003
僕が監禁されている檻は、猛獣を捕らえておくのに使うような頑丈な作りをしていた。当然ながら、素手で脱出なんてできそうもない。
檻が置かれているのは洞窟のような暗所だ。それでもすぐに状況を把握することができたのは、その空間に大量の光源が揺れていたからに他ならなかった。
「あれは――」
目をこらす。先日の〈記憶〉で視たものと同じ花だ。橙色の、小さな星々。
「ああ。間違いないらしいねぇ。無事に犯人に捕まることができたってわけだ。素直に喜べる状況じゃあ、ないけれども」
そう呟いたところで、後ろから衣擦れのような音が聞こえてきた。
驚きと共に背後へと目を向ける。
そこで、僕の他にも人間がいることに気づいた。
ひどく小柄で、痩せた輪郭。花が発する光のおかげで顔つきもわかったけれど、見覚えのある人物ではなかった。
「……君は」
「ね、ねえ、あな、あなたは……どうして、ここにきた、の?」
声を発してからようやくその子が女性だということに気づいた。
頬は痩せこけ、ボサボサの髪は無残にくすんでいる。
擦り切れた着衣から除く肢体も、およそ少女の体つきには見えなかった。
僕だってよく性別を間違えられるけれど、彼女の場合は痛ましい。
彼女の瞳はほとんど焦点を結んでいなかった。僕を透かして、どこか遠いところを見ているようでもある。きれいな色をしているのにもったいない。
いや――
「君、もしかして」
ふと気づいて、ヘラヘラと笑う少女の手を取る。
「な、なぁ、なに?」
左手の甲。そこにはいくつもの注射痕が見て取れた。内出血の痣が痛々しい。
「……ああ、相当やっているねぇ。経口じゃなく、血管に直接注いでいるのか。どうやらここの事業主、随分な屑らしい」
「やって……?」
不思議そうにこちらを見る少女。それに構わず、僕は視線を檻の外へと向けた。
大量に咲き狂っている橙色の花たち。あれは、どう見たって自生しているものではない。
あんなに密集して群生するような性質は持たない花だ。明らかに人の手で栽培されている。
「……なるほど。あの花は〈霊薬〉の材料か」
淡くほのかな燐光を放っている花々には、かつて視た死者の記憶でも関わったことがあった。
確か――あれは民俗学者の記憶だ。旧くからの信仰を保っている他国の集落で、神と繋がるための道具として用いられているのを見た。
あの花は、人を酔わせる。自他の境界を曖昧化させ、過度に摂取すれば意識を変性させてしまうことだってある。言ってしまえば、一種の麻薬だ。
もちろん、帝国では禁制品に指定されている。
ああいった薬は必ず国を腐敗させ、破綻させる。前帝の統治下では他国へと輸出するために似たような薬草を栽培していたことはあるけれど、それだって国民の乱用が問題となって、結局は失敗に終わった。
「どうやって資金を得ているのか疑問だったけれど、合点がいったよ。あれを売ってるわけか」
独りごちてから、ふと違和感に気づいて目をこらす。
「……まったく、どこまで屑なんだ」
その正体に思い当たった瞬間、僕は思わずそう吐き捨てていた。
花弁や葉がまだらに赤黒く染まっている。おそらくは、血液のせいだ。
間違いなく〈葬儀〉で見た男の後にも殺された人間がいる。その人物も〈彼〉と同じように、身体を少しずつそぎ落とされていたことは想像に難くない。
どうしてあんなことをしているのか、理由はまるでわからないけれど――
「ああ、あの、花……?」
と、いつの間にか少女がこちらへ寄ってきていて、僕に話しかけてきた。
「あの花、には、ねぇ? ひ、人の魂が、宿っている、んだよ」
「少し黙って――いや、八つ当たりだねぇ、これは。すまない」
深く息をして、頭を冷やす。
彼女の話は、僕も聞いたことがあった。取るに足らない民間伝承のひとつだ。いつ、どこで、なんてことはとうに忘れてしまったけれど。
「魂が宿る、ねぇ。ある地域では、手向けの花に使われることが多いと聞くけれど……あんな花を手向けるなんて、どうにも皮肉っぽいというか」
