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骨食みクイールに手向けの花を  作者: 伊森ハル
1 優しき司祭に末期の平穏を
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002


 はじめに感じるのは、いつだって暖かさだ。

 母親の胎内で芽生えたひとつの命が、真っ先に知覚する〈火〉は、常に穏やかで儚い。

 産声を上げるまでの、世界と繋がりを得るまでの、ささやかな安寧の時。

 その先にどれほど厳しい人生が待っていようと、その終わりがどれほど凄惨であろうとも。

 始まりの暖かさだけは、いつも変わらない。


(……ここは、どこだろう。とても暖かくて、静かで――)


 暖かな暗闇、羊水の中に漂う感触を味わいながら、その赤子(・・)はぼんやりと思考を始めた。


(――いいや、違う(・・)


 当然のように始まった思考を、しかし、その赤子は――否、彼女は厳然と否定した。


(クイール、僕はクイールだ。実際の身体はもう成長しているし、なにより僕は男じゃない。はき違えるな。これはただの記憶だ。取り違えるな、この自分は僕じゃない(・・・・・・・・・・)


 自分自身を説得するように、着実に思考を積み重ねる。

 今『入って』いる赤子は自分ではない。ダグという名の司祭で、今となってはただの死人だ。

 クイールは舌打ちをしたい気持ちに駆られながら、徐々に自己を確立していく。

〈魔法〉を使うといつもこうなる。

 自分と相手がほぼ同一となり、両者を切り離すのに苦労するのだ。

『他者』の中にあってなお『自分ではない自分』を認識すること。

『自分』として感じてしまう『他者』たる死者を、自身とは別なものとして理解すること。

 それは至難を極める行為だが、別段これが初めてというわけでもなかった。自我を壊さないための補助として()も服用している。何も問題はない。


(重要なのは僕の――違う、彼の死因だ。それがわかれば、後はどうだっていい。流されるな。興味を持つな。ただただ、彼の死を見つめていればいい)


 必死に自己を保ちながら、クイールの意識は確認すべき事項を復唱する。

 そうしているうちに、景色が移り変わった。

 町からほど近い草原。穏やかな風に吹かれながら、少女と自分が笑い合っている。エレイアに似ているが、別人だ。これはおそらくダグの少年期の記憶だろう。

 その次は先ほど笑っていた少女との婚礼の儀――かと思えば、戦場で剣を振るっている場面へと転移する。

 そこで、時間の流れが急に緩やかになった。正確に言えば、平常に戻ったのだが。

 先刻エレイアに告げたように、遺骨から読み取れる記憶、吸い出せる〈魂〉は完全ではない。この〈魔法〉にも限度があった。

 彼の人生を全て体験することは叶わないし、その思いを読み取ることもできない。

 しかも、おおよその場合は今回のように時間軸が一気に飛んでしまう。魂の融合を標榜しているにしては、色々と欠点の多い代物(しろもの)だった。


(ここだけ時間の飛び(・・)が少ないってことは――彼にとって痛烈な体験だったってことだ)


 概して骨に刻まれた記憶は詳細が読み取れない。人生の大半は先ほどまでのように断片的な情景が流れていくだけだ。

 しかし、本人にとって大きな意味を持つ場面――命の危険や、それに比肩しうるほどの強烈なストレスに晒された時などが代表的だ――に関しては少しばかり事情が違ってくる。

 そうした記憶は読み取りやすい。身体に、骨に、それだけ強く刻まれているからだ。

 つまり今、自分はダグの人生における重要な記憶を体験していることになる。


(重要なのは彼の最期だけなんだけど……自分で飛ばすこともできないしねぇ)


 緩やかに流れる時間を歯痒く感じながらも、クイールは記憶に思考の焦点を合わせた。



 夕空に焼かれる戦場(いくさば)で、自分は剣を振るっていた。

 彼方(かなた)に見えるは大群の敵影。

 地平を埋める屍は無数。

 敵も味方も等しく倒れ伏し、それでも剣戟の打ち合う音が途切れることはなく。

 怒号と断末魔が耳を突き、自身の咆哮でそれをかき消しながら、一心不乱に敵を斬る。

 もはや全身が悲鳴を上げていた。

 肺は張り裂けそうなほどに酷使され、剣を振る度、矢で射貫かれた肩に激痛が走る。

 沸騰しているかのように血が(たぎ)っていた。

 クイールはそんな彼の()にありながらも、努めて冷静に状況を分析する。


(戦場、戦場ねぇ。……かなり前にあったっていう、オスマーナとの大戦かな)


