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ページを分けなければわかりづらい部分だと判断し、ページを分けて投稿し直すことにしました。

内容的には前回投稿したものの投稿ミスを直した物です。

ミスに気付くのが遅れ申し訳ありません。

 視界の隅で揺れるカーテンに、こわばった体がゆるむ心地がする。朝日の明るさが寝たりない目に刺さる。しぱしぱする目をこすると、瞼の重みが増した気がした。

 部屋では、あまり、落ち着けなかった。一人の部屋は静かで、何も聞こえないはずなのに、どこからか悲鳴や怒鳴り声が聞こえてくる気がして恐ろしかった。本の部屋はいつでも他の人がいて、何かを書く音や本をめくる音がするから、落ち着いた。

 初めてここに来たときは、誰かの気配が恐ろしくて、ここからすぐに出たはずの私が、誰かの気配に安心するなんて、おかしいと、自分でも思う。でも、ここなら、先生が用意してくれたカーテンもあるから。

 誰かの物音が聞こえる白いカーテンの中は、この半年過ごしたベッドを思い出せるから好きだった。静かで、暖かくて、家族の夢をたくさん見ていられるあの場所を、私はとても気に入っていた。この囲まれたテーブルでも、寝ればいい夢が見られる気がする。机に顔をふせて、顔を腕で囲って、目を閉じる。眠る前は見えない水の中を浮いている心地がする。体から自分がだんだん遠ざかっていく。机の堅い感触がだんだんとしなくなって、少しずつカーテンの外から聞こえる音が遠のいて、おやすみ、かあさん。


「おはよう!」


 高い男の子の声が響いた。重い瞼を無理やり上がって、眉の間に力が入った。……今日は来ないと思っていたのに。

 黒い髪を一つに結わえた、紫色の目をした男の子。着物の下にシャツを合わせた装いは、少し不思議に見える。にこにこと音がつきそうな笑顔をした男の子は、今日も本を持ってカーテンの中へ入ってきた。


「僕もここに座ってもいいかな」


 昨日ともおとといとも同じ言葉で質問される。うなずけば、彼は弾んだ声で私にお礼を言った。

 男の子のことは、怖くなかった。高い声と私と同じくらいの背丈は村の皆を思い出した。怖くなくても、眠るには、男の子はいてほしくない。でも、このまま部屋に戻って自分の部屋で眠ったら、またあの牢を思い出してしまいそうで恐ろしい。まだ食堂にも先生はいないだろうし、部屋の中で一人震えているよりは、ここでこの男の子と過ごす方がましに思えた。

 伏せていた顔だけ上げて向かいに座る子を見れば、男の子はいつものように大きな本と分厚い本を見比べて、本を読んでいた。この子はいつもその本ばかり読んでいる。二つも一緒に本を読むなんて変わってるとおもう。

 この間、男の子が帰った後二つがどんな本なのか見た。本を見つめる男の子の目がとてもきれいだから、気になった。大きな本は海外の絵がたくさん入った本で、題名も、中の文字もすべて海外の言葉で書かれていた。

 分厚い本は、流国の言葉と海外の言葉の意味が並んだ本だった。流辺留辞書という題名だった。お話も何も書かれていないこの本のどこが面白いのか全く分からなかったのを覚えている。

 そんな本を、男の子はまた輝く紫の目で見つめていた。

 しばらくすると、お昼を告げる鐘が鳴る。男の子は顔を上げて、こちらを見てまた顔を緩めさせた。


「僕もう行かなきゃ。ごめんね、使わせてくれてありがとう!」


 またねと手を振って男の子はカーテンの外に出ていく。

 ……花の絵が描かれた本が、見たくなった。紫陽花の絵が入った本は、あるかな。そう思い立って、カーテンの外に出た。

 初めてこの部屋で本を読んだ。紫陽花の花はとても美しく書かれていて、本物そっくりの素敵な花だったけれど、私が見たかった花とはちがった。他の本も探したけれど、どの本の紫陽花を見ても、ちがうと思った。

 夢を見た。初めて見る場所だった。そこには、晴れたばかりの空と、紫陽花があった。雨にぬれた紫陽花は、お日様にあたって、本を見つめる目みたいに輝いていた。






 それからも、毎日あの男の子はカーテンの外からやってきて、返事を返すことのない私に、いつも笑顔で話しかけてきた。私に許可を取る声はいつの間にかあいさつに変わっていて、私もそれを受け入れていた。名前を教えることも、言葉を返すことも、私はできていないけれど、男の子と毎日、顔を合わせていた。


「おはよう、今日もいい天気だ」


 今日は、汗がにじむくらいの暑さで、窓からの陽ざしが痛いくらいに厳しい。私も男の子も、いつもより早くカーテンの外に出た。次の日からは日よけが設置されていて、男の子がカーテンの外に言った後も、気持ちよく過ごすことができた。

