001
西方都市、シトフイク。
ミトラ西部に座する交易都市の一つであり、定住者だけで三万の人口を擁する大きな町だ。
新物の野菜が出回りはじめる初夏ということもあって、発着場として整備された一角には、公共交通・個人所有を問わず多くの馬車が行き交っていた。
がやがやと騒がしい雑踏の中――ある一輌の乗合馬車から、一人の少女が降り立った。
「うえ、やっと着いた……」
小柄な身を包む長衣は夕空を焼き込んだように穏やかな橙色だ。ともすれば鮮やかにも見える布地に反して、その造形は徹底的に簡素だった。法衣じみた服装だが、エルムス教のそれとは異なり、意匠のたぐいが見受けられない。
通行人たちが奇異の目を彼女に向けたのも当然だろう。ただ、それは珍しい服装だけに原因があるわけではない。むしろ、彼女自身の容姿によるところが大きかった。
整った目鼻立ちに、磁器のように白い肌。鳶色の瞳に、左右不揃いな灰色の短髪。
全体的に身体の色素が薄く、小柄な体型も相まって、どこか作り物めいた印象を受ける。顔つきは少年然としていて、女性でさえも魅了されてしまいそうな美しさを有していた。
もっとも――彼女の両目の下には、それらをまるごと台無しにしてしまうほどに大きなクマができあがっていたのだが。
「……あー、ほんと、長かった。相乗りの車って、どうしてこう肩がこるんだろうねぇ」
ぼそりと呟いた彼女は、名をクイールという。
「そう言う割に、今日はやけに調子が良さそうじゃねえか、クイール」
と、彼女の背後――馬車から、もう一つの影が出てきた。
深く暗い紺色のコートを羽織った、長身の青年である。頭には同色の、やたらとつばの広い帽子をかぶっていた。銀糸のように艶めく長髪は後頭部で束ねられており、彼の浅黒い肌を際立たせている。
「調子がいい? これで? ロフィン、君もしかしてそれ嫌味のつもり?」
青年の言葉に顔をしかめながら、クイールは振り返る。
「いやまあ、確かに道中は整備されてて、揺れが少なかったのは評価できるけれども。でも、相乗りはいただけないねぇ。他の乗客がお喋りなものだから、延々と話しかけてきたし。君は君で、会話に困ってる僕を助けようともしてくれないし」
「そんだけ口がきけるなら上々だろうよ」
御者から巨大な黒鞄を受け取ると、その青年――ロフィンはクイールに問うた。
「……で? 今回の依頼人はどこにいる。そもそも、どんな依頼だ?」
「あー……依頼人は、ミアという女性なんだけれども、それが少し変な文面でねぇ?」
問われた少女は懐から一枚の小封筒を取り出し、中の手紙を開く。
「変?」
「うん。『わたしの記憶を読んでほしい』だってさ」
その言葉を聞いたロフィンは、あからさまに眉根を寄せた。
「……わたし、だ? 『わたしの家族』じゃなくてか?」
「そ、わたし。……どう? なかなか難儀そうでしょ?」
少女は手紙で口元を隠し、悪戯げに笑う。
「――よし、帰るぞ」
しかし、対する青年は踵を返して馬車の案内所へと歩き出した。
「うええ? ちょっとちょっと」
「旅費が無駄になったな。くそ、毎度毎度、妙な依頼ばっか選びやがって……」
「僕はまだ帰らないよ、ロフィン」
背中にかけられた声を受けて、青年は肩越しに振り返る。
「……あのな、その依頼人、お前の仕事について何か間違えてんじゃねえのか?」
「いいや、それは無いよ。僕らの噂が流れる過程で妙な尾ひれが付くことは、確かにあったけれども……手紙を読む限り、彼女は僕の〈葬儀〉を正しく理解している」
「そんなら、なおさらだろう。たちの悪い悪戯だ」
「それならそれでいい。問題はむしろ『彼女の依頼が本物だった場合』だよ」
反論に、ロフィンが黙り込む。
「言ってる意味、わかるよねぇ」
「……くそっ。とっとと終わらせるぞ」
その答えに満足したように、クイールは緩んだ笑みを浮かべた。
市場を兼ねた中心街の近辺は非常に活気高く、一種の祭りじみた様相を呈していた。
通りの端々には露店だけではなく、その場で食事を供する屋台の姿も見て取れた。香辛料や果物、焼ける肉の匂いなどが辺りには漂っている。
「うっわあ……人、ちょっと多すぎるんじゃないかねぇ? これまさか年中やってるわけ?」
