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骨食みクイールに手向けの花を  作者: 伊森ハル
2 愛しき妻に真なる終わりを
8/13

004

 ――記憶の内容は、先日視()たものとほとんど変わりがなかった。

 病弱な少女時代を経て、シルハと婚姻を結び、幾度となく病に伏し――命を燃やしながらそれらと闘い、やがて幕を閉じる。再現される細かな場面に違いはあったものの、大筋に違いはなかった。

 ただし、ミアが死んだ後に、続き(・・)があった。

 それは身寄りが無く、ひどく孤独な一生を送った女性の記憶。

 自分(・・)は孤児として教会に拾われ、内職の賃金を全て喜捨へと吸い上げられながらも、日々のささやかな糧に祈りを捧げて生きていた。

 記憶が薄れているのか、時間の飛びは非常に大きかったが、明らかにミアの人生ではない。

 ミアと同じように若くして病に倒れた自分は、町医者の往診も甲斐無く、たちどころに衰弱していった。


「――ねえ、先生……わたしは、死んでしまうんでしょうか」

「……ぼくには、治せない」


 ほぼ無賃の要請にもかかわらず、幾度も顔を見せている医師――シルハという名の男は、泣き出しそうな顔で告白した。


「……また、助けられないのか」

「また、ですか?」

「ぼくの妻も、同じ病に殺されてしまった。彼女の死後しばらく経ってから、別な手立てを見つけたけれど、そのときにはもう遅かったんだ」

「なら、わたしに、その処置を。……それとも、わたしも手遅れですか?」

「無理だよ。ぼくが見つけたのは、人を生き返らせる(すべ)であって、病を破る手段じゃない。それも、新鮮な死体が必要になる。本人でないのなら、最低でも同性のね」

「……それは、禁忌のたぐいだと、思いますが」

「もちろん」

「修道女に、それを教えるんですか」

「言ったろう。ぼくにはきみを治せない」

「すぐ死ぬわけじゃ、ありません。誰かに、言うこともできますよ?」


 脅しを受けたシルハは、自嘲のような吐息を漏らした。


「そうしたら逃げるさ。ちょうど、どこかに消えたいと思ってたところだ」

「わたしを生き返らせてください。約束してくれたら、秘密にしてあげます」

「その方法は僕の寿命を削るんだ。そこまでしてきみを生き返らせたいとは思わない。妻ならともかくね」

「あは。それを患者に、言いますか。それも、医者が」

「最初の診察でも言ったけれど、嘘はつかないことにしてるんだよ」


 投げやりな口調で答える。そんな彼の姿は、どこか捨て鉢になっているようにも見えた。

 数秒の沈黙をおいて、自分がゆっくりと切り出す。


「じゃあ、わたしが死んだら、わたしを、あげますよ」

「……何度か顔を合わせただけの医者に?」

「それでも……たぶん、いちばん親身になってくれたのは、先生だったから」

「医者の中で?」

「人生の中で、です」


 あは、という笑いが自然とこぼれる。


「どうせなら、消える前に、わたしを好きに使ってみてください」


 恥ずかしげにそんな言葉を告げた数日後。

 最後の往診に駆けつけた医師に看取られて、自分は、静かに人生の幕を閉じた。



「――けほっ」



〈魔法〉を行使し終えた直後、意識を戻したクイールは小さく咳き込んだ。


「……なんて、ことだ」


 未だ混濁しかけている思考の渦中にありながら、灰髪の少女は声をかすかにわななかせる。

 ためらうように一呼吸を置いて、クイールは告げた。


「君の骨には、二人分(・・・)の記憶が刻まれている。けど、おかしい。妙だ。これは……」

「それが分かれば十分よ」


 クイールの目前へ手をやって、ミアは切り上げるように言う。


「わたしは、やっぱり、わたしではなかったのね」

「……それを決めるのは、ひとえに君の主観だよ」


 そこで、事の推移を見守っていたロフィンがクイールへと近づいた。


「……クイール」


 少女は彼からごく小さな容器(アンプル)を受け取って、力なく首を折る。


「ぷぁ」


 クイールは中身を飲み干すと、両方のこめかみを揉むようにおさえてうずくまった。


「あー、きっつ……。立て続けに病死する(・・・・)のも、楽じゃないねぇ」


 深いため息をついて、彼女は身を起こす。いまいち焦点が定まっていないように見える瞳を、ミアの方へと向けた。


「しかし――よくもまあ、耐えられたもんだよ。びっくりだ」

「耐える? ……指のこと? これくらいなら平気よ。わたし、痛いのには慣れているもの」

「どうも、噛み合っていないねぇ」


 クイールは自身の首筋をほぐしつつ、ミアから目をそらした。

 そこで視界に入ったのは、壁を走る赤色の線。先日の〈葬儀〉でも視たものだ。


(――そういえば、シルハは禁書を見て何かに気づいた風だったっけ)


 ふと思い出して立ち上がり、最奥の壁へと近づく。中心に描かれたひときわ大きな文様に目をこらした。


「どうしたの、〈葬儀屋〉さん?」


 問いかけてくるミアに答えることもせず、クイールは口元へ手を当てる。

 呼び起こすのはこれまでに読んだ幾多(いくた)の記憶だ。〈聖代〉の技術や習俗に通じる知識を頭中に巡らせながら、彼女はじっくりと模様を読み解いていった。各所に仕込まれた文字を組み立て、現代語に訳していく。


「『血をもって契りと代えよ』……『汝が水銀を不可視と変えん』……ふむ……」


 少女はそこで目を閉じて、小さくうなずく。


「――なるほど。合点がいったよ。君の身に何が起きたのか。彼が何をしたのか。おおよそ、理解はした」


 クイールは振り返って、依頼人たる女性と視線を合わせた。


「君を見たときに違和感が無かったから、気づくのに遅れたよ。ここは、祭壇だったんだねぇ。特定の〈魔法〉に対する効力を押し上げるための、補助力場だ。火継(ひつぎ)に特化しているらしい」

