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骨食みクイールに手向けの花を  作者: 伊森ハル
3 骨食みクイールに手向けの花を
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004


 雪を踏みしめる音が、森に響いていた。


「――見えましたぜ。(かしら)の言うとおり、あそこなら隠れ家にうってつけだ」


 先頭を行く男がこちらを振り返る。

 その手が示す先には、高くそびえる雪山があった。木々と氷雪、岸壁が入り交じり、白と黒の二色からなる威容は、見る者に畏怖の念を感じさせる。ただ、一般的な山とは輪郭線が大きく異なっていた。

 複数の巨大な()が生えているせいだ。

 純白の直方体がいくつも連なって、独特の景観を作り出していた。その配置からは、自然の風化や劣化では説明の付かない人為性が見て取れる。しかし整然と並んでいるわけではなく、まるで大きな子供が積木で遊んだ後のように不規則だった。

 帝国北方山脈のおよそ三割を占める巨大遺跡。通称〈北壁群〉だ。巨大な壁はそれぞれ内部が空洞になっており、さらに階層構造を為している。一種の迷宮じみた作りで、他者の侵入を拒んでいた。

 人と神が初めて契りを交わした地とも、〈聖代〉最後の大戦における神々の砦とも言われている。〈聖代の遺物〉が数多く眠っているのだけれど、〈魔法〉の類を用いなければ開くことのできない扉や、たくさんの罠が仕掛けられているせいで、数百年もの間、発掘は芳しくない。

 しかも、数十年前に〈幻想生物(メタフィシキ)〉の失敗作が大量に放たれてしまった。あれらは他の動物と違って()えることがないけれど、寿命という概念が無く、無差別に人を襲う。ここに寄りつく人間はよほど腕に自信があるか、そうでなければ自殺志願者くらいのものだった。

 僕は――いや、彼は、だからこそ都合が良いと考えたのだろう。

 僕が記憶を視ている相手は、人さらいの集団を束ねる男だった。先日、ドォルフとの会話で口にしたとおり、さらわれた人間は奴隷制度のある国へ売られるのが定石だ。彼らもその例に漏れず、人をさらっては他国へ売り飛ばすことで日々の生活を送っていた。

 けれど、少し調子に乗りすぎた。聖帝国でも生え抜きの中央師団が自分たちを探しているという情報が入ったのだ。

 しばらくは身を隠す必要があり、さりとて商売を途切れさせるわけにもいかない。()は苦肉の末、奴隷に代わる商品を見つけ出した。

 すなわち、麻薬の栽培である。

 ()は先導を追い抜くと、後ろを向いて声を張り上げた。


「ようし、お前ら! 俺たちはこれから、あそこに根を張る。今回の商品は寒暖に強い。中央師団の連中が俺たちを嗅ぎ回ってるうちは、奴隷稼業はナシだ。しばらくはこっちに専念するぞ、いいな!」


 ()の宣言に対し、十余名の部下がそろって声を返す。彼らの背後には、大型の馬車が三台並んでいた。うち一台には最近捕まえた奴隷と、新しい商品が積み込まれている。

 人を狂わせる薬効を持つ花と、その種子だ。あの花――〈クゲボシ〉は成長に陽光をほとんど必要とせず、水と土さえあれば十分に育ってくれる。潜伏中に作る商品としてはこれ以上無いほどに適していた。

〈北壁群〉へと近づくうち、部下の一人が声を上げた。


「なあ(かしら)ぁ。(ヤク)に専念するのはいいけど、こないだ捕まえた奴らはどうすんだ? ひと家族、まるっとさらったんだ。さっさと(さば)かねえと面倒じゃねえか?」

「いや、薬はともかく、人は隠しづらい。売った先から足がつくかもしれねえ。すぐには動かないほうがいいだろうな。メシだけはやっとけ。もちろん、ちゃんと閉じ込めておけよ」

