9.王女の指揮 2
一部残酷描写かもしれません。
イーゴリは、アレクサンドラがこれまでに見たことがないほど、困惑しているようだった。
「姫さま、ご無事でしたか!なぜここへ……」
「イーゴリ、状況を聞きたい。
まず、母上はどうされた。
誰が共に出陣しているのか。
今どういう対策が取られているのか。
それから、この城があとどのくらいもちそうで、ここを守るのは今何名なのか。
まず教えてくれ」
アレクサンドラは、イーゴリを遮って畳み掛けるように質問した。
「姫さま、そんなことより、近衛隊と合流されなかったのですか……」
「イーゴリ。
私の質問に答えて」
アレクサンドラは、イーゴリを見据え、はっきりと告げた。
イーゴリが、思わず息を飲む。
明らかに、戸惑っていた。
それもそうだろう、イーゴリに教わるだけだった王女が、いきなり君主然としているのだから。
だが、イーゴリは気を取り直したように、剣をしまうとアレクサンドラに武人らしく向き直った。
「失礼いたしました、姫さま。
アナスタシア様は……イヴァンの国に、援軍に向かわれました。第1、2、3隊将軍及び、各隊第1班を率いられました。
姫さまが出立なされた後、午後のことです。
そして、先程2、3時間くらい前から、黒いものの出現が報告された後、この状態です。
陛下の指示により、城下町の先の前線に約200名を配置しており、現地の指示はドロフェイ将軍が行なっております。
100名程度を、国民及び学徒、使用人の避難誘導に配置しており、
今ここを守るのは、ヴァレーリヤ将軍を筆頭に総勢100ほど。今城内にてもあの黒いものを確認したので……夜明けまではもたせたいところです」
「そうか。聞きたいことは山ほどあるが、時間はないな。
イーゴリ、全体の指揮は貴方で間違いないか?」
「はっ、陛下の指示のもと私が、城及び前線の指揮をしております」
「では、これより私が指揮を取る。作戦本部は礼拝堂。
第5隊を中心に、1階の床に結界を張らせる、ヴァレーリヤ将軍はいるんだろう?呼んでくれ。
併せて各隊副官全てを早急に礼拝堂に呼ぶこと。
あの黒いものについて、知り得た情報を共有する必要がある。
前線及び避難誘導の兵には撤退の指示を出し、
この周辺に残っている国民は全て城内に避難させること、山に向かうのでは間に合わない。
避難のための転移門を作らせるつもりだ。
城はまもなく棄てる、守備範囲を本館のみに集中させ、休めるものは休ませよう」
アレクサンドラは、イーゴリに喋る隙も与えずにまくし立てた。
イーゴリが指示を聞いている間、何とも腑に落ちない表情になっていったのには気づいていた。
「ひ、姫さま、お待ちください……
どうか落ち着いてください。
指揮は陛下にお任せして、とにかく安全なところへ……
……な、ナターシャ!貴様、なぜ姫さまをお連れして神殿へ逃げなかった!?この愚か者が!」
アレクサンドラの後方にいたナターリヤにやっと意識が向いたのか、イーゴリは部下を怒鳴りつけた。
ナターリヤは唇をかんで目を伏せていた。
そんなことは当然分かっているのだ。
「イーゴリ、やめろ。私の命令なんだ。
まずは、貴方が落ち着け。総司令官らしくもないぞ。礼拝堂に行きながら話そう」
アレクサンドラは、静かにイーゴリをたしなめた。
すぐにナターリヤの方へ向き直って続ける。
「ナターシャ、礼拝堂に一緒に来てひと息入れるんだ、休まないと持たないぞ。
イーゴリ。聞こえたな?皆を集合させよ。行くぞ」
「……はっ……」
アレクサンドラは向きを変えた。
イーゴリとナターリヤは、後に続いた。
…………
…………
イーゴリは、アレクサンドラの迫力に戸惑いを隠せないでいた。
いきなり城に戻ってきたときも、なぜ逃げていないのか理解できず驚いてしまったが、
唐突に戦況を質問してくるわ、自分が指揮を取るなどと言いだすわで、アナスタシアからの指示との間で混乱してしまっていた。
だが、アレクサンドラの指示は、ここにいないアナスタシアからの指揮よりも明らかに的確であった。
アナスタシアがこの場にいたら、やはり同様の指示を出しただろう。
迷いない判断と、その適切さ。
今のアレクサンドラの姿は、女王アナスタシアを彷彿とさせるものであった。
ーーなぜいきなり姫さまがこれほど正確に指揮されているのか検討もつかないがーー
長年、アナスタシアの指示を受けてきたからこそ、
アレクサンドラの指示がアナスタシアに勝るのが分かる。
もはやアレクサンドラに従わない選択肢はなかった。
ナターリヤも思えば、同じようにアレクサンドラの指示に従って、戻ってきたのだろう。
まだまだアレクサンドラは未熟で、教えることは山のようにある、と思っていたのに。
ーー姫さまに、諭されるとは。俺は何と思い上がっていたことか。
