93.鎮火
ペルーンでの用事は、ひとまず終了した。
コシチェイを倒すための旅を、そろそろ再開しなければならない。
大使館の小さい会議室で、サーシャはイーゴリ、セルゲイと共にテーブルを囲み、旅のルートの相談をしていた。セルゲイは同行するわけではないが、エカチェリーナの命で相談役になっている。
ナターリヤはユーリの葬送の儀の後から、どこをほっつき歩いているのか、
大使館にいたりいなかったりするし、
今日はヴィクトルもまだ姿を見せない。
最短ルートとしては、東の橋を渡り、東隣の国チュリーラを通ってジアーナの国に入り、
そこから北上してフェオフォンの国に入り、東端にあるという神を祀る地へと向かうのが妥当だろうか。
初っ端から連合諸国の一国だ、無事に通してもらえるか、不安要素は存在する。
サーシャがいなければ黒いものの脅威に対抗できないのだから、
まさかサーシャを危険に晒すようなことは、いかにヴァシリーサに悪感情をもっていても、ないとは思うが、
万が一を考慮しておくに越したことはない。
それに、
「黒い神が消されたっていうことは、私だって狙われる可能性が出てくるわけでさ。
……白い神って、黒い神の役割、わかってるよな……?
なんで、消すようなことしたんだろ」
サーシャにはそうした懸念があったのだ。
白い神に、なんらかの力が働いたらしいと聞いて、
救世主なる存在をサーシャは疑ったのだが……
救世主とやらが、黒いものを、使うため?
黒いものを人に宿らせて、欲望のままにさせれば、力が入る、
ということか?
パウキのメンバーがそう言っていた。
その力はまさか、宿らせた人に使わせるわけはないだろう。
最終的に、親玉らしき救世主が使うと考えるのが自然だ。
黒いものを人に宿らせるには、黒いものがあるべき形に戻っては都合が悪い、と捉えられる可能性もある。
「マジでこっそり行動した方がいいかもな」
「そこまでは……考えが及びませんでした」
「仕方ないよ。情報も順々に入ってきたんだし。
黒いもののことを知らせないまま、各国に被害が出るままにするわけにもいかない」
サーシャは決心を固めつつ、イーゴリに剣の相手を頼んだ。
一つでも多く剣舞奏が使えるに越したことはない、と思って。
お相手いたしましょう、とイーゴリが引き受け、セルゲイも一緒に庭へ向かう。
「姫さま……ナターシャのことですが。
そろそろ喝を入れねばなりますまい」
廊下を歩きながら、イーゴリがそんなことを言い出した。
「恋人を亡くした無念はもちろん考慮しておりますが……それにしても、あれの行動は目に余るものがあります。
夜遅く帰館したり、ひどいときは朝帰り、ずっと酒に酔っている有様。
休暇扱いとはいえ、仮にも姫さまの護衛を務めようという立場で、自分を律することができぬようでは、姫さまに付くにふさわしくないと断じねばなりません」
「うん……まぁ貴方はそういうの、嫌いだから、余計そう思うんだよね」
「姫さまは……お優しすぎます。
姫さまは、アナスタシア様を亡くされたとき、そんなに荒れはしませんでしたでしょう」
「あれは……前に進むしかなかったじゃん。
それに私は……イーゴリがいてくれたし」
改めて思い返しても、やはりイーゴリがいたからこそ、絶望の中にいながら進むことができたのだ。
今のナターリヤに寄り添ってくれるのは……
もしかして、誰もいない状況なのでは?
頼られればもちろん受け止めるが、ナターリヤはサーシャには何も言ってきていない。
サーシャやイーゴリに頼ってこないのは、やはり、立場というのも関係してはいるのだろう。
「しかし、あれをそこまで甘やかしては……」
「不問にする。
彼女は私のところへ戻ってくるよ。
ヴィーシャも言ってた、徹底的に落ち込んで、そして元に戻るって。
私は彼女の底力を信じてるよ。
私は今できることをやって、彼女を待つ。
もう少し。
もう少し、放っておいて、いいと思う」
「……姫さまに、そこまでおっしゃって頂けますならば。
お心遣い、あれに替わって感謝申し上げます……」
やはり実の妹なのだ、
イーゴリも、心配はしているのだ。
「うん。
私は、戻ってきたナターシャを迎えるだけ」
* * *
ぼんやりと見えるのは、窓からの明るい光。
視点がようやく定まってきて、視界にあったのは、
ーーベッドの、天蓋?
