第1-3話:小銃と焼酎
オレが足利義勇と名乗ってから3年後のことだ。ある日、研究室-オレが元服した日に御館様義統殿が約束してくれたオレの屋形のことだ-に籠もってとある薬品の調合をしていたオレの元へ、親父からの遣いが来た。
「義勇様」
遣いの者の息遣いが荒々しい様子から余程の緊急事態が発生したとは推測されるが、研究室に許可なく入室することは、例え有事の親父であっても厳禁である。だからオレは敢えてゆっくりと問い返すことにした。その間に彼の息も整うことであろう。
「何用だ?」
「鎮親様より、至急のご報告があるゆえお館にお戻りある可し、との言付けにございます」
まぁ、予想の範囲内の回答である。
「相分かった。親父殿には15分後に行く、と伝えよ」
館に戻らない前に、オレにはやるべきことがあった。何しろ今は薬品の調合中であり、これらの片付けをしなければ、オレは2つの危険を後置することになるのだ。一つ目の危険とは、オーバーテクノロジーの流出リスクだ。この場にある薬品類が持ち出されれば、いずれは21世紀のテクノロジーが16世紀に拡散しよう。これらの薬品は、仮に盗難されたとしてもそれ単体では合成できず、かつ身の回りにありふれたような-つまり企図を秘匿しやすい-素材単位で保管されるべきものであろう。そして二つ目のリスクは、発火、爆発のリスクである。そう、オレは火薬の調合を行っていたのである。
「承知」
オレは一通りの片付けを終えた後、研究室を後にした。
館に戻ると既に親父は下座で北面していた。オレは上座に座ると、親父に問う。
「親父殿には珍しい慌てぶりではないか。何用だ?」
名を戸次 鎮親という。『親父殿』とオレは呼んでいるが、無論、実の父親ではない。13代将軍の落とし胤であるオレを、親父は九州の地に匿い育ててくれたのだった。親父の正体は例の立花道雪-オレが元服した際、ヴァリニャーノ神父の凶言を嘉言に替えてくれた人物だ-の実弟である。歴史上に名を見ないのは、オレを匿ったがゆえか、あるいはオレの16世紀が俺の21世紀に繋がっていないが所以か……いずれにせよ、足利義勇が今日この世にあることは親父殿-戸次鎮親-の功績であり、その親父は今はここ、立花城を預かる身となっていた。そしてオレの研究室は、その立花城本丸の一角に建てられているのである。その日、急遽オレを呼び出した親父は、現世のオレには聞いたことの無い-しかし前世の俺はよく知っていた-単語を口にした。
「義勇様、魔王軍が攻め寄せて参りました」
「魔王軍?」
思わず声が裏返りそうになる。そんな言葉が16世紀にも存在するとは、つい今しがたまでは想像もつかなかった。無論、ヴァリニャーノ神父の言う「魔王として死す」とは単なる修辞に過ぎないと思い込んでいたからでもある。
「魔王軍とは、邪人やら獣人やら土人やら巨人やら死人やら魔人やら竜人やら……かような人外の存在どもの軍勢であるか?」
意外な単語の登場に、オレは動揺していたのであろうか。つい早口でまくし立ててしまったようだ。
「何を申されているのか某にはちと判り兼ねるが義勇様、まずは少し落ち着かれよ」
「あぁ、すまない。それで親父殿。魔王軍とはいかなる軍勢か?」
改めて問うオレに、しかし親父はすまなそうに申し開きをするしか能がなかった。さもありなん。この時代には、テレビもなければ無線通信機すらないのである。敵情を知ろうにもオレ達の情報源は、憶測をつなぎに伝聞を練り上げた田舎蕎麦のようなレベルに過ぎない。つなぎの存在がかえって喉越しを悪くするくせに、十割に比すれば風味が落ちる、そんな素人蕎麦の類なのだ。ここに恐怖という薬味まで加わるのであれば、既に蕎麦とは名ばかりの謎麺料理に相成り果てたと言っても過言ではあるまい。
「申し訳ありませぬ、義勇様。詳しいことは某にも分りかねますが、どうやら魔王の配下たる『エンマ将軍』が攻め寄せている由」
