68.国境手前
サーシャとナターリヤは、いつものおしゃべりを封印して、一心不乱に馬を走らせる。
あと少しで、目的地ペルーンとの国境に到着する予定だ。
サーシャたちが領主の城を発つ前、領主に報告が上がっていた。
この辺り一帯の領主を統治する王の宮殿にて、サーシャの痕跡がないかどうかの問い合わせがあったのだ。
王からの通信に間違いはなく、王のほか、ヴィクトル王子とイーゴリ総司令官の名も連ねてあった。
領主はサーシャの指示の下、サーシャとナターリヤがこの地を訪れたこと、例の盗賊集団がサーシャによって始末され、残りのメンバーに刑を科したところという旨の返信を送った。
サーシャとナターリヤは、ヴィクトルとイーゴリの居場所がわかってほっとした。
よかった、このままだと、今日にはペルーンで合流できるだろう。
ペルーンまで、もう一息。
…………
…………
そして、国境手前に到達する。
小高い丘からペルーンを見下ろして、絶景に息を飲んだ。
海に面したこの国の国境は全て、幅のある河川だった。
河川が囲んだ中に、高低様々の地形があり、建物が見える。
国境を越える橋は、ペルーンの西・東・北の3本のみ。南は大洋に面している。
通ってきた国からの道は、ペルーンの西の橋一本だけだ。
天然の要塞といってもいいかもしれない。
人間にとっては、攻め込みにくく、守りに厚い連邦国ーー
だがサーシャには、水で囲まれた孤島など、黒いものの格好のエサ場にしか見えなくなっていた。
「見た目はいいけどな……
黒いものっていう面でいうと、危ないな」
「でも、行くしかないだろ」
「ここに世界の首脳が集まるって、やばくね?
また籠城とかもう勘弁してくれよって感じ……
……黒いものがこの辺までいるか、意識をとばしてみるか」
サーシャは馬をおり、目を閉じて、河川へと意識を向けていく。
…………
少量?
ここではない、どこかへ、黒いものが集まっている……?
河川の底に、少量の黒いものが漂っている。
そして脈々と続く黒いもののつながりを辿っていくと……
大洋へ出て、沖へと進んでいく。
沖へ出て、深くなるごとに、大洋の底へ底へと、黒いものが、集まっているようで……
その内には……
ーーいきなり体全体に衝撃を感じた。
「うぐっ!」
思わず叫んで、膝から崩れ落ちた。
「サーシャ!?」
ナターリヤが急いで駆け寄る。
胸が締め付けられるように苦しい、黒いものの中に飛び込んだときのように。
息が十分に吸えなくて、肩で息をする。
「サーシャ……どうした!?回復魔法を……」
多分回復魔法が効く類のものではない、だが今は苦しくて言葉に出せない。
ナターリヤが回復魔法をかけるが、案の定、苦しさは止まらなかった。
「そうだ。旋律……」
ナターリヤが旋律をサーシャにまとわせる。
旋律の温かい光がサーシャを包み込み、
少しだけ、苦しみが和らいだ気がする。
だが息が十分にできないから、酸欠だろうか?
目の前が暗くなり。
意識が混乱してきた、ナターリヤの声がする気がするが、内容がもう頭に入ってこない。
一体何ーー
「サーシャ!!おい、しっかりしろ、サーシャ!」
ナターリヤの叫びもむなしく、サーシャは、その場に崩れ落ちた。
* * *
ーーここは、また、あの黒い空間か?
サーシャは辺りを見回した。
黒いものには対峙していない。
意識を向けて、辿っただけなのに。
やばい、ナターシャだけで、まだ国境手前なのに、こんなになるなんて思ってなかった。
多分、体は眠っていて意識だけが働いているのだろう、今は息苦しさはない。
……戻ろうか。でもどうやって。
……力をやろう。
え?
……我を受け入れよ。
また、これ?
お前は、コシチェイか?
……自らここへ来たということは、望みがあるからであろう。
いや、そういうつもりじゃなかったんだけど。
ていうか、同じセリフ。前のコシチェイと、違うのか?
……受け入れぬとでも言うつもりか、人間の分際で。
支配下には置かれない。
私がお前を受け入れることならできる。
ーー助けて。
ん?違う声?
ーー消されちゃう。
あなたの身体で、あるべき姿に還して。
黒いものか。
来い。
助けてやる。
誰に消されるって?
ーーベロボーグに。
ーーチェルノボーグが、いないから。
ーーチェルノボーグも、消されちゃったの、ベロボーグに……
そういや、前、私に向かって、チェルノボーグって言わなかった?そんな記憶がある。
ーーチェルノボーグだと思ったの。
ーーわたしたちを受け入れてくれるのは、チェルノボーグだけだもの。
ーー消えたけど、復活したと思ったの。
ーーそれは違ったけど、あなたが受け入れてくれることには変わりがない。
……おのれ、我が身体を崩そうというのか!
愚かな人間め!
我がしもべよ、邪魔をするな!
この人間を取り込んでくれる!
ちょっと、私、さっきから声だけ聞こえて、何も見えてないんだけど!
何が起こってる?
何がいる?
くそ、どっちに移動できるのかもわからない、来るなら来やがれ、私が取り込んでやる。
……こちらへ!
んっ?
……こちらへおいでください!
どっから声がするんだよ?
……貴女様の左手後方です!お早く!
訳がわからないが、とりあえず、自分の左手後方へと走ってみた。
周りが暗いから、進めているのかどうかもわからない。
ていうか、さっきから何なんだ?
私、ここにいるってことは、体は眠ってるんだよな?
ナターシャが一人で心配してそうだ、戻りたい、が。
で、なんかコシチェイと黒いものが話しかけてきて、
今逃げるのを導いてくれてるのは、一体何?