「おうさ。ま、あの中に閉じ込められちゃ、逃げようなんて気も起きねえだろうが」

「最悪、売らなくたって使いようはある。なんなら、薬の出来を試すのに使ってもいい。花に詳しい連中だ。情報を聞き出せりゃ儲けもんだろうよ」

「どこぞの祈祷師の末裔、つってたか? なんだって、あんな禁制品を持ってやがったんだ?」

「さあな。あの家族が言うことも、どこまで本当かわかりゃしねえ。ま、興味もねえが」

「へっ、(ちげ)えねえな」

「無駄口叩いてる場合じゃねえ。さっさと登るぞ。早いとこ、手頃な場所を見つけねえとな」


 切り上げるように言って、僕は一層歩調を早める。その行く末では、硬質の巨壁がこちらを厳然と見下ろしていた。



◇◆◇



 腐った血のような、ひどく不快な臭いが周囲に立ちこめていた。

 聞こえてくるのはおびえきった部下の悲鳴と、早鐘を打つ自身の心音。緊張から胃がせり上がり、身がすくんでいた。呼吸は荒く、頭の芯が熱くなっている。

 死の恐怖(・・・・)を前にした人間が見せる、典型的な神経失調だ。

〈北壁群〉にある遺跡の一つ。その内部で、()らは異形の化物たちに囲まれていた。

幻想生物(メタフィシキ)〉――いや、その〈なり損ない〉たちだ。この一帯に放たれて以後、未だに多くの個体が居座っていると聞くけど、その一部だろう。

 もちろん()も、事前に危険性は織り込んでいた。しかし、これほど早く遭遇するのは想定外だったらしい。仲間は皆、完全に浮き足立っている。


「ど、ど、どうなってんだ、頭よぉ! 隠れてやりすごすんじゃなかったのかよ!?」

「そのつもりだった。けど、てめえも見てただろう! あいつらまるで、俺たちのことが見えてるみてえに……!」

「くっ来るな! 来るんじゃねえ! それ以上近づいてみろ! ぶっ殺してやるからな!」


 錯乱する一歩手前といった形相で、部下は(なた)を振り回す。多数の〈なり損ない〉たちは様子をうかがうように、こちらをじっと見据えていた。

 僕は汗を拭うこともせず、ひたすら周囲へ視線を走らせる。包囲を突破せんと手薄な一角に目星をつけ、指示を発するために深く息を吸った――そのときだった。


《そこまで、だ。武器を納めて、くれ》


 その声は、頭の中に直接響いてきた。

 それは部下にも同様に聞こえていたらしく、皆一様に顔を見合わせている。


「っ、お前ら! 武器を下ろせ! ……言うとおりにしたほうがよさそうだ」


 僕は慌てて指示を下す。彼らは戸惑いながらも得物を下げた。


《うん、良いだろう。きみたちはワタシと対話する意思があるようだ。つまりは人間だね》


 声と共に、黒の頭巾を被った長身の人物が奥から姿を現した。頭巾がすっぽりと頭を覆い隠しているせいで、顔は少しも見えない。


《来客、か。歓迎、しよう。ワタシも、人間として、人間には、礼儀を尽くさなければな》


 頭に直接響いてくるような声、一貫しない口調。間違いなく、僕らを襲った男と同一人物だ。

 彼が手を掲げると、周囲の〈なり損ない〉たちが一斉に動きを止めた。それまで襲っていた仲間達に見向きもせず、男の背後へと退いていく。

 ()は、その光景を呆けたように眺めていた。


「おい、なんの冗談だ? ……まさか、あんた、こいつらを従えてるのか? ……何者だ?」

《ワタシが何者か? それを聞くってことは、きみから答えは得られなさそうだ。何の目的でここまで来た? ワタシを脅かそうというのであれば――》

「ま、待った! 待ってくれ! 俺たちはあんたの役に立てるはずだ!」


 男の反応が素っ気なかったせいか、僕の背筋が凍り付く。なにせ、相手はこちらの生殺与奪を握っているんだ。しかも得体の知れない〈声〉で話しかけてくる。僕は――彼はきっと、生き残るための道筋を必死で探しているんだろう。


《役に立てる、だと?》


 興味を示したところで、僕は卑屈な笑みを浮かべた。


「そ、損はさせねえ。へへ、欲しいのは金か? それとも……」

《ワタシには不要だよ。そんなものは》

「じゃっ、じゃあ、何が欲しい!? 金がありゃ、大抵のことはなんとかなるし、あんたが俺たちを守ってくれるなら、たんまり稼いでみせる。その金で、あんたの望みを叶える! ……どうだ!? 悪い話じゃねえだろっ!?」


 眼前の〈彼〉はしばらく考え込むそぶりを見せていたけれど、やがて面を上げた。


《そうだね。きみの言うことにもうなずけるよ》

「そっ、それならッ!」


 希望が見えた。自分でもわかるくらいに、僕の顔に喜色が浮かぶ。男は自身の頭巾に手をかけて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


《ああ。ワタシが、求めるのは――》



◇◆◇



「約束が違うじゃねえか……!」


 ()は見慣れない洞窟の中で、頭巾の男に詰め寄っていた。

 つい先ほど(・・・・・)までに比べて、かなり暖かい。壁の材質からするに、おそらく拠点を移したのだろう。季節も巡っているはずだ。

 頭巾の男はこちらを見向きもせず、乳鉢の中身を検分していた。


《……約束、とは?》

「みんな、みんなてめえが殺しやがった! ゲラルもアンデラも……! 俺の仲間だ、それをてめえは殺しやがったんだ!」


〈なり損ない〉たちに囲まれながら、震える声を張り上げる。目の前の男は指先ひとつ動かさずに僕を殺すことができる。それがわかっているはずなのに、僕は怒りのままにわめいていた。


