82.会食
サーシャたちが準備している間、ペルーンの首相から連絡が来た。
何と、会食予定のキイ国王の馬車が、暴徒に囲まれたというのだ。
馬車についていた護衛たちによってその場は脱出でき、ペルーンの治安維持部隊も応援に向かったため、国王は予定通りヴァシリーサの大使館に到着するそうだ。
暴徒がどこの者かはまだ分かっていないが、連合諸国の手の者である疑いがどうしても大きくなる。
何やら不穏な空気だ。
黒いものが、動くか?
「アレクサンドラ様。何か不手際がございましたでしょうか」
サーシャの準備を手伝っている侍女が、サーシャの表情を汲み取ったのか、尋ねてきた。
「ん?ううん。ちょっと、考え事。気にしないでください」
「左様でございましたか。
……ほら、お鏡をご覧なされませ。
アナスタシア様のお衣装が、こんなにもお似合いでいらっしゃいます」
サーシャは顔を上げて、鏡の中の自分を見る。
母が、まだ若い頃に使っていたドレスということだ。
オフホワイトを基調としている。
ターコイズ色のラインの装飾が入り、それを縁取る糸は、金糸だ。
サーシャの青紫の髪とよく馴染んでいる。
母が身につけていたという首飾りに、耳飾り。
イエローダイヤモンドをメインにした飾りで、ドレスより前に出ないようにしてある。
髪もきちんと結い上げてもらって、自分で言うのも何だが、品があると思う。
「指輪は……ああ、王家専用の指輪をしていらっしゃいますね。
付け替える必要はございません」
「王家の指輪?
ああ、確かに、王配がつけるってお母さまに聞いた。
さすが、よくご存知ですね」
「その昔、アレクサンドラ様のおじいさまでいらっしゃる、エフィム様がしていらっしゃった指輪です。
この輝石は、はるか神代からこの地に伝わる輝石と言われていて、門外不出なのですよ」
門外不出?
ヴァシリーサの指輪、行方不明なんだけど……
やばくね?
見つかるものなのか?
というか、まだ、残ってるのか?
黒いものは、人間の肉体だけでなく、衣類も装備も全て取り込んでいくから。
もしかして、城を覆う黒いものの中にあったりするのだろうか?
いつか故郷に戻ったとき、神殿に行けば、何とかなるものなのか?
「アレクサンドラ様……いかが、なさいました」
侍女の声に、いつのまにか俯いていた顔を上げた。
「……大丈夫です」
「さぁ、お支度ができました」
「ありがとう」
「お履物は、こちらを」
アナスタシアよりも小柄なサーシャのために、靴はヒールの高めのものになっている。
城でたまにーー年に1、2度程度ーー舞踏の機会があったから、一応、高いヒールも履けるし、それで踊ることもできるのだ。
ドレスルームを出て、応接室に入る。
ソファーで待っていたらしいイーゴリが、立ち上がりーー
一瞬、息を飲んだように、サーシャを見つめてきた。
会食に出席するイーゴリも正装していた。
軍服ではなく、カーキの上着で、サーシャのドレスを邪魔しないようになっている。
これもまたイーゴリの男らしさを引き立て、サーシャの胸中はときめくという意味で穏やかではなかった。
「さあ、イーゴリ様、姫さまのエスコートを」
「……ああ、では」
侍女に促されて、サーシャの横に並んで、腕を貸す。
サーシャは、イーゴリの腕を取って、イーゴリと共に歩調を進めた。
「……アナスタシア様のお衣装ですな。
とてもよく、似合っておられます」
イーゴリが囁くように言った。
サーシャは俯く、顔が赤くなっているのが自分でも分かるのだ。
イーゴリは、わざわざこっちを見てこないとは思うが、こんな顔を見られたらきっと気持ちがバレてしまう、見られたくなかったが、気持ちを収めることもできない。
「……貴方も、イーゴリ」
呟くように、それだけ言った。
イーゴリと並んで、会食の広間まで歩いていく、
たったそれだけだが、嬉しくて幸せなひと時だった。
…………
…………
だが広間に着いて、驚愕した。
「……え?ええ?
……ナターシャ!?