「ごめんなさい、わたし、あなたが何を言っているのか……」

「伝えるべき、なのかな。うまく伝わるか、わからないけれども」


 灰髪の少女はそこで言いよどむ。対するミアは意を決するように一歩、近づいた。


「……それは、わたしに関係があることなのよね? それなら、教えてもらわなくっちゃ。それがわたしにとっての〈葬儀〉だわ」

「君が、そう言うのなら」


 クイールは諦めるように顔を伏せる。そっと上目遣いに依頼人を見やりながら口を開いた。


「気づいているのなら、いいんだけれども。……君、もう死んでるよ」

「ええ、ええ。わかっているわ。この〈わたし〉ではないけれど、確かにわたしは死んでいる。わたしは、すでに一度、死んでしまっているのよね。その後で、シルハがわたしを生き返らせてくれた」

「いいや、そういう意味ではないよ」

「それじゃあ、どういう意味かしら?」

「いいかい? ……君は(・・)現時点で(・・・・)既に死体だ(・・・・・)


 ゆっくりと、言い含めるような口調でクイールは語りかける。


「さっきまでは自動人形(オートマタ)のたぐいかと思っていた。本当に珍しい物品ではあるけれども、現存しないわけじゃない。それにミアの記憶を(うつ)()んだんじゃないか、って。けど、僕が知る限り、ここまで精巧に人格を写せはしない」

「え、ええと。あなたはなにを、言っているの……?」

「器だよ。記憶――魂を刻む、器の問題だ」


 困惑した様子のミアを見据えながら、灰髪の少女は人さし指を立ててみせる。


「ひとりの人間をそこまで再現するには、人形ではダメだ。最低でも人の身体が必要になる。どれほど精巧に人体を模したとしても、どうしても限界が出るからねぇ」


 言いつつ、指を眼前の女性へと向けた。


「けれども、君からはまったく違和感を覚えることがなかった。君は間違いなく人間だ」


 話を続ける少女の両目には、確信が宿っていた。


「君は言っていたねぇ。自分が本当に〈自分〉であるのか、自分は何者なのかを知りたいって。肉体――器という側面に関してのみ論ずるならば、君は、ミアではない」


 そこで、傍らの青年が思い出したようにつぶやく。


「……確か、墓地の夜警が(わめ)いてたな。死体を盗んだ輩がいたとか」

「そうだねぇ。……多分、君はそれ(・・)だ」

「わたしは、生き返ったわけではないの……?」

「君の――いいや、ミアの墓を空けたとき、ほとんどの遺骨が取りさられていた。はじめは墓荒らしを疑ったけれど、違ったんだねぇ。あれは、シルハが骨を持って行ったんだ。そうして、そこから彼女の記憶を吸い出した」

「待ってちょうだい、それじゃあ、私は……」

「ミアの記憶を受け継いだ、まったくの別人、ということになるねぇ。あくまで肉体が違うだけだと言うことも、できはするけれども」


 宣告を受けた瞬間、ミアは大きく目を見開いた。


「――ぁ」


 その双瞳から、見る間に生気が失われていく。死していることを自覚した身体から力が抜け、彼女は膝から崩れ落ちた。

 そんな姿の彼女を見て、灰髪の少女は眉尻を下げた。


「ううん。……こうなっちゃうのか。そんなつもりはなかったんだけれども」

「見たとこ、〈()〉はまだ入ってるらしいが」

「動力だけがあってもねぇ。彼女がそれを(こば)んでいるんだ。こうなると、ちょっとね」

 いつになく眉尻を下げて、クイールはミアの(そば)へとかがみ込んだ。

「ミア。わかるかい、ミア」

「〈葬儀屋〉さん……?」


 呼びかけに彼女はぼんやりと応じ、うつろな目をこちらに向ける。


「君は今、その器が君そのものであることを拒絶した。遠からず訪れることではあるけれども、それにしたって悪いことをした。すまない」

「いいの、いいのよ。わたし、本当は……気づいていたんだもの。だから、あなたを呼んだの」

「いいかい、聞くんだ。確かにそれは君の身体(からだ)ではない。けれども、君がそれを拒みさえしなければ、君が君であることを否定しなければ……おそらく、在り続けることはできる」

「でも、それじゃあ、シルハが可哀想だわ」

「なにを――」

「だって、その〈わたし〉は、わたしではないでしょう?」


 その問いに、灰髪の少女は口をつぐむ。

 クイールの表情を見て、ミアは、否――〈彼女〉は、弱々しく笑んだ。


「シルハに叱られるかもって、思ったけれど……がんばって、町まで行ったわ。本当のことを知るのは、怖かったけれど、あなたに手紙を出したわ。ちゃんと、知らなくっちゃいけないと、思って……」


 身体が思うように動かないのか、全身を小刻みに震わせながら、それでも言葉を紡ぐ。


「だって、あの人は、わたしをわたしだと思ってくれているのだもの」

「……よく、わからない」

「それでも、ね。やっぱり、わたしは、わたしじゃなかったの」


 かつて死したときシルハに対してそうしたように、〈彼女〉はクイールの頬に手を当てた。


「大丈夫、だから。……ね? 謝らないで、小さな〈葬儀屋〉さん。あなたはわたしの依頼を、しっかりとこなしてくれたわ」

「……僕は」



「――なにを、しているんだ」



 と、その場に割って入る、冷ややかな声があった。

 クイールとロフィンが振り返る。そのとき〈彼女〉は既に息も絶え絶えで、手には力が入っていなかった。そんな〈彼女〉の姿を見て、シルハは持っていた薪束を取り落とした。乾いた音が洞窟の中に響く。


「ああ、あぁぁ……なんてことだ、きみたちがやったのか? ぐ、なんて、なんてひどいことを、ああ、ああ……!」


 その場で身を折り曲げて、彼は苦痛に(あえ)ぐ。

 それを目の当たりにしてなお、クイールは平然とシルハを見つめていた。


「君が何をしたのか、おおよそ理解はした。まったく、遺体と自分の〈火〉を共有するなんて、自殺にも等しい行為だよ。君、自分でもわかっているんだろう? 〈彼女〉と共に生活しているだけで、自分の寿命が削られていることを」

