第十四話 終焉の呼び水
ようやく……ようやく新聞部を脱出できたぞっ!
あ、では、お楽しみください。
ドアを開ける。いつもの広い部屋、いつものパソコン、いつもの本棚……。
ようやく、文芸部室に戻ってきたという事だ。
「戦いは長かったな……」
ついそう呟いてしまうくらい、新聞部室でのひと時は過酷だった。まあ、大変なのは新聞部相手じゃなかったが。
時間が時間なので皆帰っていて、部室に残っていたのは一宮さんと杭瀬、そして朱鷺羽だけだった。
さっきの新聞部室での話のオチでも説明しておこう。
闇を纏い鬼神化した文芸部一年、神城羅央と新聞部部長、仁科由宇さんがぶつかり合い、まるでカメラのフラッシュが焚かれるように光を放ち、そして交差した。
私は見ていた。
擦れ違いざま、神城の口に水がねじ込まれるのを。
仁科さんは振り返り、満身創痍になりながらも口を開いた。
「……りあえず……水でも……んで……ち着いて下さいよ」
驚愕した。色んな意味で。
なぜ奴の隙を縫うことが出来たのか、なぜ最初で最後の一発を水道水に懸けたのか──
「目デハグハアッ!……普通の……普通の水道水だ。…………待て、俺は何を!?」
──なぜ、奴を正気に戻せたのか。
「いや、これにて一件落着!」
「そしてなぜ、天森さんがいつの間にか戻ってきているのか……」
「いや、超必殺技一発で終わらせようと思ってね!」
つまり、隠れて機会をうかがっていたが、その間に仁科さんが解決してくれたと。
どうも腑に落ちないな。天森さんの実力なら、わざわざ私たちを囮にしなくてもよかったんじゃないかと思う。ただ、そうなるとなぜ私たちを囮にしたのだろうか? 戦いを長引かせ、新聞部の損害を拡大させたかったのだろうか?……なんとなく思い当たることはあるにはあるが、私は敢えてそれに気付かない振りをし、自分を偽る事にした。
「……さて、文芸部の皆さん」
ようやく呼吸の整った仁科さんが床に腰掛けたまま、口を開いた。
「我々新聞部は、あなた方文芸部と協定を結びます」
「つまり、もう俺の晴希を攫ったりしないと?」
「ええ」
嘉光の問いにも仁科さんは即答した。
「お前の秋津晴希になった覚えは更々ないがな。ところで仁科さん」
「はい」
「なんでそう急に?」
私の問いに、この新聞部部長は喜怒哀楽の『楽』をそのまま現したような表情で、こんな事を言った。
「好きな人のために頑張れる人は、嫌いじゃありませんからね」
「あいつの事ですか。ただの馬鹿ですよあれは」
「秋津さんは、内藤さんの事は好きですか?」
出たよ、こういう質問。好きと言ったら「異性として好き」って解釈になるし、嫌いといったら「友達として嫌い」って事になる。まああいつだから後者でもいいんだが。
「嫌い……でもありませんね」
「では、好きと」
「全然です」
「即答ですか」
「いやもうやっぱり嫌いでいいです」
私の反射的即答に、仁科さんは呆れかえっていた。
「後始末は私達がしますから、秋津さんたちは戻ってください」
「どうも」
私は嘉光と天森さんの所へ歩み寄った。
「いや、もうあれは大変でしたよ小枝さん! 死ぬかと思いました!」
「嘉光君は殺しても死なないから大丈夫! 何度でも蘇るから!」
ちなみにこんな会話を繰り広げていたお陰で、さっきの私達の話は嘉光の耳に入っていなかったらしい。まぁ、最後の天森さんの台詞には同感。寧ろ何度でも殺そう。
「無事でよかったです! 秋津先輩!」
部室に入った途端真っ先に駆け寄ってきたのは一年の朱鷺羽だった。文芸部の中でもまともな方の部員だが、おそらく嘉光に好意を寄せているように見える。そこは残念な所だと思うが、まあそこは個人の自由だろう。他人の恋愛感情に口出しする権利は私にはない。
「晴希先輩の居場所がわかったのは、参謀先輩のおかげなんですよ」
……参謀先輩?
「俺だ」
「……ですよね」
参謀先輩とは、一宮先輩の事だった。まあいかにも参謀っぽいのは分かるが、どうしてそんな渾名になったのだろうか。一体私のいない間に何があったんだ?