 ダグの年齢から察するに、これは三十年ほど前に終結した隣国との戦争であろう。

 結果は勝利に終わったものの、常備軍に属さない国民からも多大な犠牲を払ったというこの一戦は、ミトラの歴史に決して浅くない爪痕を残していた。


「おい! ここはもう保たねえぞ!」


 戦友が息も絶え絶えといった様子で呼びかけてくる。


「そんなことはわかってる!」


 自分もまたそれに答える。が、この身体も限界が近かった。

 斬っても突いても、敵は次から次へと突進してくる。


「くそっ! くそッ! 私は死ねんのだ! こんなところで、私は……!」


 槍をかわして脇に挟み、その持ち主を剣で突いて得物を奪う。剣を投げ捨て、獣のように吠えながら槍を薙いで、次なる敵を打ち倒す。


「次だ! いくらでもかかってこい! 聖帝の名において、貴様ら全員(ぜんいん)地獄に送ってくれる!」


 気力を枯らしてひたすらに叫ぶ。魂を燃料に手足を動かして敵を屠る。

 戦線は辛うじて維持されている。しかし、それも崩れようとしていた。

 それでも、自分は戦い続ける。

 武器を振るうたびに血が失われる。

 一歩を踏み込むたびに視界がかすれてゆく。

 敵を殺す一振りごとに、敵からの一撃を得物で受けるごとに、死は自分へと迫ってきている。

 隣の戦友はまだ生きているらしい。

 それを確認することさえせず、襲い来る敵兵を槍でつらぬく。

 生暖かい血しぶきを浴びながら、使い物にならなくなった棒きれを捨てる。得物がない。

 周囲から武器を拾おうとして――違和感に気付く。

 戦場が、凪いでいた。


「……これは、一体?」


 呆然とつぶやく。

 先刻まで怒濤の勢いで押し寄せていた敵が、徐々に撤退を始めていた。

 味方の兵士たちは追撃を加えることもせず、自分と同様に立ち尽くしている。


「勝ったのか、私たちは?」

(いいや、ありえない)


 自身のつぶやきを、クイールは厳然と否定する。

 まったくもって理解できない。

 戦況は圧倒的に不利だった。これは、明らかな負け戦だった。

 敵方に、撤退する理由などありはしないはずだ。

 ならば、何故――


(ああ、そうか。この戦争って――)


 少女が思い至った直後、隣に立つ戦友が頓狂(とんきょう)な声を上げた。


「お、おいっ! あれッ!」

「……なんだよ、ありゃあ」


 彼が指さす先を見て、自分はそう漏らす。

 遠方に見えたのは、巨大な怪物だ。

 種々の生物を無理やり融合させたような、明らかな異形。

 体高はおよそ人間の三倍。ずんぐりとした球のような体型で、熊のごとき毛皮に胴を覆われている。身体の両側では巨大なミミズのような触手が無数にゆらめいていた。

 首は無く、頭があるべきはずの場所には大きな目が埋まっている。その瞳はあてどなく周囲を見回し、赤色の涙を流し続けていた。涙の落ちた地面はボコボコと泡立ち、鉛色の煙を上げている。

