8.王女の指揮
城の裏門は閉ざされていたが、その手前では、兵士達が必死に足止めを行なっていた。
ナターリヤは魔法を剣にまとって一なぎし、黒いものを一掃した。
ナターリヤの威力で大規模に掃討すると、雲や霧が立ち込めるといった方が正しいのか、
再び黒いものが満ちるまで、少しは時間が稼げそうである。
「あ……もしや、ナターリヤ様!?」
前線で戦っていた兵士達が、アレクサンドラとナターリヤに気づき始めた。
「王女様!ご無事でしたか!」
兵士達は、アレクサンドラらに道をあけ、裏門の側扉から招き入れた。
裏門の現場を指揮していた一隊の長がすぐにやってきて、アレクサンドラの前に礼をする。
「アレクサンドラ殿下、ご無事であらせられましたこと、我々大変に喜ばしく……」
「挨拶は不要。貴官の所属と、名を」
アレクサンドラは、隊長の挨拶を遮って尋ねた。
「申し遅れました!当方はゲオルギー将軍配下、第3班班長、エヴゲーニヤであります!」
栗色の髪を結い上げた、若い女性兵士が勇ましく名乗る。
「エヴゲーニヤ班長。戦況報告を聞きたい」
「はっ!第3班20名、裏門にて、この黒きものの侵入を防ぐべく尽力しております!」
「20名?たったの?第3班だと?ゲオルギー将軍はどこで指揮している?」
「ゲオルギー将軍は、国王陛下と共に、出陣いたしております」
「出陣……?
いや、それより、20名では体力も魔力もそう持つまい?休息はとれているのか?」
「それは……なかなか難しく……何しろ消した側から湧いて出てくるものですから……」
見れば、門の内側にも、黒いものが湧き始めている。
本当に水のように、地中に染み込んでこちらに湧いているのか。
壁では止められないということだ。
「サーシャ!とりあえずだが、地面に結界を張ってみた!ほんとにとりあえずだが、掃討して、その場に結界を張れば、今のところ結界内には湧いてないぞ」
アレクサンドラの後ろで結界を試していたらしいナターリヤが、報告してきた。
門にも結界は張ってあるが、地面には作用していないので、湧くものに機能していないようである。
「門のところに5メートル四方の結界を張ってみた。何人かずつ交代で休むんだ。サーシャ、城内の様子も確認しなくては」
「ありがとうナターシャ。
エヴゲーニヤ班長、門の前にも結界を張っておいてくれ。
地面に対して、水平に。
城門を開放し、逃げる者を城内に避難させよう」
「かしこまりました、殿下」
「この黒いものは、人にまとわりついて取り込んでしまうようだ。
皆に、まとわりつかれないよう、注意しておいて。
結界を張っていればとりあえずは大丈夫なようだから、門の外へ出るときは結界を張って出ること。
私たちは城内に戻る。今以上に変化があったら連絡をよこしてくれ」
「はっ!」
アレクサンドラとナターリヤは、城内へ駆け込んだ。
建物そのものは、庭より階段数段分高さがある、もう少し、黒いものから時間は稼げるだろう。
「第3班って……見習いに毛が生えたようなもんじゃねーか……それが前線かよ、どうなってんだ!
経験も浅い部隊だ、結界を試す方法も思いつかなかったんだろう。てかそういう指揮を取れる奴らは、何やってんだ?」
ナターリヤが走りながら言う。
「ひとまずイーゴリに会わなければ」
「城内も、結界を張らなきゃあれが湧くのは時間の問題だな、一番結界の力が強いところは……」
「礼拝堂か」
「そうだな、もうそこに集まってるかもしれないが」
ヴァシリーサの礼拝堂は、城の奥にある。
ヴァシリーサの神殿と力が繋がっており、加護がかかっていると言われている。
礼拝堂の空間は、常に結界が張り巡らされ、保護されているのだ。
有事の際、王族はまずここへ避難することになっている。
ここを作戦本部にするのがベストだろう。
城内の者たちが、アレクサンドラに気づいていく。
イーゴリが正門の方で指揮をとっていると聞き、アレクサンドラは城内を突っ切るように、正門側へと急いだ。
が、突如、地響きが起こりーー
城の床から、黒いものが間欠泉のように吹き出し、アレクサンドラとナターリヤの行く手を塞いだ。
「うおあっ!マジかよ、城内に湧きやがった!」
「なんだこれ、デカすぎだろ!」
黒いものは、必ずしも重力に従うわけではないのか。吹き出したものが拡散することなく、小さい山のように形をとどめたまま、アレクサンドラとナターリヤの前に立ち塞がっている。
さて、これは、消すことはできるのか。
まずはナターリヤが動いた。
剣圧を乗せ、上から振りかぶって、叩きつけるように斬りつけると、黒いものは真っ二つになった。
だが、その黒いものはまるで生きているかのように、先端をくねらせて、触手のようにナターリヤとアレクサンドラに向けて襲いかかってきた。
「うっ、嘘だろ!