「また、助けられなかったのか。また……!」


 シルハが嗚咽を漏らす。少女が小さなため息をつく。


「『また』じゃないよ。君がミアを助けられなかったのは一回きりだ。彼女の生と同じくね。……そこまで自罰を求めなくたって良いだろうに」

「知った風な口を、聞くな……!」

「風ではなく知っているんだよ、僕はね。シルハ、君がどれだけミアを想い、どれほど彼女のために尽くしてきたか。多少なりとも僕は知っているんだ。だから、君の行為を裁くなんて言うつもりはない」


 諭すような声音(こわね)で語りかける。しかし、内容に反して同情の色は無かった。言うなれば教師が生徒に理を解き教えるような、あくまで冷静な口調だ。


「……けれども、これだけは言っておく」


 両の瞳でシルハを見据えて、灰髪の少女は続ける。


「他人の遺体に記憶を転写したところで、それはミアそのものではないよ。仮にミアの遺体に君の命を分け与えたとしても、同じ結果が待っていただろう」

「嘘をつくなッ!!」


 シルハは頭を抱え、割れんばかりの声を張り上げた。


「みんなみんな、ぼくに嘘をつく。人々に信じられている聖エルムスでさえ、嘘をついてばかりだ。魂の救済? 天の楽園? なら、昨日まで生きていたミアはなんだというんだ?」

「あの聖開祖が嘘つきだってことに異論はないけれども」


 クイールは相も変わらず意思の薄い視線をシルハに向けた。


「君は勘違いをしているねぇ。〈彼女〉は、決して生きていたわけではない。君の火を受けて、そこに刻まれた魂の残滓に沿って動いていただけだ」


 しかし、その言葉は彼に届かない。少女が語りかける一切を無視して、シルハは独り言のようにつぶやき続ける。


「ああ、ぼくの周りには嘘つきばかりだ。けれど、ミアはぼくのそばにいると言ってくれた。彼女がぼくに嘘をつくわけがない。……だから、そうだろう?」


 空虚な笑いを口元に貼り付けて、彼は誰にともなく問いかけた。


「ミアが死んだなんて、きっと誰かのついた嘘だ」


 ゆらりと立ち上がって、身を起こす。

 懐から取り出したのは、皮鞘に入った一振(ひとふ)りの短剣(ナイフ)

 ロフィンが警戒に身を沈める。同時にシルハは得物を引き抜き、自らの手を貫いた(・・・・・・・・)


「なんだ、てめぇ……?」


 今にも飛びかからんとしていた青年は、眉をひそめて踏みとどまる。それを気にも留めず、シルハは傷ついた手を背後の壁に向かって振った。

 血液が飛び、岩壁に痕を残す。



 その直後――壁に走る文様が、強く発光した。



「ぼくは約束したんだ。助けてみせると約束した。あれは嘘じゃない。ぼくは彼女に嘘なんてついてない。だから助けるさ。何度だって、|たとえ誰かを殺してでも(・・・・・・・・・・・)、きっと助けてみせる」


 シルハは空を透かし見るかのように天を仰いで、唇を動かし始める。


「――『肉にまとわり、骨にまつろう祈りの源。水に(まじ)わり、果つることなく朽ちゆく傷痕』」


 ひどく(いびつ)な旋律が、場に響く。


「――『その請願は絶えずして、しかし届くこともなく。川面に照るは望郷の歌』」


 言葉が紡がれるにつれて、火の粉にも似た光の粒がシルハの周囲に生じていく。


「冗談でしょ、それって……」


 クイールは呆然とした面持ちで、その光景を見つめていた。

 彼女にはかろうじて意味がつかめたが、明らかに現代語の発音ではない。

 それ(・・)は、失われたはずの言葉だ。

 かつて〈聖代〉に生まれ、ほとんどが〈聖代〉に潰えた、異なる世界を開くための鍵。


「――『境を越えた()の者に、いまひとたび、帰郷の旅路があらんことを』!」


 最後の一節は、シルハの細身からは想像もつかないほどに猛々しい朗唱だった。

 その声に呼応するかのように光が弾け、場に霧散する。

 直後――地面に横たわっていた〈彼女〉の指先が、かすかに動いた。


「……あん?」


 間近(まぢか)にいたロフィンが気づいた頃には、すでに彼の足首が(つか)まれていた。


「おい、」


 残る言葉を置き去りにして、青年の痩躯が吹き飛ぶ。なんの前触れもない突発的な加速だ。

 飛んだ先には、分厚い岩の壁が待ち受けている。

 ぷつりと肉の弾ける音がして、風がそれを追いかけた。

 体液が跳ねる。壁面に鮮紅(せんこう)の花弁が開く。

 赤色の太線を壁に描きながら、青年の身体は床へと落ちた。

 それと同時、ロフィンの元いた場所で、ひとつの影が身を起こした。

 つい先ほどまで穏やかに笑んでいたはずの、小柄な女性。

 だらりと垂れた両の上肢(じょうし)幽鬼(ゆうき)のごとく。燐火(りんか)のように青く暗い光を宿した瞳は、焦点を失ったまま虚空を見つめていた。


「シル、ハを……シルハを……殺さセなんて、しなイ、わ……わたし、は……」


 うわごとのように言葉を紡ぐ。上書きされた記憶に寄りかかりながらも、そこにこそ己の有り様を見いだした〈彼女〉は、いっそ機械的なまでに愛する夫(・・・・)を守らんと動いていた。


