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骨食みクイールに手向けの花を  作者: 伊森ハル
3 骨食みクイールに手向けの花を
13/13

005

 どこか遠くで、女の子が泣いていた。



「あ、ぁ……! また……わたし、は……!」


 肉体の感覚は、既に消えかけていた。

 全身が急激に冷えていく。刻一刻と、心臓の拍動が弱まっていくのが自覚できた。

 気力を振り絞って、意識を引き寄せる。かろうじて、世界に対する焦点が定まった。

 そうして初めて、泣いている少女がすぐ側に座り込んでいることがわかった。


「……ねえ、君」


 このとき、どうして僕が相棒ではなく、彼女に呼びかけたのかは、自分でもわからない。


「う、ぁ……?」


 少女も自分が呼ばれるなんて思ってもみなかったのか、呆然とした顔つきでこちらを見た。


「そう、君だよ」

「ご、ごめっ、ごめん、なさい……わたしのせ、せいで……」

「君は、さ。……まだ、自信が持てない?」

「今、そっ、そんな、ことを言って、られる、ような――」

「まあ、聞いてよ。もし、一人で歩いて行く自信が、持てないって、言うのなら……」


 僕は彼女へと手を伸べて、その膝に触れた。


「……僕を、連れて行って、くれないかな?」

「それ、って、どういう……?」


 薄布(ベール)をずり上げて、困惑した様子の少女と視線を合わせる。


「――望むなら(・・・・)君に(・・)僕の全てをあげよう(・・・・・・・・・)


 その言葉に反応を示したのは、傍らに膝をついている青年だった。


「おい、本気で言ってんのか?」

「はは。君が、口をはさんでくる、とは、思わなかったよ。ロフィン」

「……死ぬぞ」

「ご覧の通り、僕はもう、放っておいたって、死ぬ。それとも、君が言っているのは、彼女がってこと、かい?」


 問いに、ロフィンは黙り込んだ。


「大丈夫、さ。常人では自我が壊れてしまうけれど、彼女なら、きっと」


 視線を少女へと戻す。


「……わたし、は」


 僕の手を取りながら、彼女は今までにないほど真剣な目をしていた。



◇◆◇



 びっくりするくらいに、その空間は静かだった。

 檻の外に運んでもらった僕は、ゆらめく星々に囲まれて、少女の膝へ頭を乗せている。

 血を失いすぎた。気を抜いたら意識を持って行かれそうだ。


「……いいね?」


 確認するような呼びかけ。それを聞いた少女は緊張した面持ちで、こちらの腕を取った。

 そのまま僕の小指を口へと持っていき――噛む。

 ぷちり、という皮が弾ける感触と共に、鋭い痛みが走る。けれど、声を上げるほどではない。僕も彼女の手を取って、その小指を強く噛む。口いっぱいに血の味が広がった。

 柔らかな肉の奥。硬いモノが歯に触れたのを確認して、僕はゆっくりと目を閉じた。

 指の痛みも、血の味も、不快ではなかったけれど――すっかり息が上がってしまっている。〈呪文〉をうまく唱えられるかどうか、あまり自信が無かった。

 それでも、僕はどうにか魔法の言葉を歌い始める。彼女の指を噛んでいる状態では明確な言葉の形を取らなかったけれど、その歌がもつ意味を僕は知っていた。

 それは、かつてこの大地に生まれ、今はすでに絶えた言葉。

 異なる世界への扉を開く、金の鍵。


「――『空想の力は、ここで尽きた』」


 血に濡れた口を動かして、ゆっくりと歌い上げる。


「『()れど、私の願いと想いは、一様に回る輪のように動く。太陽や星々を動かす愛によって』」


 彼女も僕の指を噛んだまま、教えた通りに同じ言葉を唱和した。


「『魂の連理、相克の憧憬、私たちがいずれ、無辺の果てへと至らんことを』」


 うめき声のような――あるいは、ひどく歪な鼻歌のような。

 そんな音が途絶えると同時、光の粒が周囲に弾け、空中に霧散する。



 直後、意識が沈み始めた。



 深く、深く。暗闇へと身体の感覚が溶け去り、自他の境界が曖昧になる。

 視界と思考が徐々に薄れていく。

 舌にまとわる鉄臭さも、噛まれた指の痛みも、とうにわからなくなっていた。

 あるのはただ、暗く広い空間そのものと一体になったかのような感覚だ。

 これまでに幾百、幾千と訪れた、果てなき(うつ)ろ。


「――さて、聞こえているかな」


 僕は闇に向かって、そう問いかける。

 いつもの〈葬儀〉であれば返事は無いけれど、今回は声が返ってきた。


〈ここは……?〉

「魂が溶け合う場だよ。同時に、(ちぎ)りの内容を取り決める場でもある。死者を相手にする時は、いつもひとりぼっちだけれども」


 姿こそ見えないけれど、彼女が困惑しているのが手に取るようにわかった。


「自分をどれだけ明け渡し、その対価に何を貰うのか。時として両者は等価ではないけれど、相手がそれをよしとするなら、契りは成立する。多少、強引に決めることもできるけどね」


