3話:日常が崩れ行く音③
当然、警察を呼んだ。グレイは目を離した隙にいなくなってしまったが、それよりも重要なことがあったため気にならなかった。
「それで、君の友人谷内伊織さんのハンカチには『見つけた』という文言が書かれていたんだね」
「はい」
隣の家では現場検証が行われていた。電話の電源を物理的に切断して連絡不能にした上、メッセージ性のある証拠が残っているために事態はかなり深刻である
あまりの事態に気を失ってしまった伊織の母よりも前にリサが自宅で聞き取り調査を行われている。
「君は、谷内伊織さんが学校に来なかったことに疑問を感じなかったのかな?」
「………普段から遅刻が多い子で、金曜日のテロで怪我もしてたから。普通に休みだと思っていました」
「なるほど………」
狩谷と品川、二人は目を見合わせた。普段の行いの悪さが災いしたというわけか。
「彼女が誰かに狙われる理由に何か心当たりは?」
「………」
考える。伊織は、確かに恨みを買いやすい態度をしているが誘拐されるほどではない。なら怨恨以外。考えつくのは今年2月頃に起きたちょっとした出来事。
「…………お金」
「金銭目的? でも彼女は」
「e-sportsの世界大会で複数優勝して、税金として払った分も含めると1億円の賞金をもらっています」
「それはありそうだ………ありがとう。他になにか心当たりは?」
狩谷が先を促す。
しばらく考えて、例のメッセージを思い浮かべて気づく。
「………『I found you』って、誰を見つけたんでしょうか?」
「? 谷内伊織さん自身が誘拐されている以上、彼女のことだと思うけど………」
「オイ」
「あっ、スミマセン………」
不用意な発言をした品川を狩谷が諌めた。それを見つめてから、リサはしばし考える。
二人はやはり顔を見合わせた。目の前の少女が何を考えているか、わからないからだ。親友が誘拐されたにしては冷静すぎる。テロにあったにしても、落ち着きすぎている。要は不気味だ。
狩谷が次の質問に移ろうとしたところで、藤原家の固定電話が音をたてる。
二人の刑事は頷いた、もしかしたら犯人からの電話かもしれない。
ただその想定は外れる。
リサが刑事二人の見守る中、スピーカーモードにした状態で受話器を上げると、
『も、もしもし。鬼姫高校1年の連絡網ですが………B組の藤原さんのお宅で間違いないでしょうか?』
女性の声。連絡網と言っている。罠かは不明、狩谷が口ではなく筆談で先を促した。
「はい、そうです。藤原リサです」
『私は1年B組平山の母です。あの、保護者の方は………?』
「すみません。仕事で忙しくて。私は帰宅済みなので………私で大丈夫なら、私が次に回します」
『ごめんなさいね。あの………鹿島紅稀さんと仲上梓さん、藤原さんのお宅にお邪魔していたりしないでしょうか?』
思わず品川が声を出しそうになった。行方不明者が3名も? それも、テロ事件の渦中にいた学生の中からピンポイントで?
リサが少しだけ目を見開く。余計なことを言うなと狩谷が指示しようとするよりも先に。
「いいえ。私の家には来てません」
『そうですか…………はい、わかりました』
「………………すみません。連絡網、次の村井さんへ回すの、お願いしてもいいでしょうか?」
『? えぇ、大丈夫ですよ。では、これで失礼します』
電話を切る。狩谷と品川も黙り込む中、聞き取りやすく親しみやすい通知音がリサのスマートフォンを振動させる。
画面を見て、その差出人を見て、
「………紅稀ちゃんと梓ちゃんから、ショートメッセージが来ました」
報告は重要だ。刑事二人は頷き、品川に確認を任せて狩谷は一旦藤原家を出る。そして携帯を取り出し警察署へと連絡を入れた。
リサ宛のショートメッセージ。
そこには例の文言が書かれていた。
『I found you, Idiot!!』
『I found you, Idiot!!』
「胸糞わりぃ、藤原リサ狙いか」
「ですね………でもどうして彼女を?」
藤原家を後にする二人。彼女の身柄は呼んだ応援に任せることにした。
「イカれたテロリストの考えなんざ知るか。今までノーマークだった訳だ、準備完了したから無差別にってことかも知れん」
困ったことに彼女の養母、藤原藍とその職場には連絡がつかない。養母も巻き込まれる危険性がある現状、これはかなり危険だ。勤め先の国立生命工学研究所は国家機密レベルの研究を取り扱っているため職員の携帯端末は全て管理下、電話をしても繋がらないのが常であるらしい。もしかしたら研究所を狙った誘拐かもしれないが、それならなぜ藍やリサではなくそのリサの友人を誘拐したかが不明だ。