イーゴリは、腕に取り付けていた石球に話しかける。
城内程度の距離であれば、各隊将軍及び副官が各々持っている同じ石を通して通信ができる、魔法具である。
「姫さま、集合の合図をかけました。皆まもなく参るでしょう」
「ありがとう。我々も急ごう、聞きたいことはたくさんある」
* * *
アレクサンドラの父の国・隣国イヴァンの国から応援の求めがあったからと、アナスタシア自ら出陣すると決定した。
その供に選ばれたのは、ミロスラフ、ゲオルギー、マカールの3将軍と各将軍の第1班。
事実上の姻戚国であるとはいえ他国の応援に、国王自身が先頭に立って出陣することは、通常であればありえない。
しかも、上位3将軍を伴ってである。
アナスタシアには珍しく、反対意見を抑えて強行したそうだ。
アナスタシアは出陣前、高いところに逃げる指示を城下町に周知するよう命令を出し、
同時に神殿のある裏山への入山許可を出した。
城の使用人に避難命令を出し、軍人でない者は避難を開始した。
城の敷地内の宿舎や学校にも、避難命令が下った。
王都にも触れを出したが、敵の影が見えないことから、避難の開始は遅れていたらしい。
そして日が落ちた頃起こったのが、黒いものの来襲。
未だに誰にも正体がつかめておらず、抗戦中の前線では襲われた者も出ているとのこと。
アナスタシアが出陣した方角から出現しており、あっという間にこの城周辺を取り囲んだそうだ。
アナスタシアの指示は少し前に最新のものが届いたから、敵を相手にしてはいるが無事でいるようである。
ーーという報告をイーゴリから受けているうちに、集合をかけていた者たちが各持ち場から揃った。
一様に、神殿に行ったはずのアレクサンドラとナターリヤがいることに驚いている。
「揃ったな。では今より、城での指示は姫さまが行う。
次に、作戦拠点を礼拝堂とする」
イーゴリがそこまで言ったとき、全員がざわめいた。
「……恐れながらイーゴリ閣下、王女様が指揮を取られるとおっしゃいましたか?
アナスタシア陛下のご命令が……」
「非常事態だ。姫さまの指揮がこの場で最適であると、総司令官である私が判断した、責任は私が負う」
イーゴリの断言に、反論する者はいなかった。
イーゴリはアレクサンドラを振り返る。
アレクサンドラはそれを受けて、一同に告げた。
「これより、城の守備範囲を本館のみに狭める。門は放棄してよい。
礼拝堂を中心に、本館の床に厳重に結界を張っていく。
避難する者は全て、山へ逃すのではなく城内に入れること。
城はまもなく棄てる、ヴァレーリヤ将軍、脱出は転移門を使いたいから、転移先の調整をしてほしい。
以上、副官諸君は各所に伝えよ。
ヴァレーリヤ将軍、第5隊総出で本館の床に結界を張るよう指示をしてくれたまえ」
…………
…………
城内に避難者を迎え入れる準備をさせながら、アレクサンドラはイーゴリから様々な報告を聞いた。
黒いものは、水のように地を這うほか、時折大きく盛り上がって黒い雲のように浮かび上がり、触手のようなものを飛ばしてくるらしい。
ナターリヤが言っていた、城の前方が黒く見えたのはおそらくそれだった。
触手は城の上階に当たり、結界を張っていなかったそこが一部破壊されたそうだ。
山にいたアレクサンドラたちのところにまで、その轟音が響いてきたのだ。
精鋭の軍人たちが様々な魔法や剣技で倒しにかかるも、効き目に乏しく、なかなか消滅させられないばかりか触手に捕まり飲み込まれてしまった者もいるそうだ。
何とか細切れにするものの、黒いものは地に落ちて地を這うものと合流するばかりで、
黒いものそのものは一向に減らず、少しずつだがこちらに流れてくる一方である。
それが、もう何度か繰り返されているとのことだった。
ミーナが飲み込まれそうになっていたのを思い出す。
イーゴリさえ、そんな魔の者は見たことがないという。
一体正体は何なのか。
どういう性質のものなのか。
「あれっ?あんた、ミーナ、だろ?」
体を休めていたナターリヤの声がして、アレクサンドラは思わず振り返った。
「ナターリヤ様、お疲れでいらっしゃいましょう、お飲み物を」
「あ……ありがとう、助かった」
ナターリヤは飲み物の瓶を受け取り、一気に飲み干す。
体力回復効果もある、ヴァシリーサの軍で常備されている飲料だ。
「王女様、お飲み物を」
先程助けて、山に逃したはずのミーナが、アレクサンドラに飲み物の瓶を差し出してきた。
「ありがとう。……ミーナ。なぜここに」
さっきイーゴリに同じことを言われたなと思いつつ、アレクサンドラは瓶を受け取りながら聞いた。
「せっかく助けていただいたのに、戻ってきてしまって申し訳ございません。
ですが、私はどうしても、王女様に最後までお使えしたく、無礼を承知で戻らせていただきました。