親父は由々しきことを口にした。『エンマ将軍』とは何者であろうか。
「エンマ将軍とは所謂、地獄の閻魔大王のことであるか?」
我ながら下らない質問であり、親父の返答も想定の範囲内であった。
「義勇様、畏れながらそれも……」
これ以上『魔王軍』と『エンマ将軍』の正体について親父に問うても、最早お互いに時間の無駄であろう。そう悟るオレにとって今必要な情報は、ひとつだけである。
「して親父殿、その魔王軍とやらがこの城下に寄せるのは何日後のことであろうか?」
「数日のうちには……」
この城を預かるのは親父であってオレではない。親父のことであるから既に防戦準備にはとりかかっておろうし、豊後の御館様にも早馬は差し向けたのであろう。ならば現時点でオレがとやかく言うことは何もない。
「相分かった。この城の防衛は親父殿の指揮に任せるゆえ、オレは研究室に戻る」
どのみちオレがやるべきことはひとつである。あるいは魔法を使えないのはオレ達ヒト族だけであり、魔王軍であれば魔法による攻撃が可能であるかもしれない。あるいは魔王軍とは、ヒト族よりも膂力に優れた魔族による軍団であるかもしれない。しかし、例えそうであってもオレ達にできることはひとつしかないのだ。すなわち、俺の科学をオレの技術で具現化することだけである。それでもオレの開発する装備類は、この時代に生きる全ての者から見れば『勇者』の使う『魔法』であろう。
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敵が魔王であろうと誰であろうと、今のオレが成すべきことが魔道具『スナイパーライフル』の開発であることは自明であった。ライフルの有効射程が2,000mほどもあれば、この時代においては戦場のほぼ全てをその射程に捉えることができる、とオレは考えている。例えば『天下分け目』と謂われた後年の関ケ原の戦い。徳川家康の本陣と石田三成の本陣は、直線距離にして3,000m弱しか離れていないのである。16世紀の戦場が21世紀のそれに比していかに小さいか、この例を挙げるだけでも説明にこと足りよう。オレの時代にあっては銃弾や砲弾を何万mも飛ばす必要など無いのだ。7.7mm口径のボルトアクションライフルが1丁あれば、敵の総大将を1撃で仕留めることができるのだから。そしてこの時代の軍隊は、トップが戦死すれば後は烏合の衆であることは、歴史がこれを証明している。いわばこのライフルは、16世紀における決戦兵器と言っても過言ではないのだ。
逆にもし魔王軍とやらが、本当に魔法障壁のようなものを使ってこの狙撃を防ぐことができるのであるとすれば……どの道オレには、他に対抗手段が無い。ソイツはきっと、46サンチ三号弾だって止められるに違いないのだから。敵の魔法障壁をオーバーシュートするに足る火力と言えば他には核弾頭くらいであろうが、そんなものは例え原理を知っていたとしても、おいそれと作れる代物ではなかろう。従ってオレは、余計なことは考えずにまずは、21世紀のライフルをこの世界で開発することに専念するまでである。オレと同様魔王軍にも、物理法則こそが唯一有効な法則であるものと信じて……
元空軍パイロットであった俺は、小銃の構造を熟知していた。何しろ、毎日のように分解・清掃・再組立てを行っていたのである。火薬の調合や実包のリロード等も、本職に比べれば劣るにせよ、一通りは経験している。であればオレにだって、狙撃用小銃を開発することは可能なはずだ。つまりこの魔道具『スナイパーライフル』は、オレに実現可能かつ魔王軍に有効な、すなわち可解的な対抗手段なのである。オレが、今のオレが成すべきと判断する所以である。