「そそ、そうなの。あれには、ねぇ。魂が宿って、いるの。でもね、そそ、それはねぇ、少し、間違って、るんだよ」
「僕だって、信じてはいないけれど」
「あ、あれは、ねぇ? 本当に、魂を吸う、けれど。べっ、別な色に、変えてしまうの。自分の色に、しちゃうの」
「……へえ?」
「ほ、本当なんだ、よ。なんとなく、だけれど、わかるの。たとえば――あな、あなたは、とても、透明な色を、してるよ。ふへ」
「驚いた。……君、本当に視えるのかい?」
僕は思わず顔を寄せて、彼女の瞳をのぞき込んだ。
「うぅ、あの……ちか、近い……」
彼女は驚いたのか、僕から視線を逸らしてしまう。
時々、こういうのが居るんだ。言いようのしれない本質――〈魂〉とでも呼ぶべき内在物を感じ取ることのできる人間が。
似たような人間は〈統治機構〉にも在籍していて、彼らは揃いも揃って僕のことを『透明』だと表現する。それを踏まえると、多分、彼女が言っていることは本当だ。
「透明、透明か。冗談にもなりやしないよ、まったく」
思わず笑ってしまう。自嘲の一息だ。僕が〈葬儀屋〉の仕事をしているのも、こんな牢屋に放り込まれる羽目になったのも、元を正せば、それが原因なのだから。
「あ、あの、ごめん、な、なさい。わたし……いやな気持ちに、させるつもりじゃ……」
「いや、こっちの話だよ。……僕は僕に色が欲しい。いや、正確には取り戻したい、だねぇ」
「とりもどす? そ、それって――」
少女が言いかけたところで、何かを引きずるような音が聞こえてくる。
見れば、頭巾の男が部屋へと入ってきていた。
《ここ、が。貴様の楽園、だ》
彼は人を引きずっていた。たくさんの花が咲いている地点へと、その人間を放り投げる。
「ドォルフ……ッ!」
その正体に気づいた瞬間、僕は叫んでいた。
僕の存在を認めたドォルフが頭をこちらへ向ける。
彼は疲弊しきっていた。衣服にはいくつもの赤黒いシミができていて、心も身体もボロボロなことがすぐにわかった。
そんな状態にありながらも、彼はこちらに呼びかける。
「〈葬儀屋〉か……下手を、打ってしまった。すまない」
「こんな状況で何を言ってるんだ! 謝るべきはむしろ――」
「それ以上、言ってくれるな。私への侮辱になる」
ドォルフは僕から視線を切って、頭巾の男をにらみつけた。
「貴様は、決して、天に昇れなどしない。……日に焦がされて、落ちるが良い。この外道め」
《違う、な。外道は貴様ら、だ》
そう言い放って、頭巾の男は腕を振りかぶる。ボコボコという泡立つような音がして、彼の腕が変形する。粘土じみた質感の腕は、やがて鋭い槍のような形状となった。
《その魂をワタシに捧げてさ、せめてもの償いにするといいよ》
抑揚の薄い〈声〉と共に、彼は槍先をドォルフへと落とした。
「ぐっ、が……ぁ……!?」
《きみの態度がさ、すごく気に入らないんだよね》
無感動な言葉を発しながらも、男は幾度もドォルフの腹を突いた。
《貴様は、苦しめる必要も、無い。他の連中が、立ち直れないよう、すぐに、殺してやる》
「なにを、してるんだ。あの男は……!」
「やめ……やめて……お、お願い、だから……!」
背後の少女が、震える声でそう懇願する。彼女はうずくまったまま頭を抱えて、目に涙を浮かべていた。少女の叫びをまるで気にすることなく、頭巾の男はドォルフを害し続けた。
《……ああ、とても疲れたよ。次の肥料を、選んでおかなくちゃ》
何度目かの刺突を終えた後。彼はぽつりと呟いて、ドォルフへの興味を無くしたかのように外へと出て行った。
花畑の中から小さな咳き込みが聞こえたのは、彼の気配が完全に消え去ってからだった。
「ぐ、ごほ。は、ァ。まだ、生きて、いるとは……」
「……君、まだ息が」
「あるとは、言えんな。はっきり、言えば、息をするのさえ、つらい」
「……すまない」
「侮辱だと、言っているだろうに」
「そう捉えられてしまうなら、それでも構わない」
「ふ、は。気に病むものでは、ないぞ。〈葬儀屋〉よ」