体がひどくだるくて、頭はぼうっとして回らない。
……ここ、どこ?
どうやらふかふかのベッドに寝ているらしいことが、だんだんわかってきた。
……自力で、帰り着いたのか?
最後の記憶を頑張って手繰り寄せる。
……ああ、なんか、ものすごいムシャクシャして、男を買ったんだっけ……
あのあとさらに飲んだ気がする……
ひどく喉が渇いていた、寝返りを打って、ふと、ベッドサイドに水差しがあるのに気づく。
何も考えず、水差しからがぶ飲みした。
銀の水差しをテーブルに置いて、その瞬間、ここがとてつもなく上品な部屋であるのに気づいた。
ーーサーシャの部屋と同等の。
「えっ?
何、ここ……」
思わず、辺りを見渡す。
どう見ても高級なクローゼットに、姿見。
壁の燭台も、明かに大貴族の屋敷のそれである。
珍しく、焦る、
服はちゃんと着てーーといっても、胸元が多少緩んでいる、昨日服を適当に着て出てしまったんだろう。
剣は持ち歩いていなかったが、腰の短剣が無くなって……
いや、水差しの脇に置かれていた。
安堵して、短剣をベルトに挿す。
体はだるいままだが、このままここにいるわけにはいかない、
扉を開けてみると、開いた。
一応用心しながら、そっと次の部屋の様子を伺う。
サーシャの部屋より広いくらいだった、
どう考えても、ここは何処かの王侯の屋敷としか思えない。
なんで、私がこんなとこに?
広いテーブルとソファーが目に入った、そのソファーに、横たわっている人影が見えた、
誰かが寝ている!?
そっと近づいてみると。
「……ヴィーシャ?」
その場に、座り込んでしまった。
混乱と。
それよりも、何故だか安心して。
ここは、イヴァンの大使館だ。
心配することは、何もない。
それに、なんだろう、
ヴィクトルの顔を見て、ホッとしてしまった。
ついさっきまで、荒れに荒れていた心の波が、
急に穏やかになったような。
……サーシャは、許してくれるだろうか。
急にサーシャのことが思い出されてくる。
別に自分の行いを後悔はしたりしない。
昨日までは、そうするしかなかったからだ。
素行不良で、何か処分があるなら、受けるつもりでいる。
「起きたか?ナターシャ」
寝ていると思っていたヴィクトルが、目を開けないままいきなり言うので、
不覚にも驚いてしまった。
寝転んだままのヴィクトルが目を開けて、自分のーーナターリヤの姿を認める。
「体調は?昨日、相当飲んでたろ」
「……だるいくらいだ。
あの、私、なんで、ここに……」
「ルカと飲みに出たら、路地裏でお前が泥酔して寝てたんだぜ、こっちが驚いたぞ、まったく」
「……世話をかけて、悪かった」
ヴィクトルから視線を外して、いつになく小声で呟いた。
「さすがに勢いがねぇな」
「……」
ヴィクトルが体を起こし、乱れた髪をぐしゃぐしゃっとかき乱す。
「まぁ、座れよ。
だるいんなら横になってればいい」
重い体を上げ、ヴィクトルの隣に座った、ため息と共に。
ヴィクトルと顔を合わせるのは、ユーリの葬送の儀のとき以来だった。
式のときは、言葉も交わさなかった、
前の日に、ヴィクトルに当たり散らしてしまって、それ以来だったのだ。
さすがに、道端で寝てしまったのなら、放って帰るわけにもいかなかったのだろう。
「……つーか、なんで私があんたのベッドで寝て、あんたがこっちのソファーで寝てんだよ……
んなお姫さま扱いなんか、いらねーよ、どうせ連れて帰ったんなら、ヴァシリーサの方へ置いといてくれりゃよかったんだよ」
「そうもいくまい」
妙に、ヴィクトルが優しい気がする。
どうも調子が狂いそうだ、もっとも、今既におかしい状態ではあるのだが。
サーシャに言われていたことーー当たり散らしたことの謝罪ーーが気になってはいるのだが、
なかなか、口をついて出てこない。
「じきに体は楽になるはずだ。
水差しに、滋養薬をいれておいた。
どうせ飲み歩いてばっかでろくなもんも食ってねぇんだろ」
ほんのり、清涼感のある味がしたのは、気のせいではなかったのか。
「何なの?至れり尽くせりでさ。
酔っ払いなんか放っときゃいいんだよ」
礼を言うべきところなのに。
何故か突っかかってしまう。
我ながら、可愛くない女だ。
もっとも、可愛い女になどなったことは一度もない。
なる理由もなるつもりもない。
「一応、お前は戦友、同志って認めてんだぜ?