「ああっ、くそ、畜生! どうして、どうしてあいつらを……!」


 男は手を止め、こちらに頭を向けた。その奥にある表情はまるでうかがえない。


《どうしてって、肥料だよ。彼らは(にえ)として役に立ってくれた。ワタシはとても気分がいいよ》

「このクソ野郎が! 何が不満だったってんだ!? 人間が要るって言うから危険を承知で何人もさらった、そのために根城も変えた! やらなきゃ殺すって言ったのはてめえだ、俺たちはやった、やっただろうが! それが、なんで……!」

《貴様が、ワタシに、意見ができる、立場か?》

「っ、てめえ! この化物が! ぶっ殺してや――」


 最後まで言い切る前に、僕の視界は黒く染まった。



◇◆◇



 いつかの被害者と同じように、()は花畑の中で死にかけていた。

 足の腱を切られ、片腕を切り落とされ、それでもなお、かろうじて息が残っている。

 橙色の海に沈んだまま、僕は、近くで交わされる会話をぼんやりと聞いていた。


《貴様が言った、ん、だろう? あの花は、ヒトの魂を吸う。そのおかげで、ワタシの色が、戻っていると》


 頭巾の男は手に持った注射器を掲げて見せた。その中身は橙色(オレンジ)の液体で満たされている。


「そんな、ち、違う! あなたが少しずつ良くなったのはほんとう、だけれど、けれど、人を食べさせるなんて、そ、そんなことしたって、意味なんか……!」


 檻に閉じ込められた少女が、おののくように反論する。けれど、頭巾の男はまるで聞く耳を持っていなかった。


《あの花がヒトの魂を吸うのなら、いくらでも吸わせてあげよう。それを取り込めば、ワタシは色を取り戻せる。魂の有り様が肉を形作っているのなら、ワタシの願いはきっと叶う》

「わ、わたしは、そんな、つもりじゃッ――」

《きみはただ、ワタシを視ていればいいんだ》

「な、なに、……ひ、やだっ、ぁぐ……ぇひっ?」


 頭巾の男は強引に少女の腕を取り、手の甲に注射針を突き立てた。


「……あ、はぁ」


 中の薬液が注入され、彼女の表情が一気に弛緩する。


《極上の、陶酔、だろう? ヒトの魂が、よく溶け込んでいる、証拠だ。協力するなら、もっと、くれてやる》

「ぃ、いらない。そんなの、いらなっ――ぇあ、えへっ、えへへへっ。お母さん、ど、どうして、わたしの耳に入ってくるの? く、くすぐったいよ。えへっ、えへへっ。違うの、違う、そんな、ふへ、わたし、えへっ、えへへへへへへへっ」


 ――くそったれ(・・・・・)冗談じゃねえ(・・・・・・)


 こんなところで死にたくない。あのガキはどうして生かされてる? なぜ、()が殺されなきゃならねえ? 何もわからない。ただひたすらに身体が冷たい。

 仲間のことを思い出す。ろくに稼げなかった時も俺についてきてくれたゲラル、いつも俺のことを気遣ってくれたサンフィ、いつか自分で旗揚げしてやると息巻いてたアンデラ。ほかにもたくさんの仲間の顔が、浮かんでは消えていく。

 みんなみんな、俺が殺したようなもんだ。あのクソ野郎を利用してやろうなんて考えたのが間違いだった。そうさ、本当はわかってる。俺がしくじった。きっと、人さらいなんて商売をやっていたツケが回ってきたんだろう。


「――ひは」


 ひきつれるような笑いがこぼれて、それに頭巾の男が反応した。奴はゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。


