第2話 俺のおねえさまたち(2)
「も、森の中に逃げるっす!」
人狼の一人がようやくまともな逃走手段を思いつき、声高に仲間に伝える。
その指示に真っ先にお頭が従い、他の人狼たちも脱兎のごとく木々の中に身を滑り込ませようとするが。
「させませんわよ!」
リーシャがグルンと一回転させた淡く光る鞭が異様に伸びると、周囲の木を巨大なハンマーで叩くように次々となぎ倒した。
「に、人間技……いや、人間じゃない……」
逃げ込もうとした先が大量の木々で塞がれ、行き場を無くしたお頭が絶望をこぼす。
鞭が見た目以上に伸びることも、鞭で無数の木を倒壊させることも、初めて目にする光景だろう。
ましてやバルムと違い、リーシャは細腕だ。そんな人間が、通常なら肌に打撲か裂傷を付けるのがせいぜいの鞭で、殺傷可能レベルの芸当をしてくるとは夢にも思わない。
人外の魔霊種に人間扱いされないバルムとリーシャに、カインは苦笑を禁じ得なかった。
「うふふっ。もう逃・が・さ・な・い・わ・よ」
三方を塞がれ逃げ道のなくなった人狼たちに、バルムがジリジリとにじり寄っていく。
恐怖、絶望、悲しみ。あらゆる負の感情が渦巻く人狼たちは、一足飛びでは越えられないほど高い岩を背に表情を強張らせる。
街道の先へは行けない。しかし倒木した木々の上なら、不安定だが乗り越えられると思ったのか、数匹の人狼が森に向かって駆け出した。
「甘いですわよ!」
リーシャが鞭を踊りながら振るうと、まるで蛇が噛みつくように飛びかかり、木に足を乗せていた全員を次々と地面に弾き落とす。
「うふふっ。人狼も素敵な筋肉してるわね」
変な服装の女にあっさり転がされた仲間を見て、後に続こうとしていた人狼たちが怯んで立ち止まる。その隙にバルムが好奇の目つきをしながら突進すると、一番近くにいた個体に肉薄した。
「みんなで筋肉祭りよ!」
謎の祭り開催宣言をしながら拳を握り、溜め込んだ力を一気に解放するように、バルムが相手の腹へ向けて拳を突き出す。
するとまともに喰らった人狼は仲間の頭上を一瞬で飛び越え、巨岩にぶつかり全身をめり込ませた。
人間の大人と変わらないサイズの筋骨隆々とした人狼が、目にも止まらぬ速さで吹っ飛んでいく光景。まさしく筋肉と筋肉がぶつかる筋肉祭りの様相に、カインは苦笑いを浮かべた。
「本当、バルムとリーシャが敵じゃなくてよかったぜ」
兄姉と一緒に旅をしているお陰で、一人では不利だったはずの状況も、今までなんなく打破してきた。だからこそ今回も、二人の言動に呆れながらも引き止めることはしない。
カインが眺めている間にも、バルムは手近にいた細身の人狼をバックハグして骨を折り、リーシャは別の個体の手首に鞭を巻きつけ空高く放り投げる。
まさしく〝敵をばったばったとなぎ倒す〟という言葉が相応しい光景に、カインは舞台演目を観劇しているような気分で、人狼たちの地獄絵図を眺めていた。
「おっ、輝石ゲットだぜ」
全身をバキバキに折られ投げ飛ばされた人狼がカインの前に転がり、空気に溶けるように消滅すると、光を内部に留める小さく透明な石を地面に落とす。
魔霊種は実体と自由意思を持つが、存在としてはエネルギー体に近い。
体を維持できないほどのダメージを受けると消滅し、空気に溶け消える。
その際に残る輝石と呼ばれる石には未知の力が内包されており、【観測者】たちから与えられた技術をもとに、人々の生活を支えるエネルギー源として使われていた。
なぜ【観測者】たちが魔霊種という脅威だけでなく、技術という恩恵まで世界にばら撒いたかは未だに謎になっているが。
「人狼の筋肉は見せかけなのかしらっ? 私のようにもっと鍛えなさいっ」
バルムは相手を煽るように、右手で人狼たちを呼び寄せる仕草をする。
本来、人間が筋肉をいくら鍛えたところで、魔霊種を圧倒するパワーは持ちえない。
しかしアネスタの人類は元々、魔霊種に対抗できるほどの能力──心力を操る力を持っていた。
心力は人間の精神力の表す言葉で、それを外的パワーに変換し、自身が持つモノを強化したり変質させる力を持つ。
どんなモノにでも心力を込められるが、特に愛着を持つモノのほうが大きな力を発揮でき、バルムは鍛えに鍛えた自らの肉体、リーシャは愛用の鞭を用いることを好んだ。
それらを技能として巧みに駆使し、魔霊種に匹敵、あるいは超えるような力を発揮することで、アネスタの人類は平穏を失わずに済んでいた。