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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第五章 ペルーン国にて
72/201

72.大使館側の事情


会議室では、エカチェリーナが苦虫を噛み潰したような表情でいた。

文官たちも、ざわつく。


「イーゴリ。どういうことですか、殿下のあの短慮さは。

貴方は一体どんな教育をなさってきたの?

あんなに周りの話を聞かないようでは、独裁君主になってしまいかねませんよ?

貴方は一方的に殿下の指示に従ってきたんですか?

きちんとお諌め申し上げるところは、申し上げないと。

あれではアナスタシア陛下が積み上げてきた我が国の信頼が、一気に崩れかねません」


エカチェリーナが、イーゴリにまくし立てた。

ナターリヤが、反論できるところはしようと、イーゴリの側に寄る。


「短慮、そう思われましたかな」


イーゴリはあくまで穏やかな声だ。


「姫さまの方針以外に、できることがありそうですか」

「ですから、それを導くための会議でしょう」

「黒いものを経験した我々からすると、姫さまの方針が最良であり、皆さまがいくら考えられたところで、具体的な案は出ますまい。

それよりも、国を出れる者は出た方がいい。

でなければ、旋律をお教えしますから、訓練を行いましょう」

「アナスタシア陛下は、皆の意見に耳を傾けておられた、貴方もよくご存知でしょう。

それで最良ものを選択し、これまでやってきたではありませんか。

陛下が、出陣のときには、一方的に命令を出したと言っていましたね?

そういうことです、独断さえなさらなかったら、アレクサンドル国王や皆の意見を冷静にお聞きになっていたら、きっと出陣などなさらず、逃げ延びられたかもしれないでしょう。

我々は、陛下の二の舞を、殿下にさせてはならないのですよ。

今度こそ、何がなんでも……殿下はお守りしなければ、なのに、我々の腐心もご存知なく、勝手に出ていらっしゃって」


「エカチェリーナ殿。

総司令官として思うところを申し上げます。

確かにアナスタシア様は、城においては皆の意見を吟味してから決断なさっておりました、

しかし戦場では状況に応じ、そのときの最適の判断を瞬時になさっておいででした、当然でありましょう、一刻を争う場で意見を吟味している余裕などない。


そして姫さまの指揮は、アナスタシア様ならなさったであろうそのもの、

いえ、場合によってはそれをも上回る、最適な指示であったと、私は感じております。


黒いものが出現してから、我々は常に戦場に立っているのです、こことて、例外ではございません。

先ほどの姫さまのお言葉は、戦場における指示でございます。

私は姫さまと共に黒いものに対峙してきた経験から、先ほどの指示が最適であると判断しておりますし、姫さまの仰せの通り、時間の猶予はさほどないと思っておかねばなりません。


今は戦時中であるという認識にお切り替えください、

そして唯一の対策である、旋律を身につけねばなりません。

あれは作戦を立ててどうにかなるものでもないのです」


「ですが。

そんな行き当たりばったりでは、手詰まりになったとき、どうすると言うのですか。

貴方が一番よくご存知でしょう?

何手も予測しておいた上での、現場での判断ではありませんか。

幸いに今現在、戦闘の最中ではないのですから、対策を練る時間はあるでしょう」


「最終的に我々にできることは、ご説明した旋律を使って身を守ることだけなのです。

ここは避難経路も限られている、国外退去を予めしておくくらいしか事前の準備としてもできません。我々であれこれ検討するよりも、まずは情報収集を優先させるべきでありましょう」


「それは……分かりますが、そういうことではなく、殿下の決定の仕方が危ういと申し上げたいのです。あの調子で世界会議本番に出られては……ただでさえ、殿下は世界という場でのご経験が皆無なのですよ。それに、ご存じですか?既に会議に参加のご経験があるヴィクトル様の評判は高いですが、見習いとしてでも一度もここへ来られたことないアレクサンドラ様は、一部のものの間で、ヴィクトル様の二番煎じと……囁かれております。

こちらも用心して世界の場に出ていかなければならないのに……我が国の威信にも関わります、貴方からもよく、そのことをお伝えしてください。前に出てはならないと。

私の言うことは、あのご様子ではお耳に届きませんでしょうから」


「姫さまご自身も、ご存知ですよ。

姫さまは、周りからどう思われているか、ご自分の立ち位置がどのようなものか、きちんと理解しておられます。

ですがエカチェリーナ殿のご危惧は承りました、姫さまには申し上げておきます」


「頼みましたよ、総司令官イーゴリ。それと、もう一つ、報告すべきことがあったのですよ。

……先に、イーゴリ、貴方には言っておいた方がいいでしょう」


* * *


エカチェリーナ自身による、大使館側の報告。


それは城が黒いものに囲まれたとき、礼拝堂から魔法通信で報告を受けたところから始まった。


イーゴリはそのことを知っている、というのも、サーシャたちが戻って来る前に大使館に一報を入れる指示を出したのはイーゴリだったのだ。


得体の知れない黒いもの、アナスタシアの出陣、サーシャが帰還したこと、避難の開始。

城側の通信士が随時送ってきていたのだが、黒いものが礼拝堂を襲い、イーゴリとサーシャが非常通路に飛び込んだところまでで通信は切れた。


城は陥ちたらしい。

前代未聞の世界的大事件である。


アナスタシアもサーシャも消息が不明のまま、大臣エカチェリーナは国の存続をかけた指揮を遂行しなければならなかった。


まずは情報収集である、ヴァシリーサ各地の領主に事態の報告を求め、アナスタシアやサーシャの消息を尋ねる。だがどこからも反応は芳しくなかった。

城から離れた領地では黒いものの情報もなく、第一将軍ミロスラフの実家からは異常がないという報告があったーーサーシャたちが訪れる前のことである。

第五将軍ヴァレーリヤの実家では、避難する人が転移門で大挙して押し寄せており、報告どころではない混乱状態だったため、情報らしい情報は得られなかった。


ミロスラフとヤロスラフの祖父ボリスラフと縁故のあるエカチェリーナは、当時の領主ロスチスラフの報告に違和感を持ったが、問い合わせても異常なしの一点張りで、現地に行かない限り何も具体的には分からない状態だった。