《……ああ、まだ息があったのか。面倒だなあ》


 頭巾のクソ野郎はそう言うと、腕を槍みたいに変えて、俺の胸を深くえぐった。空気はあるのに息ができねえ。息を吸おうとすれば、水っぽい音が胸のあたりから聞こえてくる。


「がぼ……ひ……ぢく、しょ……」

肥料(・・)も、これで最後だ。次からは、取ってくる、必要が、あるな》


 何もかもがぼやけていくなかで、野郎の声だけがはっきり頭に響いてた。その後ろで、ガキが狂ったように笑っていやがる。


「えへ、えへへっ、えへへへへッ! ぁ、は……!」


 目を閉じる。感覚が消えていく中、最期に聞こえたのは、消え入るような声だった。


「――だれか、たすけて」



◇◆◇



 次に目が覚めたとき、僕は少女に馬乗りになっていた。

 彼女の細い首に手をかけ、ぎりぎりと締め上げていた。


「ぁ……ぎ……」


 苦しげに少女がえずき、僕は慌てて手を離す。彼女の首にはくっきりと手形が残っていた。

 足下を確認する。自分自身への拘束はしっかりと機能していた。

 近づくなと言ったのに、彼女がそれを聞き入れなかったんだ。大方(おおかた)〈葬儀〉で我を失った僕を心配して、駆け寄ったというところだろう。

 例の遺骨は随分と記憶が劣化していた。であるにもかかわらず、死を経験した直後にこれだ。明らかに耐性が落ちている。情けない話だった。

 身を起こし、靴紐をほどく。その後、彼女が起き上がるのに手を貸してやる。首以外に怪我は無いようだった。すんでの所で正気を取り戻せたのは幸運というほかにない。


「離れてろって、言ったのが、聞こえなかったのかい……?」


 何度も激しく咳き込んでから、少女はおずおずと答えた。


「ぁう、で、でも、苦しそう、だった、から……」


 その返答を聞いて、思わず顔をしかめてしまった。

 苦しい、という言葉を使うなら、彼女自身がそうであるはずだ。家族ごと捕らえられ、薬漬けにされ、両親を喪った。目の前で命を絶たれ、花々に喰われる(・・・・)様を、肥料として遺骨が撒かれる様を、嘆きながら眺め続けていた。懇願も聞き入れられることはなく、魂の色を視るための道具に成り果てて――それでもなお、僕の安否を案じている。

 ドォルフといい、彼女といい、どうして今日はお人好しにばかり会うのだろう。

 ――そこまで考えて、初めて彼女に興味が湧いた。

 僕は原則として、他者の人生に深く介入することを良しとしない。

 僕らが持っているのは人智を越えた魔法の力だ。それらはたやすくヒトを救い、また、簡単にヒトを狂わせる。だからこそ、僕は必要以上に他者へ入れ込まない。

 そのはず、なんだけれども。


「ねえ、君、ここを抜け出したら仕事をしてみるつもりはないかい?」


 気がつけば、そんな言葉を口走っていた。


「……し、ごと?」

「僕が属している集団は、少しばかり特殊でねぇ。君のような人間がうまくやっていく手助けをしてやれる」


 当の少女は、言われたことがいまいち理解できていないのか、呆然とした面持ちでこちらを見つめていた。

 ――彼女を助けようと思ったのは何故なのか。自分でもよくわからなかった。

 もしかしたら、僕は〈葬儀〉に疲れ果てていたのかもしれない。

 結局のところ、僕は記憶の中ではいつだって傍観者だ。僕が視るのは既に確定してしまった過去で、その中では誰一人として自分の意思で救うことができない。

 遺族を初めとする依頼人たちは、それでも僕に感謝してくれるけれど、彼らの表情を見ていると、僕はいつもやるせない気分になる。

 ああ、そもそも〈その人〉が死ななければ、彼らが哀しむ必要もなかったのに、って。

 わがままだという自覚はある。僕はちょっとばかり、欲深いんだ。

 僕に過去を変える力は無い。けれども今ならば、この瞬間ならば、誰にだって変えることはできる。自身の望むように、世界に対して足掻くことは許されている。

 だから、せめて、現実でくらいは人を救うことができたっていい。

 打算的なところを言えば、彼女のような特殊技能を持つ人間を招き入れることで僕にも特別報賞が入る。けれど、それを抜きにしても僕の提案が最良だろう。こんな状態にある女の子を引き取れる施設はそう多くないはずだ。


「薬が抜けるまでは、少し努力が必要かもしれないけれど……君の能力なら、まず間違いなく彼らは受け入れてくれる」

「でも、わたし、わたしは……」


 少女は目を逸らして言いよどんだ。


「こんな、わたし、なんかが……ほかの場所で、生きていけるわけ、ない」

「いいや? それは問題ないと思うけれど」

「な、ななっ、なんで――」

「だって君、まだ正気だろう」

「……っ」


 図星だったのか、彼女はせわしなく視線を泳がせた。


「普通、そんなに薬を使われていたら、ここまで会話が成立しないんだよ」


 まったく、彼女はどうかしている。内在物を見透かす素質といい、とんでもない逸材だ。


「あの花から作った薬を使われていても、まだ正気を保っている。薬の精製技術が低いのだとしても、並外れた自我の強さだ」


 目に見える彼女の症状は身体の震えとわずかな思考力の低下くらいのものだ。

〈葬儀〉で彼女を目にした時点から、少なくともふた月。定期的に薬を投与されているのなら、とっくに自我が壊れていてもおかしくはない。

 薬物への耐性、というのとは少し違う。例の花が持つ力はもっと根源的な、言うなれば本質に対する影響を及ぼすものだ。

 形而上学的な表現をすれば、彼女が(とら)えている〈彼女〉自身の存在が図抜けて強い。彼女の『視え方』にならうならば、色が濃いというべきだろうか。

 とても強固な自己定義と、それに()る固有の存立。

 彼女はきっと、彼女自身が何であり、また何でありたいかを強く願い、そして信じている。たとえ魂が薬物に(おか)されていたとしても、最後の一線を失うことなく保ち続けている。

