9話:来訪
月曜日の3,4時間目は体育だ。とはいえ、テロやら誘拐やらで心身ともにすり減らしている生徒が多いために本日はほぼレク、ドッジボール大会である。
当事者の一人であるリサは参加できないのだが。原因はその怪我…………いくら魔法を使って治されたからとはいえ、普通の感性をした人からすれば『大怪我して間もないんだから安静にしてたほうがいい』と判断するのは普通である。よって『治ったみたいだけど念の為安静に』という医者と『大怪我してるんだから休んでなさい』という体育教師の連携により体育参加は当分見送りとなってしまった。
体操服を着て座っているリサの隣にももうひとり見学者。隣のクラス、つまりA組の生徒だ。
彼女は怪我をしているわけではない。
「わー、皆さん、すごいですねぇ〜」
プラチナブロンドのフワフワな髪、病的なまでに真っ白な肌に、宝石のような青と赤のオッドアイ。そんな少女が車椅子に座っている。容姿に関しては説明不能だ、彼女の姿を正確に彫刻や絵画に残すことができたのなら、文明が滅んだあとに女神を模した芸術であると勘違いされるほどに整った容姿の持ち主である。
彼女はカーマ・アルカディア。1-A出席番号一番の少女。名前の通り日本人ではないが幼い頃から日本在住、中学校は梓と同じ私立中学校だったという。
「カーマさん」
「はぁい、なんですか?」
「あんまり乗り出すと、危ない」
「あっ、私としたことが………」
車椅子ではあるが、足が不自由というわけではない。体力がほとんどなく、調子のいいときですら杖をついて歩くほどの虚弱体質なのだという。
ただいい子なのだ、ほとんど学校に来られていないのにも関わらず友達は多い。
A組には二人マスコット枠がいるらしいが、カーマがその一人である。もう一人はドッジボール大会で飛び跳ねている西園寺遥だ。
「遥さんは凄いですねぇー。ボールより飛び跳ねてます!」
「でも漫画研究部だったよね」
「はい………運動はそこまで好きじゃないみたいで」
そんなふうに雑談していると紅稀が投げたボールを男子生徒が取りそこねた。凄まじい勢いのボールなので仕方がないが…………こちらに飛んでくる。
それを軽々片手でキャッチするリサ。
「やっべ、ごめんなリサ、カーマ!」
「気をつけてね」
そして片手で投げ返す。再び取りそこねるA組男子…………彼は茶化されてはいたが、紅稀とリサはありえない腕力をしているので仕方がない。
「リサさんも、すごいですー!」
「ありがとう」
とはいえ、体育に出れない問題はやや深刻である。まだ体力テストが実施できていないのだ。
「あー、再来週で半ドンも終わりかー、憂鬱だ」
「学生が勉強できないことを嘆かないでください」
「ウインナー端っこに寄せつつ言われても威厳もクソもないぜ」
「………今日は脂っこいものを食べられる状態ではないので」
退院後に体力テストは終えた二人がお喋りしているのを見ながら、メロンパンをかじる伊織がそういえば、と声を出した。
「ねぇ〜、そういや部活ってどうすんのぉ〜?」
最近色々とあって忘れていたが、学生としては深刻な問題である。
「リサは漫研だっけ?」
「うん。抜け駆けしてごめん」
「まぁ一番重症のくせに入院してなかったし仕方ねぇよ。アタシはパスだ」
紅稀は苦笑い。現在進行系でバスケ部とバレー部から勧誘が来ているはずだが………
「入りゃいいじゃん〜」
「アホか、アタシの中学時代のこと掘り起こされたら連帯責任で停部だっての」
「何して………あぁ言わなくてもいいです想像つきますので」
「梓ちゃんはどうする?」
「剣道部か茶道部に入ろうとしたのですがあいにく存在していないので………なんですかその視線は」
梓は中学時代弓道部だった様子。私立のお嬢様学校ならさておき、普通の都立中学校にあるはずもない。
「伊織は?」
「帰宅部」
「知ってた」
e-sports部はあるが伊織曰く『万年予選落ちが関の山』だそうだ。複数部門で優勝した彼女が言うと説得力が違う。
「あまり詳しくないので完全に興味なのですが、どういった側面で………?」
「だってゲーム楽しんでないんだもん。競技としてやってる感じ」
「うーむ、見識を広めるために入部しようとしましたが………」
「やめといたほうがいいよぉ〜」
安心して部活に打ち込めるのはいつになるか…………。
リサがやや目線を逸したのを見て伊織は少し考えてから、こう言った。
「折角だし漫画研究部入ろっかなぁ〜?」
「伊織さんは絵も書けるんですか?」
「まぁね、ノベルゲー作ってたことあるしぃ〜」
収入全没収されたけどぉ〜、と笑いながら言う伊織。一定の収入が見込めるくらいの作品を作っていたということである、梓は素直に感心した。
