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第1-2話:天然の要害

 オレが防衛しているこの城は、オレの臣下からは単に「王城」とのみ呼ばれている。何故ならオレの他に城を持つ王はこの国にはいないばかりか、「王城」の他に「城」は存在しないからである。つまりこの城は固有名詞を必要としていないのだ。一方、オレに敵対する勢力はオレの城を「魔王城」と呼称しているらしい。無論奴らがオレのことを「魔王」と呼ぶことがその主たる理由なのではあるが、他にもひとつ理由がある。そうそれは……何しろこの城は、オレが先代「魔王」から奪取した城だったからである。オレの城を「王城」と呼ぶオレやオレの臣下ですら、何を隠そうほんの3年前まではこの城のことを「魔王城」と呼んでいたという訳だ。従ってオレの城をことさら「魔王城」と呼ぶ者がいたとして、そのことを罪に問うつもりはオレには無いのである。ただ無論、そいつらがオレの城を攻撃してくると言うのであれば話は別だが……


 魔王城は、この国最大の淡水湖の東岸に築かれていた。この東西に長い島国は、所によっては3,000m級の山々が連なる山脈が、背骨のようにその中央部を東西に走っている。従ってこの国の、古来より大陸との交易において(おもて)にあたる北部諸地域と、広い平野部を活かした穀倉地帯が拡がる南部諸地域とを統合した商業経済が成立することは、この国の歴史にあっては永らく困難なことであったのだ。しかし、この湖面を活かした水運を利用すれば、北部経済と南部経済を密接に繋げることが可能になる。この国の地理上のほぼ中心にあってかつ湖水を利用できる魔王城は、いわば衢地に立地していると言えるのだ。そして衢地に立地するとはすなわち、この国全土を支配するには大変都合のよいことを意味していた。商を以って制するのであれば言うに及ばず、武を以って制するのであれば尚更であろう。部隊の素早い集散は兵の基本であるのだから。


 またこの地は、古来この国の皇帝が住まうという(みやこ)の地にも近かった。この時代の皇帝およびその取り巻きには既に何等の権力も実力も備わってはいないが、しかし、権威だけは尚その手中にしていた。その権威を、時には理によりあるいは武により飼い馴らし己が望みに利するためにも、(みやこ)に近いという立地は重要であったろう。物理的距離が離れれば離れるほど、権威の側に佞臣・奸臣の類が蔓延るのは世の常であるのだから。かと言って近づきすぎれば逆に取り込まれるのも歴史の示すところであり、距離感というものは重要である。


 いずれにせよ戦略的頭脳に恵まれていた魔王にとっては、その本拠地はこの地以外にはあり得なかったという訳だ。この魔王城の立地は、政略的にも戦略的にも、そして戦術的にも優れているのであるから。


 ところで、城とは何であろうか。「城とは防御するためのものである」という解はオレの問いの半分にしか応えていない。何故なら、守備側は能動的に守備することはできないのだから。守備とは本来的に受動的なものである。無論、言葉遊びの類として「能動的守備」や「積極的守備」と言うのは構わないが、そうであっても守備とは、必ず攻撃側の意図なり目的があってから初めて成立する、という理解に異論はないだろう。そもそも誰も攻める者がいなければ、守る必要は発生しないのだから。つまり防御の本質とは、攻撃側の戦略的意義を失わせる、という一点に尽きる。だからオレの発する問いの本質は「敵の戦略的意義をどのように失わせるためにこの城を利用するのか」という点にあるのだ。


 だから例えば、攻城側の目的が「城主の命」である場合、城が敵を拘置する間に城主を逃がすことに成功すれば、城はその目的を果たしたと言えるだろう。例え城が破壊されたとしても。一方で、敵の目的が「城主の権威失墜」であれば、城主はそこから逃げ出すことを許されまい。敵の目的が「城兵を城に拘置する-その間に余所を攻める-こと」であれば、城には城外での戦闘を支援する機能が期待されよう。敵の目的が「各個撃破」にあれば、援軍との合流までの時間を稼ぐことが城の役割である。たまには「城に籠もる全ての人の命」という極端なケース-所謂皆殺しだ-も戦史には登場するが、この場合に城が守るべき対象は自明であろう。敵の目的が「力を見せつける」という場合も同様である。要するに、攻城側はその目的に最も適う方法で城攻めを行い、守備側はその防衛対象に最も適う方法で防御を行う。そして城とは、防御側の防衛対象-すなわち攻撃側の攻撃目的-を効率良く防御するための構造物である、という訳だ。


