73.外交大臣の息子
ペルーンに着いたのは夜だったから、今町の様子を初めて見ている。
大使館の集まる地区だから、道路も建物もきれいに保たれているのだ。
サーシャを運ぶ馬車は、ゆっくり進んでいく。
サーシャは腕組みをして、窓の外を見ている。
対角線上に、護衛のセルゲイが座っている。
サーシャが喋らないから、セルゲイも不動のまま喋らない。
優しそうな外見の男だったが、兄やイーゴリ以外の男性と行動を共にするのはどうも居心地が悪かった、イーゴリに、余計なことを思われても嫌だ。
隣の敷地にあるイヴァンの大使館まで馬車とは大袈裟だとは思うのだが、王族が外出するときには必ず馬車を使わなければならないと決まっていた。
ここでは王族がむやみに人前に姿を晒してはならないのだ、様々な国の人々も同時に集まるから、万が一の危険を考慮してのことである。
イヴァンの大使館に着いて、兄と行動を共にするから護衛には帰ってもらおうと思ってそう伝えたら、
「ヴァシリーサの者が必ずお供させていただくことになっております。
どうか、ご容赦ください」
そう言われた。
だがこのセルゲイという護衛は、事務的にではなく、申し訳なさそうに言うので、
嫌な気分にはならなかった。
むしろ、帰らせたら、彼の方がエカチェリーナに大目玉を喰らうんだろうな、と思い、わかったとだけ返事をした。
…………
…………
イヴァンの大使館に身分証明書を提示し、ヴィクトルを呼んでもらう。
受付の職員はイヴァンの国の者なのか、ヴァシリーサの王女を見て驚いているような態度だった。
今まで表に出てこなかったヴァシリーサの王女が初めて来たなら、驚くかもしれないな、とは思った。
そういえばここは、父王の先代の息がかかっているのか、それとも父王派の者たちがいるのだろうか?それによって対応も変わってくるだろう。
すぐに案内の者が来て、貴賓室に通された。
その間、館内に目を向けてみていたが、立派な服装の職員は全て男性だ。
使用人のような服装の中には、女性もいたが、やはりイヴァンの国に到着したときのような状態なのか。
ヴィクトルはすぐに姿を見せた。
「あれっ、サーシャだけか?
なんだ、新しい男連れてどうした」
「やめろ、バカ。初対面だし」
いつものようなやりとりをして抱き合う。
ヴィクトルは護衛セルゲイに目を向けるとーー
「ああ、あんたは見たことあるぞ。ヴァシリーサの護衛で、母上とエカチェリーナ殿の側についていた、エカチェリーナ殿のご子息だな」
「えっ!?そうなの?」
ヴィクトルの言葉に、サーシャは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「見ろよ、母上殿とそっくりだろ」
「いや……全然気付かなかった。雰囲気が全然違うから」
「護衛殿、お名前を伺っていいかな」
「ヴァシリーサの国、大使館専属警備隊副長であります、セルゲイと申します、お見知り置きを」
「剣と魔法の腕はなかなかだぞ」
「恐縮にございます」
* * *
ヴィクトルに聞いてみると、さすがにこの大使館では、国元のような男性優位は薄いそうだ。
各国に女性の閣僚がいるからそうもなるだろう、だが、伝統的に、なんとなくという感じで女性職員を入れていないそうだ。そもそも本国に女性の役人がいないから、国元から派遣されるのは男性しかいない。
ヴィクトルも本国での出来事を今朝、大臣初め文官たちに説明したということだった。
こちらはアレクサンドル国王直々に、魔法通信で説明がなされていたので、だいたい事情を把握していたとのことだ。
そういえば、城が襲撃されたとき、誰かがヴァシリーサの大使館に国の危機を知らせたりはしたのだろうか?