さて、16世紀の種子島と21世紀のライフルでは、『火薬の燃焼に伴い膨張するガス圧を利用した金属弾の加速と射出』という基本概念こそ一緒ではあるが、その性能はまるで小学生の絵日記と世界的な文学賞を受賞した作家の小説ほどにも違うことは明白である。21世紀のライフルとは、人類が500年の歳月をその試行錯誤に費やした、16世紀の種子島の正当進化版という位置づけにあるのだろう。しかし今のオレは、これを3年の短時日でキャッチアップしなければならなかった。この進化をこの国の歴史が蓄積した材料と器具、技術だけで成し遂げることなど到底できない。従ってオレは、この際は南蛮の技術や文化も利用し尽くしてやることにした。
既にオレは例のヴァリニャーノ神父との約束に基づき、この九州の地に大学と修道院を建てるよう御内書を発給してやっていた。無論差出人は第16代将軍足利義勇名義であり、その宛先は大友宗麟をはじめとする九州の諸大名どもである。またヴァリニャーノ神父の帰国に際しては、日本人の少年を4人、使節団として南蛮へ派遣する手筈もつけてやった。その見返りとしてオレが彼に期待したのは、南蛮商人の紹介と優先的(あるいは排他的)交易権である。そして幸いなことにバリニャーノ神父がオレにつけてくれた男は、オレの期待に応えるには充分なほど有能な男であった。フレデリコ・アンドロッツオという名の修道士の皮を被った商人は、オレの要求に見事応え、多くの物資をオレ『だけ』に廻すことに成功した。そう、この時代のこの国の、他の誰にも触れさせてはならない、これらはオレだけの戦略物資なのだ。
ところで種子島とスナイパーライフルの違いを再確認しよう。種子島の有効射程はせいぜい数十m。何故これほどまでに射程距離が異なるのか、あるいは、この時代においてこの距離を飛躍的に伸ばすことは可能であるのか。これがオレの目下の研究課題だ。さてその種子島の操作手順である。玉薬と弾丸を筒先から装填したら火皿に口薬をのせ、火縄を火挟みに挟む。引き金を引くと火縄が火皿に落ちて発火し、玉薬に点火して弾丸を発射する、というのが一連の手順だ。
まず大きく違うのは弾丸が前装式であることであろうか。前から弾丸を押し込むことができるということは、銃身内径と弾丸外径の寸法差が大きいということだ。これでは火薬の燃焼による膨張圧を効率よく弾丸に伝えることができないであろう。同様に、火皿から玉薬に点火するという構造も問題だ。21世紀風に言えば薬室の密閉が不十分である。この問題は真鍮製の薬莢と銃弾を予め嵌合させた実包を後装式とすることで解決できるであろう。燃焼ガスによる薬莢の膨張は薬室を密閉させてくれるのだ。弾頭形状を尖塔型に変更し弾頭外径を銃身内径より若干大きくしてやれば、燃焼ガスの膨張圧力をより効率的に弾頭に伝えてくれることであろう。また、真鍮材料の入手はこの国では容易なことであり、薬莢の製造にも問題は無かった。何しろ真鍮は、この国では平安時代から使われている材料なのだから。
ここで問題になるのはその工作精度である。この時代の加工技術では、狙って誤差を要求精度内に収めることはほぼ不可能である。仮に、銃身内径に比して弾頭外径が大きすぎる場合、そのライフルは引き金を引くと同時に暴発することであろう。それではどうするか? 解決策は単純だ。そう、沢山作った中から良品だけを選別するのである。先に7.7mm口径と言ったが正直なところ、7.6mmでも7.8mmでも構わない。どうせメートル原器などないのだからMKS単位系で測定することに意味はない。ただ、予め測定装置を製作しておき、同じ測定装置を使って合格したものだけを選別すればそれでよいのだ。例えば弾頭であれば、内径が大小異なる2種類の環状測定装置を製作しておく。小さいゲージは通らないが大きいゲージは通り、且つ隙間が無い。、そのような弾頭だけを良品として選別するのだ。不適合品など鋳つぶして再利用すればよいだろう。銃身内径も同様に、大小2種類の測定装置を作れば事足りる。無論この方法は量産向きではないが、オレだけが使える魔道具を作るのであれば、量産の必要もなかろう。オレの下には、御館様義統殿がつけてくれた腕のいい職人が何人もいる。製造は彼らに任せて、オレはその品質管理に専念することにした。