どうか何なりとお申し付けくださいませ」
ミーナは神妙に頭を下げる。
出涸らしという者が城内にいる一方、
アレクサンドラにこうして忠義を尽くしてくれる者もいる、
一瞬感慨に耽りそうになったが、アレクサンドラはあえて嬉しさを押し殺し、尋ねた。
「ミーナ。さっき、黒いものに襲われかけたとき、どんな感じだったか聞いてもいいか?」
「あ、はい。
えぇと……目の前が暗くなって、意識が遠のくような……
吸い込まれるような、気がしました」
* * *
大広間から礼拝堂までの奥は、第5隊のフィリップが仲間と共に命令を遂行し、結界を張ってくれていた。
礼拝堂に続く控え室では、戦い疲れた者の休息が主に行われていた。
黒いものに対峙した際、触手に刺された者もいたそうで、第5隊員が回復魔法による治療も行なっている。
城下町の前線で残って戦っていた兵士が、逃げ遅れていた町の人々と共に引き揚げてきたので、大広間もさすがに満杯になっている。
本館にある謁見の間や、来賓室など使える部屋は全て開放し、避難者を休ませる指示を出した。
とりあえずこの場が安全であるとアレクサンドラが宣言したため、皆不安そうではあるものの、混乱は起こっていない。
そこへ新たな報告が上がってきた。
「姫さま。ウチの母から連絡きたんですけど、実家には異変は及んでないってことらしく、すぐに避難者を受け入れれるそうですよー」
そう報告したのは、第5将軍・ヴァレーリヤ。
代々魔術を専門とする公家の出で、本人は采配より魔術研究が好きだからと、普段は副官に指揮を任せている女性将軍である。
多種多様の魔術に長けたこの将軍は、実家である公家の当主に長距離魔法通信で連絡を取り、
避難民の受け入れの段取りをすぐに整えてくれた。
長距離での通信は、通信する者同士に専用の魔術の知識が必要となり、
誰でもできるわけではない。
「ウチとこことで転移門を作りますんで、スンマセンが時間いただきますー」
サラッと言うが、転移門を作るのは相当の魔力を必要とする大仕事である。
そして、転移門は“入口”と“出口”の二つが必要で、二人いなければできない上、
さらにその二人で術を共有し合っていなければ作成できないという、限られた条件でしか発動できない高度な術である。
ヴァレーリヤ将軍は、魔法に関する博識さと強大な魔力を持つため、将軍に抜擢された類稀なる魔術師なのだ。
「あと、姫さま。ちょっとあの黒いやつについてご相談があるんですが今いいですかねー?」
片手間でできるのかと思ったが、ながら作成できるようである。
「聞きます」
「色々撃破する魔法をウチの隊で試してたんですけどー、鎮魂の類の魔法がちょっとばかり効果あるっぽくて」
「でかした、ヴァレーリヤ将軍。
では鎮魂の魔法が使える者を集めて、少しでも足止めしましょう。
ドロフェイ将軍、貴殿の隊からもできる者を応援に回してください」
「仰せのままに、姫さま」
前線から無事に城内へと戻ってきた第4将軍・ドロフェイは、軍職では最高齢の50歳である。
知識と経験に富み、体力こそ衰えを見せているが、剣術も魔術もまだまだ若者に引けを取らない。
アナスタシアからの信頼厚い、古参の家臣である。
…………
…………
さて、
とアレクサンドラは考える。
今までの情報を整理して、
敵の正体は何か?
誰かがここを襲わせたのか?
襲われている範囲は?
どこから、いつまで湧いてくるのか?
母王が出陣し、ミロスラフ、ゲオルギー、マカールを伴ったのはなぜか?
様々な疑問が出てくる。
城の庭も、黒いものが埋めつつある。
黒いものに襲われると、最終的に取り込まれ、消えてしまうという報告が上がっている。
襲われかけたミーナは、意識が吸い込まれるような、と言っていた。
一方ヴァレーリヤが発見した、鎮魂の魔法が効果的であるというのは……
正体に考えを巡らせる。
元凶を断たねばきりがない。
元凶を探さねば…
「姫さま、まだ最小ですけど転移門が完成しましたよ。一人ずつしか通れませんが、避難を開始しましょう」
「ありがとう、ヴァレーリヤ将軍。では兵士を数人先導させた後、女性と子どもから避難させましょう。向こうにも戦力はあるんでしょう?」
「もちろん、ウチの母のことご存知でしょう、姫さま?」
「先日挨拶を受けました、あの肝っ玉母ちゃん的なお母さまですよね」
「です。子連れや負傷者でも通れるようにちょっとずつ、拡大していきますんで。姫さまもいいところで避難してくださいねー」
ヴァレーリヤは、副官に命じて先導の兵士を数人選抜し、転移門をくぐらせ、
我先にと避難者が突進しないように、一人ずつそっと礼拝堂に呼ばせた。
一話分にはちょっと長すぎだったかも^^;
初ブックマークいただきました!ありがとうございます!