 その有り(よう)は、僕としては少しうらやましい。

 僕は僕自身を〈葬儀屋〉と定義し、そのように振る舞っているわけだけれど、ふとした時に自分が何者であるかを忘れそうになることがある。

 僕にとっての仕事――〈葬儀屋〉という職業は、言うなれば鋳型(いがた)だ。

 外面から定義した、外なる行動規範。

 それによって僕はかろうじて僕たり得ている。今の彼女に比べれば(もろ)いものだ。


「肉体的な意味では、それなりの支援が必要だろうけど……今の君はまだ、自分の足で立ち続けている。もちろん、歩き出すことだってできるはずだ」

「ほん、とうに……?」

「あくまで君がそう望むなら、だけれども」


 少女は所在なさげに視線を泳がせながら、小さく答えた。


「……出て行く、っていう、のは。ちょっと、だけ……こ、怖い」

「生きていくのが怖いというのは、わからなくもないけれど……死ぬのはもっと怖いよ」

「し、死んだことなんて、ない、くせに……」

「さて、反論はできないねぇ。まさにその通りだからさ」


 僕は苦笑する。死んだことがないという評価は、一面から見れば間違っちゃいない。


「ともあれ、考えてみては欲しいかな。身の振り方のひとつとしては、悪くないはずだからさ。……ま、ここで死ぬつもりだというなら、別だけれども」


 彼女にどれほど素質があろうと、本人の意志が伴わなければ意味は無い。今の自分を振り切るということを、決心してもらう必要があった。


「わたし、は……」


 彼女が口を開きかけたところで、頭巾の男が部屋へと戻ってくる。

 彼は先ほどまでドォルフが横たわっていた場所へ立ち、周囲を見回した。


《……終わったみたいだね。彼はちゃんと、魂を吸わせてくれたみたいだ》

「ひ、ぃ……!」


 少女はすっかりおびえた様子で、僕の後ろへと隠れてしまった。

 こちらに注意を払う様子も見せず、頭巾の男は手近な花を摘む。


《これで、また、ワタシは、戻っていくことが、できる》


 そうして、頭巾の中へと花を放り込んだ。

 頭巾がかすかに上下する。それから彼は、次の花へと手を伸ばした。


「花を、食べてる……?」


 遠目には判別がつきづらかったけれど、それは食事のように見えた。

 花を摘み取り、口に放り込んで咀嚼する。嚥下するなり新たな花へと手を伸ばしていく。


「あり得ない。……あんな量を一度に摂取したら、普通は死ぬ」


 明らかな致死量。そんなことを気にするそぶりもなく、彼は延々と花を食べ続けた。


《ああ、ああ、質の良い、魂、だった》


 数十本の花を胃に収めたところで、彼は満足げにそう漏らし――こちらへと身体を向けた。


《それじゃあ、次にとりかかろうか》


 そう言って、彼はこちらに近づいてくる。

 ――殺される?

 そんな疑念が一瞬だけ頭をよぎった。けれども、彼は檻を開けようともしなかった。

 檻の手前で、彼は立ち止まる。


《――貴様は、何だ(・・)?》


 そうして、僕に向けて問いかけてきた。

 一瞬、何を言われているのかがわからなかった。目を閉じてどうにか思考を整理する。

 数秒の沈黙。深く息をついてから、僕はその相手を強くにらみつけた。


「……僕は〈葬儀屋〉だ。人の骨を食み、記憶を読み、望む人にそれを伝える。それが僕で、僕はそれだ。――というのが、まあ、自己紹介ということになるわけだけれども……僕からもひとつ、訊いておきたいことがある」