 空をさまよっていた視線が、やがてこちらを捉える。

 その瞬間、まるで至近に迫られているかのような重圧感に襲われた。目を向けられただけでありながら、粘液じみた質量を肌が知覚している。

 誰もが硬直し、沈黙している中――唯一その化け物が、喜ぶように目を細めた。

 触手をのたくらせ、その怪物は巨体に似合わぬ俊敏さで這い寄ってくる。その場にいる人間を無軌道に轢き潰し、あるいは触手で捻りちぎりながら、無差別に死を振りまいた。

〈それ〉が自分達のもとへ辿り着くまでは、二十秒とかからなかった。


「ひ、ひぃ――ッ!」


 恐慌に陥った戦友が、悲鳴と共に槍を突き立てる。

 ぞぶり、という妙な音を立てて穂先が肉へと沈む。化け物は悲鳴一つあげず、触手を槍へと這わせた。


「ひ――ぐぎ、ぁ……かひ……」


 一体どういった原理によるものか、ぶよぶよとした質感の触手が瞬時に金属のような艶を得る。肺をひと突きにされた同胞は自らの血に溺れ、事切れた。

 怪物は赤い涙を流しながら、身体を震わせる。

 その隣で、自分は言葉を失っていた。

 怪物の瞳に射貫かれる。忌避感に襲われながらも、どうしようもなく目を離せない。まぶたを閉じることすら叶わず、ただ無様に武器を取り落とした。

 まるで木に空いた(うろ)のような、魂を吸い込まれそうな黒が、そこには広がっていた。

 反応が遅れたところを触手に襲われる。鋭く尖った二本で肩と胸を貫かれ、軟化した一本に足をすくわれた。

 吊り上げられる形で宙に浮かぶ。そこでようやく肉体が動いた。自身を捕らえる怪物の表皮を殴りつける。


「こ、の……ッ!」


 それでも相手はまるで動じない。他にも複数の異形が視界の隅に映っていた。戦場の端々で、仲間達を無残に屠り続けている。


「死んでたまるものか、こんなところで、死んでなるものか……!」


 自身の胸を貫かれながらも、自分はなお反抗の意思を緩めない。遅きに失したと理解はしていたはずだが、うわごとのように同じ言葉を繰り返した。

 怪物の表皮に爪を突き立て、爪が剥がれれば歯で食らいつく。

 身体に巻き付いた触手に締め上げられ、派手な音と共に骨が砕けた。

 それでも、怪物から目を離すことはしなかった。


「私は、こんなところで……!」


 だが、猛々しい言葉とは裏腹に、身体には力が入らない。時間の経過と共に裂けた皮膚から血が失われていく。

 やがて言葉を発することさえできなくなり――自分の意識は、闇に沈んだ。



◇◆◇



「――てください。――はまだ……。これなら……もしれない……」


 もやのかかった思考と、ぼやけた視界。

 世界と自分の間に薄膜が張られているような感覚を全身に受けながら、自分は声を聞いた。


「――恐れているのか、死を?」


 ――誰だ、と自分は絞り出すように問う。

 目はかすみ、相手の姿は判然としなかった。


「恐れているのか、と聞いている」


 ――怖い、怖いとも。妻を遺して逝くことも、この歳にして死ぬことも。

 そんな自分の答えに、相手は愉快そうに忍び笑いを漏らした。


「私の下へ来るのなら、貴様に新しい命をくれてやろう。……さて、どうするね?」


 その言葉を受けて、自分はすがるように相手の手を取った。



◇◆◇



 気付けば、荘厳な教会の中で司祭の位を貰い受ける儀式へと参加していた。


(助かった、のか……? 僕――いや、ダグは。……あの状態から(・・・・・・)?)


 ダグの命日がつい先日であるから、あの戦場で生き残ったのは疑いようもない事実なのだが、しかし、先ほどのダグは明らかな致命傷を負っていた。

 人間がどの程度の失血で死ぬのか。どこをどうすれば死にやすいのか。それらをクイールはこれまでやってきた〈葬儀屋〉としての仕事で、幾度となく経験していた。

 医療の知識ではなく、体感覚としての『死』だ。

 身体が冷え、五感が鈍り、己という存在が薄れてゆく感覚。

 あの戦場で、ダグの身体は確実にその『死』へと片足を踏み入れていた。

 少なくとも、これまでの人生で何度となく(・・・・・)死んでいる(・・・・・)クイールが生還を疑問視する程度にはダグは死に近づいていた。近づきすぎていたといってもいい。


(普通、あそこから助かるなんてのは無理だと思うんだけどねぇ)


 しかし、現にこうしてダグは生き延びた。

 ならば――何者かの手によって治療されたと考えるのが筋だろう。いずれにせよ、常識外の回復だということに違いはない。


(そうなると、さっき呼びかけてきた相手――あれは誰だ?)


 当然の疑問だが、答えは出ない。

 考え事をしている間にも記憶はどんどん進んでいく。

 教会での日々、村人との交流、先ほど戦場で勇猛に剣を振るっていたとは思えないほど平和な日常が繰り返されていった。

 場面が移り変わるにつれ、少しずつ歳を取っていくのがわかる。戦場での一件以降、あれほどに鮮明な記憶は存在していなかった。次々と場面が移り変わっていく。

 しかし、この場合はかえって都合がいい。知りたいのは彼の最期なのだから。

 そしてエレイアが生まれ、その十年後に妻が亡くなり――老境にさしかかった頃、彼は領主の居城へと赴くことになる。

 そこで、またも時間の流れが平常に戻った。


(ふむ。多分、これがお目当ての記憶だろうねぇ)