……よかった。こちらの意思は通じているようだ。
だが我が主の御前に顕現できぬ。
我が主のお声も、こちらには届かぬ。
……きっと、もう少しなのだ。
もう少しで、きっと、我が主との意識が繋がるはずなのだ。
……我が主よ。聞こえますでしょうか。
コシチェイにあそこまでお近づきになっては、なりません。
まだお力が足りませぬ。
もう少しで、貴女様のお姿を拝見することができるでしょう、そのときが来ましたら、我々の知り得るところ、全てお話しいたします。
各地で取り憑いているコシ……を取り込……ください、
そして、魔剣クラデニエッツを……
「……!
……さま!
姫さま!」
これは……イーゴリ?
「姫さま!」
これは……覚醒してる。
そう、夢から覚める、あの感じ。
手を動かそうと試みる。
「姫さま!しっかりなされませ!」
イーゴリ、いるの?
あれ、そういえば、ナターシャと二人だったよな?
あれ??
ちょっと待って、混乱してる。
私、抱えられてる?
えっと……起きなきゃ。
目を開けようと試みて、目の前が明るくなってくるのが分かった、
目が、開いた。
そこにはーー
「姫さま、ご無事ですか」
「えっ……イ、イーゴリ?」
紛うことのない、イーゴリの顔がそこにあった。
「姫さま……よかった」
「待って、なんで?ここは……」
イーゴリの腕の中にいるのに気づいた。
「ペルーンに入る橋に向けてきておりましたら、ナターシャを見つけました、その側に姫さまが倒れておられたのです。
黒いものがいたわけではないのに、突然倒れられたと聞きまして……ご無事でようございました。どこか、お加減がお悪うございましたか」
「イーゴリ……いや、そうじゃないんだけど……」
頭痛が来ているのに気づいた、横になりたい。
ということは、黒いものをあの意識だけの中で多少なりとも取り込んだということか。
そんなことよりも。
イーゴリ腕の中にいる。
どこよりも、安心するところ。
「後で話す。ナターシャは?」
「……疲れが出たのでしょう、調子が悪いようです。殿下が見てくださっております」
「ナターシャ……そっか」
イーゴリの胸に、顔を寄せた。
役得だ。
頭痛のせいにできる。
「頭、痛い……ちょっとだけ……このままでもいい?」
目を閉じて、言った。
「もちろんでございます」
* * *
せっかく再会したのに、再会を喜ぶどころではなかった。
ナターリヤが調子を崩したとあっては、ここで倒れているわけにはいかない、なんとかしてあの橋を渡りきらなければ。
頭痛はあったが起きれる程度だ、
イーゴリに少しの間甘えた後、サーシャは起き上がってナターリヤの様子を確認した。
ナターリヤは、ヴィクトルの脚を枕にして横たわっていた、顔色も悪い。
「サーシャ。無事だったか。
ナターシャには疲労回復術を今かけておいた、少しすれば起きれると思う。
図太い奴と思ってたが、思いのほか神経を使っていたようだ、疲れてるだけだから心配はいらん」
「ヴィーシャ。無事でよかった。
とにかく、入国しなきゃならないな。私も頭痛が残ってるんだ。
……そう、あの水に囲まれた国を見てたら、あの国は黒いものの格好のエサ場だと思えてきてさ。
あの水中に黒いものがいないか、意識を飛ばしてたんだ。
あの周りは少量しかいないみたいだったから、多分入国して大丈夫だと思う。
問題は大洋をずっと南に下ったところだ。
多分、コシチェイの本体が、そこにいるんだ。
今は近づくなと導きを受けた。
イーゴリが呼びかけてくれて、戻ることができた」
「サーシャ、それ、危ない橋だったんじゃないか?
まぁ何も知らずにペルーンに入ってたら、また籠城する羽目になったかもしれんな。
しかしコシチェイの居場所が分かったのは大収穫だ。クラデニエッツを手に入れたら向かえばいいんだな。
だが大洋の南方って、船で行くとでもいうのか……」
「ナターシャ……大丈夫……」
「今は眠ってる」
「ナターシャは、姫さまと二人での行動は今回が初めてでしたでしょう。
本当は、成人の儀のときが、ナターシャが一人で護衛を遂行する最初の訓練課程だったのです。
それが中断してしまって、今回急遽一人で護衛する運びとなりましたから、負担は相当だったでしょう、よくやり遂げたと思います」
「……そんなに、負担だったのか。
私に、力がないからか」
「姫さま、そうではありません。……言葉足らずで失礼いたしました。
王族の護衛とは、姫さまに限らず、相当な負担が生じるものなのです。
アナスタシア様の護衛リーリヤ殿も、慣れるまでは何度となく倒れたものだと、聞かせてくださいました。
あのアナスタシア様の護衛であっても、です。
ですがナターシャが乗り越えるべきことなのです、姫さまは何もご心配なさいますな」
「……って、ナターシャが、私の護衛の予定だったの?」
「左様でございます」
「まぁ、実力と信頼度からして、そりゃそうか……
イーゴリ。ナターシャは本当に、よくやってくれた。
元気になったら、飲ませてあげて。そう約束したから」
「承知しております。姫さまがそう仰せなのでしたら、私も今回は咎め立ていたしませぬ。
姫さまも、ナターシャが起きるまで、少しお休みなされませ。
日暮れまでまだ時間はあります」
「そうだね、そうする。
……ねぇ、話、しててもいい?いろいろあったんだ」
「伺いましょう」
次回、4章ラストです。
時間かかったなぁ。そして思いの外長くなった。更新頻度がすっかり落ちてしまってすみません。