 さて、城を力攻めにすることが下策であることは論を待たない。自分の兵をすり潰すことが趣味、という武将もたまにはいるかもしれないが、そのような者は早晩、己の身をもすり潰す-それが敵によるのか、あるいは味方によるかは問わないが-に違いない。力攻めは、その力を誇示することが目的でない限り、大抵はその最終手段である。、無論、守備側を牽制することや威力偵察が目的である場合には力攻めを行うこともあるが、その場合には夜襲と併用することで効果を増幅させるケースが多い。通常は守備側より多い兵力を有する攻城側には、昼夜間断なく攻めることによって城兵の疲労を誘うことが期待できるのだ。しかしいずれにせよ力攻めは自軍の損耗も激しいため、攻城側の基本路線は別にある。


 攻城側がまず考えるべきは、敵将兵の内応であろう。城に籠もる将兵の一部が寝返り、城の内外で連携して城攻めを行えば、攻城側は比較的損害を抑えてその目的を果たすことができよう。この方針の亜流には、城主の暗殺や戦闘時の中立なども含まれる。この場合、戦は城攻めの前から既に始まっているケースが多い。何しろ敵将が城に籠もらない前に応諾を取り付けておくべきであろうから。またあるいは、城外からの勧誘や宣伝により守備側将兵の士気喪失を図ることも、この考えの延長にあると言えよう。


 次に考えるべきは兵糧攻めである。城を囲んで敵の補給路を断てば、守備側はいずれ飢え衰える。そうなれば、開城を促してもあるいは力攻めに移行しても、攻撃側は大きな成果を挙げることができよう。水を絶つ、水源を汚染するなどの亜流もあるが兵糧攻めの最大の難点は、時間がかかることである。通常攻撃側は守備側より兵力が大きく、その分必要とする兵糧も多い。敵が飢えない前に自軍が飢えてしまわないよう、味方の兵站・補給に気を配ることは肝要であろう。


 また、城の構造物を破壊することも重要である。古来投石器や攻城塔等の攻城兵器は大きく進化してきた。その中で16世紀にあって最も発達したのは、そう、大砲であろう。伴天連由来のフランキ砲などは、この時代にあっては敵の城柵・城壁を破壊する兵器として大きな期待を寄せられている。但し、湿地帯の多いこの国はこれら攻城兵器の運搬・設置・使用が困難な地勢であり、諸外国に比べてその発達度合いは低い。変わってこの国で多く用いられる攻城法は坑道堀であった。城柵・城壁の地下に坑道を堀り、城内に連絡する、あるいは城壁直下に火薬を仕掛け、これを爆発させることで城壁を倒壊させる、などの方法が編み出されてきた。


 更には、城兵を外におびき出して野戦を求めることも攻城側の常套手段である。城主や将兵を侮辱し興奮させることで城外に誘い出すこともあれば、例えば本拠地を攻める等の方法により防御側が出陣せざるを得ない状況を創り出すことも考えられる。時には、城兵に追撃戦を想起させるべく、わざと下手な退却戦を演じてみせることもあるかもしれない。攻城側としては、敵兵を漸減することが目的の場合もあれば、守備側に決戦を強いるケースもあろう。


 要するに防御側の能力とは兵数、練度、士気、疲労度、構造物強度等の要素が掛け合わされて算出されるべきものであり、上に挙げた様々な手法を併用することにより総体的な防御能力を削ぎ落していくことが攻城戦の基本である。逆に防御側としては敵の手にのらず、敵の企図を挫き続けることが防衛戦の基本となろう。


 さて、魔王城は三方を湖水に囲まれた小高い丘の山頂に築かれている。すなわち、西・北・東の三面には天然の堀が巡らされているという訳だ。また山頂付近からは北西、北東、南西、南東の4方向に尾根筋が伸びており、魔王城の構造物は南西筋と南東筋に挟まれた南向き斜面を中心に巡らされた曲輪内に築造されていた。すなわち敵の攻め口は南斜面に限定されるという訳である。


 この魔王城、つまり攻める側からはこう見えるのだ。攻め口は南斜面に限定されており、守備側もここを重点守備しているであろうがため力攻めは難しい。攻城兵器の類も山城ゆえ、その移動と利用が困難である。一方で兵糧攻めを効果的に行うためには三方の湖面を囲むに足る水軍が必要となる。敵は湖水を自由に補給路として活用できるのだから。無論、山城の山腹に築かれている城郭に対して低地から坑道堀を行うことの困難さは言うまでもない。そう、魔王城は天然の要害を利用した難攻不落の堅城なのだ。オレが戦術的にも優れているという所以である。