 彼女は依然として混乱のただ中にあるようだった。

〈魔法〉を使っているあいだは時間が緩やかに流れる。でも、現実の僕は死にかけだ。悠長に説明をしている暇は無かった。


「それじゃ、さっそく始めようか。大丈夫、今は分からないだろうけど、事が始まれば、すぐわかるようになるよ」


 できる限り明瞭に、努めて穏やかに語りかける。


「これから、君の体験した(すべ)てを僕は受け取る。その代わり、こっちも君には全てをあげよう」

〈……全部、を?〉

「そう。この身が持てる全てを、だよ。つまり――君は、僕の人生を追体験することになる。もし、嫌だというならそれでも構わない。今ならまだ引き返せるよ」

〈もし、ひ、引き返したら?〉

「どうにもならない。そのまま、君が君として生き、僕が僕として終わるだけだ」

〈いき、生きられるわけ、ない。……それは、な、何回も、言って、いたでしょう?〉

「ちょっと、意地悪だったかな」


 苦笑する。彼女は会ったときから他人のような気がしない。だからつい、こんな態度を取ってしまうのかもしれない。


「どうする? と言っても、既に決意はしてくれているんだろうけど」

〈……やる、よ。あな、あなたが、一緒に、来てくれるって、い、言う、なら〉

「そう。良かった。……さっきの呪文を、決して忘れないようにね」


 暗闇に向けて、そう念を押す。と言っても、これから何度となく唱えることになる呪文だ。さほど心配はいらないだろう。

 前方、遙か彼方にほのかな橙色(オレンジ)の光を認める。


「うん。そろそろ終わりが近いみたいだ。君にとっては、始まりだけれど」


 はじめは星屑のようだった光はゆっくりと膨れあがり、全てを浄化するかのような激しい光へと成長した。


「そういえば、最後に訊いておかなくちゃいけないことがあったんだ」

〈何?〉

「最初に訊いておくべきだったねぇ。――君の名前は?」

〈……ふへ〉

「どうしたの?」

〈本当に、遅いな、って〉

「ごめんごめん。はじめに自己紹介をすればよかったんだけどねぇ。……僕は、自分の名前がわからないから」

〈名前が?〉

「そ。だから、それを思い出したくてこの仕事を始めたんだけど……無理だったみたいだ」

〈……わ、忘れたって、いうなら、わた、わたしが、覚えて、おいてあげるよ〉

「そうだねぇ。君なら、あるいは可能かも知れない」

〈大丈夫。きっと、わかるよ。約束、する〉

「うん。……それじゃあ、君の名前を教えて欲しいな。それが、君のためにもなるから」

〈う、うん。よく、わ、わからないけれど、いいよ〉

 ひと呼吸を置いて、彼女は静かに名乗った。




〈――わたしの名前は、クイール(・・・・)




 その名を聞いた瞬間、闇が打ち払われ、なにもかもが明るい赤に染まる。

 炎に焼かれていると錯覚しそうなほどに強く、煌々(こうこう)とした光の奔流。それに身を投じながら、僕はかすかに笑んだ。

 その、直後。



「――うん、終わったね。これで、おしまいだ」



 腕の中へと視線を落とす。

 血まみれの男の子(・・・)が僕のことを見上げていた。つやつやとした黒髪(・・)も、血に濡れてしまっている。海の底のように暗い蒼色の瞳(・・・・)が、僕のことを射貫いていた。

 ――なんだ? これはどういうことだろう?