 最近、文字を読んで、書く練習を始めた。きっとお仕事に必要になるからと、先生に言われて、少しずつ。男の子が使っていたような、辞書? 言葉の意味を調べるための本も使って、先生に渡された本を読んだ。昔話を集めた本をたくさん読んで、真似して書いた。ばあさまが聞かせてくれた、凍山の昔話もあって、嬉しかった。

 母さんの夢を見た。今日読んだ子守唄を母さんが、歌ってくれた時の夢だった。






 暑さが過ぎて、夜が少しずつ長くなるころ、いつも通りの時間に、男の子が息を切らしてカーテンに飛び込んできた。あまりに勢いがいいから、肩をはねさせて驚けば、男の子もびっくりして私にごめんねと声をかけた。


「おはよう。今日も早いね。僕は少し寝坊しちゃったんだ」


 男の子がいつもより勢いよく椅子に座った。シャツのボタンを少し開けて、手で仰いで。座って息を整えた後に、いつもの本を取りに行った。本を開いて、いつものように読み始める。それを見てから私も自分の勉強を始めた。

 最近は、一般教養の勉強をしている。数字を使った勉強やこの国の歴史。敬語に薬学、テーブルマナー。お仕事に必要になるからと先生から言われた。今日もご飯の時間は先生に実技の特訓だよ。なんて言われていた。


「すー……」


 どこからか、空気が抜けるような音が聞こえると思えば、向かいの席で男の子が机に突っ伏して眠っていた。本を汚さないように、男の子の傍からそっと離して二冊の本をぱたりと閉じた。鐘の音で飛び起きるまで、男の子はそうして眠っていた。






 寒さが厳しくなってきて、ベッドの外に出るのがつらくなってきたころ、支給していただいた服は分厚くて暖かい。それでも手だけはどうにもならなくて、手に息を吐いて、こすり合わせて暖をとっていると、袖に両手を隠して腕組をする男の子がカーテンの中に入ってきた。なるほど。私も明日から真似しよう。


「おはよう。昨日の夜は急に冷えたね。湯たんぽで火傷はしてない?…うん、なら良かった。」


 これも使ってと、男の子に小さな巾着を渡された。触ると暖かかった。小さい湯たんぽだと、言っていた。手にじんわりとぬくもりが広がっていく。その感覚に思わず、ほおが緩んだ。私の顔を見た男の子の顔も、ゆるむ。暖かい空気が、カーテンの中に広がっていた。

 男の子はいつもの本を、私は最近読み始めたこの国のルールについての本をそれぞれ開く。私を捕まえたおじさんたちがこの国のルールを破っていたことを、最近初めて知った。ずるいと恨んだあの時の心が、救われたみたいで嬉しかった。

 夜は、男の子に貰った湯たんぽにお湯を詰め直してもらった。布団の中が殊更暖かくてすぐに眠りについた。今日は、夢を見なかった。






 男の子が来ない。

 いつもの時間はとうに過ぎた。もうすぐ、お昼の鐘が鳴る時間のはずなのに、来ない。

 なにか、あったんだろうか。もしかして、風邪をひいてしまったのだろうか。昨日確かにくしゃみをしていた気がする。私に湯たんぽを貸したせいで、体が冷えてしまったのかもしれない。それとも、けがでもしたのだろうか。このお屋敷はとても広いと聞いたから、どこかで転んだり、階段から落ちたりしたのかもしれない。……もしも、もしもだけれど。あの子が誘拐されていたらどうしよう。突然昨日死んでしまっていたら、どうしよう。たくさんのもしもで、頭の中が埋め尽くされる。どれほど突飛な可能性も、否定できる自信がなかった。私自身、普通ならありえないもしもを積み重ねて、ここにいるんだから。

 想像してしまった可能性が恐ろしくて、頭の中からかき消すように首を振る。握りしめたままうまくほどけない手は、氷みたいに冷たかった。

 あの優しい男の子に怖い思いをしてほしくない。あの紫陽花の目から涙をこぼすところを、見たくないと思った。思ってはじめて、あの男の子の存在が、私の中で大きいものになっていることに気付いた。いつから? なんで? 湯水のように湧く疑問はもうどうでもいいことだった。カーテンの外に飛び出す。どこにいるかもわからない。ここから出たあの子が、何をしているかなんて知らない。でも、飛び出さなければあの子は探せないから。

 どうしよう。走りながら考える。私はこのお屋敷のことを何も知らない。どうしよう、だれか。……先生! 救護室は、たしか、一階の……階段を降りるの面倒だな。


「せいっ!」

「え!?」


 飛び降りる。……あ、そういえば地面雪じゃなくて普通の床だ。ごめん母さん、またやっちゃった。


「っ!」


 父さん、受け身を教えてくれてありがとう。おかげで娘は今日も生きています。


「大丈夫? 怪我はない!?」

「へ?」


 目の前に、探そうとしていた男の子がいた。男の子は私の手や足を取る。見て、少し赤くなっているところがあれば眉をひそめた。


「何してるんだ君は! 階段をなんで降りなかったんだ。君はただでさえ碌な運動もできてないのに。負荷がかかるに決まっているだろう! 本を好むおとなしい子だと思っていたのに、僕の勘違いだったみたいだね。なんてお転婆なんだ。」