「けれど――」
「私は、な。誇らしかったのだ」
もうほとんど体力も残っていないだろうに、彼は笑ってみせた。
「大戦で、英雄の名をとどろかせた、中央師団にあって。民を護る機会を、得られたということが……何よりも、嬉しかった」
「もう、しゃべらない方がいい」
人生経験から医療の知識を総動員する。かつて視た記憶に頼って助言をひねり出す。
「太い血管を圧迫して、じっとしているんだ。助けは来る。希望を失うべきじゃない」
「……無駄、だ。気休めにしか、ならんさ」
「諦めるんじゃない。助けは来る。絶対にだ」
「なに、気を遣ってくれるな。私は、これでも、戦士だ。理解、しているとも」
「……だからって、わざわざ苦しむ必要もないだろうに」
「ふは。いざ戦となれば、死ぬときは戦地と、思っていたが……最期を看取ってくれる者が、いるとはな。……妻子でないのが、残念だが」
「君、子供が?」
「意外か」
「割と」
思わず出てしまった答えに、彼はまたも小さく笑った。
「妻も子も、私とは、正反対でな。強く、気丈だ。問題なく、やっていけるとは、思うが……」
「ねぇドォルフ、お願いだから、黙ってくれないか。消耗は抑えるべきだ」
僕の懇願にも耳を貸さずに、ドォルフは話し続ける。
「悲しまないでほしい、と、せめて、伝えてやりたい」
かすれるような呼気を挟んで、彼は僕を見やった。
「貴様の――〈葬儀屋〉の仕事として、頼んでも、いいだろうか?」
「やめてくれ。自分で言うべきだよ、それは」
「無理、だろうな。だからこそ、貴様に頼んでいる」
「だからって、そんなに大事なことを託すものじゃない。君は生き延びるべきだ」
「誰もが、生き延びるべき、だろうよ。だが、私はもう、死にかけだ」
僕に向けられるのは、すがるような視線だ。仕事を依頼する遺族たちが僕に向けるのと同じような、悲哀と希望の入り交じった悲痛な瞳。
「頼める、だろうか」
僕は割れんばかりに歯を噛みしめながら、彼に向かってゆっくりとうなずいた。
「感謝、する」
「死ぬ人間っていうのは、勝手な奴ばかりだ」
「そう、辛く当たってくれるな。貴様の連れていた男も、よく戦っていたが、おそらくは……奴を悪し様に罵ったりは、せんだろう?」
「……いいや、その程度じゃ彼は死ねないよ」
「ああ。だと、いいが」
投げやりな返事ではない。本心からそう思っているようだった。
まったく、彼は稀に見るお人好しだ。そんな彼を、今の僕は見送ることしかできない。
「……これを、受け取れ、〈葬儀屋〉」
こうして話すのさえ辛いだろうに、ドォルフは懐から何かを取り出して、こちらへ投げた。檻の近くに落ちたそれを、手を伸ばして掴む。見れば、小さな骨の欠片だった。
「これは、誰の」
「被害者か、元からあった〈聖代〉の骸かは、わからんが……捕まっている間に、見つけた。脱出の、手がかりくらいには、なるかもしれん。せめて貴様は、うまく逃げろ」
「僕の心配なんて、している場合じゃ無いだろうに……!」
「――なあ、〈葬儀屋〉よ」
僕に呼びかける彼の声はすっかり細くなっていて、息も絶え絶えといった様子だった。
「死ぬ時というのは、怖いか?」
彼の死が近いことは、僕の目から見ても明らかだった。
「……案外、安らかなもんさ」
そんな人に事実を伝えるほど、僕は酷な性格をしちゃいない。
「死後の世界っていうのは、僕は見られないんだ。だから、エルムスが説く天の楽園ってやつも、まだ見ることができてない。けれども、あっちはけっこう快適だと聞くよ」
僕の答えを聞いて、ドォルフは表情をいくらか和らげた。
「そう、か」
「……そうだ。だから安心して、目を閉じるといい」
自分の声が震えていないか、不安で仕方なかったけれど、僕は精一杯の嘘をつく。自分のためだけに始めた〈葬儀屋〉の仕事だけれど、せめて彼が救われたら良いと、このときばかりは本気で思った。
「貴様への評価を、改めて、おこう」
彼は深く息をついてから、僕に向かってかすかに笑んだ。
「――貴様は、真っ当な〈葬儀屋〉だよ」