「さあ、こっちに」


 シルハの呼びかけを受けて、その身体は一息に飛びすさる。

 先刻までの彼女とはまるで異なった俊敏な動きだ。中身が入れ替わったとしか思えないほどに克明(こくめい)な変化だった。

〈彼女〉の頬を愛おしむように撫でて、シルハは悲しげに口を開いた。


「ああ、ごめんよ、ミア。君にそんな顔をさせるなんて。大丈夫、すぐに君をまた生き返らせてあげるから。……死体がいるね。死にたての、新鮮な器が」

「まだ〈火〉を(そそ)ぐのか。そこまでして彼女を取り戻したいって? お熱いことだ」

「なんだっていい。これから、きみがミアになるんだから」

「ふうん。さっきまでの〈彼女〉がミアであったとは、僕には思えないのだけれども」

「随分と余裕だね。もう、ここに邪魔者は――」


 シルハの言葉を遮るように、振動が場を襲った。


「なんだ!? 何が……」


 シルハが驚愕に声をあげると同時、またも揺れに見舞われる。金切り声のようにけたたましい音を立てて空間が歪み(・・・・・)――洞窟の各所に縦横の亀裂が走った。


「――まずい。逃げろ、シルハ!」


 少女(クイール)が鋭く警告を発する。呼ばれた男の頭上には、巨大な岩塊が迫っていた。天井の崩落だ。


「ひ」


 シルハがそちらに顔を向けるが、遅きに失した。彼は何一つ行動を取れず、ただ身をすくませている。隣に立つ〈彼女〉が腕を上向けたものの、あの大質量では受け止め切れまい。

 今にも押しつぶされんとする二人を見据えながら、灰髪の少女は、その男(・・・)の名を叫んだ。


「――ロフィン(・・・・)ッ!」

(おう)よ」


 一つの影が、横合いから二人をかっ攫う。遅れて地面に衝突した岩塊が、轟音と共に土煙を巻き上げた。勢い余った三人がもつれ合うように転がる。銀髪の青年はシルハを(かば)う形で壁面へ激突し、ようやく停止した。


「いィっ()ぇなあ、くそ」


 頭をしたたかに打ち付けたロフィンが無感動にぼやく。

 彼のコートはひどく血に濡れていたが、その下にあるはずの傷は綺麗に癒えている。先ほど確かに砕けた骨も、無残に割れた肉も、すっかり元の形に戻ってしまっていた。


「な、あ……きっ、きみ、生きて、何故……!」

「説明は後だよ」


 狼狽(ろうばい)するシルハを前に、クイールは普段と変わらない平坦な声音で述べた。地震のような揺れは未だに収まらず、むしろ強さを増している。先ほど読み解いた文様が目に痛いほどに強く発光していた。


「祭壇が暴走してる。おそらくはロフィンの血に反応したんだろう。まずは逃げるんだ」

「彼の? 何故――」

「ああ、もういい(・・・・)。ロフィン、頼んだよ」


 ぞんざいに切り上げてクイールは踵を返す。指示を受けた銀髪の青年は、起き上がりざまにシルハと〈彼女〉を抱えた。彼らはそのまま脇目も振らずに走り出す。

 四人がそろって洞窟を脱したところで、背後からガラスの砕けるような音が響き――出入り口が完全に崩落した。


「うぁ……きっ、つ……走るの、きらい……おぇ……」


 ごく短距離の移動にもかかわらず、少女は肩で息をしていた。その横で、ロフィンが二人を地面に下ろす。


「思ったより、戻んのに時間がかかったな」


 首の骨を鳴らす青年に、クイールは半眼の視線を送った。


「……あのさあ」

「……あんだよ」

「さっき、わざと投げられたでしょ」

「不満かよ」

「正直ねぇ」


 少女は深く嘆息(たんそく)した。脱出に際して拾い上げていた帽子を、青年へと手渡す。


「あの程度じゃ死ねないことは、君自身がよくわかってるはずだけれど」

「万にひとつってこともあるだろうがよ」

「あり得ないねぇ。無駄な痛みを受けるだけだよ」

「小言はいらねえよ。それより仕事を終わらせたらどうだ」

「言われなくたって。……と言っても、どのみち彼女はもう長くない。祭壇の力を受けて繋がっていた二人の経路も、既に絶えてしまっているからねぇ」


 少女が視線を落とした先――地面に横たえられた〈彼女〉の瞳が、焦点を結ぶ。彼女が真っ先に見つめたのは、愛する夫の顔だった。


「ねえ、シルハ……」

「……ミア?」

「――いいえ」


 呼びかけに、〈彼女〉はゆっくりと首を振った。


「もう、わかっテしまった、の。わタし、は、本当は、ミアでは、ない、って」


 悲痛な告白を口にしながら、彼女は朗らかな笑みを浮かべている。かつてミアが死の淵にあってなお、そうしていたように。


「けれど。わたシは……ミアでいたいと、あナたのそバに居たいと……そう、思うわ」

「……そう、か。きみは、ミアじゃ、ないのか」

「残念だケど、ね」


 シルハの口元が自嘲に歪む。その顔に、一段と暗い影が差した。


「全部、ぼくの独りよがりだったってわけか。きみには、本当に悪いことを――」

「いいえ。そレも、違うわ」


 微笑をたたえたまま、彼女はなおも否定する。


「わたしは、ミアにはなレなかったけれど。わたシをミアとして、愛してくれて、嬉しかった」

「……は。変な子だ、きみは」


 力なく笑う夫を前にして、か細い声を〈彼女〉が発する。


「ね、シルハ。それでも、もし、あなタが私を、ミアと呼んでくレるのなら――」


 一筋の涙が彼女の頬を伝う。もはや力が入らないのか、震える手をシルハの首元へ添えた。


「――最期に、抱きしめテ、くレる……?」

「……っ、もちろんだとも」


 シルハは〈彼女〉の身をかき抱いた。その目尻から涙がこぼれる。


「すま、ない……! すまなかった……ミア……!」

「……あは」


 自身の正体を知ってなお、ミアたらんとしていたその女性は、満足げに吐息を漏らした。


「……あり、がとう。先生(シルハ)……」


 その一言を最後に、腕がだらりと垂れる。完全に動かなくなった〈彼女〉は物言わぬ屍へと還った。



 ――かに、思えたのだが。



 数秒後、〈彼女〉の指先がぴくりと動いた。


「……ミ、ア?」


 呼びかけに答える様子は無く、その震えは一気に全身へと広がった。自らを抱きしめるシルハを突き飛ばし、でたらめに身をよじる。その様は劇薬による急性中毒を思わせた。


「そんな、何が……どうして……!?」


 焦りに目を見開いたシルハは、すぐさま〈彼女〉の衣服を緩め、脈を測る。しかし、この場において救急医療の技術など役に立つわけが無かった。彼女の身体はとうに人間の理を外れているのだから。