ならばとエカチェリーナはイヴァンの国の大使館と連携し、アレクサンドル国王に情報を求めた。

こちらも黒いもので混乱しており、城から出られない状態、アナスタシアやサーシャの情報はまだなかった。


情報収集だけでは埒があかない、実際にものを見ないことには何も対策が立てられない。

エカチェリーナは大使館の警備隊員による調査隊を結成して、母国の調査に行かせた。


得体も知れないのだし、あまり踏み込まないよう忠告していたのだが、これから城方面に向かうという最後の連絡が第三将軍マカールの実家を通じて来たのを最後に、調査隊の消息もまた不明になってしまったのだった。


その頃、ボリスラフに連絡がついたのと、次いでアレクサンドル国王から連絡が来て、アナスタシアが落命しサーシャはイーゴリとともに無事という情報がようやく入った。

アレクサンドル国王によりペルーンに対し正式な報告書が届けられ、会議の開催がこの度決定したというわけであった。


…………

…………


会議室に、沈黙が流れる。

おそらく調査隊は、もう戻ってくる望みは薄いことを皆感じているのだ。


ボリスラフが大使館とやり取りをしたとき、イーゴリも同時にようやく大使館に報告を上げることができていた。

その中には黒いものに寄らないよう忠告もあったのだが、それは調査隊の派遣が行われた後のことであった。


エカチェリーナが賢明だったのは、次の調査隊はもう結成しなかったことである。

帰還予定日を数日過ぎて戻ってこなかった時点で、失敗を悟ったのだ。

そして、自分たちの手には負えないであろうことも見極め、ひたすら情報待ちに徹したのだった、結果的にそれ以上の犠牲を払うことはなかった。


「こちらも黒いものについて連絡もできませんでしたから、致し方ありません。

戻ってこない、それこそが調査結果であると私も考えます。

ですがこれからは、対策が可能となりますから、一刻も早くそれを身につけていただきたい。

早速訓練を行うとしましょう、エカチェリーナ殿、この館の職員に集合をかけてくださいませんか」


「……では、手配しましょう。

広めの場所が必要ですね?訓練場にしましょう」


イーゴリがそう結論を出し、エカチェリーナは、ようやく解散の指示と、訓練場への集合の指示を出した。


全員が退出したところで、ナターリヤが一息つく、


「こっちでそんな動きがあったとはね」

「ああ……警備隊に犠牲が出たか」

「黒いものに感づかれたらまぁ、逃げられないでしょうね」

「姫さまが避難される直前に襲撃されたからな、情報を十分伝えることができなかった。言い訳をしても仕方がないが、こちらもそれどころではなかったしな」

「そうっすね……」


当時のことに少しだけ思いを馳せると、ナターリヤは顔を上げた。


「しかしあの大臣、おっかない方っすね……あんなに大将に反論する人なんて初めて見た」

「あのくらいでなければ世界と渡り合えん。

あの方はなんだかんだいっても優秀な外交官でいらっしゃる」

「はぁ……大将がそう言うんならそうなんだろうな。

でもサーシャについては、私も、短慮じゃなくて、要点だけを的確についてると思うんだけど」

「俺もそう思っている。

だが姫さまが外交の場は初めてというのは事実だからな……

心配いらんと言っても説得できまい。

皆姫さまに初めて会ったばかりだしな」

「黒いものが追えるのは世界でサーシャだけだし、そのサーシャ以外が何やかんや言っても無駄だと思うんだよな……

サーシャもだからさっさと出たんだよ。

まぁ、それ言ったらあの人に怒られそーだから、やめとこ」

「そうしておけ」


「……警備の人がサーシャについてったけど」

「あの者なら心配ない」

「えっ?」

「行くぞ」


* * *


会議室を出たサーシャは、イヴァンの大使館に行こうと思い、館を出ようとした。

だが、受付の職員に止められてしまった。


「アレクサンドラ殿下。お一人での外出は、禁じられております。

エカチェリーナ様に確認して参りますゆえ、少々お待ち下さい」


「何でだよ?何で大臣の許可がいるわけ?」

「御身のご安全のためです。どなたかお供にお連れいただかなければ」


「えー……じゃあナターシャでも呼んでこようか」


渋々引き返そうとした、そのとき、会議室の方向から若い武官が一人、こちらに向かってくる。

先ほど、会議室の扉のところで控えていたのを覚えている。


「アレクサンドラ殿下。

当館専属の警備隊副長であります、セルゲイと申します、

エカチェリーナ様の命により、お供仕ります」


セルゲイと名乗った若者が、武官らしく一礼した。


エカチェリーナの命?

じゃあ、外出していいってことか。


「そうか。じゃあ頼んだ。えと、これで外出してもいいかな?」

「結構でございます。いってらっしゃいませ」


サーシャはため息をついて、館から外に出た。


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