人混みの中を歩きながら、少女は辟易した様子で周囲を見回していた。
「この道選んだの、お前だろうが」
「いや、そうだけどさあ。――え、嘘。うわ、あれ油砂糖だ。帝都でもそうそう見かけないのに。ね、ロフィンあれ買って、あれ食べたい」
「てめえ仕事のこと忘れてんじゃねえのか」
「けち」
「あんな菓子よりも、先に依頼人だ。道は本当に合ってるんだろうな?」
「ん、まあ一応ね。この道をずっと行くと、住宅街に出るはずだ。そこまで行けばすぐじゃないかな」
「……コトが全部済んだら、買ってやってもいい」
「言ったね?」
「そうでも言わなけりゃ、お前、わざと適当な道選びそうだしな」
「さすがにそんな子供じみたことはしないよ」
「どうだかな」
肩をすくめるロフィンを半眼で見やりつつ、灰髪の少女は足取りを早めたのだった。
◇◆◇
二人が足を運んだのは、中心街を通り抜けた先、地元民の住宅が建ち並ぶ区画である。
目的の家は予想よりも簡単に見つけることができた。
「……いやあ、これはこれは、なかなか大きな家だねぇ」
クイールの言葉通り――屋敷とさえ呼べそうなほどに大きな邸宅が、そこには建っていたからだ。
「ってよりも、こいつぁ……」
傍らのロフィンが言いよどむ。その原因は間違いなく眼前の建物にあった。
「廃墟、じゃねえか?」
彼の言葉は正しい。
長らく人の手が入っていないらしく、庭先は雑草が伸び放題だった。その奥に覗く家屋も異様の一言で、玄関口から窓に至るまで厳重に板が打ち付けられている。
「ううん、まあ、人が住んでるようには見えない、よねぇ?」
少女の感想を聞いたロフィンは眉間にしわを寄せて、帽子ごと頭を押さえた。
「他に手がかりはねえのか?」
「んー、それらしい部分といえば、ここかな」
言いつつクイールが指し示したのは、手紙の末尾である。
そこには『わたしは思い出の場所で待っています』という言葉が記されていた。
「んで、その思い出の場所ってのは?」
「わからないから差出人の住所を訪ねたんだけどねぇ」
「打つ手なしってわけか」
「だねぇ。……じゃ、ひとまず甘い物でも食べて仕切り直しを」
「却下だ」
「ちぇ」
「――おや、客人かい。珍しいもんさね」
そんなやりとりを交わしていた二人に声をかける、ひとつの影があった。
会話を中断して振り返る。そこには老婆が立っていた。
通りがかった現地民、といった風情だ。まさかあの家の主というわけでもあるまい。
そう判断したクイールは笑顔を浮かべて、そちらに向き直る。
「こんにちは、お婆さん。僕はクイールといいます。こっちのはロフィン」
「ん。ああはいはい、どうも。……で? その家になにか用でも?」
「実は、ミアに会いたくて来たのだけれども。彼女は今日どうしているかな?」
「……ミア、だって?」
その名前を聞いた瞬間、老婆はかすかに目を見開いた。
「なにか?」
「とっくに死んだよ、その子は」
言葉の意味を理解するのに、数瞬の時を要した。
「……死んだ? ミアが?」
「ああ、もう三年になるね」
「え? ……ええと、それじゃあ、失礼ながら、あなたはご遺族の方ということ?」
「いいや、私は他人さ。近所に住んでる、単なるババアさね。ま、あの夫婦と交流があったのは確かだけど」
「そうなんですか。ううん、困ったな。まさか彼女が亡くなっているだなんて……」
老婆はクイールとその背後に立つロフィンの姿をうさんくさそうに眺めていたが、やがて小さく鼻を鳴らすと、二人に背を向けて歩き出した。
「来な。話くらいなら、付き合ったげるよ」
◇◆◇
依頼人がすでに死んでいるという事態は、まるで予想していなかったわけではない。
手紙を読む限り、ミアなる女性はクイールの仕事について正確な理解を示していた。死者の記憶を読み取り、遺族に伝えるという〈葬儀〉の要所は、少なくとも押さえていたのだ。
であるならば、『わたしの記憶を読んでほしい』と宣言した依頼人は、すでに死者となっていてもおかしくはない。
ただし、それはあくまで『可能性の一端として』であり――言葉遊びのように考えていただけだ。それでなくとも、ミアは『待っている』と手紙に書き記している。よもや本当に死んでいようなどとは、クイールとしても想像してはいなかった。