 理解が及ばない。混乱が収まらない。

 どうして(・・・・)目の前に僕がいる(・・・・・・・・)


「そうか、うん。なるほど。良い名前だね。……クイール(・・・・)


 ()に――いいや、違う。違うんだ。そうじゃない。

 ()に呼ばれて、僕はようやく思い出す。

 僕は、彼ではない。

 僕は僕だ。僕はクイールだ(・・・・・・・)。決して彼ではない。

 僕が今の今まで〈彼女〉として捉えていた、くすんだ髪色の――灰髪(・・)の女の子。

 それこそが僕で、僕が〈僕〉として捉えていた子は、黒髪の少年は、僕ではない。

 あまりに(なが)い、(なが)い記憶の再現。

 時の監獄に囚われた僕は、いつしか自分のことを忘れてしまっていた。


「君の人生、僕も貰ったよ」


 納得したように()は――いいや、腕の中の少年は、笑みを浮かべた。


「不思議だね。いま、ちっとも悲しくはないんだ」


 頭が混乱していて、反応を示すことができない。そうする間にも少年は話し続ける。


「これから先、僕が君と一緒に生き続けて――いま、君はここで僕と一緒に逝ってくれる。変な感じ、とても変な感じだ」


 呆然としたまま、僕は彼と視線を絡めた。


「僕を、よろしくね。クイール」


 その名を自分だと認識することに、少し違和感を覚えてしまう。

 それほどまでに、少年の人生は長かった。


「僕、いや、君は……誰、なの?」

「それは、語るまでもないはず、だけれど。正直、もうわからない」


 今の僕には分かっている。彼の言葉は、決して冗談なんかじゃない。

 かつて〈聖代〉に生まれ落ちた男に始まり、数十名の人間を介して連綿と受け継がれてきた〈記憶〉の集積。僕が体験していたのは、それだ。

 彼らの全てが少年と同様の〈葬儀屋〉として生きたわけではないけれど、蓄積された〈人生〉の数は、千を優に超えていた。


「花のおかげか、あるいは、君がもつ生来の忍耐力ゆえか――君は、まだ君でいるだろう?」

「……わからない。僕がこうしている今、〈わたし〉は、どこにいってしまったのか、本当に、僕は僕のままなの?」


 その答えに、黒髪の少年は乾いた笑いをこぼした。


「そう思える時点で、君は君でいられているよ。大丈夫、そのうちわかるさ」

「……そう、なのかな」

「ねえ、クイール。もし、覚えていたらで良いんだけれど」


 少年の声に滲むのは、一抹の希望。

 死の淵に立っているとは思えないくらい、その瞳はまっすぐだった。


「僕の名前は、わかったかな」


 問いを受けて、僕は思い出す。

 彼は、忘れてしまった自分の名を知るために〈葬儀屋〉としての仕事を続けていた。

 彼が数十、数百と執り行った〈葬儀〉の中で、彼の出自にまつわる記憶はただの一点だって無かったけれど――


「……覚えて、いるよ。記憶違いでなければ、だけれども」

「本当かい?」


 ――(さいわ)いにして、僕は名前を覚えている。

 彼自身でさえも忘れてしまった名が、彼の魂にはしっかりと刻み込まれていた。

 慎重に呼び起こすのは、〈わたし〉が〈僕〉に変わった瞬間。

 少年としての人生を追体験し始めた、最初の記憶だ。



「君の、名前はね――」



 僕の発した名前を聞いて、彼は心地よさそうに笑った。

 鈴が鳴るような、小さく跳ねる笑い声。とても綺麗な音だったけれど、水っぽい咳き込みがそれを遮ってしまった。

 僕は、彼の命がもう消えかけていることに気づいていた。

 それは彼も同様だろう。言ってしまえば、つい先ほどまで僕は彼だった。

 だから、彼の考えていることは手に取るようにわかるはず――なのに。

 なのに、どうしてそんなにも嬉しそうな顔をするのか、僕にはわからなかった。


「ありがとう、クイール。……もう、満足だ」

「……そんなわけ、ないじゃないか」

「はは。これは手厳しいねぇ」

「だって……こんなところで満足なんて、できるわけがない」

「それは、違うよ。……わかってるでしょ? 君は、僕じゃない。僕は、もう満足してるよ」


 聞き分けのない子供を(さと)すような、優しい声音。

 視線には、わずかにこちらを心配する色が乗っていた。


「……よく、わからない」


 まばたきを二、三度繰り返してから、彼は僕に語りかける。


「そのうち、わかるさ」

「君はさっきから、そればっかりだ」

「焦ることは、ない。君には僕よりもまだ、少しばかり、時間がある」


 そう言って、彼は小さく笑った。


「決して、自分を見失わないようにねぇ?」