「命が――〈火〉が、抜け切ってない」


 シルハの傍らで〈彼女〉の身体を見つめるクイールが、愕然とつぶやいた。


「固着した魂が、まだ身体に残った〈火〉と結びついて暴れてるんだ。器――〈彼女〉の意思とは無関係に、記憶の再現を続けようとしている」

「なぜ、そんなことが分かる――ッ、う」


 言葉を受けて振り返ったシルハの肩が、がしりと掴まれた。


「……彼女の身体に、何をした?」


 クイールに問われた彼は怯んだように身を引く。


「ぼくは……」


 少女の瞳に射貫かれて、シルハは告解のように弱々しい声を発した。


「ぼくはただ、彼女の身体が二度と病を寄せ付けなければいいと。それだけを願って……」

「見た目を似せただけじゃねえってことか。……ま、そうだよな。でなきゃ俺を投げ飛ばせるわけがねえ」

「病弱だった彼女に対する贈り物……のつもりだったんだろうけど、まったくの逆効果だよ、シルハ。君がしたことは、今になって〈彼女〉を苦しめている」

「そん、な……」


 不治の病を宣告されたかのように、シルハの顔が絶望に染まる。クイールはわずかに目を逸らしつつ、口を開いた。


「……〈彼女〉を楽に終わらせてあげる方法が、無いわけじゃない」

「ど、どうすれば良い!? ぼくは何をすれば……」

「いいや。君にできることは無いよ。けれども、その反応で君が悔いていることはわかった」


 苦しげに喘ぐ〈彼女〉の姿を見下ろしたまま、クイールはためらいがちに青年を見やる。


「……ねえ、ロフィン」

「俺に、やれって?」


 青年が問い返す。そこには抗議じみた(とげ)が含まれていた。

 少女はためらうように唇を噛みながらも、顔を上げて視線を交わらせた。


「うん、そうだね。お願いだ、ロフィン。彼女を(・・・)食べてあげて(・・・・・・)


 懇願(こんがん)にも似た声音(こわね)。淡い悲哀(ひあい)の色を乗せてクイールは続ける。


「彼女はもう救えない。彼女はミアではなく、ましてや、元の肉体としての女性でさえない。だから――もう誰でもないこのヒトを、せめて、君にしてあげてほしい」

「別にどう終わろうと、変わりはねえだろうが……俺も、死ねない辛さはわかる」


 ロフィンは舌打ちを放つ。灰髪の少女から視線を切って、乱雑に外套を脱ぎ捨てた。

 腕をまくり、〈彼女〉の首をわしづかみにする。高く(かか)げられた相手はまだ苦しげにもがいていたが、青年は意に介することなく唇を(ひら)いた。


「――『()あらば、()熾火(おきび)を我にゆだねよ』」


 そこから発せられるのは、耳慣れない単語の連なり。


「『一握(いちあく)の土と灰、(ちり)は我が(まき)。その刹那こそ、時よ、とどまれ』」


 短く、されど、凜然(りんぜん)とした旋律が(つむ)がれる。


「『呼びかけよ、お前は美しい。今ひととき、石櫃(せきひつ)を満たせ』」


 唇が閉ざされた瞬間、掌に触れた首を中心として〈彼女〉の身体が発火した(・・・・)

 その身が(まと)ったのは、夕焼けのように明るく穏やかな橙色(オレンジ)の炎。

 火は数秒と経たずに全身を包み込む。白日の下にあってなお明確に見えるほど火勢は強く、しかし、不思議とそこに熱さはない。波に(おお)われた〈彼女〉の肉が、急速にほどけていった。

 苦痛にうめくこともなく、〈彼女〉の身体は形を失っていき、十秒ほどで骨さえもが焼き崩された。もはや〈彼女〉の姿はどこにも無い。後にはただ、小さな火が青年の手中でゆらめくばかりだった。

 ロフィンは無言のまま目を閉じる。ゆっくりと火を口元まで持っていくと、そのまま一息に吸い込んだ。喉元を通った火は胸を(うち)から照らし――やがて、尾を引くように消えていく。