何、その格好!?」
何よりもまずそこに反応してしまった、というのもーー
「……マジ、勘弁して、サーシャ……
ほんとにヤなんだけど……」
顔を真っ赤にして、ヴィクトルの後ろに隠れるようにしている、ドレス姿のナターリヤがいたのだ。
「おお、サーシャ。
思った通りだ、母上の生き写しだな。……実に美しい」
「いや、それどころじゃないから。
え、ていうか、どういうこと?マジで意味分かんない」
「分かれよ、一応正式な会食だぜ?俺だけエスコート相手がいないじゃねぇか。
イヴァンの大使館には身分のある女はいねぇし、ナターシャに頼むしかないだろうがよ」
「無茶だよ!?ナターシャ、テーブルマナーは大丈夫だけど、ドレスなんて着たことないじゃん」
「踊るわけじゃなし、問題ない、俺のエスコート相手を今からちょっと務めてくれりゃいいだけなんだよ。王侯と並んで引けを取らないのはナターシャだけだ」
「あの……マジ恥ずかしい。ごめん、サーシャ、断りもなしに。
このバカに言いくるめられたのが不覚だった」
「いや、いいんだけど。……え、似合うじゃん」
「もー、やめて、サーシャ……
サーシャと並んじゃ目も当てられないよ、農民の娘でしかも軍人がさ。サーシャ、アナスタシア様にほんとに生き写し。サーシャのこんな姿見れて、嬉しいよ」
「ナターシャ……ありがと。
ナターシャも、いいじゃん、こういう機会があっても。
貴女だって伊達に王女付きじゃないよ?大丈夫、衣装負けなんかしてない」
「サーシャはやっぱり受け入れる力がすごいな。
……ちょっと、大将、変なものを見る目で見ないで」
「……少し驚いただけだ」
そんな混乱があったものの。
予定通り、キイ国王と、ペルーンの首相が到着し、
会食は、開始したのだった。
* * *
ヴァシリーサの国は既にキイ王国へ脱出できる約束を取り付けているから、今晩の主要な話題は、ペルーンとキイ王国間の約束を取り持つことである。
会議が終わっても、ペルーンの人々は脅威を側に感じたまま、この先ずっと過ごさなくてはならない、
よって、キイ王国とペルーン国境付近に居留地を作り、ペルーンの住民を住まわせて、緊急時にはペルーンと居留地を転移門で結ぶ、という提言を、まずは主催側であるサーシャが行った。
国境付近ならペルーンへの通勤も可能だし、
転移門で助けられる人数など知れている、避難できるものはしておいた方がいいに決まっている。
サーシャが自国以外のことを考えるのは今では珍しくなってしまっているが、ペルーンはヴァシリーサに様々な措置をとってくれたし対価も払いに来た国である。対価があれば考慮はすると公言もしたのだし、してくれたことには何かしら返そうという気持ちも起こるものだ。
ペルーン側は、キイ王国の土地を一部貸してほしい、という要望を出した。
キイ王国がペルーンに管理費用を払うのと同様に、ペルーンがキイ王国に土地借用代を払って使わせてもらうという案だ。
対してキイ王国は、サーシャたちも通ってきた国境手前の一山を貸し出すことを提示してきた。
ペルーンが一望できる高さだから、ペルーンよりは確実に安全だ。
「早々に、開拓に着手いたします。住居等の建設については、国としても避難民事業として予算を立てましょう。世界を揺るがす前例のない危機を前にしております、できることはいたしましょう」
「大変に、助かります。我が国はこの通りの、高台のない国土ですから」
「貴国の治安維持部隊には助けていただいておりますし、お互い様です」
「そう、暴徒に襲われたと伺いましたが」
サーシャが尋ねる。
「証拠が掴めたわけではありませんが、ほぼ確実に、連合諸国の報復でしょう。
我が大使館は現在、治安維持隊の方々が張ってくださっております。
アレクサンドラ殿とつながりを持ったことが、面白くなかったようですな。
だがお気になさいますな、国王として、貴殿とのつながりを優先する方がいいと判断いたしましたがゆえですので。
イーゴリ殿のご指導のおかげで、我が護衛たちも存分に力を発揮できましたし」
国王は、笑いながら言う、
やはり王たるもの、肝が座っている。
これが国王の姿か、とサーシャはしっかり観察しておく、いずれ、自分もこうして堂々といられるように。
ヴァシリーサとイヴァンの大使館の職員やその家族も同じ居留地に住まわせ、仕事のある者は出勤するようにしておきたいという話を、サーシャとヴィクトルもした。
エカチェリーナの家族が先にキイ王国に入っており、彼らは屋敷を借りて一時滞在することにしているのだが、これはあくまで黒いものが来たときの一時避難先である。ペルーンに通うにはかなり遠くなってしまい、サーシャたちが去った後を考えれば、居留地から通える方がいい。
ペルーンが土地をまとめて借り上げ、ヴァシリーサやイヴァンはペルーン国内でと同様に、管理費用をペルーンに払うという方向で決定した。
この大使館については昨日、管理費用を凍結すると話はついているが、居留地の方には支払うとサーシャは表明した。
献金もあるし、大使館を通じてヤロスラフに必要経費を頼んだのだ。
ヤロスラフは恩返しとばかりに寄贈を申し出てくれたが、けじめはつけたくて、貸しにするように指示している。
神の末裔の国ジアーナとフェオフォンからも、まずはコシチェイ討伐に対する献金があったし、さらに国に戻れるときがきたら、例のヴォジャノーイに預けている財もあるから、あては十分にある。
ヴィクトルも、本国に経費の申請を済ませていた。
今は本国でも、復興のためにいろいろ用入りだから、財源が豊富ではないが、何とか捻出してくれるようだ。
「そう急いでお支払いいただくほど、我が国も逼迫してはおりません、
ひとまず住居の準備をいたしますので、避難を優先させましょう。
こういうときでございます、助け合わねばなりません。
神々の末裔であらせられる国々から、そのようにお申し出いただくなど、勿体ないことでございます。
ですがそういうところをきちんと考えてくださることこそが、まさに神の末裔たる御国々でいらっしゃいます」
国王はそう言ってくれた。
国が傾いていて尚、こうして信用してくれているのだ、
応える価値はあると感じた。
…………
…………
他の国から同様の要望が起こることも想定して話をし、会食は始終和やかに進んだ。
いい会議とはこうして進んでいくものなのかと初めてサーシャは知った。
何せ昨日の会議は建設的な話が出なかったものだから。
明日は進展が見えるだろうか。
……今日のようないい話ができる気はしないな、とサーシャは思いながら、国賓たちを見送ったのだった。
ナターシャ、生まれて初めて女装する。