 彼は穏やかな表情を保ったまま、側に立つ青年を見上げる。


「さて……僕の〈火〉を、君にあげるよ。ロフィン」


 何百、何千年とも思えるような少年の人生を追体験して、僕はもうわかっている。あの青年は人の命を吸うことができる存在だ。大昔に産み落とされた、幻想の具現。

 幾度となく命を落として、同じ数だけ命を拾い続けてしまった一人の青年だ。


「……そうかよ」

「ひとつだけ、わがままを言ってもいいかな」


 ロフィンは無言のまま、視線だけで続きを促す。


「せめて、君が死ぬまででいいから。彼女を守ってあげてね、頼むから」

「……ああ」

「そっけない答えだ」

「泣けって?」

「期待は、してないよ」

「まあ、最期の頼みだ。引き受けてやるよ。他に死ねる方法も無さそうだしな」


 言いつつ、銀髪の青年は少年の傍らにひざまずく。

 少年の白く細い首に手を添えて、彼はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

 現代には無い、不可思議な旋律。歌とも朗唱ともつかない変調的な抑揚。

 優しい声と共に柔らかな炎が現れ――少年の肉が崩れていく。

 細められた蒼色の瞳が最期に見つめたのは、僕だったのか。

 あるいは、今まさに自身を喰らおうとする青年だったのか。

 僕の視界はすっかり涙でぼやけてしまっていて。

 そんなことさえも分からないまま、青年の〈食事〉は終わった。



◇◆◇



 青年が〈火〉を飲み込んで、火の粉さえもが空に消え去った後。


「――それで、お前は?」


 顔色ひとつ変えずに、彼はこちらへ問いかけた。


「……僕は、クイールだ。僕が僕をそう規定する限り、僕は、他の何者でもない」


 自身に言い聞かせるように、ゆっくりと宣言する。舌がうまく回らなかったけれど、自分が発した言葉は、不思議と胸にしみこんできた。


「正直、この言葉でさえも、僕が選び取ったかは怪しいところだけれども」

「お前がそう言うなら、そうなんだろうよ」

「そう言ってくれると、少し救われる気がするねぇ」

「ただの受け売りだ。うんざりするほど、聞かされてきたからな」

「そうだねぇ。僕――いいや、彼も、同じことを何度も言っていたよ」

「……クイール、でいいんだな?」

「うん。そう呼んでくれて構わない。僕は彼じゃない。同様に、彼も僕じゃない。彼がそう言ったのは、きっと彼自身の望みだろうから」


 怪我を負ったはずのない胸が、痛みを訴えている。


「でも――彼の中にだって、確かに僕は刻まれたんだ」


 僕は胸の(きし)りを振り切るように顔を上げた。


「かつての僕……いや、〈わたし〉は、きっとそこで死んでしまったのだと思う。彼が最期に訊いてくれたから、名前だけは覚えていられたけれども」


 最後に名を尋ねてくれたのは、きっと彼なりの気配りだったのだろう。

 僕は、彼が身を横たえていた地面を見下ろした。


「この場所は、できれば、このままにしておいてほしい」

「……ああ。構わねえ」


 返答に、僕は少しだけ目を見開く。対するロフィンはかすかに眉をひそめた。


「どうした」

「意外だ」

「俺をなんだと思ってやがる。確かにこの場所の情報は、金にはなるだろうが――」

「……そう、だねぇ。君は人間だ」

「わかってんならいい」


 言いつつロフィンは目を逸らした。ならうように僕も視線を切る。

 そこで視界に入ったのは、薄く淡い橙色(オレンジ)の光を放つ花々だ。

 場に群生しているうちの一本へと手を伸ばす。茎は細くて柔らかく、ほとんど力を要せずに手折(たお)ることができた。

 これにはヒトの魂とでも呼ぶべきモノが、わずかながら吸い上げられている。ぼんやりとではあるけれど、僕には感じ取ることができた。


「僕は、クイールは、確かにここに居る。けれども、クイールは彼と一緒に死んでしまった」


 手中の花を、そっと足下に置く。


「せめて、彼と〈わたし〉に――あのふたりに、手向けの花を」



◇◆◇



 兵士達を解放し、ドォルフの骨を拾い集めた後。

 外に出ると、すっかり日が傾いてしまっていた。

 兵士達は最寄りの町まで辿り着く準備を整えながら、様々な〈色〉を(うち)に秘めていた。

 ドォルフの死を嘆く者、失意のままに涙を流す者、憎しみと共に決意を固める者。

 それらを遠巻きに見つめながら、僕の隣に立つ青年は口を開く。


「どうすんだ、これから」


 朴訥(ぼくとつ)とした問い。普段(・・)と変わらない話し方だけれど、どこか、僕への接し方を迷っているようでもあった。