 我ながら、やけに饒舌だ。

 自分で言っていることが、よくわからない。

 頭の奥が熱い。胸の内が(きし)りを上げている。


《訊きたいことっていうのは?》

「ああ、そうだねぇ。君こそ、何者だい? ……いいや、僕が問いたいことは、少し違うねぇ。そういうことじゃない、違うんだ。僕が言ってやりたいのは、つまり――」

 息が切れそうなくらい矢継ぎ早に、間を置くことなく言葉を投げつける。



「――っ、何様のつもりなんだ、君は!」



 自分の口から出た声を聞いて、ようやく理解した。

 ああ、怒っているのか、僕は。

 近頃、僕の感情はすっかり現実感が薄れていて、今だって、自分がどうして怒っているのかさえわかりきっていないようなところがあった。


《ワタシはヒトだ》

「何を言ってるのか、さっぱりわからないねぇ。ふざけているのかい? そんなことで――」

《ワタシはさ》


 僕の怒りを意に介する様子も無く、彼は自身の頭巾(ずきん)を取り去った。


《人間、なんだよ》


 その中にあったのは、およそ人とは思えない外形の頭部だった。

 肉の包帯(・・・・)で覆われた顔面が、そこにはあった。幅広の紐状となった肉のヒダが、彼の頭へと幾重にも巻き付いている。

 ただし、各所は人間の頭とは似ても似つかない。眼窩(がんか)のようなくぼみが存在してはいるものの、そこから瞳は見えなかった。口らしきモノも見えるけれど、むき出された牙は何重もの層を成していて、サメなどの魚類を思わせる形をしている。

 あるいは、胴体との位置関係や大きさから〈頭部〉と認識できただけで、もっと別な器官であるのかもしれない。そう思ってしまうくらいに、彼は人間からかけ離れていた。


「……意思の疎通ができる〈なり損ない〉がいるなんて、聞いたことがない」

《ワタシは、人間だ!》


 絶叫じみた思念をこちらへ向けて、彼は檻を殴りつける。背後の少女が驚いて身をすくめるのがわかった。

 そのおかげで、僕の怒りがわずかに収まってくれた。

 冷静さを取り戻した僕は顔を伏せ、相手に悟られない程度の息をつく。


「ああ、すまない。……君がそう言うのなら、きっとそうなんだろう」

《わかってくれた、か。……なら、いい》


 僕の言葉を受けた彼は、即座に気を静めてそう言った。あの花を食べているせいなのか、彼自身の気質によるものなのかはわからないけれど、感情の振れ幅がひどく大きい。

 喜色さえ含んでいるような調子で、彼は〈声〉を発する。


《そうさ。だからこそ、ヒトの魂を取り込んでいるのさ。それでワタシは、初めて元の身体に戻ることができるんだからね》


 彼の言っていることが、まるで理解できなかった。

 鈍化した思考を奮い立たせるように、彼へと向き直る。


「……君は、どうも勘違いをしているらしい」

《ワタシが初めから、このような姿だった、とでも、思っているのか?》

「いいや? 君がそう(・・)なった理由は察しているよ」

《祖国が……いいや、そう呼ぶことさえも忌々しいね。あんな国、滅んで正解だったんだ》

「大戦の犠牲者か。〈幻想生物(メタフィシキ)〉を作り出すための実験体だねぇ」

《実験体? 侮辱の、つもりか?》

「他意は無いよ。人間だって実験体だ。時と場所さえ違えば、僕だってそうなっていたかもしれない。たまたま、僕がそうでなく、たまたま、君がそうだっただけだ」

《そんな言葉で納得なんて、できるわけがないでしょ?》

「納得しろなんて言うつもりでもないよ。君は少し、人の言葉を悪い方に解釈したがるフシがあるみたいだねぇ」

《そう、だ。納得など、できるわけが、ない。ならば、わかるだろう。ワタシが、しようとしている、ことも》

「元に戻りたいって? その気持ちは理解できなくもないけれど……君のやり方は、明らかに間違っている。あんな花を食べた程度で、君の外見は元には戻らないよ。むしろ本質が狂っていくだけだ」

《戯れ言で、惑わすつもりか。かつて、甘言をもってワタシを騙したように》

「君がどんな欲に溺れたのかに、まるで興味は無いけれども」


 僕は心の底から深いため息をついた。


「そう簡単に戻れるとは思わない方がいいねぇ。僕だって、何十という人間の記憶を視ているけれど、わからないことがたくさんあるから」

《あなたたちはいつもそう言うんだ。予想していなかった、何が起きたのかわからない。解明できない。だから、理解する必要がある。そう言って、多くの同胞を切り刻んだじゃないか》

「君がどんな地獄を見たのかは知らないし、知りたくもない。どれほど苦しんだとしたって、君が彼らを殺していい理由になりはしない」

《ワタシが赦されず、奴らが(ゆる)される、など、ふざけた、話だ》

「君をその姿にした連中が赦されるだなんて、僕も思ってはいないよ」


 僕は額を押さえながら、ため息をついた。話がまるで通じないし、進まない。


「……どうもわかっていないようだから、教えてあげるよ」

《何を、しようっていうわけ? またワタシを騙すつもり?》


 問いを無視して、僕は話し続ける。このふざけた男に、せめて一矢、(むく)いたかった。


「〈幻想生物(メタフィシキ)〉たちがあんな外見になるのは、自分のモノでは無い不純な〈火〉を取り込んだせいだ。粗雑な方法で抜き出された、魂とでも言うべき不純物が多分に混じった〈火〉をね」