「ちなみに、居場所がわかったと言うのは」
「偶然にも発信機を取り付けていただけだ」
「プライバシーの欠片も見当たりませんね」
大曽根さんといいこの人といい、やる事がいちいち犯罪の域に片足を踏み入れている気がする。下手すれば片足以上、最早彼岸の存在だ。
「気のせいだ」
きっと大曽根さんはさっきの私の台詞と地の文両方に気のせいだと言ったんだろう。この人は肝心な部分でいつもしらばっくれるから厄介だ。いや他の点も十分厄介なんだけどさ。私に発信器仕掛けるとか。
「……そうですか」
「ちなみに秋津の携帯の番号も偶然──」
「だと思いました」
もう言いたいことが分かったので、話を切った。
「晴希」
横からいきなり話し掛けられた。この影の薄さは、一人しかいないだろう。
「杭瀬か。さて、私は一人で帰るぞ」
「待って」
「また今度だ。お前との話は無駄に長くなる。早く帰って風呂に入りたい」
「風呂? 俺と一緒に入──」
「黙ってろ内藤」
「にょろーん」
嘉光が機能停止したところで、また杭瀬が話し始めた。
「晴希の風呂なんてどうでもいい。どうせ清潔感とかは変わらない」
「杭瀬、今さりげなく私を中傷しなかったか?」
「それより会話してくれないと訴えようと思うの。晴希が私の処女を奪った事もばらすから」
「待ってくれ。後半の事実は確認されていない」
と言うか私は純粋な女だ。男でもレズでもない。他の奴らに聞こえないよう小声で言ってもそいつは限りなくアウトに近いアウトである。
「じゃあ、仕方なく後日話すとして」
「ああ、何故そっちが妥協するような形になったのかは定かじゃないがそうしてくれ」
さて、帰るか。私は鞄を手にとり、部室を出ようとした。すると、予想通りだが嘉光がついてきた。
「待ってくれ晴希、俺も帰る」
「だと思ったよ」
そのまま並んで部室を出て行く。
「……羨ましいですね」
朱鷺羽が憧れるような眼差しを私たちに向けてきていた。こいつの相手は実際かなり大変なんだがな。
「なんだかんだ言って離れようとしないのね!」
天森さんが余計な事を言っていた。私が離れようとしないのは単にもう諦めたからってだけです、はい。
「お幸せに」
杭瀬はもっと余計な事を言っていた。あの似非無口キャラは本当に……。
下駄箱を出て、また並んで歩く。嘉光と私の身長には、少なくとも15センチ以上の違いがあった。
「晴希」
そしてふと、嘉光に声をかけられた。
「どうした、内藤」
「いや、もう嘉光って言ってくれないんだな」
「一緒だろ」
「なあ晴希、確か一年の春頃……ちょうど一年位前だな。あの時俺と約束した事、覚えてるか?」
「文芸部に入る事、だったか?」
嘉光のほうを見ず、そのまま返事する。
「あの約束はもう契機を過ぎたはずだったな。いや、やめる気はないが」
「いや、そうじゃなくてだな……」
「素直に感謝するよ、ありがとう。私はあの文芸部が、案外好きみたいだ」
奇人変人ばっかりだがなぜか居心地は悪くない、あの場所が好きだ。ほんの少しだがな。
「俺の事は?」
「知らん。黙れ」
「そこは厳しいんだな……」
「当然だ」
勢いで好きと言うとでも思ったか。嫌いじゃない、で我慢しとけ。
「いや、そうじゃなくてな……もう一つの約束の事だ」
もう一つの約束……と言うと。
脳内の記憶を辿ってみる。確かに、あの話にはまだ続きがあったのだった。
『晴希の質問は二つあったな』
『ああ、それがどうした』
『……実はもう一つ、頼みたいことがあるんだ』
『何だ? あまり面倒なのは断るぞ』
『いや、簡単なことだ』
『……ほう』
『俺はお前の事を晴希と呼ぶ。だからお前は俺の事を嘉光って呼んでくれ』
なるほど思い出した。そう言えばそんな惚気話があったな。言わなくてよかった。あんなの新聞部にばれたら一瞬でネタにされるはずだろうから。
「ああ、あれなら一週間でやめたな。それがどうした?」
それでも、考えてみるとあれには結構重要な意味があったのかもしれない。現に私はあいつと話す時は内藤と呼ぶが、心の中では嘉光と呼ぶ事をやめられていない。
「一週間じゃないだろ」
「そうだったか?」
「ああ、三日だ」
「残酷だったんだな、私は」
「そうでもないだろ。晴希は晴希だ。どんな晴希でも俺は好きだよ」
……本当にこいつは。恥じらいってのが無いのかね。
「待て嘉光、お前の帰り道は向こうだったはずだが」
「え?」
「『え?』じゃない。なぜそこで疑問を覚えるんだ」
「今日は晴希と一緒に風呂に入るはずだったが」
「いや、そんな予定は未来永劫無いだろうがな」
やっぱりフォローのしようがない。見つからない。こいつはただの変態だった。
ああ、また私の間違ったラブコメが変な方向に進むんだな、なんて思うと同時に。
この時も確かに、あの馬鹿は嫌でもずっと私の傍にいてくれるなどと思っていたわけだが。
あの事件が起こってからまた考え直してみれば、生憎ながらそうでもなかったらしい。
ようやく新聞部編終結です。これで杭瀬との話が書ける……!
それはそうと、サブタイトルを全体的に大きく変えました。これで若干のシニカルっぷりも出ていると思います。