そう言い残して、彼の目から光が失われる。
僕は悪態の一つさえ吐き出すことができなくて、ただ、拳を強く握りしめていた。
いつの間にやら隣へと這い寄ってきていた少女が、檻にすがりつくようにしてドォルフへと手を延べる。その腕は細く、今にも折れてしまいそうだった。
「ごっ、ごめん、なさい……ごめん、なさい……」
蚊の鳴くような声で、何度も謝る。薬の影響か、彼女の行為はどこか妄執じみていて、僕は声をかけることができなかった。
「また、また……殺し、ちゃった。また……!」
彼女が手を伸ばす先には、ドォルフの亡骸があった。
橙色の星々に囲まれて、笑みを浮かべる男の骸。
――その頬の肉が、不意に崩れた。
「あれ、は……?」
呆然と、問う。そうする間にも肉の崩れる範囲は急速に広がっていく。それに呼応するように、遺体の周囲に咲く花がわずかに発光を強めた。
土くれを握りしめながら、少女はぽつりと言う。
「そ、っか。あな、あなたには、見えない、んだ、ねぇ?」
「……何が起きてるっていうんだい?」
少女は振り返り――今にも泣きだしそうなくらいに顔をゆがめながら、ゆっくりと答えた。
「あの、あの花に、〈クゲボシ〉に、た、食べられてる、の」
「僕の知る限り、あんな性質はあの花には無いはずだ」
「ひとつ、ひとつが吸う魂は、少ない、けれど……はっ、花がとても、多い、から。いっぱい集める、と、すぐに、ああなっちゃう、の」
「死体を処理するため……? いや、そもそも、殺す意味が無い。なんなんだ、こんなことをして、何になる!」
「なんにも、なら、ないよ」
それは、己の無力を嘆くような、悲痛な言葉。彼女が気に病むようなことではないけれど、それでも彼女は、どこか自分自身を責めているようだった。
「何人、殺された?」
意を決して、聞く。
「か、数えて、いられない、くらい……にじゅうにんは、い、いってる、はず。おかあさんや、おとうさんも、あ、あの花に、食べられちゃった……」
「どれくらいの期間、君は捕まっているんだい? 少なくとも、二ヶ月以上が経ってることだけは確かだけれども」
「さ、さあ……それも、もっ、もう、わから、ない」
いくら自我が強いとはいっても、彼女の記憶はずいぶんと衰えてしまっているようだった。それでも何か新しい情報が得られないかと思って、質問を変えることにする。
「少なくとも前に襲われたとき、人さらいを実行しているのは人間の集団だったはずだ。どうして〈なり損ない〉を使役してる? 何故、彼は一人で居る? それとも、仲間たちは他の場所に潜伏しているってことかい?」
「あの人の、な、仲間、なんて……もう、い、いないよ。さ、最初にわたしを、さらった、人たちも、みみっ、みんな、あの花に、食べられちゃった、から……」
「まさか、あの男は、殺したっていうわけ? ……元いた仲間を?」
少女はうつむいたまま、こくりとうなずいた。
「……なんてこった」
僕は額を押さえる。考えがうまくまとまらなかった。
「まるでわけがわからない。何がどうなってるんだ……?」
「わたしの、せ、せいなの。わたしが、あのヒトに、はっ、花の話を、してしまったから」
「花の話? 魂が宿るってやつかい? そんな与太話で、どうして――」
そこで思い至って、視線を落とした。僕の手には骨片が握られている。
理解した。理解してしまった。これはさらわれた被害者の遺骨でも、聖代の遺骸でもない。
おそらく、これは――
「ッ、僕から離れてくれ」
「ど、どうした、の?」
「いいからッ!」
彼女を傷つけるのは本意ではない。僕は足を檻の外に出し、靴のひもを左右で結びつけて、自分自身を拘束した。容易には外れないことを確認してから、ドォルフに渡された骨を噛む。
僕は目を閉じ、呪文を唱えた。祝詞が連なり、光がはじける。
「ぁ、あなた、また、色が――」
全てを唱え終えた頃、遠くから少女の声が聞こえた。
けれど、それに気づいた瞬間には、既に意識は沈みだしていた。