 ややあってから、彼はぽつりと独りごちた。


不味(まじ)い。本当に、不味(まず)いな」


 数瞬の沈黙。言葉を失っていたシルハが、そこでようやく声を上げる。


「今、のは……? な、彼は、彼は何だ(・・)!? 何なんだ(・・・・)!?」


 いかにも面倒くさそうな顔つきで、ロフィンはシルハに向き直った。


「何って……人間だよ。俺は人間だ。そうじゃなきゃ、なんだってんだ。他の連中を喰って、自分の命にする。お前だってそうだろ? じゃあ、俺もそうだ」

「と、いうことらしいけれども。まあ、納得しないよね」


 ふう、とため息をついて、クイールは青年へと一瞥をくれる。


「言うなれば、彼は、それ自身が〈聖代の遺物〉なんだよ」

「何を、馬鹿な」

(くら)きものたちに身を(おか)された、今となってはただひとりの腐肉喰らい。幻想の彼方(かなた)に消えたとされる、人の形を保った闇だ」


 灰髪の少女は青年が脱ぎ捨てたコートを拾う。

 血にまみれた布地の感触にも(ひる)むことなく、それを持ち主へと手渡した。


「他者が持つ命の残り火を、あるいは世界に漂う〈火〉そのものでさえもを喰らい、(おの)が身に(たくわ)える生命の棺。幻想生物(メタフィシキ)と呼ばれるモノの原点」

「俺は人間だ」

「――ま、彼がこう言っている以上、彼は人間だよ。僕はそれを支持する」


 言いつつ、クイールはシルハの肩を軽く押した。


「うあ」


 間の抜けた声と共に、彼は地面へと倒れ伏す。目だけを少女へ向けて、苦々しげにうめく。


「ぼくに、何を、した……?」

「何も? 強いて言えば、したのは君だよ、シルハ。無茶を通しすぎだ。自分の命を他人――それも死体に分け与えるなんて、君自身が死んでしまってもおかしくはない」

「それでも……ぼくは……」

「もう喋るのはよしなよ。少し、眠った方がいい」


 諭された青年が、まぶたを閉じる。それを確認した少女は、大きく身体を反らした。


「んぅ。……さて。それじゃ行こうか、ロフィン」

「……お前、行き先言うクセつけろよ」

「別に、今度はわかるでしょ? ミアの実家にだよ」


 弛緩した笑みを浮かべて、少女は首からさげた銀の鍵をつまみ上げたのだった。



◇◆◇



「……ん、あ」

「ああ、ようやく目が覚めたねぇ。正直、そのまま死んでしまうんじゃないかと心配したよ」


 意識を取り戻したシルハの頭上に、少女の声が降りかかる。身を起こすと、そこは彼にとって見慣れた屋敷の中だった。

 視界を動き回るのは、灰髪の少女と痩身の青年。二人は埃の舞い散る空間を行き交いながら、戸棚や本棚を引っかき回していた。


「何、してるんだ」

「家捜しだけど。探してる物があるんだよねぇ」


 シルハには目もくれず、少女は平然と答える。


「家主の僕を差し置いて?」

「ま、そうだね。彼女(・・)には許可を貰ったわけだけれども、彼女が家主であると言えるかは、正直わからないから」


 教会で行われる問答のようなふわついたやりとりだ。少女は会話にあまり意識を向けているようではなかった。手を動かしながらも青年へと話しかける。


「や、しっかし、人さらいと間違われなくて良かったよねぇ、ほんと」

「夜の間に動けたからな」

「おかげで歩き疲れちゃったけどねぇ」

「距離があったし、馬車も使えねえからな」

「……ロフィン、君、話が下手だって言われない?」

「別に?」


 軽口を叩き合っている風情だが、手が休まることはなかった。無造作に積まれた本をどかし、(きし)みを上げる引き出しの中身を検分する。


「……何を探しているんだい?」

「これに関しては、君はもう用無しだよ。よくもまあ、ここまで散らかせたもんだ」

「ぼくが知らない物? ……いや、もしかして、またお得意の『ぼくから聞いた』かい?」

「いいや、違う。残念ながら昨日、君から新しく聞けたことは無かった」


 クイールは淡々と作業と進めながら、シルハの問いを否定する。


「〈彼女〉に刻まれていたのは、あくまで二人分の記憶だ。それも、生きていた頃のね」

「……まるで、あのときのミアが生きていなかったみたいな口ぶりだ」

「そう言っているんだよ。君にとっては、認めがたいことかもしれないけれども」


 眠たげな口調で、彼女は語る。


「ミアが死んだ後、君に〈魔法〉を施されて起き上がったときの『人生』は、一秒だって視ることができなかったよ。あんなにも自然に、僕らと話していたのにねぇ?」

「つまり、残りかす(・・・・)か」


 横から口を挟んできたロフィンの物言いに対し、少女はわずかに眉をひそめる。


「さすがに言い方ってものがあるとは思うけれども……そうだねぇ、その通りだ。生前の記憶に引きずられたまま動く、単なる人形だよ」

「……ひとつ、いいかな」


 と、そこでシルハが呼びかける。


「んー? どーぞ?」


 ためらうような間を置いてから、彼は切り出した。


「きみは、ミアの記憶を持っているんだろう?」


 その問いを聞いた途端、灰髪の少女は手を止めた。


「……ああ、それ以上言わない方がいい」


 珍しく瞳に強い意志をこもらせて、シルハを射貫くように見る。


「いいかい? 僕はクイールだ。それ以外ではありえない。絶対にね」

「けれど、だって、きみはミアの記憶……人生を体験したんだろう? それなら――」

「勘違いだよ、それは」


 すがるようなシルハの問いかけを、少女は毅然と否定する。


「もう一度言う。僕はクイールだ。僕が僕自身をそう認識し、〈葬儀屋〉として定義している以上、僕は僕でしかありえない」


 シルハに近づいて、彼女は視線の高さを合わせるようにしゃがみこんだ。


「どうしてそこに執着するのか、理解に苦しむねぇ? 疑似体験として故人の記憶を有しているというだけで、僕が特別な存在とされる謂われなんて無いと思うんだけれども」


 人さし指を立てて、彼女は空中に直線を描いてみせる。


「もちろん、その『記憶』は主観的な一本の道で、客観から成る『故人に対する記憶』とは別物。けれど、どれくらいの違いがあるっていうのかねぇ?」


 クイールは講義じみた口調で話し続ける。シルハは黙ってそれを聞くことしかできずにいた。


「断片的な故人に対する記憶の集成と、その故人が体験した『人生』としての記憶。確かに、質としての差はあるだろうねぇ。けれども、結局はどちらも故人の『一部』でしかないわけ」