警察署へ向かう必要がある、タクシーを呼ぶために携帯を取り出す品川。そして狩谷は、着ていたジャケットを軽く引っ張られ咄嗟に後ろを向く。
「誰だ?」
「警察の人だよね」
振り向いた先に誰もいないが、振り向いた上で少し目線を下げると少年が立っていた。
「…………お前、グレイ・グリーガーか?」
「うん。パスポート返してほしい」
返して、と手のひらを向けてくる。見え見えすぎる偽造パスポートを使っていたので保護者を探し出してグレイ諸共本国へ強制送還しなければならないが………
「あと、今リサが狙われてるみたいだから助けるために協力して」
聞き捨てならない事を言ったのでそれどころではなくなる。
「………今から、警察署へ向かう」
「うん」
「少し話があるから来てほしいんだが、保護者の方は呼べるか?」
「無理、僕一人」
………はぐらかしている感じはしない。
「……助けたいって、坊主、そりゃ無理だろ。この事件は警察が解決する」
「大丈夫、僕は強いから」
よくわからない発言だが………謎の手段で兵器を無力化したのは事実だ。非現実的なことだが、起きてしまったのだ、信じるしかない。
タクシーが止まる。品川が助手席に乗り、次に狩谷が乗り込む。次にグレイが乗った。
「ひとまず坊主、保護者かそれにふさわしい人物を呼べ、携帯くらいは持ってんだろ」
「ここからだと圏外だから難しいかな」
海外にいる、ということだろうか。
緩やかに発進するタクシー、品川はショートメッセージを確認しつつ、藤原リサの近辺に不審な人物がいないとの報告を狩谷へ見せる。
グレイはその報告を盗み見て、
「リサのことを守るんだよね?」
こう訪ねた。
「あぁそうだ」
何を当然なことを、と思いながらも反応する。グレイはルービックキューブのようなものをポケットから取り出し、ガチャガチャと組み替え始めた。
「なんだそりゃ。おもちゃか?」
「……………なんだろう。説明しづらい。僕も使い方は知ってるけど詳しくは知らないし」
なんだそりゃ、と二度目の反応。
「………うん」
頷く。何かできたのだろうか? だが色も絵柄も揃っていないように見える、何を納得したのだろうか………最近の子供が考えることはよくわからねぇと結論付けて狩谷はふと窓の外を見る。
月曜日の8時、車通りの多い時間だ。逆側は混雑している。そういや事故があったんだっけか、と考えながらも品川に声をかける。
「なんか動きあったら教えてくれ」
「わかりました」
狩谷は再びグレイを見る…………その服の下に包帯が巻かれているのを見て何か訳ありなんじゃないかと考えたが、その思考は隣車線から炸裂したクラクションの音で阻害される。
「ったく、苛立ちはわかるが…………」
渋滞に気が立った運転手が鳴らしたのか、そう思った。だがこのクラクションは完全に咄嗟に出たものだと言うことを、直後に理解した。
衝突音がした、しかもかなり大きい。逆走した車が対向車と衝突したような轟音…………思わずタクシーの運転手に止めてくれ、と言ってしまったがこれが自分たちの命を救うだなんて思わなかった。
タクシーの前方、仮にブレーキを踏んでいなければ確実に直撃していただろう。
前面が潰れた乗用車が落下してきたのだ。
「うわあっっ!? なんだ!?」
運転手が絶叫する、品川は絶句し、狩谷は窓の外、後方を見る。
そこには、
「っっ、砲撃テロの………!?」
金曜日の機械兵器………それに類似した存在がいた。
ただし外見が違う。あの機械兵器が戦車のような重装歩兵であるなら、こちらは様々な部品が細く軽量の兵装を装着している。目撃証言にあったとおり、部品のように『加工』された女性の姿も確認できる。
脚部は4本で鉤爪と車輪がついたもの、右腕部は鋭い爪、左腕部が機銃、背面には不気味な装置が取り付けられている。まるでカマキリのような印象を与えるその兵器、目が一際強い光を放ったのと同時、無造作に脚部の一本を思い切り振り上げ近くにあった車を鷲掴みにした。
運転手が何とか逃げられたのには安堵したが………確実にここを狙っている。
「おいおいおい今度は俺たちか!? 品川っ!」
「分かってます!」
シートベルトを外す。錯乱した運転手を強引に引き摺り出し、助手席側のドアから出す。狩谷も機敏な動きでグレイを小脇に逃げ出す。
直後、『カマキリ』が投げ飛ばした乗用車がタクシーへ直撃する。逃げ惑う人々、タクシーの運転手も足早に逃げ出したのを確認した狩谷は拳銃を取り出した。