 木枯らしの吹きすさぶ農地の間。薄曇りの寒空を見やりながら、その男は馬に乗っていた。

 前方に視線を向ける。丘の上に見えるのは、今ではめっきり見かけなくなった古風な城だ。


「やれやれ、ギルモート様にも困ったものだ。月に一度でよいから礼拝においで頂ければ、私も助かるのだが……」


 彼は小さく漏らし、苦笑する。


「いやいや、私としたことが情けない。歳を取ると愚痴っぽくなっていかんな、どうも。心臓の痛みも、今日は薄い。少しは気を確かに持たねば」


 そうする内に城へ着き、応接間に通される。折悪く執務が忙しいと使用人から告げられ、領主の時間が空くのを待つこととなった。

 よく手入れのされたソファに座っていると、十分も経たないうちにドアが叩かれた。

 壮年の、禿頭(とくとう)の男が部屋に入ってくる。彼はミトラ軍の将校が着る礼服を着用していた。


「いやいや、随分と待たせてしまったかな。申し訳ない」

「おお、ギルモート様。ご無沙汰しておりました」

「……あまりかしこまらないで欲しいのだがね。ダグ、君と私の仲じゃないか」

「いえ、そういうわけには参りません。これは一つのけじめでありますれば」

「ふむ。……残念だが、そう言うならば仕方あるまい。――おい、紅茶を。とびきり濃くな」


 彼は使用人に呼びかけ、茶を用意させる。

 そこからしばらくは他愛の無い話に終始していた。農作物の出来高について、隣国の動きについてなど。一介の司祭にしてはやけに見地が広い。おそらくは軍人時代の経験が影響しているのだろう。

 暖かな部屋にいたせいか、軽い眠気を感じる。茶を飲み干したところで小さなあくびが出た。


「いや失礼。歳ですかね。……そろそろ本題に入りましょう。今日はどういったご用件で? まさか説法をご所望というわけでもありますまい?」

「なに、少しばかり、気になることができてね」

「気になること、ですか?」

 眼前に立つ男性はかすかに顔をしかめて、ゆっくりと切り出した。

「ああ。今となっては昔話になってしまうのだが、君の――」



 そこで、唐突に記憶が飛んだ。



 視界が暗転し、何も見えなくなる。


(くそっ、大事なところで……! ――いや、これは?)


 内心で毒づくが、まだ記憶の読み取りは続いていた。単純に場面が飛んだだけのようだ。

 真っ暗になったのは意識を失ったからではなく、視界が遮られているためであるらしい。


(目隠しをされてる、ってことかな。……これは一体、どういう状況なんだろうねぇ?)


 辺りはひどく寒かった。

 他人の体験を追っているだけだと理解はしていても、五感は現実感を伴って(せま)ってくる。それでなくとも、老齢の身体には(こた)える気温だということは確かだった。

 重力の方向からは仰向けに寝かされていることがわかる。

 背中に当たるのは硬く冷たい石の感触。何かの台に寝せられているのだろうか。

 そこで、ようやく気付く。


 ――四肢が革帯(ベルト)のような物で拘束(・・)されていた。


(どうなってる!? 彼は領主の家にいたんじゃないのか!?)


 自分(ダグ)は幾度も四肢を動かし、どうにか脱出しようと試みている。クイールの焦りと同様、彼もまた恐れ(おのの)いているのがわかった。

 声は出ない。

 ダグの身体は何事か言おうとはしている。しかし、口には布がきつく噛まされていた。

 年老いた身体が震えている。あるいはそれは、気温ではなく恐怖によるものであったのかもしれない。

 そんな折。


 ――こつ、こつ、と。


 硬質な足音が耳に入った。

 何者かが近くまで歩み寄っていることは確かだった。

 次いで聞こえたのは、金属が擦れ合うような耳障りな音。


(せめて何か話せば、誰かくらいはわかるっていうのに)


 手がかりを得ることも叶わないまま、胸に鋭い痛みが走る。

 胸骨が折られ、胸が割り開かれるのがわかった。

 びくりと身体が跳ね、革帯が四肢に食い込む。血があふれ、全身が痙攣する。痛覚は限界を振り切り、まともに知覚することができなかった。


(くそ、なんて、手荒な……!)


 他者の記憶をなぞっているだけとはわかっていても、冷静でなどいられない。死の瞬間とはそういうものだ。

 たとえ死した当人が安らかな最期を迎えたとて、それを体験する側が同じとは限らない。

『これは他者の記憶だ』と、クイールは自分に言い聞かせる。

 自身の喉から発せられる苦悶の絶叫を聞きながら、その人生は幕を閉じた。



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