「……ごめんなさい」

「え、あ。……救護室に行くよ。先生にもっと細かく見てもらった方がいい。歩けるかい?」


 うなずこうとして、やめた。名前を知りたいと思ったなら、声で会話するべきだと思った。


「歩けるよ」

「……そう。じゃ、じゃあ、行こう」

「わかった」


 二人そろって、歩いて向かった。その間会話することはなかった。






 救護室で男の子から説明を受けた先生は、大きく口を開けて笑った。息がうまくできなくなるくらい、お腹を抱えて笑っていた。怪我がないか腕と足をすべて見ると先生がいうから、ボタンをはずし始めたら、男の子が慌てて外に出ていった。そういえば、普通は見られて脱ぎ着するものじゃなかったっけ。慣れていたから忘れてた。そんな私に、先生が歯を見せてにかりと笑った。


「ほら、見せなお嬢さん。いやー、それにしても、あんた相当やんちゃだったんだね。いいね。アタシはそういうの、好きだよ。アタシも昔はやんちゃだったさ。もしかしたら、お嬢さんよりもね。……よし。捻挫も骨折も無い。赤くなったところはしばらく痣になるが、すぐに良くなるよ」

「ありがとうございます。先生」

「どういたしまして。お嬢さん、そんな声をしてたんだね。よく跳ねる小鳥みたいな声だ」

「やんちゃですから」

「あはは、そうだね。そんなお嬢さんに似合う軽やかな声だ」

「ありがとうございます」


 声をほめてもらえるのはうれしかった。私の声は幼い母さんにそっくりだってばあさまからよく言われていたから。その声が似あう私なのが、誇らしい。


「坊ちゃん入っといで」


 その言葉に男の子が少しだけドアを開けて、中を確認した後に入ってきた。今回は先生も私が着直してから呼んでくれたのに。


「もう坊ちゃんはやめてくださいって言ってるでしょう」

「アタシからすればまだまだ可愛い坊ちゃんだよ」

「はあ……。もういいです。行こう」


 あきれた顔の男の子が振り返り、私に手を差し出す。


「うん」


 その手を掴んで並んで歩いた。


「なんで、階段を飛び降りたの」

「もとは、来ないあなたが心配で、探しに行くため。階段を降りるのが面倒だから、短縮しようと思って」

「驚かせてしまったのは申し訳ないけど、階段はちゃんと降りてほしいな」

「ごめんなさい」

「もういいよ。君に、怪我がなくてよかった」


 それきり話題が思いつかずに、こつこつと靴底が重なり合う。困った。会話の話題がない。私は最近勉強ばかりしているけれど、この子はずっと同じ本ばかり読んでいた。私がやっている基礎の基礎なんて、それこそ当たり前のようにできていることかもしれない。そう思うと、最近読んだ本の話を話題にすることなんてできなかった。そうだ、聞きたいことがあるのを忘れてた。


「ねえ、紫陽花の人」

「紫陽花?」

「目が雨にぬれた紫陽花のように美しいから紫陽花の人。それよりも、聞いてほしいことがあるの」

「なんだい?」

「明日、私の名前を知ってくれませんか?」


 そういえば男の子は目がそのまま飛び出してしまいそうなくらい、目を丸くして勢いのままうなずいた。


「もちろん!」


 その声は、今まで聞いた彼の声の中で一番大きくて、おかしくなって、笑った。


「また明日」


 そう交わせる言葉に心が躍った。






 彼が来ない。いつも彼が来る時間から、しばらくたっているはずなのに。来ない。……あと少し来なかったら、また探しに行こう。

 がた、ドンッ!

 何かが引っかかったりする音が聞こえてくる。構えて待っていれば、白いカーテンの中に男の子が入ってきた。


「おはよう!…っと、ごめん。大きな声を出してしまったね。驚かせたかな。あはは、思い切り寝坊しちゃったんだ。」


 照れたように笑う男の子の髪は、少しほどけている。ぼさぼさだ。それに、シャツのボタンも、一つずれているみたいだった。一つ上にボタンが余ってて、なんだかおかしな服に見えた。そんな男の子の様子が面白くて、笑いながら口を開く。


「おはよう」


 初めて挨拶を返した。


「声をかけてくれてありがとう。無視をしてしまって、ごめんなさい。私の名前は紫苑。あなたの名前は何ていうの?」


 手を差し出す。今度は、私からあなたへ。この子を知りたいと思った、心を込めて。男の子は、私の目線で、自分の服と髪に気が付いたらしい。照れくさそうに頭の横を搔いたあと、大きく深呼吸をして、私と目を合わせる。雨上がりの紫陽花色の目に、私が映った。


「応えてくれてありがとう。僕の名前は頼斗。よろしくね、紫苑」


 男の子、頼斗が私の手を両手で包み込む。手は少しかさついていてとても暖かかい。


「うん、よろしく。頼斗」


 頼斗の笑顔は青空みたいに晴れやかだった。きっと私も同じ表情をしていた。


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