「狩谷サン、ダメです人が多過ぎますし………」
「牽制にゃなるだろうが!! 坊主も逃げろ!!」
「……いや」
再び『カマキリ』が乗用車を掴んだ。破損した運転席側のドアから女性が落下する………逃げなかった理由は単純だ、後部座席のチャイルドシートを外すのに手間取っていたから。
『カマキリ』はそんな事情を考慮しない。原始的な投擲という行為を実行する為振りかぶる。
幼い子供の泣き声が聞こえたことにぎょっとしつつ狩谷と品川は逃げるために身構えた。
ただグレイは再びポケットからルービックキューブのようなものを取り出し、組み直すだけ。
「てめ、この状況でーーー」
「大丈夫」
投げ飛ばされる乗用車。明らかにグレイも押しつぶされる軌道、何より取り残された幼児は確実に死亡する。
表情に出ないものの、グレイはそんなことを許さない。
低い空洞音と共に現れる黒い渦。グレイはその渦の中に無造作に手を突っ込むと、チャイルドシートとそこに座る男児を引っこ抜いた。
呆気にとられる狩谷、流石に潰されそうになったために後退するがやはりグレイは立ったまま………パズルをかざす。出現したのは黒い渦ではなく、ガラスのように光が屈折して見える半透明の壁。潰れた乗用車はそれに激突し、動きを止めた。衝突音すらしない、不自然な動作である。そのまま滑り落ちるようにして緩やかに落下した乗用車…………何が起きているか、訳がわからない。
「調整ミス。壊れちゃった」
そう言って先程とは違う黒い渦の中へと立体パズルを放り込むグレイ。
ぽかんとしている男児に対して、グレイはこう告げた。
「大丈夫、僕がいる」
そう言って、グレイは狩谷へその子を預けた。
「お、おいっ! 訳がわからん、お前は一体何者だ!?」
思わずそう聴いてしまう狩谷に対してグレイは首を傾げて、
「僕はグレイ・グリーガーだよ」
それだけ答えて『カマキリ』へと顔を向ける。
低い音を立てる黒い渦と、ジャラジャラという金属音。
「逃げたほうがいいよ。周辺被害はどうしようもないから」
そう言い残し、グレイは跳躍する。
…………狩谷も品川も、子供がいるわけではないため直接は見たことはないものの、CMなどで見る特撮ヒーローのような現実離れした動きのようだと感じた。明らかに10歳くらいの少年が………というより人体が出せる運動能力ではない。10mほど跳躍し、街灯の上に着地するグレイ。
「………うん。厄介かもしれない」
黒い渦の中から、無数の鎖が射出される。それはまるで推進力を持っているかのように勢いよく射出され、また生きた蛇のような複雑な軌道で蠢く。それらの鎖は渦から渦へ、また他の渦へと複雑に出入りを繰り返している。
不気味で不自然で、非常識かつ非科学的。だが、グレイという少年にとっては至って普通の行動だ。
例えば江戸時代の人がヘリコプターを見たら、幻覚の類であると思うだろうし、妖怪のせいにするかもしれない。だが現代人がヘリコプターを見てもごくごく一般的な乗り物にしか見えないのと同じ。グレイにとってこの蠢く鎖や見えない壁、黒い渦は現実的で常識的で科学的なもの。
「でもやらなきゃだめだから」
鎖の展開が止まる。およそ25m分の鎖がピンと張られる。
「ごめん」
グレイの前方に黒い渦。そこから勢いよく、先端に鏃がつけられた鎖が射出される。
『カマキリ』は右の鉤爪を振り回し、その鎖を防ごうとしたがそれは不発に終わる。
明らかに不自然な動き、鎖が中空で何かを支点にぐにゃりと軌道を変え、再び生物のように蠢き逆に鉤爪を絡め取り………そのまま圧し折る。『カマキリ』は痛みを感じた様子もなく滑るように後ろへ下がろうとしたが絡みついた鎖がそれを許さない。
グレイは追撃のために他の鎖を射出し捉えようとしたが………突如として右腕部が肩から外れ、引き寄せていたためにグレイの方へと飛んでくる。グレイはワンアクションで対応、巨大な黒い渦を出現させてこれを呑み込む………敵の兵器を回収できたと思ったのも束の間、腕を外し後退した『カマキリ』のそばにも黒い渦が発生している。
(逃げるのかな)
逃がすわけがない、先程外した鎖の先端を黒い渦へと呑ませて、他の場所から再射出。この軌道なら右前足と左後ろ脚を絡め取り、バランスを大きく崩すことが可能だろう……………だが予想外のことが起きた。
『カマキリ』が発生させた黒い渦から、もう一本の右腕部が出現した。それは独りでに『カマキリ』の右肩へと装着され、それが持ち上がる。