しかも、それがここ数日ではなく、三年も前の話であるなどとは。
「……さて、何を話せばいいものやら」
ごく一般的な規模の民家。ソファに腰をおちつけた老婆は、細長いパイプに煙綿――嗜好品の一種――を詰めながらそう呟いた。
その対面に座り込んだクイールが、口を開く。
「まず伺いたいのは、そうだねぇ。ミアが死んだというのは本当なのか、かな」
「本当も何も、彼女は死んだよ。さっき言った通りさ」
「言った通りというのは、三年前に、という部分も含めて?」
「そうさ。何がおかしいって言うんだい?」
「僕らは手紙が届いたから、あの家を訪ねたんです」
「手紙? ……あの子から?」
「……いや、きっと何かの手違いでしょうねぇ。まさか死人から手紙が届くわけはない。数年間ずっと放置されていたんだ。配達省の怠慢だよ」
「それ、見せてもらってもいいかい?」
「生憎、現物は持ってきていないんです。ちょっとドタバタしていてね。住所の写しがあったから、家の位置だけはわかったけれども」
これはもちろん嘘だが、〈葬儀〉に関する話が直接的に書かれた手紙を部外者に見せるわけにはいかなかった。
老婆はマッチで綿に火をつけると、一服吸い込んで、ゆっくりと煙を吐き出した。
「妙な話もあったもんさね」
「だから困っているんです。もし、遺族の方がいらっしゃるのなら、お悔やみを申し上げたいんだけれども……」
「あの様子じゃ、それも無理そうだな」
隣に座るロフィンが、そこで初めて声を出した。見た目に似合わぬしゃがれ声に老婆は驚いた様子だったが、彼は構わず話を進める。
「まさかあの広い家に、彼女ひとりってわけでもないだろう。誰か……そうだな、彼女の親戚や後見人。そういった奴がいるのなら、どうか教えてもらいてえ」
「ううむ、そうさね……」
パイプに新しい綿を詰めつつ、老婆はゆっくりと切り出した。
「ミアには、夫がいるんだけどね」
「なら、その人を――」
「話は最後まで聞くもんさ」
老婆はマッチを手に取りつつ、言いかけたクイールをいさめた。
「当の夫――シルハは、もうこの町にはいないんだよ。失踪しちまったのさ」
「失踪?」
「彼は医者だったんだけどね。ミアが亡くなってから、引きこもりがちになっちまった。そのまましばらくして、気づいたらこうさ。もう一年は経つ」
彼女は言いつつ、吐き出した煙を指さした。消えてしまった、ということなのだろう。
「ううん、まいったねぇ。……じゃあ、彼を最後に見たのは?」
「さて、いつだったかね。ああ、教会の誰かが死にかけて、何度か診に来てたくらいか。集会と被ってたこともあるから、それで見たんだ。あとはぜんぜんだ」
――と、そこで玄関口の開く音が聞こえてきた。
「おおい、母さん。いるか?」
「うん? ああ、帰ってきたか」
どすどすという足音と共に居間へと入ってきたのは、一人の男性だ。
「ただいま、母さん。……なんだ、お客さんか?」
「ちょっとそこで会ってね。ミアに会いに来たってんで、不思議に思って話をしてたのさ」
男性に向かってクイールは軽く会釈した。だが、彼はそれを気にする様子もなく、ただ驚いたように目を見開いていた。
「ミアを?」
「手紙が届いたんだとさ。多分、手違いだろうって話だけど」
「……やっぱり」
「うん?」
「やっぱり生きてるんだ、生きてるんだよ! 言っただろ、こないだ見たって」
興奮気味に騒ぎ立てる息子を前に、老婆は煙を吐き出して、面倒くさそうに言う。
「はあ、あんたねえ、まだ言ってるのかい?」
「いや、見間違えるわけがねえ! あれはミアだった。声をかけたら逃げてっちまったが……」
「だから、それは他人のそら似だろうって」
「でも、俺の顔を覚えてるみたいだった。そうじゃなきゃ、逃げたりしねえだろう?」
「逆だよ逆。初対面だから逃げたのさ。いきなりお前のような奴に声をかけられちゃあ、娘っ子はたまったものじゃあないよ」
「あの」
彼はなおも食い下がらんとしていたが、おずおずと手を上げたクイールに気づいて会話を中断した。不思議そうな表情で、老婆が口を開く。
「ええと、クイールだったか。なんだい?」
「その話、詳しく教えてもらっても?」
「ん? ああ。……と言っても、なんのことはない、今の話が全部だよ」