…………リサはやはり目線を逸らしたまま。
一昨日の話が尾を引いているのだろう、一体誰が許容できるというのだろうか。
『記憶にすらない自分のこと』で周囲を危険にさらしているなどと。
『彼岸の魔女』リコリス・ラディアータ。詳しい年代は教えてもらえなかったものの、過去に死亡している人物だという。魔女の名称通り、魔法を得意とし、特に闇属性魔法に関しては右に出る者がいないほどの知識と技術力を持っていたという。
「大方の狙いはリコリスと同じ体質の確保よ」
異常な質の魔素を大量合成し、無尽蔵に貯蔵し、なおかつ隠蔽する体質だ。欲しがる組織は多い、グレイや『雨宮』が撃退していた連中は基本的にこういった組織だという。
「でも最も重要なのは知識ね。組織の中でも、『一歩踏み込んで』活動できる連中はあなたではなくその脳内の記憶だけを欲しているでしょうね」
しかし『並ぶものが居ないほどの技術力と知識』、これを狙う組織も多い。中にはリコリスの死去後完全なロストテクノロジーと化したような技術も存在しているといい、知識さえ手に入れられれば再現可能という技術力を持ち合わせている組織も多いという。
それなら大人しく渡せばいいのでは、という梓の質問に対して藍はこう答えた。
「前世の記憶を抜き取る技術もまた、『ロストテクノロジー』よ。今の状況では成功率が低い、きっと失敗するわ」
失敗したらどうなるか、それも教えてくれた。
「失敗したら脳に損傷が出る…………奇跡的に無傷だとして、あなた達だってハズレくじはゴミ箱へ棄てるでしょう?」
………成功したら、の話は聞かないでおいた。聞かずともろくな事態が起こらないと察したからだ。
ずっと守ってはいられない。藍は多忙であり、東京から遠く離れる場合もあるという。だから、自分で身を守ってほしいとのこと。
………………ただ、リサが気に病んでいるのは自分と藍との関係のことだろうと伊織は考えている。自分は養子にもらわれたと知っているものの、それが裏で渦巻く陰謀が関係しているのではと考えてしまったのだろう。
そのまま昼休みは終了し、下校を促される。やや憂鬱な雰囲気を伴ってリサは3人の親友と歩いていた。
その前から、金髪の女性が歩いてくる。
「あ、よかった。あんまり待ってると警察呼ばれると思って」
「………? 誰ですか?」
「私はエリス・ミリアル・ドーラ・アスター。フジワラリサ、君の従姉妹」
三人が疑いの眼差しを向ける。あまりに唐突すぎて疑いの余地しかない。
エリスを名乗った女性は笑いながら母さんのことは知らないかな、と言ったが………流石に22人来たアスター家の人々全員とは挨拶していないし一度で覚えられる自身もない。
「グレイに聞いてみたら?」
「あ、そうだった」
リサはスマートフォンを取り出し、グレイに連絡をしてみる。エリス・アスターという人が来たと送ってみたところ…………『あいつ嫌い』と返信が返ってきた。添付された写真には、エリスとおそらく彼女の手で強引に女装させられたであろうグレイが写っていた。 「グレイくんが優しい人だって言っています」
「いや、私はあの子には嫌われているよ」
「じゃあ本物」
「………真偽判断そんなんで良いのかよ」
紅稀は警戒したままである。
とはいえ、信じるしかないだろう。自分たちはエボニアの事情にあまりにも無知だ。
「まずフジワラアイって人に挨拶しておこうと思ってね。今日はいるかな?」
「忙しいので、いないと思います」
一先ず同行。家の方向が大幅に違う梓と紅稀は途中で別れたものの、その道中交わした会話からしてエリスが来た理由がわかった。
「魔法を教える?」
「うん。お姉ちゃんの知識量だと私が丁度いいんだ」
年下の従姉妹ということで、姉と呼んでいいかと言われたので快く承諾したリサ。聞けば彼女、まだ14歳らしい。
「母さんたちは、大学教授とかだから教え方が高度すぎて分かりづらいだろう? だから私が来たのさ」
「………学校は?」
「サボってる」
つまらないんだ、と呟いたエリスが遠い目をしているのを見てリサは深い詮索をやめた。
「で、今日も早めに学校終わったからまた河川敷で魔法教えようと思ったんだけど」
「うん、いいよ。でも藍さんに連絡してからね」
◆
リサからメールが来た。
藍は伸びをして、そのメッセージを確認する。ちなみに今は仕事中…………休憩時間とかは無視、なんなら残業時間に関しても労基署が発狂するレベルの時間を記録している彼女を咎める人はいない。藍の職場は、そのへん緩すぎるくらいである。
(あら、エボニアからまた来てるのね………)
魔法を教えてくれる年下の人物、それも従姉妹らしい。自分も忙しくなりそうだし、この際頼んだほうが良さそうだ。