形状は大きな銃口………つまり近接装備ではなく遠距離装備だ。『カマキリ』は飛来する鎖へと銃口を向け発射、鎖が勢いを失ったのを確認してからグレイの方へと左の銃を向ける。
形状が違う武器だ、それを察知したグレイは鎖を全て手元へ引き戻し、再び複雑に展開する。
おそらくこの場にオカルト的なことが好きな人物がいればこの鎖の配置が魔法陣のようだと思うだろう。事実、そうだ。これは魔法陣、それも三次元的なもの。
直後放たれる機銃の斉射を防ぐ結界は、先程乗用車を防いだものとは別物。
防戦一方ではない、防ぎながらも次の手を考える少年…………まぁ相手が近接装備を捨てたのだ、ここは接近だろう。
黒い渦から取り出したるは両刃の剣、昔ながらの騎士が持つようなものではなく、なにやら機械的な機構の目立つ剣だ。
「………■■■■」
明らかに日本語ではない言語が紡がれ、剣全体が青白い光を放ち始める。
放熱のためだろう、機銃の斉射が止んだ…………ここからが攻め時だ。
先程発生させたものより小規模な結界を足場に跳躍、一気に接近する。
『カマキリ』はすぐ反応、放熱中の赤熱した機銃で薙ぎ払う。それを最低限の動きで回避したグレイはまず脚部の一本を切り落とすために横薙ぎに武器を振るう。
散る火花、流石に金属を切れるほどの業物ではないが……破壊さえできればいいのだ、思い切り振り抜く。くの字に折れ曲がった脚部でバランスを崩した『カマキリ』だが即座に立て直す、姿勢制御が早い………おそらく根本から破壊しなければめちゃくちゃになった脚部のままでも継戦可能なのだろう。
そのまま折れ曲がった脚部で蹴り上げられたがそれを咄嗟の結界で防ぎ、再び懐へ踏み込む。
後退、そして左腕の銃口をこちらへ向けてくる『カマキリ』。だがグレイは黒い渦を発生させて発射された弾丸を後ろ足へと叩き込んだ。
黒い渦は空間と空間を接続するいわばワームホール、弾丸を反らすなんてことはグレイにとっては簡単だ。
大きくバランスを崩すものの、やはり立て直す異形の兵器。これを設計した人間の凄まじさが分かる…………どうやらこの兵器、部品化された女性の脳をそのまま利用して演算を行っている様子だ。悪趣味と一蹴はできない。それが高性能さを叩き出している以上製作者の執念を感じさせる設計である。
だが、考えている暇はない。そのままグレイはもう片方の脚部をへし折り………そのまま剣を振り上げ女性諸共切断した。
鮮血が舞う。女性部分は難なく切断できたが、おそらくは体内にも改造が及んでいるのだろう。手応えに違和感があった。
崩れ落ちるように膝をつく『カマキリ』。武器を支えることもせず、重力に従って両腕がダラリと下がるのを確認した。
………それでもグレイは注視をやめない。
流れ落ちた血液から分かる、異常な量のエネルギー。特にそういった技術を用いなくても肌で感じるほどの量。
「……………これは、何だろう?」
リサが狙われている理由だろう。グレイたちが使う一見非科学的な技術『魔法』………そのためのエネルギーを、藤原リサという少女は保有していた。それも、それこそ『常識外れ』な量と質のものを。目の前の兵器が流した血液も同様の性質を持つ。
一体何が、そう考えた瞬間ありえないものを見た。
「! 傷がーーー」
肺まで達した袈裟斬りの傷、それがあっという間にふさがっていく。完全に修復された瞬間、再起動を示すかのように両眼が機械的に強い紫色の光を放つ。
流石に狼狽えたグレイは、しかし迅速に次の行動を取る。
相手が回復するのなら回復されても問題ないようにすればいい、要は拘束だ、グレイは再び鎖を使って今度は部品となっている女性を絡め取る。
次なる一手は………そう考えた瞬間、一際大きな渦が発生する。明らかに『カマキリ』を回収しようとする動きであることを察知し、思い切り鎖を引き寄せたが向こうのほうが上手であった。
突如渦の中から何十本もの鉤爪………つまり『カマキリ』と同様の意匠の兵器が姿を表し、鎖を破断してしまった。
顔を顰めるが、深追いして自分が囚われては意味がない………残された鎖を戻した。
残されのは大破した『カマキリ』の手足。そこにどこかの所属であることを示すものは残されていない。
「困った。予想外」
ポツリとつぶやくグレイ。彼は駆け寄ってきた人に鬼姫町警察署の場所を聞き出すと、そのまま移動を開始した。
騒ぎを起こすなとここに来る前に言われていたものの、騒ぎを鎮圧するなとは言われていない。なので行動は続行しようと思ったのだった。