 彼女は今一度、シルハに鋭い視線を向けた。


「侮辱だよ、それは。故人に対しても、もちろん、僕に対してもねぇ」


 少女の言葉に気圧されるように、シルハはしばらく押し黙っていたが――やがて大きく脱力し、天を仰いだ。


「……そう、か」

「うん?」

「ミアも、彼女も、死んでしまったんだね」

「……そうだね。それだけは間違いない」


 と、そこで、家捜しを続けていたロフィンが声を上げた。


「――見つけたぜ、クイール」


 それを聞いた少女は、胡乱げな顔で振り返る。


「えぇ、ほんとにぃ? さっきも見つけたって言ってたよねぇ。これで三回目だよ」

「知るかよ。紺色の小箱としか知らされてねえんだ。そんなもん、いくつだってあるだろうよ」

「だから、ミアの名前が書いてるんだってば。本人の直筆でさ。手紙は見たろう? 筆跡が一緒かどうか、確認してもらわないと」

「……間違いねえ。コイツだ」


 ロフィンが確認もそこそこに放り投げた小箱を、クイールは慌てて受け止めた。


「わ、っと。君さあ、もう少し丁重に扱いなよ」


 口先をとがらせて文句を言いつつ、少女は箱の蓋を開ける。ほの暗い蒼さを帯びた、正八面体の石が収められていた。


「……これ、投影結晶(プリズム)だ」

偽物(にせもん)じゃなくてか? 珍しいな」

「まあ、もともと〈遺物〉で一財産を築いた家系のようだしねぇ」


 投影結晶(プリズム)は映像や音声を内に閉じ込めることのできる特殊な物体だ。製法は既に失われており、映像を記録できる物は特に高値で取引されている。


「記録の中身は? 知ってんだろ?」

「なにかしていたのは知っているけれど、そこまではちょっと。全部が全部、読み取れるわけじゃないから」


 彼女は小箱の中から結晶を取り上げて、背後のシルハへと渡す。


「たぶん、これは君に宛てた物だ」

「……ぼくに? ミアが?」

「昨日の〈葬儀〉で、一回目とは少しだけ違う記憶を視た。彼女が亡くなる少し前に、これを仕入れていたんだ。なら、君への贈り物と考えるのが妥当でしょ」

「見るべき、なんだろうか」

「さてね。僕がとやかく言えることじゃない」


 シルハは少しだけ悩んでいるようだったが、自嘲じみた吐息を漏らして視線を落とした。


「……いや、やっぱりやめておくよ」

「いいのかい?」

「とやかく言えることではないんだろ?」

「まあね、確認したかっただけさ。どっちにしろ、起動用の鍵もわからないんだ」


 そっけなく答えるクイールを前に、シルハは力なく笑う。沈黙に耐えかねたように、彼は静かに語り出した。


あのミア(・・・・)に――彼女に礼を言われて、気づいたんだ」


 彼は手の内にある結晶へと目を向け、表面に反射する自身を観察するように見る。


「ぼくはね、ミアとの約束を果たせなかった。ミアに嘘をついてしまったんだ。昔から、嘘が嫌いだった。だというのに、誰よりも愛しい妻に嘘をついてしまった。結局のところ、ぼくはそれを認めたくなかっただけなんだよ。情けないことにね」


 シルハが言い終えた瞬間、手中の結晶が一際強い光を放った。

 彼は驚いて結晶を取り落とす。

 その直上、何も無かった空間にミアの姿が浮かび上がった。時折、各所に影が走るため記録であることがわかるが、それ以外は本物と遜色ない。


「ああ、なるほど。今の言葉が起動の〈鍵〉か。嘘をついた、って部分かな」


 ぽつりと呟いたクイールが目を向ける先、ミアがゆっくりと話し出す。


『――こんなものを遺して、余計にあなたを悲しませるだけかもしれないけれど。今のあなたは冷静でないようだから、こんな形にするくらいしか思いつかなかったの。もしも、あなたがいつまでも悲しんでいるのなら、誤解を解いておきたくて』

「誤解……?」


 まるでシルハのことが見えているかのように、彼女の映像は夫と視線を合わせた。


『これを見ているっていうことは、きっと、あなたはわたしとの約束を(たが)えたと思っているのでしょうね?』

「だって、そうじゃないか。ぼくは、きみのことを助けると……」


 意味を成さない行為と知りながら、シルハはミアに語りかける。それを予期していたのか、あるいは偶然か、映像上のミアは柔らかな笑みを浮かべた。


『ね、シルハ。私、あなたと一緒にいられて、とっても幸せだったのよ。だった、なんて昔のことのように言うのは許してね。きっと、わたしはもうすぐ逝ってしまうから』


 言葉の通り、空中に浮かぶ彼女の顔色は良くない。おそらくは息絶える数週間前。不調を押してこの遺言をしたためたのだろう。


『あなたは嘘なんてついていないわ。わたし、とっくの昔に救われていたんだもの。あなたがあの場所に連れて行ってくれたとき――わたしを助けると言ってくれたときに』

「……っ、きみは、ぼくが謝ることすら、許してはくれないのか」


 大粒の涙をいくつも落としながら、それでもシルハは妻を見上げ続けた。


『――いつまでも一緒に生きることは、できないけれど』


 彼女はくしゃり(・・・・)と悲しげに笑って、最愛の夫に告げる。


『それでもわたしはきっと、いつまでも、あなたのそばにいるわ、シルハ』


 その言葉を最後に、彼女の映像が途絶えた。

 静寂の中、ただ、男が漏らす嗚咽(おえつ)の音だけが響いている。


「……陳腐な言い回し、だけれども」


 そんなシルハの背中に向けて、灰髪の少女はそっと声をかけた。


「君にとってのミアは、君だけのモノだ。君がそう望むなら――君が彼女をそう定義するのなら。君にとってのミアは、そこにいる。たとえ死んでいたとしてもね。それでいいんだ」