サーシャは直接目にはしていなかったから、後でイーゴリに聞いてみることにする。
それにしても、とサーシャは、大臣エカチェリーナの愚痴をヴィクトルにこぼした。
悪い人では決してないし、優秀なのもよくわかった、だが、どうも若輩者だからと未熟者扱いされてる気がする、と。
「まぁ……仕方ないっか、優秀なお母さまの後釜が、出涸らし王女じゃ、信頼もできないってか」
一人で納得したように、ため息をついて言った。
「気にするな。どうせ黒いものについてはお前にしかわからないんだ。
何せ俺たちしか黒いもの見てないんだからな、世界の首脳陣も、大体エカチェリーナ殿のような反応になるだろ、それどころか、お伽話だと笑うかもな。
だが俺たちは報告と対策を説明すりゃ義理は果たせる、さっさと出て先を目指そうぜ」
「そうそう、東の国の天の門とか情報も得られたらいいよね。
あ、そうだ、私、この国の図書館に行きたかったんだった。ついてきてよ、ヴィーシャ」
「おう、行こう。ついでにうちで飯食って行け、ちょうど昼食の時間だったんだ」
「いや、私の分準備なんかないだろ、大丈夫だよ」
「簡単でよかったらすぐできるぞ。セルゲイも一緒に食っていけ」
「あー、そう。じゃ彼の分も、頼む」
* * *
サーシャは、王族の割には王族たるこだわりが少ない。
アナスタシアのときには、重役以外許されることのなかった、同じテーブルで食事をするという状況に、セルゲイは戸惑いを隠せないでいた。
一緒に食事ということ自体、彼は辞退したのだが、サーシャもヴィクトルも、大臣エカチェリーナには内緒と言って一緒に席に着かせた。
「貴方のお母さまにさ、朝遅いって怒られたよ。
もうわかっちゃいるけど、お母さまは厳しい方なの?」
サーシャがセルゲイに話しかけた。怒られて苦労していそうな感じがしたからだ。
「そうですね、仕事にも生活態度にも、昔から厳しかったです。
殿下のお気持ちを損ねましたこと、母に代わって謝罪いたします」
「いやいや、そういうつもりじゃないんだよ。
貴方は悪くないでしょ。いや、厳しく育てられたのかなって思って」
「ええ、おっしゃる通りでございます」
「私、ガチガチなの苦手なんだよなー……旅して自由になってたから余計にそう感じるのかな。
あ、お母さまを悪く言ってるみたいでごめんね。悪い人じゃないとは思ってるんだよ」
「いえ、お気遣いくださいますな、確かに母はいろんな面で厳しいです。ヴァシリーサの者はともかく、ペルーンの職員は母と合わない者はときどき交代しています」
「だが国の代表としてはやり手だぞ。母上も頼りにしておられた。
あの母ちゃんは、頼りにしたら喜んで力になってくれるんじゃねーかな?どうだ、セルゲイ?」
「ああ、そうですね、その通りでございます。
ヴィクトル様はよくご存知でいらっしゃいますね」
「マジかよ……お願いとかできる気がしないんだけど」
サーシャとヴィクトルは、セルゲイ自身と母親のことを少し聞いた。
エカチェリーナはボリスラフの縁戚にあたるそうで、家柄はよかった。
夫も文官で、既に役職は引退し、エカチェリーナが外交大臣としてこの国に出向したのと同時に、この国に屋敷を構えて後進育成に取り組んでいるらしい。
息子であるセルゲイは、サーシャより4歳上の22歳、18歳で大使館に務めに上がり、まずは警備隊の所属となった。
いずれは文官に転向する予定だそうだ。ヴァシリーサの国の出世コースである。
気の強い母に比べ、穏やかな人柄であるようだ。優しげな顔だし、雰囲気も軍人よりは柔らかい印象だった。
食事の席でも、礼儀作法は完璧にしていて、だがかなり緊張しているようだった、
サーシャやヴィクトルが随分砕けた口調で話すのを聞いていて、少しずつ、セルゲイの顔は若者らしく明るくなっていった。
「そうだ。ヴィーシャ、セルゲイに旋律を教えてあげてよ。今頃ヴァシリーサの大使館ではみんな訓練してるはずだ」
「おう、構わんぞ。これからやってその図書館に行くか」
「だね。ごめんね、セルゲイ、私よりヴィーシャに教わった方がいい。私はほとんど術が使えないから」
「そうなのですか」