「というと?」
「これは農家が作った野菜や、小麦なんかを卸して食い扶持を稼いでるんだけどさ、隣町まで商品を買い付けに行ったとき、見たって言うんだよ」
「……見たって、彼女を?」
「そ」
煙を吸い込む老婆の横で、その息子は相も変わらず興奮した様子だった。
「きっと手紙ってのは、そのとき出したんだ! シルハはこの町の名医だったし、そのぶんミアの顔を知ってる奴もここには多い。だから、見つからないようにわざわざ――」
「あのねえ、いい加減におしよ! そもそも、あんたも私も、ミアの葬式にゃ立ち会っただろうに。それとも何か、ミアが生き返ったとでも言うつもりかい?」
「……」
「彼女は確かに良い子だったよ。私も好きだった。けれどね、だからといって、まだ生きてるだなんて、そんなふざけたことを言うべきじゃない。彼女は死んだんだ」
「……すまねえ、母さん」
小さな謝罪の言葉。息子の方はうなだれて、それきり黙り込んでしまった。
「お婆さん」
どんよりと重くなった雰囲気を断ち切るように、クイールはソファから立ち上がった。
「お話を聞かせてくれて、ありがとうございました」
「いんや、この程度で礼を言われることもないさね」
「最後にひとつ、頼みがあるんだけれども」
「……なんだい?」
「彼女に祈りを捧げたい。お墓の場所を教えてはくれませんか?」
「ああ、そんなことなら、いくらでも」
「ありがとうございます。せめて彼女が天上で、安らかな日々を送っていますように」
クイールはよどみのない動作でエルムスの聖印を切り、形ばかりの祈りをその場に捧げた。
◇◆◇
ミアの眠る共同墓地は、都市の外縁にある丘の上へと配置されていた。
町の規模に比して面積も広い。どうやら自然公園としての側面も有しているらしかった。公園と墓地を兼ねるというのは、この国ではそう珍しい話ではない。
無論、公園としての景観が活かされるのは日中の話である。
夜半の墓地にそのような安穏さはない。地理的な特性か、あるいは慰霊の場としての性質がそうさせるのか――ただひたすらに冷たい静けさで満たされていた。
丸く太った月に照らされて、石造りの墓標が地面に長い影を落としている。濃淡入り交じる陰影の連なりは、あたかも檻のような模様を描き出していた。
生者の存在を否定するかのような、ひどく冷ややかな夜気がそよいでいる。よほどのことが無い限り、この場を好んで歩こうなどという者はいないだろう。
しかし、今日に限っては、その中を行く二つの人影があった。
そのうちの一方、長身の青年が独特のしゃがれ声でぼやく。
「ったく、宿を取るだけ取ったら、寝る暇も無く盗人のまねごとか。慌ただしいこった」
「骨が無くっちゃ、思い出も何もあったものじゃないからねぇ。本当なら、避けたかったけれども。……っと、ここかな」
クイールは墓標に顔を近づけ、刻まれた名前を確認する。間違いなくミアの墓だ。
満足げにうなずく少女を横目に、ロフィンは周囲を警戒していた。
「良かったのかよ、隣町まで行ってみなくて」
「これが空振りだったら行ってもいいけど、まずはこっちだよ。とりあえずこれ、開けてほしいんだけれども」
「ちっ、簡単に言ってくれるぜ」
そう毒づきながらもロフィンは墓石――納骨部の天板へと手を伸ばした。
すると、まるで泥をかき分けるかのように、彼の指先が地面へと埋まっていく。
「言っておくけど、壊しちゃだめだよ。そっと、そっとね」
「俺を、なんだと思ってん……だっ!」
クイールに対する返事と共に、彼は天板を引き抜いた。
周囲の土塊がめくれあがり、墓の中身があらわになる。
「……どうだ?」
ロフィンは少女へと問うが、反応は鈍い。
「これ……どういうことだろうねぇ?」
聞こえたのは、独り言じみた問い。
青年は疑問げに顔をしかめたが――石板を下ろして視界がひらけたところで、ようやくその意味を理解した。
墓の底、土と石に囲まれた納骨部。
そこにあるべきはずの遺骨が、ほとんど消え去っていたのだ。
「……土に還っちまったのか?」
そう口にするが、クイールは納得がいかないと言わんばかりの表情である。
「ううん、でも、三年程度で還るほど人間の骨ってヤワじゃないはずなんだよねぇ」