軽く返信する。スマートフォンの操作は慣れていないので時間がかかる───何とか打ったメッセージを返信し、スマホを置く。
そう、忙しくなるのだ。
「また面倒なMODね」
MOD…………それは異常な物品の中でも闇属性魔法、つまり魔素技術に纏わるオブジェクトの総称である。
異常存在というものは科学、魔法、超能力などによって原理が解明できないもののことだ。例えば組成が100%市販のものと同じ消しゴムが、独りでに空を飛びレーザービームを打つのならそれは異常存在であり、そのレーザービームが魔素由来のものであればMODとして扱われるだろう。
MODを複数収容して管理、研究するのがここ藤原魔素技術研究所。リサたちにも説明済みだ───ちなみにリサも前世関係でMOD判定だし、なんなら藍もMODだ。
そんな異常物品の中でもつい最近、4月初めに収容されたMODが厄介だった。
「蓮華、どうかしら?」
無線に話しかける藍………蓮華と呼ばれた人物、コードネーム『エスター』が困ったような声を出す。
『下手に私が攻撃しちゃうと、他の研究施設が移動するんじゃないかな、すごい警戒してるよ』
その報告に藍は少しため息をはき、厳重な収容容器を見つめる。その容器はロッカーのようだが生半可な攻撃では傷一つつかない…………その内部には和風な札が幾重にも貼られた桐の箱。まるで歴史的な物品を扱うような整った箱に納められているのはたしかに年代物だ。
非破壊検査で判定したところ、箱には日本刀が収められている。松林運送という下部組織が持っていたリストには詳細が載っていなかったものの、送り先である『勇者ギルド(Braver'sGuild)』という組織の性質上ある程度の検討はつく。
暗部組織『勇者ギルド(BG)』は、異世界における『勇者』を自らの手で作り上げるという目的を持つ組織。中でも『選ばれしものが持つ聖剣』に関する研究を重視し、恐らく確保した日本刀は『意思を持つ武器』の一つなのだろう。
意思を持つ物体というのはスタンダードなMOD………いや、魔法的に説明がつけられるのでMODですらないかもしれない。ただ危険性がわからない以上は厳重な取り扱いが必要というわけである。
特殊なだけの魔法具だとしても、その『意思』が必ずしも無害とは限らないのだから。
『勇者ギルド』の動きが活発化している。今後なにかしでかすのではないかと監視を強化しているのだ。
ただ藍が率いる特殊収容部隊Ω-18『黄金の月』のメンバー殆どが海外にいる現状、大規模行動は取れない。数の多い通常収容チームだって無限にいるわけではない。
「近日中にBG拠点2箇所を襲撃するわ。蓮華、準備をお願いね」
『はいー、それまでに藍ちゃんはしっかり休んでね』
通話終了。ふう、と一息ついてから次に連絡する先は、
「グレイ」
グレイだ。
「どういうことが説明してほしいわね」
『なにが?』
向こうははぐらかしたり煽っていたりするわけではない。多分純粋に疑問に思っていないのだろう。彼は強いのだろう、しかしどうにも対人スキルに難がある。9歳という年齢を考えれば納得はできるものの…………とやかく言う暇もない、藍は話を続けた。
「竜類。多数流れてきてるわよね」
『うん』
現状、異常性とは無関係に起きている事案だ。竜類…………『ドラゴン』と呼ばれる強力無比な生命体ではない、エボニアであればクマやオオカミといった生物によって引き起こされる獣害と似た感覚で被害を出す、強大ではあるが『猛獣』の範疇にいる生物たち。当然ながら地球にはいない、彼らがエボニア直通のワープゲートから多数現れ地球で被害を出しているのだ。
「本当に魔女集会は関係ないのかしら?」
『うん』
「………根拠はありそうね」
『時折他の世界にいった竜類を狩るのも仕事の一つ』
つまりはワープゲートを通って異世界に行くのも日常というわけだ。
「どんな個体が来ているのか教えて頂戴」
『さぁ………一応、僕が討伐した種類に関してはリストアップしてもらってるから後で送ってもらうように頼んどくね』
「お願い」
被害が出ているので、隠蔽にも人員を咲く必要がある。これがかなりの労力で、『異常ではあるものの厳格なルールの元で成り立つ条件と被害』がMOD被害なのに対して竜類の被害とは獣害だ、野生動物の本能に基づいた被害が起こる。
グレイと、他のエボニア人も来ているみたいだが…………彼らともコンタクトを取らなければならない。竜害に魔女集会が関与していないとはいえ、便乗してやってくる可能性もあるのだから。
「あとグレイ。エリス・アスターについて教えてほしいわね」
『あいつ嫌い。僕に女の子の格好させてくる』
「………大丈夫かしら?」