《……やめ、ろ》

「魂を本来以上に(うち)へと抱え、自らが内包する〈火〉に灼かれ続ける哀しき肉塊。それがあの化物だよ」

《止めろって言っているんだ》

「不完全な魂の融合、吸収とは名ばかりの癒着だよ。君の肉が変形しているのは、それが原因だろう。自我が残っているだけまだ運が良い方だ。……いや、君の場合は悪いのか」

《やめ、ろ。それ以上、ふざけた話を、続ける、な……ッ!》

「断言する。そんな馬鹿げた方法で、君の外見が元に戻ることは無い。絶対にねぇ」


 絶叫する彼を、さらに言葉で刺す。そうでもしなければ、死なせてしまったドォルフのことを思い出して、倒れ込んでしまいそうだった。


「せいぜい絶望を深めると良い。それが君への(むく)いだ」


 それを聞いた彼はしばらく黙り込んでいたけれど、何も無かったかのように身を起こして、先ほどまでと変わらない調子で〈声〉を発した。


《……ああ、なんだ。いつものやり方か(・・・・・・・・)

「……なにを言ってるんだ、君は」


 僕はあっけにとられて、思わず問いかける。

 対する彼は平然とした調子で黒頭巾を被り直すと、僕を見下ろしながら言った。


《嘘には慣れっこさ。きみがワタシを騙そうとしたって、そうはいかない》


 ああ、これはいけない。どうも、彼は話が通じないらしかった。

 言動が(かたく)なで、言葉の〈裏〉とでも言うべきモノが見当たらない。過程も根拠も無視して、自らが正しいと信じたいことを信じている。

 盲信。多くの人生を経験した僕でさえ、これには未だ手を焼いている。善悪の区別を無視している方がまだマシだ。そういう手合いは最低限、理屈が通じるから。

 たとえ道理が通っていなくても、たとえ間違っていると否定されても、ただ一心にそれを信じる。何故なら自分はそれを(・・・・・・・・・・)信じているから(・・・・・・・)