「さて。少なくとも、僕は僕の名前を覚えているからねぇ。少なくとも、〈彼〉のように名前を思い出す必要はないわけだけれど……」


 そこで少しだけ考えてから、僕は答える。


「しばらくは〈彼〉にならって〈葬儀屋〉をやろうと思う」

「それでいいのかよ」

「他にやりたいことも無いしねぇ。それに、ドォルフに頼まれた仕事もある。元々の依頼先は生憎(あいにく)と、この僕ではないけれども」


 ドォルフの、家族へと宛てられた伝言を思う。

 それは先代である少年の記憶を視た〈僕〉にしかできない〈葬儀屋〉の仕事だ。それを終えた後にどうするかは、またそのときに決めたって良いだろう。


「……そうかよ」


 ロフィンはそっけなく答えて、歩き出す。

 僕はその背中を追いかけながら、努めて明るい声音を作った。


「はあ、無愛想な護衛もいたもんだよねぇ。行く末が思いやられるよ、まったく」

「そんだけ憎まれ口が叩けりゃ、問題なくやっていけるだろうよ」

「……そう願うばかりだよ」


 ――実を言えば、今の言葉には嘘が混じっていた。

 僕にだって、忘れてしまったことはある。

 それは、僕が僕であるより以前の――生来の〈クイール〉としての記憶だ。

〈葬儀屋〉としての記憶をあまりに長く体験したせいで、僕は自分と彼を半ば混同してしまっていた。その過程で、かつての自分を見失っていた。

 自分がかつて〈クイール〉として思っていたことや、感じていたこと。

 それらは最早(もはや)、ほとんどが遠く(かす)んでしまっていて――どれほど必死に思い出そうとしても、はっきりとした輪郭(りんかく)を結ぶことがなかった。

 僕は名前を覚えている。でも、それだけだ。

 僕が僕として()るための()()は、とても(もろ)い。


「ねぇ、ロフィン――」


 不安を振り切るように、僕は青年と歩調を合わせた。


「君の行く末が気になってしまうというのは、僕の本心だよ。冗談でもなんでもなく、教えてほしい。……君は、どうするつもりなの?」

「それを知って、どうすんだよ。……どうせ、お前も先に死ぬ」


 そう呟いた彼の魂は、とても悲しい色をしていた。

 他者との交わりを拒絶するかのような、ひどく孤独な色。

 その色は、人間に戻ろうと足掻いていたあのヒト(・・)に、少し似ている気がした。

 下らない錯覚だと、馬鹿げた感傷だと、〈彼〉なら笑い飛ばしたかもしれない。

 かつての僕――〈わたし〉が、何を思ってあのヒトを助けようとしていたのかは、もうわからない。

 けれども、目の前にいる青年を人間に引き戻せたなら――その不死性を、取り去ることができたなら、何か思い出せるような気がしたから。

 そうしたら、僕も少しだけ救われるような気がしたから。


「……ね、ロフィン」

「なんだよ」

「ナイフ、貸してくれない? 予備の方が良いな、小さめのやつ」

「どうして、お前がそれ知って……いや、そうか。そうだな。やりづれえ」

「……僕はさ、決めたよ」


 懐からナイフを引き抜く青年に向けて、僕はぽつりと言った。


「僕が彼の仕事を――〈葬儀屋〉を引き継ぐことにする」

「そいつはさっき聞いた」

「いいや、そういう意味じゃない」

「……意味がわからねえ」


 珍しくきょとん(・・・・)とした表情の青年から、刃物を受け取る。

 そのまま手を後頭部にまわして、鬱陶しい長髪をばっさりと切り落とした。ちょっと不格好だけれど、これでいい。きっと、綺麗に整えた髪は僕には似合わないだろう。


「君の望みを叶えてあげるって言ってるのさ」


 精一杯の強がりと一緒に、青年に向けて微笑んだ。


「きっと、君を助けてみせるよ、ロフィン」

「……ま、期待しないで待っててやる」


 対する彼は静かに面を伏せて、ほんの少しだけ口端を上げたのだった。



◇◆◇



 ――また、あるとき。違う場所で。


「聞いてんのかよ、クイール」

「――ん。あぁ、ごめんごめん。聞いてなかった」

「堂々と言うんじゃねぇよ。少しくらい申し訳なさそうにしろ」

「ん、ごめん。……少し、昔のことを思い出していてねぇ」

「……昔?」

「別に、たいしたことじゃないよ」

「はん。毎度毎度、おかしな野郎だ」

「むう。野郎ってのはやめて欲しいよねぇ」


〈葬儀屋〉たる僕は、今日も仕事に向かう。

 橙色の小さな花を、この手に携えて。



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