相応の扱いはするさ」
「そーすか……そりゃどうも……」
投げやりに答えたが、
なぜか、悪い気はしなかった。
なんだろう、この安心してしまう感じは……
そう、空洞が、ふさがっていくような、消えていくような……
同時に、体もしんどさが落ち着いてきた気がする、
薬水が効いてきたのか。
ソファーの肘掛けにもたれかかっていると、また寝入りそうになってくる。
「もう少し、寝てな。
俺も寝る」
ヴィクトルが、シーツをかけてくれ。
ナターリヤと反対側の肘掛けを枕代わりにして、ソファーに寝転がった。
「……ありがと。
……ヴィーシャ」
聞こえるか分からないくらい小声で、呟いた。
* * *
喪中とはいえ、警備隊の訓練は日々行われる。
その一角で、サーシャはイーゴリに、剣舞奏の型を教わっている。
セルゲイもついでとばかりに教わっていた。
今までは単に、できるようになりたいと思っていただけだったが、
今では本当に自分の身を守るという意味合いが大きくなっている。
習得にも、自然と緊迫感がただよう。
ーー短期間に、大きくなられた。
イーゴリは、サーシャのまとう雰囲気を、そう感じる。
つい数ヶ月前には、小さく、自分が守らねば折れてしまいそうなほどだと思っていたのに。
ところどころで、アナスタシアと見紛いそうな仕草をするようになった。
ヴァシリーサの最高実力者であったアナスタシアと、それだけ近いものを内包しているということだーー強さという意味では、アナスタシアと正反対に、力は少ないにも関わらず。
そして、浜辺で黒いものと対峙していたときには、アナスタシアを上回りそうでさえあったこと。
自分が意識を飲まれずにサーシャを支えていられたのは、おそらく旋律の結界を張った状態でサーシャの後ろに控えていたからだろう。
「……ああ……違う」
サーシャの声で、我に返る。
「殿下、こうではありませんでしたか」
「えっ?イーゴリそんなこと言ってたっけ?」
サーシャとセルゲイが、型を確認し合っていた。
あれほど圧倒的な、力ーーというと違和感があるがーーを持つというのに、
習得にはやはり頑張っても時間がかかるのだ。
そのギャップが、微笑ましくもあるのだが。
かたやセルゲイはさすが副長である、
剣舞奏は発動できていないものの、型の覚えは早く、型は美しい。
このまま頑張ってもらえたら発動に至るのではないか。
サーシャとセルゲイは、だいぶ打ち解けているように見える。
セルゲイの前でよく笑顔を見せているし、セルゲイが護衛についていてくれれば心配もいらない。
復興後は、文武共に、サーシャの優れた補佐役になるに違いない。
優しい人柄、サーシャの祖父エフィムと遠縁にあたる血筋、顔もいい、
それも見込んで、自分がずっとサーシャの側につくよりも、何度かセルゲイに頼んでいたのだ。
サーシャがどのくらい、セルゲイに心を預けられるかは、まだ未知数ではあるが。
コシチェイを倒し、復興した折にはーー
「アレクサンドラ殿下、イーゴリ閣下。お取り込み中のところ失礼いたします、
大臣閣下がイーゴリ閣下にご相談があるとのことですが」
文官に呼ばれた。
「そうか、では参ろう。
姫さま、エカチェリーナ殿に呼ばれまして、しばし失礼いたします。
セルゲイ殿、姫さまを頼んでよろしいかな」
「ああ、うん、行ってらっしゃい」
「お任せください、閣下」
イーゴリはサーシャに一礼すると、その場を立ち去る。
「セルゲイ、さっきのもう一回見せて……
もうマジで覚えらんない、イーゴリってばあっさりやりすぎなんだよ」
「かしこまりました、殿下」
そんな声を背に受けながら、イーゴリは文官について歩いていくのだった。
長くかかりましたが、次回が5章ラストです!




