友なら意味不明な勘違いをする事もないんじゃないだろうかと思うのだがどうだろう?