「元々大して使えなかったんだけど、こないだから魔法が使えなくなってさ。出涸らしに輪がかかってるよ」
「ああ、でもこいつは剣舞奏を習得してるぞ。黒いものを取り込んできたのも全てサーシャだし、多分、極端なんだぜ」
「なに、フォローしてくれんの?」
「剣舞奏を、ですか、さすがはアナスタシア様の姫君、素晴らしゅうございます。
……失礼ながら、出涸らし、とは?」
「あれ、聞いたことない?私、影で、出涸らし王女、って言われてたんだよ。剣も魔法も、見かけはいいのに威力がないから。超優秀な兄の出涸らしだって」
「……そんな、無礼なことが」
セルゲイは本気で憂慮しているようだった。
「そんなことがあったのか、母に聞いてみます。許されるものではございません」
「いや、今更いいよ、なんかそう言ってたらしき将軍たちは、お母さまと出陣して行方不明になってるし、ミロスラフ将軍の実家で攻撃受けたし。退治して当主交代させたけど」
「お前はこっちに初めて来たから、出涸らしぶりを見た奴がいないんじゃねーか?」
「そうかもね」
「将軍様方が、そんなことを?」
セルゲイが言うので、サーシャはミロスラフやその父の話、ミーナから聞いた将軍たちの陰口も話した。
ヴィクトルも、父王派と先代派の勢力について話した、どこでもそういうことあるよな、と。
セルゲイは、遺憾です、と顔をしかめていた。
本当に、真面目な若者なのだろう、気にするな、とこちらがフォローすることになった。
* * *
大使館では、職員と警備隊総出で旋律の訓練が行われた。
ヴァシリーサの者だけでなく、ペルーンの職員と、使用人たちも含める全員が集められた。
まずはエカチェリーナを始めとする、魔術の扱いに長けた者たちへ教授する。
今までと同様、習得できたものから他の者に教えていく方式だ。
文官たちやペルーンの職員たちはエリートばかりだから、イーゴリやエカチェリーナがいればすぐ習得できるだろう、
ナターリヤはそう思って、警備隊の方へ回った、隊長に教えて、それから使用人たちに教えようと思ったのだ。
警備隊の一団に近づいて、見覚えのある顔に気づいた、向こうも気づいたようだ。
「あれっ、ナターシャじゃないか!」
「ユーリ!久しぶりだな!」
知り合いか?と周りが言う中、ナターリヤはユーリと呼んだ警備兵と抱擁を交わした。
「ああ、隊長殿、失礼いたしました。
アレクサンドラ王女付き近衛隊隊長であります、ナターリヤと申します。
このユーリとは国元でよく一緒に訓練しておりまして」
「ナターリヤ殿。当館専属警備隊、隊長のアルセニーと申す、お噂はかねがね。
ひとつよろしくお願いいたす」
隊長は30代半ばくらいだろう、イーゴリに近い雰囲気の、大柄だが落ち着いた男だった。
聞くとその昔イーゴリと同じ隊にいたこともあるそうで、イーゴリとは旧知の仲だそうだ。
そしてユーリは、ナターリヤと同じチームで任務についたのち、大使館の警備隊に異動になり、副長の一人となっていた。
異動といっても、優秀だからこそ行われる異動である。
常に他国の視線がある大使館の勤務は、文武共に成績がよく、礼儀作法を身につけており、尚且つ家柄もそこそこ必要な、エリートの勤務先なのだ。
懐かしさはあるがまずは旋律の教授だ、だがエリートばかりだから、それほど時間もかからない。
ユーリは割とすぐに旋律を習得し、あとは隊長アルセニーに任せ、ナターリヤと共に、使用人への教授をすることになった。
…………
…………
エカチェリーナは文官たちに旋律がほぼ行き渡ったところで、業務に戻らせた。日に短時間は訓練の時間を取ることにして、会議の準備もしなければならないのだ。
警備隊は訓練が仕事でもあるから、引き続き訓練を行う、イーゴリが警備隊へ加わった。
「久しいな、イーゴリよ。大ごとだったと聞いている」
「ああ、戦いの連続だった。ここもそうなるかもしれんぞ」
「脅かすな」
「脅しではない」
「訓練が済んだら、久々に手合わせでもどうだ?」
「受けて立とう」
イーゴリとアルセニーは、不敵に笑い合った。
セルゲイ君は実は作者が中高生あたりで描いていた漫画で作ったキャラ(脇役)なのです。名前も同じ。
まさかこうやって日の目を見ようとは!