 小さな結晶をかき抱くように握りしめたまま、シルハはしばらく身を震わせ続けていた。



◇◆◇



「……終わりに、するよ。彼女を生き返らせようなんてことを考えるのは、やめにする」


 ひとしきり泣きはらした後、シルハは顔をゆっくりと上向けた。相変わらず憔悴してはいるものの、どこか憑きものが取れたような表情を見せている。


「町医者に戻るってわけにもいかねえだろ。これから先のアテはあんのか?」


 ロフィンの問いかけに、シルハは首を横に振った。


「なら、ここに行くといい」


 クイールが両者の間に入って、紙片を差し出す。


「……これは?」

「ミア――いいや、〈彼女〉が僕らに宛てた手紙だ。宛先を訪ねて、僕らの名前を出すといい」

「雇うって言うのかい、ぼくを?」

「僕らが、ではないけれどね。君には〈聖代の遺物〉に関する知識がある。あと、古物商にもツテがあるだろう? 彼らは君の力を有用だと認めるはずだよ」

「きみらを殺そうとしたのに、助けるのかい?」

「そりゃまあ、使える奴を見つけりゃ金になるからな。額としちゃシケたもんだが」


 歯に衣着せぬ物言いの青年に、灰髪の少女は半眼の視線を向けた。


「ロフィン、君はもう少し婉曲的な物言いを身につけた方がいいよ」

「知るかよ」

「はあ、これだよ。……まあ、シルハは先に行っててくれないかな、そっちの方が助かる」

「先に? ……君たちは、どうするんだ?」

「後始末かな。君がミアの記憶を刻んだ身体があるだろう?」

「けれど、あの遺体は」

「そうだねぇ、ロフィンが食べた」

「それなら、もう〈彼女〉は……」

「まあね。彼女の肉も骨も、その身に無理やり注がれた命の火さえも、今ではすっかりロフィンという存在に混ざりあっているわけだけれども……」


 灰髪の少女は、ほのかな笑みを浮かべた。


「せめて祈りを捧げる人間くらいは、いたっていい」

「……ぼくは」

「別に、君に償えなんて言うつもりはないよ。これはただの自己満足だ」

「タダ働きのな」

「君は一言多いんだよねぇ」


 やれやれと首を振ってから、少女はシルハへと顔を向ける。


「まだ何か言いたげだねぇ?」

「ぼくが言えた義理ではないけど、なぜ、そこまで?」

「僕に言わせれば、君が火を注ぎ込んだ〈彼女〉は決して生きていたわけではないけれど」


 彼女は首元に下げていた銀の鍵をつまみ上げてみせた。


「それでも――これを渡したのは、他ならぬ〈彼女〉自身の遺志だよ。〈彼女〉はミアであることを選び取ろうとした。それが叶わないと知ってからもね」


 いつになく口元を引き締めて、少女は少し照れくさそうに視線を逸らした。


「僕はその()(よう)を好ましいと思った。それだけさ」



◇◆◇



「――結局、死人の蘇生なんてモノじゃあなかったわけだ」


 断片的な記憶を頼りに、偽の〈友人〉として教会を訪ねた帰り。クイールの隣を歩きながら、銀髪の青年はぼやくように言った。


「まあね。僕は、そんなとこだろうと思っていたわけだけれども」

「へえ? そいつはどうしてだ?」

「〈聖代の遺物〉にさえ、ヒトを生き返らせる術なんてものは存在していない。あるいはまだ発見されていないだけなのかもしれないけれど、きっとそんなものは無いだろうねぇ」

「どこに根拠があるってんだ? お前が当時生きてたわけでもねぇだろ。〈葬儀〉で視てねえ〈聖代〉に、存在してたっておかしかねえ」

「蘇生に必要な費用の問題も絡んではくるかもしれないけれど、もしそんな術が存在していたなら、かつての人類が〈聖代〉を迎え、〈聖代〉を終えたはずはないからだよ」

「何が言いてえのか、さっぱりわからねえな」

「おおよそ戦争というものは、争いの相手を『死』という絶対的な壁の向こう側へ追いやることができる、という前提の上に成り立つものだからねぇ。そこがひっくり返ってしまったら、戦いという手段を取る意味が無くなってしまう」

「……ああ、そういうことか。〈聖代〉は戦争で始まって、戦争で終わった」

「そ。そこにあったのはまず間違いなく『闘争相手の排除』を目的とした、最も原始的な戦争だからねぇ」

「相手に割を食わせるためだけに仕掛けた可能性は?」

「もちろん、交渉手段としての戦争は存在しうるだろうけど。それだって、どれほどの効果を上げるか知れたものじゃない。あっさり生き返るなら、脅しようがない」


 話を聞いたロフィンは、小さく鼻を鳴らした。


「ま、説得力はあるかもな。……誰からの受け売りだ?」

「こないだ()た歴史家の記憶」

「そんなこったろうと思ったぜ」

「でも、これは僕の意見でもあるんだねぇ。僕が見聞きして、他ならぬ僕が納得したからこそ、いま僕はそう述べたんだよ」

「どうだか」

「……ねえ、ロフィン」

「なんだよ」


 不意に声の調子を落として、灰髪の少女は問いかける。


「僕は、本当に僕かな?」


 その質問に、青年は黙り込む。

 しばらく考えるような間があってから、口を開きかけたところで――クイールの方が明るい声を上げた。


「なーんて、ね。ちょっと思っただけだよ。さ、はやく戻って報告を上げよう。シルハが集めてた医術書、かなり危険な代物も混じってる。それなりの報酬はもらえるはずだからねぇ」

「……」

「ロフィン?」

「……後にしようかと思ったが、気が変わった」


 ロフィンは黒鞄の扉をひとつ開き、紙袋を取り出す。かと思えば、粗雑な動作でそれを少女へと放り投げた。


「わ」


 取り落としそうになりながらも、クイールは袋を胸で受け止める。


「やる」

「これ……」


 中身を見るよりも早く鼻先に触れたのは、独特の甘い香り。その正体に思い当たった瞬間、灰髪の少女は目を輝かせた。


「さっすがロフィン。実のところ、君は最高の相棒だと思っていたところなんだよねぇ」

「言ってろ」

「照れなくていいって、僕が君を手放しで褒めるなんて、めったにないことだからねぇ。もっと嬉しそうな顔しなよ」

「うるせえな」


 にわかに騒がしさを得た空間、少女は紙袋を開けつつ空を仰ぐ。

 刺すような日射(ひざ)しに目をすがめながら、菓子をひとつ口へと放り込んだ。



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