さて、構造的な問題はクリアしたところで、次は本命の出番である。種子島の玉薬は硝石と硫黄に木炭を混ぜた、いわゆる黒色火薬というやつだ。一方で21世紀のライフルには、無煙火薬が使われている。性能面での大きな違いは2つであろうか。すなわち燃焼時のエネルギー量と燃焼速度である。無煙火薬の方がエネルギー量が大きく燃焼速度が遅い。つまり、長い時間をかけて大きなガス圧を弾頭に加えることができる無煙火薬を使えば初速を上げることができるし、初速が高ければ射程距離を延伸できるという理屈である。
無煙火薬の主原料はニトロセルロースである。これは硝酸と硫酸の混酸に綿布を浸すことで生成される。また硝酸は硝石を硫酸と混合することで生成され、その硫酸は硫黄と硝石を燃焼することで生成される。つまりニトロセルロースを作るために必要な原料は硫黄、硝石、綿ということだ。幸いなことに硫黄は豊後国でも産出されるので、オレには容易に入手することが可能である。綿布も同様だ。しかし、硝石だけは事情が異なる。
ここで例のフレデリコ・アンドロッツオ氏の出番と相なる。そう、硝石は16世紀のこの国ではほとんど産出せず、専ら南蛮貿易によりこれを入手しているのが現状であった。これを他陣営よりも多量かつ優先的に入手することが、オレがフレデリコに与えた任務である。いわば彼には2つのミッションが託されているという訳だ。日本での布教と南蛮での調達と。そして彼は見事にオレの期待に応えてくれた。その背景にはオレが与えた大学や修道院設立許可が奏功したことも垣間見える。布教に理解ある者が不信心者の蒙を啓くために必要な資源なのである、とでも宣えば、フレデリコには教会が優先的に硝石を廻してくれたことであろう。
こうして生成したニトロセルロースをエタノールとジエチルエーテルに溶解させて成型し、ジフェニルアミンで安定化させてやればガンパウダーの出来上がりである。エタノールは九州特産の焼酎-俺は個人的には黒糖焼酎が好みなのだが、オレは麦焼酎で我慢してやることにした-を蒸留してやればよい。ジエチルエーテルはこのエタノールと硫酸の反応で生成できるし、ジフェニルアミンはアニリンと塩酸アニリンから合成すればよい。そのアニリンはこの国に自生する藍から抽出できるし、塩酸は塩と硫酸を反応させれば生成できるのだから、つまりは硝石さえ多量に入手できれば、残りはこの国の材料を使って21世紀の無煙火薬-残念ながら劣化バージョンではあるが-を調合できるのだ。これを薬莢に詰める作業を『魔力充填』とでも呼べば、『勇者』の『魔法』としての演出は完璧だ。
あとはこの調合やら合成やらに際して必要な器具類、試験管やらビーカーやらフラスコやらの調達である。これらガラス器具もやはりフレデリコが手を回してくれた。モル計算など、この際は省略だ。正しい濃度測定などできないこの時代のこの国にあって、理論計算などは無意味であろう。そんなことに時間を使うくらいであれば、手あたり次第に合成するまでのこと。今や原料を多量に手にしたオレには、それが可能なのだ。
元服以来こんな調子で3年間、薬品類の発する臭気やら毒気やらでたまには頭を朦朧とさせながらも、こうして今オレは魔道具『スナイパーライフル』の開発に目途を付けたのであった。これはオレにとっては大きな収穫であった。俺の科学とオレの技術を擦り合わせてオーバーテクノロジーを具現化する、というオレの基本構想がここに実証されたのであるから。ただひとつ、城内にいる者どもの口の端に昇る風聞だけが、オレの頭痛の種となったことを除いては……
「あれほどの量の焼酎をご所望とは、義勇様は存外『呑んべえ』らしい」