サーシャ、下がれ!」
ナターリヤは剣を構え直し、鮮やかに二本の触手を斬り払った。
触手が怯んでいるように見えるところへ、光の魔法を放つ。
「これで……どうだっ!」
光の威力で、黒いものが粉々になり、端から消えていくのが見えた。
だが結構な大きさだったのだ、ナターリヤが光の魔法をしばらく出し続け、ようやく黒いものは目の前から消え去った。
「きっつ……やべぇ、そろそろ体力切れだ」
ナターリヤは、肩で息をしていた。
寝ていたところから1時間超を全力に近い状態で走り続けたし、途中で木をなぎ倒した、結界も張り続け、魔法も何度か使った。
特にさっきの光の魔法は、かなり力を消耗する高度な魔法だ。
いくら疲労軽減の魔法を施しているからといっても、限度があった。
「ナターシャ、礼拝堂に先に行け」
「いや、大将に会うまでは、何としてでも私が護衛する。伊達に10年、軍人やってねぇよ」
ナターリヤは、不敵に笑った。
「殿下!避難を!」
「アレクサンドラ様、お逃げください!」
アレクサンドラの帰還が城内に広まりつつあるのだろう、すれ違う兵士たちがどうすればいいかわからない様子ながらも、声をかけてくる。
近衛隊長であるナターリヤが一緒にいるので、アレクサンドラを引っ張っていくわけにもいかないのだろう、遠巻きに見守っているような状態だった。
「ナターシャ。ちょっといい」
アレクサンドラは、兵士たちに向かっていく。
「諸君、任務ご苦労。
急で悪いが、床に水平に結果を張って欲しい。
礼拝堂を最優先に、礼拝堂周辺の地面、そして可能なら手前の大広間まで。
結界のないところは黒いものが噴出すると心得よ。
私はイーゴリと合流次第、次の指示を出す」
「恐れながら、殿下、結界ならば既に第5隊が」
「城を囲う結界ではない。
地面に、床に張れと言っている。
それが最優先だ。
貴官の所属と名は」
「ヴァレーリヤ第5将軍配下、第2班所属、フィリップであります」
「よし、フィリップ。
結界、貴官に任せた。
もしヴァレーリヤが咎めるなら私の名を出せ。
以上、早急に取り掛かれ、
ナターシャ、行こう」
「……はっ、仰せのままに、殿下」
フィリップと名乗った武官が、王女の予期せぬ指示に腑に落ちない顔をしながらも、頭を素早く下げ、周辺にいた軍人たちを集めて結界を張ろうとしているのを横目で見ながら、アレクサンドラはナターリヤを促して、再び走り出した。
結界はヴァシリーサの軍人ならば必ず張ることができるし、
第5隊は魔法の得意な者が集まっている。
その第5隊所属の彼ならば、問題なく遂行してくれることだろう。
「サーシャ。
なんか、カッコいいな、まるでアナスタシア様みたいだ」
ナターリヤが、走りながらそう言ってくれる。
「そう?」
「そうもなにも、こんなの初めてだろ?
なのに百戦錬磨の指揮官みたいに落ち着いてるから、逆にこっちが驚くぜ」
「うん……なんかね、何だろね、私もよく分かんないんだけど、
なんか指揮官っぽいな」
「よく分かんないって……それでなんであんな、的確な指示ができんだよ、
もう笑うしかねぇよ」
「ははっ!さっきのフィリップの顔見た?
出涸らし王女が何やってんの、的な?
まぁ、従ってはくれてるみたいだけど」
「後で私がシメといてやるよ、姫さまに向かってクソ無礼な態度しやがって」
「待て待て!とりあえず命令聞いてくれたんだからいいじゃん!
ナターシャ相手なんてあっちが不憫だよ」
冗談のように言うのは、深刻な状況に飲まれないためでもある。
喋りながら大広間を突っ切り、正面大扉につながる回廊に出た。
そこで再び、黒いものが床を突き破って噴出した。
「クソッ、またか!」
ナターリヤが同じように切りかかっていく。
何度目か、黒いものを刻んだとき、ナターリヤの手から剣がこぼれ落ちてしまった。
1時間以上も剣を振るい続けたナターリヤの腕は、とっくに限界を通り越していたのである。
ナターリヤに切り刻まれて細くなった黒いものの先が、鎖か鞭のように、隙のできたナターリヤの腕に巻き付いた。
とっさにアレクサンドラが、ナターリヤの前に出て黒い触手を切り落とした。
次々に向かってくる黒い触手を、アレクサンドラもしっかり見極めて剣で払っていく。
威力はなくとも、襲ってくるものの見極めと払う技術はナターリヤに劣らない。
不思議なことに、ナターリヤが斬ったときには見えなかったのに、
アレクサンドラが斬った後には、黒い光ーー黒いのに光と言うと奇妙だが、黒く輝くという、なんとも形容しがたい光景だったーーがちらちらと立ち上っている。
さっきは明かりのない外だったから、確信はなかったのだが、
ナターリヤははっきりと、城内の灯りの下で、アレクサンドラの体から黒い光が立ち上るのを、認識した。
ナターリヤに劣るアレクサンドラの威力では、まだ倒しきれなかった。
ナターリヤは取り落とした剣を拾い、己の腕に回復魔法をかける。
休息らしい休息がなかったから、魔力も残り少ない。
幸いに、明らかに黒いものの量は減っているから、さっきと同様光の魔法で消し去ることができるだろう、
アレクサンドラに下がるよう言おうと思った、
そのとき。
黒いものが、反対側からものすごい剣圧に吹き飛ばされ、消えていった。
「姫さまっ!!」
正面大扉から駆け寄って来たのは、イーゴリ総司令官だった。