「ってこたあ、墓荒らしか」
青年は忌々しげに漏らした。
「なんだって金目のモノを一緒に埋めるかね。食うに困った連中が掘り返すのは、目に見えてんだろうがよ」
エルムス教の葬儀では、故人にゆかりある品を遺骨と共に埋葬する。多くの場合それは装飾品であり、換金目的で墓を掘り返す輩が後を絶たなかった。
「ロフィン、君さあ。もうちょっとこう、遺族の気持ちが踏みにじられることに対して怒るとか、そういう思いやりの心ってやつは無いのかねぇ?」
「別に」
「はあ。薄情な男だねぇ」
クイールはため息をつきながら墓の底を手で探った。小さな骨を拾い上げ、首をかしげる。
「それに、墓荒らしと言うよりも、これは……」
言いかけた彼女の背後で、声が上がった。
「――おい! こっちだ! こっちから声が聞こえたぞ!」
振り返ると、遠方にぼんやりとした明かりが見えた。手提げランタンの光が照らし出したのは、複数の人影。どうやら夜警のたぐいであるらしく、手に棍棒を持つ者もいた。
「馬鹿野郎、大声で知らせる奴があるかよ!」
叱りつけるのもそこそこに、その集団は走ってこちらに近づいてくる。
「あ、これちょっとまずそう。――はい、ロフィン」
骨を懐にしまい込むと、灰髪の少女は青年に向かって両腕を伸ばした。
「……なんだよ、その腕は」
「抱えて」
「は」
「いや、照れなくていいからさあ」
「単に言葉を失ってんだが」
「走るの面倒くさい。そもそも、そんな体力は無いよ。知ってるでしょ」
「……くそ」
舌打ちを放って、ロフィンは灰髪の少女を抱え上げる。彼女の体重をまるで意に介することなく、そのまま軽々と走り出した。
「逃げたぞ! 追っかけろ!」
「任せな。二度とそんな気が起きねえくらい痛めつけてやらあ!」
「近頃じゃあ教会から死体まで盗むような外道どもだ! 絶対に逃がすな!」
彼らは負けじと追いかけてくるが、距離は縮まるどころか逆に離れていく。青年の首に手を回したまま、クイールは次第に小さくなる光源を面白そうに眺めていた。
「ひゅー、さっすがー、はやーい」
「てめえ煽ってんのか」
「んふ、怖い怖い、怖いなあ。……じゃ、このまま宿に戻ろっか」
夜警たちが生み出した喧噪を置き去りにして、二人は夜の墓地を駆け抜ける。
これを境に町民たちの噂話へ新たな怪談が追加されたのは、言うまでもない。
◇◆◇
ミアの遺骨を入手した二人は、早々に宿へと舞い戻った。
幸いにして、顔は見られていない。そうでなければ今頃はとうに町の外か、場合によっては牢屋の中だ。宿の夜番には胡乱な目を向けられたが、市場を見物してきたと伝えると早々に納得したようだった。
蝋燭の火にぼんやりと照らされる宿泊部屋の中。
大きなベッドの上にあぐらをかいて、灰髪の少女はゆっくりと口を開いた。
「――それじゃ、〈葬儀〉を始めようか」
「つっても、依頼人が不在じゃあな」
「何言ってるのさロフィン。依頼人は、こうしてちゃんとここにいるよ」
墓地から掘り返した骨を指して、クイールは言う。その口調は茶化す風ではなく、表情も至って真剣だった。
「……ロフィン」
呼びかけに、青年は巨大な黒鞄の扉をひとつ開けた。
そうして中から取りだしたのは、一輪の花である。
流星のように細い六枚の花弁をつけた、橙色の花。
「ほらよ」
「ん、ありがと」
クイールは手渡された花を冠ごと噛みちぎり、咀嚼する。苦い顔をしながらもそれを飲み下すと、数秒のうちに彼女の表情が緩み始めた。
無言で骨を手に取り、口元へと持って行く。
腕を組みながらその様を眺めるロフィンは、退屈そうにあくびをひとつ漏らした。
普段の仕事に比べれば楽なものだ。薬物の摂取を咎める良識人も、死者への冒涜だとわめき立てる遺族もいない。もっとも、今回の依頼はそれらを補ってあまりあるほどに厄介な事例なのだが。
灰髪の少女は瞑目し、遺骨を奥歯で噛んだまま何事か呟いた。
うめき声のような――あるいは、ひどく歪な鼻歌のような。
その声が途絶えると同時、炎のような色をした光の粒が周囲に弾け、空中に霧散する。
(これ以上、面倒なことにならねえといいが……)
すっかり見慣れたその光景を前に、ロフィンは胸中でそうぼやいたのだった。