 忌むべき同義語反復(トートロジー)だ。くだらない。

 そんな僕の嫌悪をよそに、彼は独りごちる。


《〈遺物〉を扱えるのなら、協力を仰ぐつもり、だったが。……どうやら、無駄なようだ》

「ようやく理解してくれたかい? ついでに君の行為そのものが無駄だってことにも気づいてくれると助かるんだけれど?」

《――じゃあ、きみは最後の養分にしよう》

「……最後の? 他の兵士たちも、逃げ切れなかったのか」


 僕の反応を楽しむかのように、彼は頭部を揺らめかせた。


《貴様よりも先に、他の者達を、一人ずつ、肥やしにしてやろう》

「なにを――馬鹿げたことをするな! そんなことをしたって、君が戻れるわけじゃない!」


 檻をつかんで、目の前に立つ男をにらみ上げる。

 けれど、それはむしろ相手を喜ばせるだけだった。


《できる限り苦しめて、長引かせてあげるよ。色濃い絶望が、あの花々により多くの魂を吸い上げさせるんだ。それを取り込めば、ワタシは、元の身体を取り戻せる》


 道理が通じない。何を言っても聞く耳を持たない。

 彼は既に、狂気の彼方(かなた)に沈んでしまっていた。


《せいぜい、絶望を深めるが良い。その方が、あの花たちも、喜ぶ》



「――何が、何を、喜ぶって?」



《……誰、だッ!?》


 唐突に差し挟まれた声に、黒頭巾の男が振り返る。

 声の発生源は檻の対角線上――部屋の出入口。

 そこには、一人の青年が立っていた。


「ご同類だよ、クソ野郎。できれば、俺もそっち側(・・・・)が良かったが」


 頭に大きな帽子を被り、血とも乾留液(タール)ともつかないドロドロの体液にまみれながらも。

 僕のよく知る青年が、悠然と立っていた。


「ロ、フィン?」

「……よう。生きてやがったか」


 頬についた返り血を外套(コート)の袖で乱雑に拭いながら、青年は毒づく。


「ああくそ。うざってえな。てめえ、あの〈なり損ない〉どもを、何体飼ってたんだ?」

《……最初に襲ったとき、死んだ、はずじゃ》


 自問のようなつぶやき。それを聞いた青年は皮肉げに、自嘲じみた笑いをこぼした。


「……だったら、良かったんだがな」

「……君は良くても僕は良くないよ」


 僕のことを忘れ去ったかのように、頭巾の男は激昂する。


《嘘だッ、あり得ない! ワタシの仲間達が、間違いなく、貴様を殺したはず、だ!》

「そいつらなら、もうぶっ殺した」


 珍しく口元に嗜虐的な笑みを浮かべて、青年は両腕を広げてみせた。


「さあ、どうする? ……てめぇなら、俺を殺してくれんのか?」


 星々の揺らめく洞窟の中、暗色の外套(コート)を身に纏った青年が近づいてくる。

 銀の短剣(ナイフ)を引き抜いて、散歩でもするかのような歩調で、頭巾の男へと迫っていく。


《こっちに、来る、なァッ!》


 ボコボコと液体が泡立つような音がして、男の腕が伸びた。

 軟体動物の触手のように枝分かれした腕がロフィンへと迫る。

 胸部を深々と貫いた触手に顔をしかめながら、青年は血混じりのため息をついた。


「……なんだよ。結局、殺せねえのか」


 ロフィンがナイフを振る。男の腕はあっけなく切断された。

 うろたえる男に対し、ロフィンは歩みを止めることがない。

 肉を再生させながら遠慮なく歩き続ける彼の姿に、男は戦慄を露わとし――檻の鍵を開けて中へと入ってきた。そのまま内側から鍵がかけられる。


「逃げてんじゃねぇよ、屑野郎……!」


 遅れて駆け寄ったロフィンは、いつになく感情をむき出しにして檻を殴りつけた。しかし、鋼鉄の棒はわずかに曲がるばかりで破壊には至らない。


《どうする、どうしたら奴を、殺せる。……協力する、というから、貴様を生かしたのだ! 薬まで、分け与えて……!》


 死神(ロフィン)が迫り来る恐怖からか、男は見るからに焦りつつ、痩せぎすの少女へと詰め寄った。


《知恵を貸せ、貴様は、目を持って、いるだろう!》

「も、もう、やめ、て。あ、あなたが、元に戻れないって、いうのは、本当の、ことだから」

《今さら、何を――》

「あな、あなたの、色は……もう、戻せない、くらい、にご、濁ってしまって、いる、の……」

《きみは嘘をついたのか、ワタシに……!?》

「ちが、違う……! 花を食べたら、色が、混ざりづらく、なったのは、ほんとう、だけれど……! 人をひ、肥料にしたって、効き目は、か、変わって、なかった……!」


《それなら、どうしてそれを!》

「いっ、意味なんて、無いって、な、何度も、何度も……いい、言った、けれど――あなたは、聞いて、くれなかった……!」

《……もう、いい》


 男は不意に肩をうなだれて、残る片腕を振り上げた。


《なら、貴様が先、だ》


 それを見た瞬間。

 制止の言葉を吐くよりも先に、身体が動いていた。

 馬鹿げたことだと思うけれど、まるで自分の肉体が意思を振り切ったかのようだった。

 弾かれるように僕は跳び、両者の間に割り入る。


「てめっ――くそ! ふざけやがって!」


 振り下ろされんとする腕を狙って、ロフィンが檻の外からナイフを投げた。

 その刃は(たが)わず命中したけれど、腕を吹き飛ばすほどの威力は無くて。


《――すべて、壊れてしまえ》


 妨害にも構わず落とされた一撃は、僕の腹部を鋭く(えぐ)った。



◇◆◇



 次に気づいた時には、もう頭巾の男はいなくなっていた。

 檻の床面が錆のような色に染まり、ロフィンの外套が同じ色の液体で染まっているところを見ると、きっとあの〈なり損ない〉は殺されたのだろう。形が無くなるほど入念に、執拗に殺されたであろうことは、ロフィンの風体を見れば明らかだ。

 青年は僕の側に立ち、呆然とこちらを見下ろしている。

 元から表情に乏しい男であるだけに、その姿には新鮮味すら覚えた。


「は、は。……君は、そんな顔も、できるんだねぇ」


 せめて強がるように笑いかけたけれど、長くは続かなかった。額には脂汗がにじみ、意識が濁り始める。


「……ふざけ、やがって」


 青年は吐き捨てるように言う。その視線が向く先へと、僕も目を向ける。


「ああ、見ちゃった……見ちゃったよ……。現実を、受け止めるのってさ、辛いよねぇ」


 どこか他人事のように言う。そうでもしなければ、意識を手放してしまいそうだった。

 どうしたものかと考えあぐねて、思いつかずにため息をつく。

 ――そんな僕の腹部には、大きな風穴が空いていた。



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