 更に魔王城には、その至近の位置に支城が存在した。魔王城の拠る丘の南東山麓には南北に街道が走るが、その街道を隔てたすぐ先にある観音寺山頂にも、魔王は新たな砦を築いていた。街道を北上あるいは南下してくる敵軍は、魔王城とこの観音寺山城から挟撃されるであろう。かと言って両城を同時に包囲することなど、10万の軍を集めても能うべからざる難事である。


 尤もその観音寺山城こそが、裏を返せば魔王城の唯一の弱点でもあった。街道を隔てて直線距離でおよそ2km。仮にこの地を占拠することができれば、それは魔王城に対する大きな牽制になるであろう。しかも、16世紀の砲では届かないこの距離も、オレの魔道具であれば……


******************************


 3年前、オレはこの国の各地に蔓延る魔王の手下どもを各個撃破した上で、いよいよこの魔王城に迫っていた。しかし、これだけの堅城が相手であれば、こちらの損害も無視できない数に昇るであろう。少なくともこの認識は、オレの幕下では共有されている懸念であった。


「上様、いかがなさいますか?」

 今ではあの御館様、大友義統ですらオレのことを『上様』と呼んでいる。13代将軍足利義輝の血を引くオレではあるが、未だ正式に将軍宣下された訳ではない。従って『上様』という尊称は本来これには当たらないのであるが、オレはこの尊称を黙認している。

「まずは魔道具『タンク』を用い、街道を封鎖せよ!」

「承知っ!」


 鉄骨製の車台(シャシー)車輪(ホイール)をつけ鋼鉄製の装甲(アーマー)を乗せただけの簡易的な戦車であるが、この時代の種子島程度であれば敵ではない。魔道具『タンク』に搭載された魔道具『ガトリング』は、近寄る敵兵を文字通り薙ぎ払ってくれるであろう。まずはこの『タンク』で南北に走る街道を確保した上で、街道を北上するオレの本体と南下してくる別動隊の合流を図る。これまでも『タンク』は、いくつもの戦線で敵を分断することに役立ってきた。敵に遊兵を強いて而、自軍は集う。用兵の基本であろう。


「上様にはお変わりなく」

 上杉景勝。北陸の雄にしてオレの協力者。今では勇者軍-断るまでもなくオレの軍だ-の1隊を預かる北陸方面軍司令官である。

「久しいな、景勝」

 関東の魔王軍を壊滅させた後オレは、勇者軍を2隊に分けた。オレの率いる本体は東海道から、景勝の率いる別動隊は東山道から、それぞれこの魔王城を目指すことにしていた。そして1585年10月22日、2隊はついに魔王城下で合流すると同時に、魔王城と観音寺山城との連絡を分断することに成功したのである。早速軍議が始まった。


「上様、勇者たる上様の魔導を用いれば勝利は必定とは言え、お味方の損害も少なからず」

 流石は歴戦の武者、景勝の言う通りである。「分断に成功」と「挟撃の危機」とは表裏一体なのだ。城に力攻めがあると同様、『タンク』であっても力攻めを続けられればいずれはその機能を失うであろう。ガトリングの弾は有限であり、搭乗員にも休息は必要なのだ。昼夜を問わない決死の突撃は、『タンク』の最大の敵であろう。

「魔王城と観音寺山城と、どちらを先に攻めるお考えで?」

 義統の問いに対するオレの答は決まっているが、敢えて義統の意を聞いてやることにした。

「そなたはどのように考える?」

「観音寺山城が先か、と」

 義統の解に景勝も頷いているようであった。

「義統、景勝。余の意はそなたらと共にある。されば速やかに、観音寺山城攻略作戦の策定にかかれ」

「はっ、承知」

 2人が平伏して軍議は終了した。


 2人が立てた作戦計画は、一言で表せば『勇者の魔導を魔王に見せつける』であった。それも『これ見よがしに』である。『タンク』と『カノン』を主力に観音寺山城に徹底的な銃砲撃を加えた結果……


 1585年12月9日、ついに魔王は勇者に降り、オレは魔王城を手に入れることに成功した。魔王が選んだ立地の地政学的重要性を、オレは余すところなく利用してやることに決めていた。

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